Sekiyan's Notebook セキやんのe講義 経営

セキやんのe講義 −経営の巻−


第31回 資金需要の本質

第32回 仕組みが肝心

第33回 製造業の活路

第34回 富のありか

第35回 業績を左右する真因

第31回 資金需要の本質 (2001年6月1日)

借入と収益力
借入金をつけるだけの対処療法では、企業経営の危機を脱することはできない。その借入をして、いかに収益を生む元手に活かすか、という根治療法こそが、本質的に企業の可能性を切り拓く。
その意味で、近年政府が実施したいわゆる特別保証政策は、単に保証協会に代位弁済を迫り、中小企業の淘汰の時間引き延ばしでしかなかった。結果、国民の血税から穴埋めせざるを得ないという無責任極まりない典型的な付和雷同施策だった。
企業経営では、日常的に資金需要が発生する。そして、営業計画に照らして、利益の中からその弁済もなされるのが基本であり、この基本は経済の原理原則に基づいている。
ところが、企業経営が停滞しているのは、世の中の不景気の所為だという、勘違いがはびこっている業界と大衆迎合政治が結託して大政翼賛的な責任転化策で切り抜けようという姑息な行動の結末が、資金のつなぎ政策であり、そのことがより深刻な経済状況を作り出した訳である。
結果として、金融監督庁の異常ともいえる個別の金融機関への介入(今や金融機関は、毎月詳細な経営報告を強制されている実態がある)が強化され、地方の金融機関はすっかり萎縮してしまった。したがって、地域の企業への新規貸出は事実上ストップしている。
政治の無節操が金融政策を硬直化させ、当の金融機関自体の主体性を奪い、結局本来配慮されるべき中小企業に閉塞感を蔓延させている。こんな状況では、家庭消費が萎縮して当然である。これこそ、まさにデフレスパイラルの真っ最中という訳だ。
借りたものはもらったものではないから、当然返さなければならない。返すためには、借りたものを活かして、商売を繁盛させなければならない。費用対効果を最大限求めることで、返済財源を得ることができるのだ。
のどもと過ぎれば熱さ忘れるというように、借りるときは心からありがたいと思うのだが、時間と共にその意識は薄れていく。しかし、約定通り、借財の返済ははじまる。その時、夢から覚め現実に戻る。だから、事前に金利分を含めた返済計画をしっかり策定しておかないと寝覚めが悪くてしようがない。
さて話題を変えて、その返済財源を生み出す方策を考えてみよう。
基本的には、儲かる仕組みを持たなければ、財源は得られない。
儲かるということは、世の人々にその事業を評価されるということと同義である。それは取りも直さず、世の中のためになっているということでもあり、事業の基本である。企業にとって儲かるということは正義であり、決して後ろめたいものではないという、明確な自覚がその企業を貫いているかどうかが浮沈の分かれ目になる。つまり、たっぷり儲けて税金もたくさん納めることが、企業の目指す道であるのだ。
そして、一時的に儲かることはフロックの場合もあるから、重要なのはそれをいかに継続するかであり、 それが企業の存在価値だ。継続して儲かる仕組み作りに経営資源を集中させることが、結局は資金手当を潤沢にする近道でもあるのだ。

第32回 仕組みが肝心 (2001年6月11日)

アイデアとビジネス
コロンブスの卵ではないが、あるタイミングで同じことを思いつくのは世の中に百人いるが、それを実行しようとするのは十人に減り、きちんと成功させることが出来るのは一人しかいない、と言われる。
ほんのわずかな積み重ねの差が、将来の成果を大きく左右する。
これを二宮尊徳は積小為大すなわち、「大事を為さむと欲せば、小なる事を怠らず勤むべし。小積りて大となればなり。およそ小人の常大なる事を欲して、小なる事を怠り、出来難き事を憂いて、出来易き事を勤めず、それゆえ終に大なる事をなすこと能わず。たとえば、百万石の米といえども、粒の大なるにあらず。」と説いた。
結果を論じるのはたやすいが、新たな結果を産み出すには相当なエネルギーが必要である。その新たな仕組みづくりへ挑戦するエネルギーの源は、「継続」することにある。そうすることで、オリジナルの仕組みが出来ていく。
反面教師として、町の発明家が事業家として日の目を見ないのは、アイデアを搾り出すことに固執するあまり、世に普及させるのに最も重要である仕組み作りについての興味を示さない、すなわち「出来易き事を勤めず」の傾向が強く、「それゆえ終に大なる事をなすこと能わず」となってしまうことになるからだ。
では、アイデアがビジネスになるかどうかの見極めはどうすれば良いのか。
第一に、考えられる市場の妥当性である。つまり市場が存在すること、市場の規模が小さすぎず大きすぎず、市場が継続し事業として対象となるかどうか、である。 市場がないところに事業は存在できず、小さすぎると採算が取れず大きすぎると大手企業参入の危険性が高まり、瞬間的なビジネスでは次の商品開発が間に合わない。
第二に、明確に差別化できることである。これは、マイケル・ポーターの理論を活用してチェックできる。それは、価格か、内容か、圧倒的な支持基盤の顧客層を持つか、これらの三点のうち少なくてもいずれかを持てるかどうかである。 すでに述べた通り、新事業展開の相談の中で、特許や実用新案の知的所有権そのもので事業が動くと勘違いしている向きの何と多いことか。
ビジネスとして最も重要で難しいのは、収益を産み出す仕組みを作ることである。仕組みを作らないことには、事業の根幹をなす継続性が確保できないからだ。
あくまでも、アイデアだけで一時的に売れるのは、タナボタのまぐれ当たりであり、素人ができるのは、ここまでだ。プロは、そのきっかけをしっかりとシステムに落とし込み、事業を継続させたり展開させたりして行く。
すなわちビジネスとは、お客様が安心して継続的に購入できるように、アイデアを商品やサービスの形に具現化し、かつその提供する品質を平準化することに他ならない。
事業としての本当の勝負は、アイデアそのものもさることながら、いかにして安定的な良質の商品・サービスを提供し続ける仕組みを作れるかにかかっているということを、プロの事業者としてゆめゆめ忘れてはならない。

第33回 製造業の活路 (2001年6月21日)

形式知と暗黙知
かつて日本の製造業の物づくりにおける強さには定評があった。
しかし、89年東西冷戦の終結による全地球的な市場経済化と情報技術の飛躍的な進展などにより、その神話がもろくも崩れ、製造業の国外流出は止まるところを知らない。
世界的な価格競争に伍して行くために、日本から技術者が派遣され熱心な指導をした結果、海外の労働者のスキルは目に見えて向上し、定型的な作業においては国内と遜色のないところまできた。
その結果、国内の製造業の空洞化に拍車がかかっているといわれているが、今後ますます機械化が進み人間が補助的な作業をするだけで間に合うような分野では、人件費が高い日本の製造業は勝負にならない。
つまり、言葉による表現や科学的なデータ・数値による表記が可能な「形式知」は、技術の移転が容易で製造技術の同質化を推進した。その結果、動力と労働力さえあれば、地球上どこでも均一な製品を作り上げることを可能にし、そうした製造分野にはもはや付加価値は認められなくなった。
一方「暗黙知」は、感性によるものであるだけに、言語や数字では表現しにくく、従来の日本の技術・技能の特徴は、このあたりに最も特徴があった。
職人の世界では、決して懇切丁寧に教えることはせずに、ただ一言「盗め」と師が言うだけだった。これは、職人が弟子に追い越される恐怖を持っていたからでも、また表現力に欠けていたからでもない。
日本の職人が伝統的に持っていた本来の「暗黙知」は、一瞬のうちに職人の技として昇華し、次の一瞬にはさらにレベルの高い次元に移っていく。そんな非定型さが、伝承の難しさの真因だったと考えられる。
その伝統は、現在のセル生産方式に脈々と生きている。そこでは職人魂が活き活きと躍動し、人間の能力が最大限に発揮できる「自己実現」可能な環境ができている。キャノンや山陰地区の三洋電機グループでの業績が何よりの証拠である。
つまり、人間を生産手段としての道具と捕らえるのではなく、瞬時に総合的な判断ができフレキシブルに現実に対応できる人材、さっきまでのノウハウが陳腐化しても、常に一歩先行くイノベーションを実現する人的資源こそが、今後の日本製造業の活路となるであろう。
以上のことから、「暗黙知」は、技術移転を進めるものではないことがわかる。結局、人材を個別に捕らえることが、総合力を生む源泉とは、まことに皮肉ではあるが、かつての技術立国日本、またマイスター制度のドイツを見ても、優れた「技」の本質とは、実はこの辺にあるようだ。
製造方策からすると、大量生産の時代は、製造工程における、モノの移動ロスと工程ごとの受け入れ・送りロスに着目し、少量でローコスト対応が必要な現在は、むしろ一人作業に囲い込むことで工程移行ロスさえも取り除こうという高レベルの挑戦である。人間工学的に見ても、分業方式と総合力方式では、間違いなく総合力を指向する方が面白い。それは、任せられるからで、そこが製造現場では「やりがい」につながる。

第34回 富のありか (2001年7月1日)

移転と創出
実業は「富を創出すること」であり、「富の移転」は虚業に過ぎない。
この至極当たり前のことが忘れられて右往左往しているのが、いまの閉塞状況の実態である。
これは何も国内の混沌に限らず、全地球的にも、あの米国が景気減速に歯止めがかからず、このところ中国での投機市場の雲行きも怪しい。また南米エクアドルの自国通貨の廃止に続き、アルゼンチンでも為替の切り下げで自国債が暴落し、ドルを自国の通貨にせざるを得ない状況であることなど、枚挙にいとまがない。
1989年の東西冷戦の終結により当時の50億人が、一気に自由市場経済に突入した。
それまで統制経済だった東側の30億人が、自由経済の西側20億人に比べて、人的コストが百分の一という大きな武器を引っさげて、定型的な製造業の分野になだれ込んだ。結果、日本をはじめ西側における人的生産性の低い産業分野については、産業として成立しない現実を目の当たりにした。
こうした大変化への反動で、西側では知的労働への傾斜に拍車がかかり、知的労働が唯一の活路であり、あたかも「無から有を生じさせる」かのような短絡的錯覚をもたらした。
その典型的な例が、マネーゲームであり、ネットバブルであった。事業の目的を達成する手段である筈の資金政策が、いつのまにかカネの獲得自体を目的にするという錯誤におちいった。こうしたやり方は、経済観念の希薄な学生や判断力の心もとないお年寄りをつかまえて、高額な契約を押し付ける繁華街のキャッチセールスと同根であり、富の移転を狙った「ダマシうち」に過ぎない。
もとより人類にとっての「富」とは、創り出し積み上げることであり、それが人類全体の付加価値となる。単なるAからBへの移転や、集団から別の集団への移転には、創出は伴なわず、本質的に人類全体の「富」は増えない。
さらに、環境保全が叫ばれている今、人類を取り巻くさまざまな要素をもそのプラスマイナスに算入しなければならないから環境会計の導入などを通じて、単に人類に片寄った観点でなく地球環境への配慮も重要である。
このように、21世紀に生きる産業人としては、「富の移転」ではなく、環境も含めた「富の創出」を担う責務がある。
第1次産業から第3次産業の区分は、多摩大学のクラーク学長の父であるC・G・クラーク博士が分類したものであり、最近では第2.5次産業や第4次産業と呼ばれる産業形態も出ている。しかし、要はどの産業も、文字通り「産み出す業」なのであり、このことはどんな新しい業種や業態が出現しても不変の真理である。
額に汗して安全で市場性のある農産物を作るのも良し、セル生産方式でライン生産以上の効率を上げるのも良し、脳みそを絞って時代の要求である高齢者対応のシステムを構築するのも良し、すべて人類を含めた地球的な「お役立ち」を念頭においた活動は、本来的な「富の創出」であり、これこそが、事業活動の本質であることを忘れてはならない。
そうして見ると、21世紀は、あらゆるところにチャンスがあふれている。

第35回 業績を左右する真因 (2001年7月11日)

ソフト化対応力の優劣
商品開発のネタ探しやビジネスチャンスの発掘は経済活動を活性化させ、その源は、「不自由なこと、困ったこと」を解決するところに帰着する。
それには、ハードウェア的なアプローチとソフトウェア的なアプローチと両方考えられる。
かつてはモノの供給量の絶対値が不足していたので、めざすところは売れるモノを創り出すことと同義だった。足りないモノをいかに効率良く増産し、消費者に行き渡らせることが、企業活動の柱であり、経済のダイナミズムを産み出した。
「安価で品質が高い」という絶対価値を追い求め、科学技術の粋を集め、この100年で人類は見事に成し遂げた。しかし、80年代には、そうしたハード的な充実を求める価値観について少し雲行きが怪しくなり、アメリカ経済の低迷、そして失われた日本経済の十年が続いた。その後アメリカは、ITを中心としたニューエコノミーの勃興で持ち直したものの再び懸念が感じられる状況に至った。日本については、その比ではなく二番底、三番底と何番目で底から脱却できるのかまったく見通しが立たない。
すでにお気づきの通り、80年代以降、企業業績が良かったり、景気が明るさを見せたのは、産業のソフト化ができた時だけだ。
例えば、アメリカの情報ハイウェイの整備は、一見ハード先行のようだったが、その根源には、広大な国土の欠点を情報インフラによって解決しなければならないという目的、すなわち「困った」宿命を負っていた。したがって、遠隔地をつなぐ様々なサービスが当然のようにビジネスシーンに登場し自然に浸透し経済を後押ししていった。
また、メーカーの変身ぶりも凄まじかった。その代表が、GE社である。世界でも最大規模のメーカーが、事業のソフト化に着手し、今では何と収益の大半をサービス事業で稼ぎ出している。
マイクロソフト社はもとよりソフト産業であり、インテル社は、一部品メーカーに過ぎない。しかし、ウィンテルと呼ばれるように、インテル社のMPUがないとパソコンが作れなかったり、ウィンドウズのOSでなければ使えるソフトウェアが限定されたり、一部品に過ぎないモノが、全体に影響力を持つという現象が起こった。
これも、ピンポイントで全体スキームを抑えるというやり方で、一つのユニットを介して事業のソフト化を果たした例だ。
また、国内衣料品の不振が続いている中での、ユニクロやしまむらの好業績は、衣料品というモノ売りから脱却し、一種のアミューズメントにまで売場を高めていることがポイントであり、まぎれもないソフト化の推進が寄与している。
今、豊富な個人資産を保有している50歳以上の日本人が「困っていること」は、老後への不安である。こうした点に焦点をあてて見ると、老後の「安心」を提供するシステムが第一に必要なことがわかる。
世間から袋叩きに会っている金融機関は、すでに企業に対する間接金融という役割を終えた今、こうした「困っている」資産の運用に「安心商品」を確立すべくソフト化を図ることで、本来の使命を果たすべきである。この発想は何も金融機関に限らない。

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