焼山(1,366.06m:秋田県仙北市、鹿角市)


H19.10.9

     静かな平日登山の醍醐味を覚えつつ、間近に迫った定年後の予行演習のような山を楽しみました。


後生掛温泉(登り始めて直ぐのところから振り返る)
 1972年10月玉川温泉から焼山を登り、後生掛温泉、蒸ノ湯温泉を経て八幡平まで歩き紅葉を楽しんだ。しかし当時の記憶は殆んど残ってなくて、今回逆コースを歩いたけれど全く初めての山と同じだった。ネットで調べると焼山コースは後生掛温泉から入山して玉川温泉に下り、定期バスで戻ってくるというミニ縦走気分を味わえるルートだと知り、今回の計画となった。


国見台からの展望
 前日の寒冷前線通過で雨も止み天候は時間とともに回復基調だが、風が強くしかも気温が下がり八幡平山頂付近で4℃と一気に冬に突入したような天候になった。後生掛温泉で車を停めて山の支度をするが、防寒用のフリースジャケットを着込み手袋をつけて出発した。


毛せん峠にて
 紅葉は温泉付近で見頃を迎えつつあり、毛せん峠へ向かうブナの森はほんのりと色づいて、雨上がりで柔らかな雰囲気の中をゆっくりと登っていく。登山者は私たち夫婦以外に居なくて静かな山を堪能しつつ、のんびりとブナやナナカマドなど綺麗な木々を見つけてはカメラに収める。アオモリ椴松が多くなって山を反時計回りに巻くようになると、国見台に着く。眼下には後生掛温泉や地熱発電所の白煙が所々で昇っているのが眺められ、雄大な展望を楽しみつつ遅れて登ってくる家内を待つ。


毛せん峠から望む焼山
 毛せん峠への登りで団体バスツアーの一行に追いつき、急に賑やかになる。おばさん達の元気は何処に行っても同じで、聞くと蒸ノ湯温泉一泊の焼山ハイキングツアー一行で、ガイド付き49,800円とのこと。シラタマを足元に見ながら登っていくと急に視界が開け、ガンコウランの褥が広がる毛せん峠に出る。何となく記憶にある景色だったが南に広がる白い谷などは全く記憶は無い。谷の両側は緑のチシマザサに黄葉赤葉が点在して綺麗だ。毛せん峠はガンコウランだけでなくイソツツジが群をなしていて、花芽が一面に付いている。来年の6、7月頃はきっと白く染まって綺麗だろうと、また来なければ行けない場所が増えてしまった。


紅葉の中に建つ避難小屋
 記念写真を撮ってもらって焼山方向に向かう。団体一行と抜きつ抜かれつしながら避難小屋に向かう。今度は焼山北側に刻まれた谷の両斜面が赤や黄色に染まり、避難小屋下の谷は絶景を演出している。そんな景色が居ながらに見られる避難小屋で簡単な昼食を摂る。小屋の上部は鬼ヶ城の岩場になっている。小屋周辺には小さな池が点在する。とにかく紅葉の素晴らしい景色が目の前に広がる。家内も来た甲斐があったと満悦の様子だ。


名残峠手前から望む火口湖と
八幡平遠望(右奥はモッコ岳)
 避難小屋の横を鬼ヶ城を目指して登る。直ぐに鬼ヶ城の岩場に辿りつき、焼山の荒涼とした谷あいを白濁した火口湖と噴煙を見ながら名残峠へ向かう。この辺りは硫黄の臭気が漂い、イオウゴケが一面に繁茂している。赤い胞子の付いているのはごく僅かだが、よく見るとモンローリップと言われるように悩ましい形をしている。


ガレ場下の紅葉した斜面を下る
 名残峠まで来ると後はもう登りは無く、火山地獄の白い砂礫の急傾斜の道を一気に下る。正面に森吉山が端正な姿で見える。ブナの林が広がるようになると、傾斜も緩くなり標高が下がるに従い緑が濃くなってくる。


イオウゴケ
(赤い胞子はでモンローリップといわれる)
 登山道が歩きやすくなり目の前に玉川温泉名物の地獄谷の噴煙が見えると、楽しかった縦走を終えてすっかり観光地と化した遊歩道に入る。寝茣蓙を持って岩盤浴に向かう人、茣蓙を敷いて湯治客が寝そべっている人達を横目に見ながら、大浴場のあるバス停へ向かう。


玉川温泉と岩盤浴湯治客
 休日の混雑時、バスは温泉まで降りて来ないが、平日は温泉まで来ると言う。バスの発車時間までに入浴できるだけの時間的余裕は無く、玉川温泉で山の汗を流せなかったのが心残りである。でもタイミングよく乗車でき、車を停めた後生掛温泉で山の汗を流して帰路に就く。 沖 記

コースタイム:松川温泉7:55===8:45後生掛温泉8:55---10:10国見台10:15---10:40毛せん峠10:45---11:10焼山避難小屋(昼食)11:30---12:00名残峠---13:20玉川温泉13:42==(バス@710円)==14:12後生掛温泉(入浴@400円)14:45===17:15一関