Sekiyan's Notebook グローカルニュース

セキやんのグローカルニュース


第46号(2000年2月18日)

第47号(2000年3月3日)

第48号(2000年3月17日)

第49号(2000年3月31日)

第50号(2000年4月14日)

第46号(2000年2月18日)
<グローバルスペース>

セントトーマス大学の自信 −沖縄起業家大会の講演より−
この15日に沖縄の酒元健二氏率いるオーシャン21の仕掛けた会場で、米国中北部のミネソタ州セントトーマス大学ビジネススクールのロジャー・メイヤー所長他の講演を聴くことが出来た。投資の第一要件は、人物とその熱意で、次にアイデア、3番目に具体性、さらに起業者が外部の支援を喜んで受けられるかどうかも重要だという。そして、議員までもゲストスピーカーや講師に巻き込むことにより、ワシントンへの政策提言にもつなげているという。当然、州政府の役人も起業は最終的に増収につながるので、サポートに熱心なそうだ。単なる学問的研究ではなく、実践に特化しているビジネススクールだから成功しているという。

セキやんひとこと:外部の支援を喜んで受ける=謙虚に他人の話を聴ける、ということだろう。せっかくの応援団がいても、聞く耳を持たなければ意味を成さない。これは、つくづく実感する。応援団として「いかに話を聴いてもらうか」が、腕の見せどころか。また、議員を巻き込んでいるしたたかさも参考になる。
割り切った日本企業
このところボーダレス化に加速をかける日本企業の動きが急だ。例えば以下の通り、先週のある新聞1頁の6記事中6記事ともにその関連だった。住友電工が米国ベンチャー企業と次世代技術の共同事業化を行うこと。トヨタがメキシコに駐在員事務所を置くこと。三菱自動車が新たな車種を米イリノイ州の工場で現地生産に乗り出すこと。NKKがタイの鋼板事業をテコ入れすること。自動車部品の市光工業はマレーシアで合弁生産すること。米バンダイとマイクロソフトがハイテク玩具を共同で開発したこと。

セキやんひとこと:政界よりは一足先に経済界の方が、自らのやるべきことに着実な手立てを講じている。経営とは「これから景気がどうなるか」ではなく、「これから経営をどうするか」なのだから、腹をくくって取りかかる気概が、キャッチアップ時代からフロントランナー時代への変化に対応する唯一の策だ。
<ローカルスペース>
一戸町の高齢者福祉サービス公社 −トップのセンス−
たまたま4日早朝配信の前号で「(仮称)一関安心公社」の提案をしたが、7日の新聞に一戸町の稲葉暉町長のインタビュー記事が載っていた。資本金2500万円のうち町が50%以上出資し、残りを福祉民間会社と町民から出資を募り、2月下旬には三セクで公社を設立し、医療と保健・福祉サービスの一体化を目指した活動を開始するという。殊にも、民間の専門会社を取りこんだ稲葉町長の勇断に敬意を表する。

セキやんひとこと:住民は、正解だけをせまる偏狭な頑固者ではない。自ら負託したリーダーがケレン味なく率直な指揮を取ることを望んでいるのだ。そのことが、一己の人間と同様に地域においても、「運命」を「立命」に高めるきっかけとなり、地域の一体化につながり住む人々の誇りや愛着となる。
クイック・レスポンス −in一関−
同4日の昼に福島市で携帯が震えた。商工会議所の事務局長からで、地域事業の専門家の研究会開催場所について、来年度確保することになっているとの報で、翌週には専務理事とも打合せ、という見違えるような素早さだ。

セキやんひとこと:いよいよ大手を振って、真の活性化に向けた活動が一関でも始められそうだ。

第47号(2000年3月3日)
<グローバルスペース>

時運の赴く所 −終戦詔勅の錯誤は世界の損失−
太平洋戦争終結時の天皇陛下による詔勅の「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」は万人の知るところだ。問題はその前の「時運の赴く所」の一節だ。本来、ここは中国の古典「春秋左氏伝」中の「義命の存する所」となる筈だったが、時の閣議で改悪されてしまった。終戦は道義の至上命令から行うべきである、という隠密裏の推敲者であった安岡正篤師の意向が覆され、この一節に変えられ、あたかも戦いが成り行き任せで終わってしまったという印象になり、それが日本人の精神的な支柱を失わせ、ひいては戦後政治の理想のなさにも直結したといわれる。つまり、日本人が主体性と責任感から目をそむける結果の一因ともなった。

セキやんひとこと:安岡正篤師は、中村天風師と並んで日本の先達にその哲学を説き伝えた傑人である。日本ばかりでなく世界を見渡しても、このレベルの人材は現存しないかもしれない。しかし、師に及ばずとも、今こそ世界をリードする役廻りの現代日本に存する我々も、少しは本質に迫る気力を持ちたいものだ。
ビル北島の元気便り −以下、シスコからのEメール−
最近、仲良くなった大変おもしろい日本人女性を紹介します。私は、去年英語学校における日本人の姿勢を批判しましたが、彼女は際だってすばらしい姿勢をもっている。まだ24才であるが、非常にしっかりしていて、人間学者の私をうならせるほどです。彼女は州立大学の英語教授法の大学院に進んだのであるが、そこもすごい。アメリカ人に混じって、英語教授法を学ぶとは、大変なハンディがある。なぜならば、学ぶものが言語そのものだからである。言語学から、発音、に至るまでアメリカ人にかなうわけがなさそうだが、そこに見事入学し学ぼうとするあたり、度胸と行動力が抜群にある。高校の時、米国に短期のホームステイしたのをきっかけに大学1年の夏、フランスにホームステイをし、共立大学フランス文学科を卒業したと同時にシスコにきて英語学校に半年通った後に院に合格した。さすがに、授業は大変そうで、現在授業開始後、2週間目であるが、1日に2回は、やめるべきかどうかと本気で考えるらしい。1日に50ページの英文を宿題で出され、且つ英語のディスカッションで全く発言が出来ない状況なので、危機感と不安が入り交じっているらしい。過酷な世界である。ディスカッションに参加できないほど辛いことはない。まあ、彼女は、困難を克服して成就すると思う。彼女と電話で話すときはもちろん日本語なので、僕もついつい熱く、まとめて日本語で、大いに話しすぎる。偉そうなおやじである。

セキやんひとこと:当方も、偉そうなオヤジとしてローカルで「和して同ぜず」マインドで頑張っています。
<ローカルスペース>
財政錯覚
財政が分かりにくいのは、私経済が自発的な交換原理で運営されているのと違い、国民は公的機関から一方的に行政サービスを給付され、また反対に権力行為として一方的に税金を徴収されて、その間には直接の連関はない為、公共サービスはタダではないのに、まるでタダであるかのように「錯覚」してしまう。

セキやんひとこと:税金と行政は直接的な取引関係ではないので、自分たちの税金が公共サービスの原資であるという実感を持ちにくい。それを補完する意味からも、企業会計の導入が検討されている。

第48号(2000年3月17日)
<グローバルスペース>

タグチ・メソッド −徳丸壮也著「日本的経営の興亡」より−
日本ではアメリカ人のエドワーズ・デミング(デミング賞)が産業復興の神様にされているが、アメリカではその裏返しのようにして日本人の田口玄一が讃えられ、品質工学に貢献した人を表彰する「タグチ賞」が制定されている。…「真の技術革新が企業の合理化を促進する」という品質工学=タグチ・メソッドがアメリカで評価され、全米中の主な企業の工場で実践されることにより、80年代後半に日本のTQC主義者に「空洞化」とすら冷笑されていたアメリカの産業は、TQM(経営品質)で90年代に復活を遂げていったのである。

セキやんひとこと:日本のTQCは技術革新の伴わない経営管理で、その目的の「改善」さえ忘れた。経営は、もとより「内部管理」にあらず、顧客創造の「革新(イノベーション)」の継続であるのだから、目先の方法論では対応し得ない。「量の経営」から「質の経営」への転換期には、特にそのことの理解が重要だ。
市場ニーズの本質
パサライト・シングル族とは、東京学芸大学の山田昌弘教授の著書から生まれた「親の庇護のもと、気楽な独身生活を続ける独身者達」という意味だが、さらに家庭を持ってからも「親に寄生する」パサライト・ファミリーも増えている。今時のマーケティングの大勢は、こうした「不労所得」を原資とした若年層にターゲットを絞っている。カリスマ○○をはじめ、おおむねの成果を得て、ニュー・ジェネレーションを狙ったブランド「WiLL」なども次々に投入され、「流行の火付け役であるヤング」の呪縛から益々抜け出られないようだ。

セキやんひとこと:いつもの戦術・戦略論になってしまうが、上記の風潮は単なる「戦術」追求で経営能率の確保に過ぎず、経営の質の改善には結びつきにくい。むしろ世の中の本質的なニーズの帰趨を見極め、「戦略」を追求する気概がもっと有って良い。本当の狙いどころとして、今まで日本経済を押上げるのに力を尽くし、資産も十分に持っている「熟年層」のニーズに応える商品を提供すべきで、それは「安心」というシステム(社会環境整備)の新商品開発に他ならない。大所高所からの洞察力を持ちたいものだ。
<ローカルスペース>
当たり前を追究する
12日の中小企業フォーラムin仙台で久しぶりに西澤潤一先生の話を聞いた。深谷通産大臣の気合の入った中小企業施策アピール後の、パネルディスカッションのパネリストとしての登壇だった。その歯切れ良い西澤ブシは健在で、特にも「発明は遠くにあらず、当たり前をとことん納得するまで追究することにある」という持論には説得力があった。なにしろ30数年前の研究に対して、今年エジソンメダルを貰った訳だから。

セキやんひとこと:「革新」とか「創造」というと、遠い存在のように思ってしまうが、実はすぐ近くにテーマはころがっている。他人が漫然と見過ごしてしまうことに気がついて、きちっと体系づけることを、昔から「コロンブスの卵」という。気づきのコツは、「常識で考える」のではなく「常識を考える」思考パターンだ。
国家的な原資のありか −「当たり前」の事例−
お金のありかを「当たり前」に考えると、赤字国債ではなく、個人資産保有のエルダー層になってしまう。

第49号(2000年3月31日)
<グローバルスペース>

1950年代生まれのリーダー達
台湾総統に選ばれた「台湾の子」陳水扁氏は1951年2月生まれの49歳、ロシアの次期大統領に選出され「強いロシア」の復活にかけるウラジミル・プーチン氏は1952年生まれの47歳。世界では、次々に新時代のリーダー達がとびだしている。こうした流れから、多くの国では「経験よりもスピード」を求めていることが分かる。昔から「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という通り、経験が全てではなくなっているようだ。

セキやんひとこと:歴史の捉え方にも、学問的な「認識としての歴史」と、個人に染み付いている「伝統としての歴史」があるという。50年代生まれのリーダー達には、偏狭な民族主義に陥ることなく、また歴史を政治の補完手段にすることなく、人類の為に歴史を事実としてのみ捉えてもらいたいものだ。
経営資源別経営指標 −企業診断4月号より−
「中小企業の経営指標」によると小売業の場合、売上高対総利益率は37.7%、商品回転率は26.5回、売上高対人件費率は14.1%、労働分配率(≒売上総利益÷人件費)は37.4%、従業員一人あたり年間売上高は約2500万円、売り場1坪あたり年間売上高は280万円。いずれも平均値なので、実務と統計数値とは異なることを前提として参考にしたい。例えば、規模の経済性で支配される家具小売業における理想的な売場坪当たり売上水準は、年120万円とされるが、従業員5人以下では坪当たりの年間売上高は35万円ほどで、業界平均値の79万円とは格差がある。開業時の売上目標設定の場合などに気をつけたい。

セキやんひとこと:数字をいじることが経営の目的ではないが、目安になる数字を押さえ、その数字を達成するため、いかに具体的仕組みを作り実施に移すかが、経営者の仕事だ。
<ローカルスペース>
胆嚢の存在感 −私事恐縮版−
自信があったはずの胃袋のあたりが痛くなリ始めたのが、昨年11月。その頻度が高くなってきたので、診察してもらった。最初の医者には、軽い胃炎と診断されたが、薬を飲んでも症状が落ち着かないので、今度はその道で評判の医者に診察してもらった。胃カメラ検査で立派な胃だったこと、夜中から朝方にかけて痛むこと、胆嚢が大石2つと砂状になっていること、などから胆嚢が原因と判明し、摘出した方が良いとの診断となった。取っても支障が無いとあっさり言われてしまう胆嚢という器官の存在感は、何なのか?

セキやんひとこと:わが身に置き換えて見ると、こんな軽い存在感では虚しい。そう考えると、とてもいとおしい臓物だ。盲腸手術と同程度とのことで心配無用だが、「胆嚢」さんには長らくお世話になった。
一関まちづくり塾
一関商工会議所の街づくりビジョン策定委員会も終了した。今後のポイントは、「α波の街一関」づくりに、いかに多くの市民に関わってもらうかへ移った。その第一弾として、提案していた「塾」開催が許された。

セキやんひとこと:胆嚢さんとおさらばしたら、会議所と日程を詰めたい。日程が決まったらお知らせするので、是非多くの皆さんに「主体」という自覚を持って、しかし肩の力を抜いて参加してもらいたい。

第50号(2000年4月14日)
<グローバルスペース>

金融再編のゆらぎ
ドイツ3位のドレスナー銀行が合併交渉先である第1位のドイツ銀行に対し交渉の即時中止を通告し、世界最大規模の巨大銀行構想は事実上撤回された。地域限定でも山形県の殖産銀行と庄内銀行の合併白紙撤回。さらに秋田県でも6月に合併予定だった秋田ふれあい信金と角館信金の1年間の延期、また、三和銀行との持ち株会社設立で合意した東海、あさひの両行は金融7社が提携するファイナンシャルワンに参加するとの見込みを示すなど、この約1週間に限っても、状況は目まぐるしく動いている。

セキやんひとこと:節操なき規模追及への挫折と一部で取り沙汰されているようだが、むしろこうした経験を糧としたドラスティックな金融再編を期待したい。戦後待ったなしの国情から、政策誘導で護送船団方式を取らざるを得なかった国内金融団にとっては、垣根が取り払われ真の経営力発揮のチャンスが到来した。
天命の乱発に異議あり
「天命」に従って森総理が誕生したのだという。施政方針を示したが、一国のリーダーを托すに足る言葉は聞かれなかった。明代の賢者袁了凡によると「天命は立命にあらず」、指導者たるもの天命レベルに身を任せてはならず、与えられた天命をさらにその燃える意志力によって立命に切り開くことが要求される。既定路線の流れに身を委ねるのは忠実な兵隊の役割で、決して戦略をつかさどる指揮官のあり方ではない。

セキやんひとこと:平民宰相原敬が師と崇めた中村天風師や袁了凡に造詣の深い安岡正篤師が、この施政方針や代表質問を聞いたらどのような感想を持つだろうか。その点、政党政治という極めて西洋的で制度的にも欠陥のある枠の中でこそ、高らかに「政策」という正正の旗を掲げる政党は、評価されるべきだ。
<ローカルスペース>
胆嚢摘出の顛末記 −続、私事恐縮版−
新年度の端境期?を利用して、段取り良く4月4日に入院し、6日に内視鏡を使って胆嚢摘出に成功した。摘出臓器には、直径1センチ強の黒っぽい石が2個ほど入っていた。順調に行けば数日で何事もなく退院との手筈だった。それが狂ったのは7日に術後棟から一般棟へ移され、「水を飲んでも良いですよ」といわれた直後だった。血液検査で肝機能に関する数値に異常値が出たということで、顔色自体も見る見る黄ばんで来るという状態に急変し、前日の手術で胆管切断の恐れがあり切開手術が必要との医師団の判断となった。そこで即、まな板の鯉状態であえなく本切腹の再手術。幸い胆管切断ではなく、前日摘出した胆嚢からこぼれた石の破片が胆管を塞いでいて、別のドレン管から出てきた。むなしげに大きな切腹跡が残り、一週間程度延びそうになった。だが、しぶとく交渉し12日の夕食後に退院許可を貰い夜7時にリュックを背負って夜逃げ的な退院と相成った。昨13日は仙台で用を足して来て、本14日に抜糸。その後盛岡で仕事。

セキやんひとこと:肝機能の数値がまだ異常で無理しちゃだめと注意されながらも、行動が勝手にいつものペースに戻そうとしてしまう。悪いところを切ったのだから、あとは良くなるのみという超楽観主義がその拠り所だ。皆さんにはご心配をおかけしたが、もう大丈夫なのでご安心下さい。「胆力」に頼むことはできなくなったが、物事の「肝心要」部分の把握に少しシフトしたい。この話、これにて「どっと払え」(おしまい)

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