Sekiyan's Notebook セキやんのe講義 経営

セキやんのe講義 −経営の巻−


第36回 一票のゆくえ

第37回 目的は対極にあり

第38回 業績の先読み

第39回 投資ということ

第40回 経営の環境

第36回 一票のゆくえ (2001年7月21日)

政策と実行力
事業経営者は政治と一線を画すべきである。 だが、立場を変えると、行政・政治の原資を提供する納税者であり、受益者そのものでもある。したがって、選挙は大いに当事者たるべきである。
なぜ一線を画すべきかといえば、社会資本の再配分という役割を担う行政を監視しバランスをチェックする政治は、基本的に経済的な弱者救済が一つの大きな使命となる。一方、競争状態での差別化・優位性こそが成功の源泉である事業経営にとって、競争そのものが宿命である。つまり、競争に先鋭化すべき事業者が、弱者救済を求める時、そこに明らかな矛盾が生じる。だから、事業者として政治との関わりについては襟を正さなければならない。
しかし別の立場からすれば、今回の選挙には当事者として大いに関わらなければならない。なぜなら、どん底に張り付いて一向に回復の兆しが見えない景況、そして非効率な税金の使途や旧態依然とした官僚天国、利権と結び付いた過度の保護政策、すべて「改革」が待ったなしの状況であることは、ほとんどの国民が総論で理解している。したがって、その責任を全うする意味でもどのような改革を選択するのかを意思表示しなければならない。
特に今までどんなことがあっても既得権の呪縛から逃れられなかった与党自民党、そこに登場したのが、「解党的出直し」のフレーズで登場した小泉首相で、異様な人気である。
解党的な覚悟があれば、解党して再出発した方が分かり易いのだが、どうもそうは行かないらしい。
これはなにも自民党ばかりでなく与野党問わず、政党政治でありながら、同じ政党内での政策の振幅がかなり大きい。その意味では、そろそろ政党政治の終焉が近づいたのかもしれない。このことは無党派層が年々増えていることでも証明されるが、少なくても今回の選挙は、政党で記入しても有効となる方法がとられているから、その制度の中で我々有権者には賢明な選択が迫られる。
そこで注意深く見ると、どうも政治も経済も同じで、政策の「選択と集中」が行われた政党が望ましく、そのことが今後の政策実行力にも直結するように感じるのである。
なぜなら、政党も企業も外部の目的を達成するための「機能体」であり、企業は利潤という目的を、政党は国民の安全な生活という目的を、それぞれ実現することが、その第一の使命であるからだ。
企業に当てはめると、社内がばらばらな会社ではなかなか成果が出せない訳だし、幹部が勝手なことを言ってまとまらないところも論外だ。
したがって、曖昧模糊として何を「使命」と考えているのかさっぱり分からない候補者はダメ、誰かの人気に便乗しようとするのもダメ、人寄せパンダ的にマスコミ著名人を乱立したところもダメ、こうして見ると首尾一貫した主張をしているところは自ずと絞り込まれる。
もうすでに、投票日まで間もない。是非、事業者として自立した見識で、そして生活者としての真剣さをもって、二一世紀初の国政選挙に一票を投じたいものである。

第37回 目的は対極にあり (2001年8月1日)

企業会計と公会計
官僚の綱紀粛正が言われている最中に起こる数々の醜聞、ハイヤー料金水増し分の着服や歯止めが掛からない天下り人事、「手土産」代わりに行われる入札への関与や根拠のない特殊法人との随意契約など、行政腐敗は枚挙にいとまがない。
今、参院選の真っ只中でこの原稿を書いている。本稿が配布される頃には、各勢力の結果は出ているだろうが、この選挙期間中、各政党の政策が空しく響いたのは筆者ばかりではなかろう。
なぜなら政党政治のあり方や行政のあり方に対して、国民が多くの矛盾に気が付いているからだ。
その矛盾の大きな要素として企業会計と公会計制度の根本的な違いがある。国民にとっての会計制度というのは、自由経済下で粛々と行われる企業会計制度が常識なのだが、行政が拠って立つ公会計制度は、付加価値や効果性は二の次で、手続そのもの適正さが最重要となっているという原則自体に決定的な違いがある。
公会計制度には、税金を原資にするという前提があり、それゆえに国民の代表者で構成される国会や地方議会で決められる予算が正しく執行されたか、また決算が予算と違わないか、という「手続の正確性」がまず問われる。
つまり企業会計で第一の目的である「損益状況や資産状況の吟味」は、公会計では単なる副産物に過ぎず、あくまでも事務手続が遵守されたかどうかが重要なのである。
公会計の主な問題点として、次の四点があげられる。一つは、形式的単年度主義により、予算に縛られる硬直性である。年度末になると、道路工事が頻繁に行われ、必要かどうか疑わしい備品類の納入が繰り返されることなどは、良く指摘される。
二つは、単式簿記によるため、収支や資産の概念が希薄であることだ。毎年度のフロー支出は管理できるが、それによって形成されるストック資産の管理を困難にしている。どこもかしこも同じような箱物を建て続けることに歯止めが掛からない一因だ。
三つは、現金主義のため現時点の支出しか見られないということがある。前項の単式簿記と相俟って、将来不可避の費用でさえもコストに把握されず、プロジェクト全体の費用を複数年度の期間でとらえることを難しくしている。文字通り、未来を見ない会計なのである。
四つは、決算評価を軽視し、予算が規定通りに行われたかのチェックのみに注力され、政策評価の機能は持たないため、効果性が問われることはない。有能な官吏が、住民の側を見ずに、会計検査の側を見て仕事する愚は、この点に関わる。
以上のように制度的な欠陥を持っている公的会計について、本来は立法府のメンバーを選出する今回の国政選挙の際に、各政党は真剣に問題提起を行い、欠陥のある法律を改正して行くことこそ望まれるべきであったろう。
行きすぎた単年度制を見直し、会計検査制度を大幅に緩和し、住民に近いところすなわち地方議会に会計の責任と権限を委譲する。この二つを、推進するだけで、真の構造改革が実現し、日本経済の蘇生が可能である。

第38回 業績の先読み (2001年8月21日)

方向と水準
企業幹部として最大の関心事は、「これから景気がどうなるか」ではなく、「これから経営をどうしていくか」であるべきだ。なぜなら経営の本質は、他者依存ではなく、自助努力にこそあるからだ。
それを踏まえた上で、やはり景気の動向をおさえることは、企業経営の舵取りをする際に周囲環境を認識する上で不可欠なことも事実である。
さて、学説的な景気循環には、五〇〜六〇年周期でやってきて技術革新との関連が強いといわれるコンドラチェフの波、周期一〇年程度の設備循環ともいわれるジュグラーの波、四〇ヶ月程度の在庫循環が周期のキチンの波、さらに建築物に影響され一七〜一八年周期のクズネッツ循環、などがある。
しかしながら、企業経営の現場では、こうした学説は余り役に立たない。むしろ本能的に感じる景況感が最も正確で、対策を立てる上でも役に立つ。
これを理論的に説明すると、景気の動向は「変化の方向」と「経済活動の水準」から感じられるといわれる。
「水準」については、人は置かれた環境にすぐ慣れるので感覚がマヒしやすい。一方、変化の「方向」については、とても敏感である。結果的には、「方向」の積み重ねが、その時点での「水準」を構成している。ある意味では、方向はフローで、水準はストックということになる。
つまり、「方向」を集大成して始めて「水準」が明らかになる訳で、リアルタイムの経営判断に必要なものは、あくまでも「方向」なのだ。
では、中小企業が「方向」を見極めるにはどうすれば良いのだろうか?
簡便法を述べると、受注の増減が、自社の内的要素によるものか、社外の周囲環境によるものなのか、をまず分析することである。表現を変えると、シェアの拡大縮小に原因があるのか、需要自体のパイが膨らんだのかという見極めが必要なのである。
シェアの拡大縮小による場合は、その優位性が主体的かつ継続的に維持できるものかどうかを把握し、その特定要因に効果的な方策をさらに追加投入することに尽きる。
また需要自体の増減によるとすれば、良いも悪いもアナタ任せであるから、主体的な方策は打ちにくい。ここで勝ち抜くには国内外の同業他社との競争力を地道に上げることしかないが、日本企業の最大の弱点である人的コストを他の要素で吸収する方策が考えられなければ、環境要因による特需の恩恵を得続けることは難しい。そうした状況では、早目に事業分野の代替策を打たなければならない。
歴史的に見ても、あらゆる企業は周囲環境による恩恵に乗り続けることはできないのだから、現状の受注の増減から、自社資源による要因を見出し、わずかでも他社に対して優位性を発揮できる分野に資源を傾注して行くことが企業存続の原則である。
つまり、自社にとっては世間一般の景況に思い悩むことはまったく意味がない。自社の受注の増減要素が今後の事業展開の「方向」を教え、経営現場のヒントを示してくれる唯一の指標なのである。

第39回 投資ということ (2001年9月1日)

種まきと宝くじ
中小企業の経営、特に製造業においては、どんな理想を掲げようとも、日銭を稼がなければ、経営は成り立たない。
日々の経費や従業員の給与などの固定費、仕入や調達の商材に関わる変動費、これらの支払をしなければ、あすのメシの種は潤沢に調達できない。
一方、常に日銭稼ぎばかりを念頭においた経営スタンスだと、いわゆる自転車操業から脱することはできず、夢があったとしてもその夢は実現することはない。
こうしたことは当然分かっていながらも、きょうも昨日と変わりなく時間が過ぎていくのが、多くの中小企業の実態だ。
言うなれば、「報われ感」の希薄な日々を送っているのが、多くの中小企業経営者の実感ではないだろうか。いや、中小企業の従業員にしても、経営者ほどの圧迫感は感じないものの、えたいの知れない閉塞感に襲われている点では大差ないだろう。
さて、継続することが大命題である事業経営において、将来の収穫を目指して、種を植えるという投資は、当然の仕掛けである。この行為に対して、日本人は農耕民族の血が濃いためか違和感はない。そこには、将来の実りを得るためには、目の前の食料を節約し、また植えた後は作物にするための手入れを惜しまない、というように一定の場所で生き延びるための知恵が働いている。決して収穫物を根こそぎ食らうという愚は犯さない。小泉語録の「長岡藩の米百俵」がすんなりと国民の支持を得たのは、こうした土壌も影響している。
しかし、企業経営者に限れば、数年前の特別保証枠制度導入のあたりから、背に腹は変えられないとばかり、将来のために蒔いて育てるべき種をも、その日の食料にしてしまう傾向が強まった。
そして、自らの事業について、日頃から欠かせない丹念な手入れをせずに、農地を荒れ放題にしている。これでは事業の在り場所は痩せ衰える一方で、良い作物は育つ筈がない。
他方、庶民の夢を乗せた宝くじの売れ行きは好調であるが、経営者が真顔でこれに賭けるのはいただけない。九九俵の米を既に使い果たし、残る一俵の米で、一発逆転を狙おうとする経営者としての脈絡のなさは、大いに恥じなければならないだろう。
一世を風靡したマネーゲームなどもこれと軌を一にする。マネーゲームは狩猟民族の浅知恵で、獲物を根こそぎ獲っても、明日は場所を変えて何とかしようという、計画性のない粗雑な感覚から、編み出されたものである。
生活者であれば、自由に選択するのも良いだろうが、経営者は企業という論理的な組織の舵取りをしている以上、非論理的な感情というものを、判断基準にすることは、無責任である。確率からしても、これは投資ではなく投機というべきだろう。
文末に載せた二宮尊徳翁の名言のように、秋の収穫を目指して、春に種を蒔き、夏の暑さにも負けずに手入れをして、はじめて収穫の喜びを受け取ることができるという原点に立ち戻ることが、混迷を乗り切る唯一の方法なのだ。
「この秋は雨か嵐か知らねども、今日の勤めの田草取るなり(尊徳翁)」

第40回 経営の環境 (2001年9月21日)

外部のそれ、内部のそれ
景況は本当に厳しく実質五%を超える失業者の悲鳴が聞こえる。しかしながら、すべての企業の業績が悪い訳ではない。その証拠に、数は極めて少ないが好業績の企業も存在するのである。
経営の環境は、外部と内部に分けられる。外部環境は、その時代の大きな流れで、トレンドに合った事業には追い風になる反面、市場に合わない事業には淘汰を促すという冷徹な面を持っている。こうした外部環境に企業が抵抗しても、所詮は徒労に終わる。したがって、外部環境については、「順境時にも図に乗らず、逆境時にもくじけず」という姿勢で臨むことが重要で、あくまでも企業が活用するものであり、依存するものではない。
一方、内部環境すなわち経営資源は、すべて企業自身が主体的に使えるものである。当然、自社の優位点もあれば、圧倒的な欠点もある。しかし、長所も短所もあわせて、それこそが自社の特徴なのだから、ここがスタートである。しかし、この点を直視するというごく基本的な常識を身につけていない企業が以外と多い。ここがしっかりできない企業は、自力ではどうすることもできない外部環境の奇跡的な改善を、手をこまねいて待つしか業績好転の策はない。
つまり、この環境下で業績が良い企業は、総じて@損のしにくい外部環境の領域で展開していること、A内部経営資源である自社の得意部分に特化していること、の両方が備わっている。
ここで重要な点は、経営環境のトレンドは、業種や業態で判断してならないということである。いわゆるオールドエコノミー領域でも立派に好業績を挙げているところがある。つまり、斜陽業種といわれるものでも、切り口を変えると、斬新な事業に生まれ変わるということを、肝に銘じなければならない。
おなじみのケースでは、販売不振が続いた衣料業界で、今なお躍進を続けるユニクロがある。また、地方都市の郡山で二〇年間一軒の中古車販売店を経営していた社長がはじめた自動車買取専門店ガリバーは、わずか三年間で株式公開を果たし、いまだに全国からの出店申込が引きもきらない。
あなたの町でも、空き店舗の増加などはどこ吹く風と、いつのまにか二つ目、三つ目の店舗展開をしている繁盛店もあるはずだし、閉店したコンビニのすぐそばに新規のコンビニが出店して繁盛している例も見られるだろう。
こうして見てくると、外部環境に振り回されることなく、内部環境を整え、お客様の要望に応え続けることが、好調企業にとって最善の経営姿勢であることがわかる。
現在のように経済が収縮する場面では、外部要因すなわちマクロ経済を見ることにエネルギーを使うよりも、自社資源すなわちミクロ経済を吟味することに注力することが大事である。
つまり、あなたの事業について、なぜその場所でなければならないか、なぜ自社でなければならないか、なぜ今のスタッフでなければならないか、それらの理由が明確であるほど、他社の追随は困難になり、あなたの事業が繁盛する確率は高まるのである。

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