第66号(2000年11月24日)<グローバルスペース>
政治の世紀末?
ペルーの救世主と仰がれたフジモリ大統領が日本に逃れ国会から罷免され、フィリピンの国民的英雄の元花形スターであったエストラダ大統領が弾劾に追いこまれ、日本の保守本流と称する派閥の親分?が首相不信任案を巡ってドタバタし、大国アメリカの大統領選挙は一つの州の集票が定まらず未だ結果が出ない。お隣り台湾でも国民待望だった陳水扁総統が原発問題をめぐり少数与党の政策運営に苦慮している。20世紀も残るところ40日を切って文字通り世紀末へ突入の様相だ。
台湾の路上披露宴 −以下、ばっくんからのメール−
セキやんひとこと:30年以上前の著書で会田雄次氏は、・・・戦後の日本教育は「察しと思いやり」を否定し、欧米流の「言葉と論理」を導入しようとした。しかし言葉だけは訓練されたが論理は教えられなかった・・・と指摘している。どうも、ここにきてこの現象は日本人だけに限ったことではなく、世界的に論理性の欠落が起きているようだ。芳村思風氏の説の通り、求めるものは「理性から感性」へ大きく振れているようだ。
先日は知人の結婚式と披露宴に出かけてきました。結婚式は、市の主催で行われる合同結婚式でした。これには伝統を残す意味もあるようで、新郎は馬に乗り、新婦は輿に乗って入場したり、伝統的な中国服や装飾を身にまとったり、とても興味深いものでした。披露宴は路上にテント(運動会とかに使うやつ)を設けて会場を作ります。台湾では披露宴は路上で行われるのが普通だそうです。狭い道路なら完全に占拠しちゃいますし、大きい道路でも明らかに交通を阻害していますが、近隣住民や警察も文句をいいません。なんでも披露宴と葬式は法律上も路上で行うことを許されている上、お互い様という意識も持っているから、できることのようです。それに、面白いのは披露宴会場の一方の端には同じく仮設のステージが作られ、きわどい服を着たコンパニオンが歌や踊りを披露したり、一緒にカラオケをしたりすることです。料理はもちろん中華です。普段はありつけない伊勢えびやあわびなどの高級な食材が次から次へと出されてきます。特に今回は新郎の家がフカヒレを作っているため、たんまりとフカヒレのスープを食べさせてもらいました。
セキやんひとこと:新婦は、屋台の商売でお金を貯めて「マンガ喫茶」をやりたいと考えていると以前聞いたことがある。きっと良きパートナーに恵まれたに違いない。夢に向かう彼女の将来に幸あれ!
<ローカルスペース>
早くも氷点下10度
玉山村藪川は、本州有数の厳しい寒さで有名なところだ。23日朝には、氷点下10度以下になった。
一関まちづくり塾経過報告
セキやんひとこと:いよいよ本格的な寒さの時期がやってきた。タイヤ交換はお早目に。
13日の一関商工会議所議員懇談会で11時30分から30分間、その報告の機会を頂戴し、精一杯プレゼンした。午後一番で盛岡の会合へ出席する予定があったため、その後の質疑応答が十分できず失礼した。
セキやんひとこと:これを機に、塾が事業者本人の事業機会創出の場であるという捕らえ方を、きっと御理解頂けたと思う。是非これから一人でも多くの事業者が参加され、自己研鑚の場としてもらうことを祈る。
第67号(2000年12月8日)<グローバルスペース>
GEからCEO続々輩出
先週GEゼネラル・エレクトリック社は、豪腕ジャック・ウェルチ氏の後任のCEO最高経営責任者を決めた。この後継者レースに最後まで残っていた人材を、スコッチテープでお馴染みのスリーエム社と全米で30%以上の圧倒的シェアを持つホームセンターであるホームデポ社が獲得し、それぞれの次期CEOに起用することになった。これで、NYダウ30社の内3社1割を、ジャック・ウェルチ門下生が占めることになった。
第1回の流行語大賞はタイム誌からだった
セキやんひとこと:日本の小売大手のダイエーは、業界に精通した通産官僚を会長に迎え、消費者離れに歯止めをかける作戦に出た模様。彼我の企業経営に対する捕らえ方の違いが、如実にあらわれ興味深い。
今年17回目を数えた自由国民社主催の流行語大賞に「IT革命」と「おっはー!」の2つが選ばれた。7回目までは金賞・銀賞・銅賞だったが、8回目に初めて大賞が設けられてから、大賞が最高の賞とされ多い年は3点選ばれている。ちなみに、1回目の新語部門の金賞は「オシンドローム」で、流行語部門の金賞は「まるきん、まるび」。前者は、NHKの連続テレビ小説「おしん」の主人公に対して日本中の国民感情が同一なシンドローム化しているとして、ジェーン・コンドン記者が雑誌「タイム」で、その状況を「おしんドローム」と表現したことからきている。一方後者は、イラストレーターの渡辺和博氏が著書「金魂巻」で、金持ちと貧乏人の両極端のタイプに分けてその生態を解説したことから広まった。
セキやんひとこと:いくら金賞でも17年も経つと、解説なしでは思い出せなくなってしまっている。今年の大賞の「IT革命」と「おっはー」は、果たしてどのあたりまで解説なしで理解できるか興味深い。
<ローカルスペース>
具体化に新芽!?一関まちづくり塾
第21回目の塾が7日夜に開かれた。新規に参加したメンバーから、自らの具体的な事業プランを持参して熱心な説明があった。何年かコツコツと積み上げた成果だという。その間は、事業に対する希望と不安を混在しながらの孤独な作業だったと思う。しかし、7日晩の塾でしっかりと意見が交わされたことを見ても、福祉・建築・資産運用など各分野の専門家からの意見やアドバイスが得られたことで、事業プランの具体化に一気に弾みがつきそうだ。また、その中から事業のパートナーの芽も出てくる。
新世紀へつなぐ心
セキやんひとこと:前回書いた通り、塾が事業者本人の事業機会創出の場となり、具体化への課題解決に役立つという先例を作ることができそうだ。発表者の晴れ晴れした表情から、今後のうねりに波及する手応えが感じられる。
本ニュース65号で予告した標記の拙文が、12月3日付け岩手日日新聞1面の脇トップに掲載された。詳細は、当新聞社HPをどうぞ!
セキやんひとこと:普段疎遠にしている方々から次々と連絡があった。掲載日の朝にはナポレオン・ヒルの信奉者であるS氏から、約3年ぶりに懐かしい電話があった。こうして見ると、時代の移ろいや洋の東西を問わず、ものごとの原理原則は不変のようだ。
第68号(2000年12月22日)<グローバルスペース>
シックス・シグマ
前号でも触れたGEゼネラル・エレクトリック社のCEO最高経営責任者ジャック・ウェルチ氏が進めた6σシックス・シグマは、20世紀を代表する経営手法の一つとなった。ただし、偏差値用語である「σ=標準偏差」という本来の意味からすると、σ=6の場合での正規分布のプラスマイナスのエラー率は、「10億分の2」ということになる。従って、巷間いわれている「エラー率を100万分の3.4に抑える」ためのスローガンとしてならば、正規分布のプラスマイナスでσ=4.64が正しい。
そして新世紀
セキやんひとこと:この20世紀の終わりに、科学分野では10のマイナス9乗を扱うナノ・テクノロジーが取り上げられ、また経営の分野でもそのスケールまで言及される。21世紀に取り組む事象のレベルは、20世紀と比べて、「桁」が一気に飛んでしまう予感がする。
十有三春秋
逝く者は已に水の如し
天地始終無く
人生生死有り
いずくんぞ古人に類して
千載青史に列するを得ん
これは、江戸後期の儒者・史家である頼山陽(らいさんよう、1780〜1832年)の代表的な漢詩だ。
春と秋が十三回過ぎていきました
人は流れを止めない水のように生まれそして死んでいく
天地には始まりもなければ終わりもないが、人の一生には生死がある
よし、私も歴史上の偉大な人物と同じように千年の歴史に自分の名前を刻みたいと思う
山陽は、広島藩儒・春水の長男として生まれ才能にも恵まれていたが、21歳の時に脱藩し連れ戻され杉ノ木小路(現・広島市中区)の屋敷の一室に幽閉されて、廃嫡(はいちゃく:相続人の地位を失うこと)となった。つまり、当時の封建社会では、社会的に抹殺されても当然の状況だったが、結果的に自由の身となり、学業に専念できた。山陽は、「仁室」と呼ばれたこの居室内で読書と著述に励み「日本外史」を記した。この歴史書は、徳川封建政治から新日本の幕開けに舵を切る幕末の勤皇思想に大きな影響を与えた。
セキやんひとこと:18世紀から19世紀の日本を生きた山陽だが、13歳の時にこの詩を詠んだとは驚きだ。現代では「17歳」の不安定さが取り沙汰されているが、当時の山陽は何と13歳で自然の法理をしっかりと受け止め、高邁な志を明確に心に刻んでいる。21世紀に向かう我々の目線も、かくありたい。
<ローカルスペース>
生きるためのインフラ
中心市街地の空洞化が叫ばれて久しいが、街区に生鮮を扱う店が無くなってしまうという憂慮すべき状況が顕在化してきた。昔から住み慣れた便利な(筈の)商店街から離れたくないが、日常生活の基盤である生鮮品を売る店がないので、仕方なく他に移らざるを得ないという高齢者世帯が増えている。少なくても最寄品を近所で買える環境が無ければ、そこで高齢者が自活するのは難しい。
セキやんひとこと:当地の旧商店街も同様の状況である。この最低限の環境作りは行政の所掌と思うが、行政がやらないのであれば、次善の策として民が独自で作り上げることを検討しなければならない。
第69号(2001年1月5日)<グローバルスペース>
ビル北島の年賀 −ロスからの近況メールより−
今年のモットーは「Keep improving the way of
thinking」、日本語訳は「考え方を向上し続けよう」です。アメリカに来て学んだことを考えたとき、一番にあげられることが、既存の考え方から脱皮して、さらに向上した考え方を植え付ける、ということです。アメリカに来るまでは、「これは、こうするべきだ、あれは、ああすべきだ」と、垂直思考から物事を考えていたが、アメリカに来たとき、それが、まったく通用しないことがわかった。いろいろな文化の人が、いろいろな価値観をもって生きている中で、凝り固まった発想では、人と会話できないし、物事も前に進められない。〜(中略)〜今年からアボッツでマネジメントのお手伝いをすることになったが、自信を持って帰国できるのも、「Way
of
thinking」が大分変わったからに他ならない。今までの考え方、アプローチ方法に頼った場合、なかなか味覚に自信の無かった私には無理だと判断しただろうが、今では全く反対である。私の得意分野でアボッツビジネスの拡大に貢献できる点は大いにあるし、今後も考え方を向上させ続けるし、自分の夢にも近づけるし、言うことなしである。全く渡米前とは、正反対。
ばっくんの年賀 −台湾からのメールより−
セキやんひとこと:という訳で、彼は2月には日本に戻り、恩師のビジネスに参画する。ナイスガイ北島の新たなチャレンジに幸いあれ!尚、日本アボッツのホームページはこちら 台東に行ってきました。台東は農業中心の街で、のどかな台湾の農村風景をみることが出来ました。また、原住民がたくさんいることでも知られていて、行ったときはちょうど原住民のフェスティバルが開かれて、とても興味深く見てきました。それから、宿泊したところは台湾では有名な知本温泉というところで体もリフレッシュできました。ただ、露天風呂が水着着用というのが日本人にとっては少し違和感のあるところですね。
セキやんひとこと:ばっくんも留学後はじめての新年を異国の地で迎え、高雄市を日本に紹介するための力作ホームページ「コミュカオ」を立ち上げた。ただし、台湾には、込み入った画像の重いページでも抵抗なくやり取りできるインフラがあるためか、日本で読むには、ちょっと重いようだ。
<ローカルスペース>
老々介護 −ひとごとでなくわたくしごと−
このところ何人かの首長が職を辞して細君の介護に専念したり、往年の美男美女夫婦が母親の介護に引きずり込めないと熟年離婚したりと、高齢化にまつわる話題に相当深刻さが目立ってきた。かくいう我が父親も要支援認定の88歳で、82歳の要介護の母親と二人で暮らしている。その道のプロは、これを老々介護と呼ぶ。この年末年始のわずかな時間を息子として一緒に過ごした。脳梗塞の時に入院付添して以来久しぶりに、母親のトイレの介添えやオムツ交換などをした。これは、耳が遠く経済感覚も鈍っている父親には望むべくもなく、普段はヘルパーさん任せで、近所の皆さんに大いに助けられている。
セキやんひとこと:母親もすぐに甘えてくるので、少しでも運動機能を落とさない様に、心を鬼にして歩かせる。自分が肉親だから出来ることで、他人では難しいだろう。ましてや時間に追われ様々な拘束がかかっている介護保険制度の中では、現状が精一杯だろう。しかし、そのために、果たして社会的なツトメを棚上げして良いものかどうか、今は分からない。とにもかくにも21世紀元年は、実家泊まりが増えそうだ。
第70号(2001年1月19日)
<グローバルスペース>
ドイツの街づくり事情 −傍士銑太さんの情報から−
ドイツの商店街には、シャッターがないという。人間に疎外感を与えるというのが理由のようだ。夜でも、ショーウインドーの商品が工夫を凝らした照明で飾られているので、ウインドーショッピングを楽しむことができ、盗難被害などは保険制度の整備で対応している。街の機能を「人間」のための日常の生活感を創出する場として、ドイツ語の賑わいの語源が「命あるものでいっぱいになる」ことから、中心市街地には人間・犬・猫・鳥・魚・樹木・花・水などがあふれ、機械的な自家用車の乗り入れ禁止を行政が大英断したところも多い。
セキやんひとこと:読みは「ホウジ・センタ」さん。日本政策投資銀行フランクフルト事務所の中心メンバーだ。盛岡での講演は聴けなかったが、その晩仙台で情報交換することができた。一関も含めて日本での地方の街づくりは、アメリカ型よりヨーロッパ型が馴染みそうだ。
<ローカルスペース>
1月13日
この1月13日夜に隣町である花泉町で、町長選挙立候補予定の3人を迎えての公開討論会が町内有志の手で開催され、450席に立ち見も出たという。町民の皆さんは、これを評価し「肉声を聞いて参考になった」としている。本ニュース42号でお知らせした岩泉町の佐々木信子さんをはじめ、県内各地で地元住民の自主的な活動が目立ってきた。「物言わぬ農民」と称された岩手人も確実に変わっている。
一関街づくり塾 −進捗状況−
セキやんひとこと:2年前のこの日は、一関市長選挙戦中での共同個人演説会を目論んだが、実現に至らず急遽「市政を考えるフォーラム」に切り替え、ガラガラな700人収容の会場で首長選挙の意義について訴えた日だ。費用はすべて持ち出しだったが、あの日掛けつけてくれた方々からカンパ頂いた浄財54,200円は「本気基金」と名づけた口座にそのまま取ってある。なんとか高邁なヒトかモノに役立てようと思う。
いよいよ塾の期限(3月に設定)までの追いこみ時期となり、事業計画のまとめに入った。塾での検証の結果、月々の生活費は年金で十分なので、結局はプライベートな居住空間の確保と万が一の時にも安心な支援を生涯確保する費用の見積がポイントになる。これが意外に低額で済むのがミソだ。1階部分のテナントとして活用する部分は破格な条件で5パターンを用意し、「地主」「仕掛け人」「居住者」それぞれの予算の目安をつかむことを今年度の目標とした。それぞれのパターンとは、「生鮮主体の高齢者向け交流市場・ローセン」、「託児所・児童館」、「喫茶・食堂・交流サロン」、「腕利き医師の診療所」、「介護拠点施設」として、簡単に収入・費用のシミュレーションができるように作りこんでいる。
セキやんひとこと:そして、興味を持った方々が実際の数字に落とし込むことで具体化することになる。傍士さんの情報でも明らかなように、地上階を店舗にして、その上に普通の住宅というヨーロッパ市街地のパターンは、日本の高齢化社会でこそ必須のインフラであると確信する。「まず、一関で!」だ。