Sekiyan's Notebook セキやんのe講義 経営

セキやんのe講義 −経営の巻−


第1回 ビジネスマンのゆらぎ

第2回 事業領域をおさえる

第3回 明確な区分をする

第4回 責務の重心

第5回 自社のポジション その1

第1回 ビジネスマンのゆらぎ (2000年6月1日)

陽徳と陰徳
地方で企業経営の応援や新事業創出の手伝いなどをしているので、企業のサポート役としての自らの経験や先達の教えなどから、事業者数で日本の99%、従業員数でその7割を占める中小企業、その経営者や管理者の方々に業務のヒントを提供できるようなコラムにしていきたい。ことに、「思考は現実化する」「念ずれば花開く」といわれる通り、企業経営の原点はトップの「想い」にあるが、中小企業経営者の「想い」をいかにして現実の事業活動の中にはめ込んでいくかという点での一助となれば幸いである。
さて、いよいよ大阪証券取引所のナスダック・ジャパンが始動する。ベンチャー株の動向に賛否両論渦巻く中での船出となるが、その仕掛人である孫正義氏は、今から1年ほど前に話題の映画「鉄道員(ぽっぽや)」を観て「欲得だけでは生きていけないと本気で思った」そうだ。が、間もなく「本来利益追求の機能集団である株式会社の経営者が、私利の追求を堂々と口に出来ないことに日本経済の停滞の根っこがある」と気持ちを切り替えたという心の揺れを、当時の日経新聞の囲み記事が報じていた。このことは、実は孫氏だけに限られた出来事ではない。「利益の追求」と「高邁な求道への欲求」、この二つのはざまで企業経営者は常に揺れ動いている。
心理学の権威であるアメリカのA.H.マズローによる「欲求5段階説」では、生存欲求、安全・安定欲求、愛情欲求、尊敬欲求、自己実現欲求、と人間は段階的に充足した欲求を順次引き上げ、「自己実現」すなわち自分の可能性や信じる価値の追求に向かい、最終的には心底納得できるかどうかという心の内面の問題にたどりつくという。また、古く論語の昔から「信なくば立たず」といわれる通り、我々は他人との認め合いからも逃れられない。
従って、先人は自身が納得し他人と信じ合う関係を作るために、知恵として「徳」を積む努力を身につけてきたともいえよう。
さて、その「徳」についてだが、これには二種類あるようだ。孫氏のようにビジネス指向の「陽徳」も良し、ぽっぽやのように「陰徳」指向での実直もまた良し、である。
ここでいう「陽徳」とは、本気でビジネスに徹し、その実践で顧客をハッピーにする具現的な「徳」のことで、景気に関わらず繁盛しているビジネスに共通するやり方のことだ。近江商人の家訓の「三方よし」すなわち、売り手よし、買い手よし、世間よしで「私利を追わず」がその代表格だ。余談になるが、凶作続きの不況の時、近江商人は「お助け普請」といって、私財を投じて自宅の改築や修理を行ない、景気浮揚の仕掛作りまでしていた。銭ゲバなどとあらぬ誤解をされることもあったが、実は地域のために蓄財を喜捨するという究極の功徳をしていたのだ。計画性や合理性が不可欠なビジネスシーンでは、本物の「陽徳」こそが効果性を発揮する。そして、その実践そのものが、十分に人生を全うすることになる。
一方、「陰徳」は、もちろん家族を背負った上でのことだが、一己の人生を極めるという点で大いに意義深い。しかしながら、ビジネスの成果とは相容れない。特に経営責任という多くの社員や家族の重責を担っている経営者にとっては、自分だけの世界に内向することは許されるものではない。もし、それを望むのであれば、経営を離れてから行なうことである。一流といわれる経営者は、現役経営者の時には経営に徹し、その後にシャバを離れて哲学や人間学を極める道に入っている。
すなわち、人生成功の秘訣は、どちらかの指向に徹し、「腹をくくる」覚悟ができるかどうかにあるようだ。思うに、人生航路においてもビジネスシーンと同様に「選択と集中」の論理で、おおむね予測可能なようだ。次回は、GE社のジャック・ウェルチ氏流の「選択と集中」にスポットを当てて見たい。

第2回 事業領域をおさえる (2000年6月21日)

選択と集中
企業の経営資源は有限だ。その有限な資源で、顧客の無限な要求に応えようとするのは、ある種経営者の思い上がりで、単なる勘違いに過ぎない。
組織の類型は二つに分類される。ひとつは、ゲマインシャフト「共同体」。もうひとつは、ゲゼルシャフト「機能体」。家族や地域のコミュニティは「共同体」で、その組織に居ることが目的で、「居心地が良い」こと自体が目的となる。一方、企業や官公庁に代表される「機能体」は、利潤や住民奉仕などの「外的目的の達成」が、その存在意義である。
しかし本来「機能体」として外的目的を達成していくべき組織が、時間と共に、構成員の保身を優先させ居心地の良い「共同体」としての要素を求める方向に変わっていく。これは、元々合理的でない人間が、合理的であるべき「機能体」を運営するという矛盾から生じる当然の結果でもある。いわゆる大企業病、警察や官僚のXXぐるみの醜聞、手放せない既得権など、組織的問題点の一端は、この組織の変質性にある。従って、企業という「機能体」組織を継続する上では、これらの組織特性をわきまえることが肝要だ。
つまり、限りある経営資源しか持ち得ない企業経営においては、目標・目的を明確にしないと存続の危機におちいることになるのだ。見方を変えれば、果たすべき「外的目的」を常に認識してさえいれば、「機能体」組織である企業の存続は約束される。こうしたことから、まずはターゲットの「選択」をし、そこに経営資源を「集中」投下しなければならない。
GEゼネラル・エレクトリック社のジャック・ウェルチ会長が提唱し、実践したところの「選択と集中」が、その手本となる。1981年に会長に就任し、来年2001年の春に引退を表明しているが、この間売上で4倍、純利益で6倍と、社歴百年以上の成熟企業を一段と飛躍させた。中小企業と違い、マクロ経済の拡大に比例すれば良しとされる大企業の成長で成し遂げたというところに、並み大抵ではない経営手腕を見ることができる。それは、「社員ひとり一人が重要性を持つ」というウェルチ哲学のもと、ナンバーワン・ナンバーツウ戦略を推し進めたことに象徴される。4・5・6位に甘んじた事業にしがみつき、従業員を絶望的な職場で何十年も働かせることは、経営者の最大の罪だという持論に基づき、半導体や家電部門などを売却した。その十万人以上の従業員はGEの社員ではなくなったが、かわりにその分野に強い他社の社員として、希望を持って仕事ができるようになった。自社の事業を絞り込むことにより社内を強化でき、表面的には切り離された元社員達も生かすというやり方は、本来的なリストラである。「学びつづける」企業文化を作り出し、学んだものをスピーディーに実践していったのだ。この点において、GEが特別なのでも大企業だからできた訳でもない。前述したように、スピードを活用するという点では、むしろ巨大であるが故に成長度に限界があるといわれるマンモス企業よりも、我が中小企業の方にはるかに利がある。
では、集中する分野をどのように定めるかというと、自社の事業ドメインの本質を見極めることがポイントとなる。かつての花形産業であった石炭産業は、事業領域のとらえ方を誤ったところに没落の一因があったといわれる。「石炭屋」ではなく「エネルギー産業」ととらえることで、その後の展開は大きく変わった筈だ。GEの航空機エンジン事業部は、かつて世界最大規模の工場を持ち世界の航空機エンジンの製造基地であった。しかし、冷戦終結を受けて軍用機部門をいち早く売却し、さらにメーカーとしての範疇から抜け出し、エンジンのメンテナンスを中心としたサービス部門で高収益を確保している。つまり、エンジンの製造販売を事業領域とする既製観念にとらわれず、顧客が「エンジンの総合サービス」を求めているという柔軟なとらえ方をしたのだ。これも、ワークアウト(変化の輪を広げる)とストレッチ(伸ばす)というウェルチ会長の哲学から派生した企業スタンスであり経営戦略なのだ。次回は、「戦略」と「戦術」の違いを取り上げる。

第3回 明確な区分をする (2000年7月1日)

戦略と戦術
日頃たびたび口にする割には、戦略と戦術の違いを明確に認識し経営に活かしている経営者は少ない。今回取り上げた理由は、そのことが企業経営の成果という部分で今後大きな影響力を持つからだ。
1989年の東西冷戦終結から十年余、世界は一気に市場経済に突入し、西側経済の有力メンバーである日本の中小企業にも、容赦なく東側諸国の安価な労働力の影響が押し寄せ、国内製造業の空洞化圧力が強まり、対抗手段として「方法や能率」にますます磨きをかけてきた。しかし、肝心の売上がさっぱり伸びず、企業内部の節約にも努めたが、それでも経営は苦しくなるという悪循環に陥った。さらに、人口問題や環境問題など人類がかつて経験したことがない全地球的な問題もコスト押上げ要因となった。
過去には、日本人共通の分かり易い目標があった。それは、食えるようになろう、豊かになろう、テレビを持ちたい、車を持ちたい、家を持ちたい、つまり先に消費者のニーズが見えていて、生産者は、いかに多くの品物を供給するか、いかに品質を上げるかという「方法や能率」を追求することが求められたため、購買者の便益という「目的や効果」と向き合う機会がなかった。そんな中、企業はどんどんこなす事に慣れ、消費者・生活者のとりあえずの要求を満たす役目を見事に果たしてきた。
つまり既存分野では、生活者の需要欲求に生産者側の供給スピードが追いつき、需要が先行する時代に終止符を打ったのである。これからは、「どのように(HOW)」という方法・能率の視点から、「何を(WHAT)」という目的・効果を追求する企業姿勢に変わらなければならない。
従って、目的(WHAT)の追求に欠かせない「戦略」と、その実行をスムーズに果たす手段(HOW)としての「戦術」の区分を明確にし、企業内での役割認識を共有することが重要となってくる。
戦略とは、ギリシャ語の「ストラティジア」を語源とする軍事用語で、
 1.全軍の指揮を採るトップが行なう
 2.効果的な勝ち方を考えること
であり周囲からのぞくことができない。経営におきかえると、経営者が考えた効果的な経営のやり方を社内に周知徹底することが、戦略実現のスタートとなる。どの方向を向いて行くのかを明確にしないと、企業内のエネルギーは結集しない。たとえ社長や社員の能力が高くとも、ベクトルがばらばらでは、戦略の「効果性」が発揮できないのである。つまり、戦略は効果性を確保するための仕組み作りのことである。仕組みには、商品・客層・営業・組織・財務・情報収集など多くの要素があり、一つ一つ粘り強く確実に積み上げていくことが、そのまま戦略作りとなる。
また、戦術とは、同じく「タクティコース」を語源とし、
 1.同じ動作を繰り返す
 2.道具を使う
 3.身体を使う
という意味である。企業におきかえると、実行部隊である社員の役目で、いかに能率を高めるかの方法を編み出すことが要求される。そして、中間管理職は、あくまでも戦術実行部隊のリーダーに徹することが大事である。戦術リーダーが、トップのなすべき戦略領域まで入りこんで、社長の方針の批判をするなどはもっての外である。戦術リーダーがそうなると、戦術係たる社員は混乱するばかりで、経営成果は望めない。
経営者は、そうしたことの無いようにしっかりと戦略の構築をしなければならない。そのために、寸暇を惜しんで、経営の研究と市場の声の拾い出しをすることである。また、場合に応じて部下の意見を聞くことも必要であるが、その際最終決断は経営者にあることを十分肝に銘じなければならない。
また、戦術係の仕事のバラツキを少なくするために、手引書を作り教育と訓練を繰り返すことも忘れてはならない。特に中小企業では雇用事情などからも、経営者自身がまとめられないような仕事を社員に任せることはできない訳だから、まず経営者が戦略に基づいて戦術係用のノウハウを確立することが、円滑な戦術業務の実行につながる。そして新たな戦略構築に時間が割けるようになる。このような状態ではじめて戦略の「効果性」と戦術の「能率性」がマッチし、大きな成果が得られる好循環に入るのである。

第4回 責務の重心 (2000年7月11日)

行為責任と成果責任
前回までは経営者の心構えを中心に取り上げたので、今回は従業員・社員の立場での仕事の役割を論じたい。植木等が「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ!」と歌った時代とは隔世の感があるが、経営者に比べたら、やはり従業員の気楽さは否めない。
いわゆるリストラの嵐が吹き荒れている今日、従業員にも切実な対応が求められている。そして、当然ながら給与体系についても年功給から実績給・業績給への移行が必然となっている。そうした状況下、従業員として何を目安に努めるべきかについても混乱をきたしている。今回は、前回テーマの「戦略」「戦術」とも絡めながら、そのあたりを整理してみたい。
企業人として、希望に胸膨らませて社会に踏み出したばかりの頃は、先輩や上司の指示にしたがって、戦術係として汗を流すことになる。この場面では、ほとんど仕事そのものに対する裁量権はないから、役割としてはあくまでも「行為」そのものに対する責任となる。つまり、「仕事への取り組み姿勢」や「企業人としての良識」などの「情意」を中心に、既存システムにいかに素直に乗っかっていけるかが、ポイントとなる。そしてこの段階では、「仕事への貢献度」より「給与」の方が高いという関係となっている。
その後三年から五年を経ると、今度は逆に「貢献度」の方が「給与」を上回るようになるのが一般的だ。この段階では、いくらかの裁量権が持てるようになり、仕事が楽しくなる時期で、少しは仕事の「成果」への関心も高まる。つまり、ここで初めて「成果責任」という感覚が実感できてくる。企業内における評価の尺度も、「情意」から「遂行能力」へと移っていく。
「遂行能力」に比重がおかれる時期は非常に長く、課長などの中間管理職クラスまでは、もっぱらこの「遂行能力」を磨くことになる。また「行為責任」と「成果責任」のバランスが要求される期間であり、戦術リーダーとして力を発揮することになる。もちろんキャリアとともに、「成果責任」のウェートが徐々に大きくなり、仕事のやりがいとプレッシャーに挟み撃ちされる時期でもある。
さらにサラリーマン生活の大詰めとして部長や取締役クラスになると、ほとんどが「成果責任」となり、「業績」がすべての尺度となる。ただし業績には、短期的なものと中長期的なものとがある訳だから、近視眼的な評価に偏ることだけはさけたい。とくに経営者たる取締役の場合は、戦略の立案についてもトップを助けその一翼をも担うことになる。前回述べたように、これからの企業の業績は、戦術的な「どのように(HOW)」という方法・能率の側面よりも、戦略的な「何を(WHAT)」という目的・効果の部分に左右されるので、ますます経営の舵取りの重要度が増し、その「結果責任」も大きく問われることになるからだ。
かつて年功制度が機能していた時期は、年功そのものが「成果・結果」を生み出していた。なぜなら、成長期に「HOW」を考えるということは、いかに成功体験を持っているかということに大きく関係してくるからである。つまり、年功制度とは、単に「長く勤めている」ことを優遇するためにできたものではなく、その当時「業績」が「経験の多さ」と直結していたことが、第一の理由なのだ。
この点において、幹部について求められる「結果責任」主義という原則は、何も変わっていない。また、若年層について「行為責任」を求めるやり方も、もちろん今も昔も変わっていない。
したがって、個々の企業内での人事制度の運用については、この点を十分に認識することが大事である。ベテランがゆめゆめ見せかけの人事制度の変化に萎縮してはならない。根拠のない逆風の中にいる幹部や熟練者が、自らの責務は「結果責任」にあるという強い意志をしっかり持つことが、中小企業の貴重な経営資源を活性化するのである。
次回は、商品・製品と顧客・市場の関連について取り上げたい。

第5回 自社のポジション その1 (2000年7月21日)

商品と顧客
企業が持つ最も重要な経営要素として、商品(製品・サービス・技術)と顧客(市場)とがある。商品とは「買っていただくもの、売りもの」であり、顧客とは「商品を買ってくれるひと」である。
この点を煮詰める方法として、アンゾフの製品市場戦略マトリックスがあり、四つのパターンに大別される。
まず既存市場で既存製品を目指す場合は、
 1.市場浸透戦略を採る。
既存市場で新製品については、
 2.製品開発に活路を見出す。
新市場に既存製品となると、
 3.市場開発戦略ということになる。そして、最も冒険的に新市場に新製品を投入するのは、
 4.多角化戦略となる。
その前段として、自社がどこに位置するのかを見極める必要がある。その有効手法の一つが、SWOT分析である。SWOTとは、強み(Strength)、弱み(Weakness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat)の頭文字を取ったもので、自社が主体的に解決できるSとW、それに対して周囲環境として受け入れざるを得ない要素のOとTに分けることができる。
どこを選択し集中させる(「選択と集中」は連載の第二回目に掲載済み)べきかは、SとOが交わる領域から知ることになる。もし、今の事業がWとTの領域にあるのなら、一刻も早く見切りをつけて、他の領域に展開を図らなければならない。その際、自社の特徴を活かしたSから行くのか、またOから時流に乗っていくのか、そこは経営者の決断に待つ以外はない。
判断のポイントは、未知のものに挑戦するのだから、誰も結果を予想できないという当たり前の原理。やって見て始めて結果が分かるということを認識しつつ、「人の命と会社の命だけは大丈夫」と判断できれば、あとは「やってみなはれ!」となる。
頭だけでいくら考えても、それはバーチャル(仮想)の世界でしかない。経営者が悩んで結局なにもしないことが、経営資源の最大の無駄になる。経営者が不毛な水掛け思考をしている間、属する組織は何も動けず、その間の組織全体のエネルギーは保存することができないからだ。
この製品市場マトリックスの最大の利点は、経営資源がストレートにあらわれることである。
企業経営の目的は、お客作りという外部に向けての活動にあり、内部管理という帳尻合わせ活動にあるのではないのだから、企業はこのマトリックスに表れた現実に直面する勇気を持たなければならない。
こうして、現状に直面することができたら、次は五年後あるいは十年後の我が社の姿はどのようなものでありたいか、その未来像を設定することになる。
なぜなら、経営は過去の延長でも現在の引き延ばしでもなく、設定した未来像を実現することだからである。つまり、現状をいつまでにどの様に変えるのか、その未来像とのギャップをどのように埋めて行くのかが経営なのである。ここではじめて「商品」を磨くことと「市場」を吟味することとのウェートの掛け方を考える必要が出てくる。
従って、現状をしっかりと知ることと、未来像をきちんと設定するという二つの核が、経営には不可欠なのである。
SWOT分析から得られる活かすべき自社資源と周囲環境を踏まえ、どんな「商品」の形態でどこの「市場」に投入するかを決め、全社一丸となってエネルギーを結集すること。これはドラッカーの言葉を借りれば「イノベーションとマーケティングが、企業経営の要諦である」ということと一致する。
次回は、「選択」レベルと「死活」レベルについて取り上げたい。

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