コーヒー・オア・テイ

北穂高山頂小屋での話


夕日に染まる槍ケ岳

1976年9 月に穂高連峰に行った時の話である。

 登山二日目も小雨が降っていたが、横尾山荘を北穂高岳に向け出発した。涸沢からは雨も本降りになり、おまけにガスで視界が全く利かない。台風が九州に接近していた。

 登山道は、迷うことが無くつづいていたので、あまり気にせず登ったが、山頂小屋の主人に「こんな日に登るやつは、ばかだ。」と叱られるが、もう一人ばかが来た。青森県出身の青年で、奥穂高から来たらしい。こんな日に、さらに上手がいたのだった。小屋は、この人を含め3人だけだった。岩手のエーデルワインで乾杯して食事をとる。

 次の日は、台風がちょうど日本海を通過中で、小屋は強風と雨に叩かれていた。我々は、ここで停滞することにしたが、青森の青年は、涸沢に下りていった。その後どうしたかは、わからない。夕方、台風もおさまり外に出ると、素晴らしい景色がまっていた。槍ヶ岳が、赤く夕日に染まり全容を見せるし、笠ケ岳も夕焼け雲に浮かんでいる。滝谷からは、真っ赤に染まった雲がわいて迫ってくる。前穂高は、夕焼けの空にシルエットになり、浮かんでいる。すごい||。絶景であった。日が暮れるまで展望を楽しんだ。

 「ごはんでかよー」の声に我に返り、小屋に入る。たった二人の食事が始まるが、テーブルには思いもよらず、ナイフにスプーンやフオークが所狭しと並んでいる。
 いやな予感がする。ビバルディの四季が流れだし、食事が来た。たまらず、「あのー、箸はないんですか?」と聞くと、だめと言われ仕方なくナイフとフオーク手にとり食べる。二人とも、何を食べたか記憶にない。
 デザートは貴重なすいかで、「飲み物はいがですか」と聞かれ、「はあー、まだあるんですか」と聞き返したら、「コーヒーか紅茶がある。」と言われ、「レモンティ・プリーズ」と言うところだった。、当時家電のM社のコマーシャルで「コーヒー・オア・テイー」、「レモンテイ・プリーズ」というのがあり、まさにその通りであった。思わず、二人で吹き出すところだった。
 北穂高の山頂小屋では、まだ二日目の客にフルコースを出しているのだろうか。それにしても、「コーヒー・オア・テイー」がやけに頭にこびりついているのは、なぜだろう。
 いい山行だった。帰ると一関は、水害だった。