Sekiyan's Notebook セキやんのe講義 経営

セキやんのe講義 −経営の巻−


第51回 ドラッカーを読む 2 : 管理者に必要な資質

第52回 ドラッカーを読む 3 : マネジメントの開発

第53回 ドラッカーを読む 4:企業の目的は顧客創造

第54回 ドラッカーを読む 5 : マ ー ケ テ ィ ン グ

第55回 ドラッカーを読む 6:イ ノ ベ ー シ ョ ン

第51回 ドラッカーを読む 2 (2002年2月21日)

管理者に必要な資質
企業には、「変に仕事の要領は良いが、皆に信頼されぬ」輩がいるものだ。 優柔不断な経営者は、この種の従業員に対して毅然と対処出来ない。極め付けは、そうした輩を管理職に登用し後始末に四苦八苦するパターン。
この状況は、管理者に不可欠な要素である「真摯さ」を軽んじたための不手際に他ならない。これについてドラッカーは次のように述べている。
 「真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。真摯さはとってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は決して許されない。」
 そして、真摯さの定義は難しいが、管理者マネージャーとして失格とするべき真摯さの欠如を定義することは難しくないとし、次のように続けている。
 「@強みよりも弱みに目を向けるものをマネージャーにしてはならない。できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。
 A何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネージャーに任命してはならない。仕事よりも人を重視することは、一種の堕落であり、やがて組織全体を堕落させる。
 B真摯さよりも、頭の良さを重視する者をマネージャーに任命してはならない。そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。
 C部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。
 D自らの仕事に高い基準を設定しない者もマネージャーに任命してはならない。そのような者をマネージャーにすることは、やがてマネージメントと仕事に対するあなどりを生む。
知識もさしてなく、仕事ぶりもお粗末であって判断力や行動力が欠如していても、マネージャーとして無害なことがある。しかし、いかに知識があり聡明であって上手に仕事をこなしても、真摯さに欠けていては組織を破壊する。組織にとってもっとも重要な資源である人間を破壊する。組織の精神を損ない、業績を低下させる。」
つまり、これらと正反対の要件が、管理者として望ましいものとなる。
さらに、「組織においてもっとも重要かつもっとも困難な問題は、長年真摯に働いてきたがもはや貢献できなくなった者の処遇である。帳簿係として働いていた者が、組織の成長に伴い五〇歳で経理担当役員になったものの、仕事をこなせなくなる。人は変わらないのに、仕事が変わってしまった。だが、ずっと真摯に働いてきた。
そのような真摯さに対しては、真摯さをもって報いなければならない。だからといって、その者を担当役員にしておくべきではない。彼の無能は組織を危うくするだけではなく、士気を低下させ、マネージメントへの不信を生む。
クビにするのはまちがいである。正義と礼節にもとる。マネージメントの真摯さを疑わせる。組織の精神というものを大切にするマネージメントは、この種の問題を慎重に扱う。」
マネージャーを的確に選定するには、経営トップが行なうべき最重要の仕事と捕らえ、自らが前面に出て、従業員と十分関わることが必要なのである。

第52回 ドラッカーを読む 3 (2002年3月1日)

マネジメントの開発
中小企業経営者が頭を痛めているものの一つに、幹部教育・後継者養成という課題がある。
地域の企業から、後継者が社内で育たない相談を頻繁に受ける。社内での養成がままならないため、外部研修にそれを委ねる会社も少なくないが、意に反して思うに任せない。
その必要性と課題について、ドラッカーは次のように整理している。
「未来を予測することは不可能であるから、決定したことを実行に移し修正する、すなわちマネジメントのできる者を育てることが、今日の意思決定の責任をとることになる。
そうしたマネジャーは、育つべきものであって、生まれつきのものでない。したがって、その育成、確保、技能について体系的に取り組まなければならない。運や偶然に任せることは許されない。」
さらに、そうした取り組みを正しく行なうためには、マネジメント開発にあらざるものを明らかにすることが大事であるとし、
「一、マネジメント開発とは、セミナーに参加することではない。セミナーは道具の一つで、それ自体マネジメントではない。特定の技能についての三日間セミナーにせよ、二年間にわたる毎週三晩の上級セミナーにせよ、組織全体と個々のマネジャーのニーズに合うものでなければならない。しかも、いかなる種類のセミナーよりも、実際の仕事、上司、組織内のプログラム、一人ひとりの自己啓発プログラムの方が大きな意味を持つ。」
外部セミナーへ社員を派遣した中小企業がセミナー後にごっそり社員に退社されるという例を、筆者も何度か見ている。外部のセミナーを活用するのは良いが、十分な意義付けもせずに安易に社長の思い付きで、外部へ委ねるのは本末転倒である。
一方、外部セミナーに頼らず社内での活動を主眼に、個人目標を達成するために上司との中間面談を取り入れて業績を上げている企業もある。
「二、マネジメント開発は、人事計画やエリート探しではない。それらのものはすべて無駄である。有害でさえある。組織がなしうる最悪のことは、エリートを育成すべく他の者を放っておくことである。十年後仕事の八割はその放っておかれた人たちが行なわなければならない。しかも、彼らは軽んじられたことを覚えている。成果は上がらず、生産性は低く、新しいことへの意欲は失われている。他方選ばれたエリートの半分は、四〇代にもなれば、口がうまいだけだったことが明らかになる。
三、マネジメント開発は、人の性格を変え、人を改造するためのものではない。成果を上げさせるためのものである。強みを存分に発揮させるためのもの、人の考えでなく、自分のやり方によって存分に活動できるようにするためのものである。
雇用主たる組織には、人の性格をとやかくいう資格はない。雇用関係は特定の成果を要求する契約にすぎない。他のことは何も要求しない。それ以外のいかなる試みも、人権の侵害である。被用者は、忠誠、愛情、行動様式について何も要求されない。要求されるのは成果だけである。」
セミナー中毒や大手コンサル崇拝の経営者は少なくないが、それは自社成果には貢献せず、セミナー会社やコンサルの業績向上に貢献しているだけである。

第53回 ドラッカーを読む 4 (2002年4月1日)

企業の目的は顧客創造
ドラッカーは、企業の目的について「企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。」とし、「利益は、個々の企業にとっても、社会にとっても必要である。しかしそれは企業や企業活動にとって、目的ではなく条件である。」と、企業の目的は利益であるとする通説を明確に否定している。
度重なる産地詐称の偽ラベル問題や独居老人を被害者とする事件などは、企業の目的を利益と取り違えた例と言えよう。
そして、「利潤動機なるものは、的はずれであるだけでなく害を与えている。この観念ゆえに、利益の本質に対する誤解と、利益に対する根深い敵意が生じている。この誤解と敵意こそ、現代社会におけるもっとも危険な病原菌である。そのうえこの観念ゆえに、企業の本質、機能、目的に対する誤解に基づく公共政策の最悪の過ちがもたらされている。利益と社会貢献は矛盾するとの通念さえ生まれている。しかし企業は、高い利益をあげて、初めて社会貢献を果たすことができる。」と、利益の目的化ではなくその尊重の重要性を説く。
さらに、「利益とは、原因でなく結果である。(後述の)マーケティング、イノベーション、生産性の向上の結果手にするものである。したがって利益は、それ自体致命的に重要な経済的機能を果たす必要不可欠のものである。
@利益は成果の判定基準である。A利益は不確定性というリスクに対する保険である。B利益はよりよい労働環境を生むための原資である。C利益は、医療、国防、教育、オペラなど社会的なサービスと満足をもたらす原資である。」と利益の持つ重要性に言及している。
そのため、市場や顧客ニーズと言うものを次のように捕らえなければならないとしている。
「市場をつくるのは、神や自然や経済的な力ではなく企業である。企業は、すでに欲求が感じられているところへ、その欲求を満足させる手段を提供する。それは、飢饉における食物への欲求のように、生活全体を支配し、人にそのことばかり考えさせるような欲求かもしれない。しかしそれでも、それは有効需要に変えられるまでは潜在的な欲求であるにすぎない。有効需要に変えられて、初めて顧客と市場が誕生する。
欲求が感じられていないこともある。コピー機やコンピュータへの欲求は、それが手に入るようになって初めて生まれた。イノベーション、広告、セールスによって欲求を創造するまで、欲求は存在しなかった。
企業とは何かを決めるのは顧客である。なぜなら顧客だけが財やサービスに対する支払の意志を持ち、経営資源を富に、モノを財貨に変えるからである。しかも顧客が価値を認め購入するものは、財やサービスそのものではない。財やサービスが提供するもの、すなわち効用である。
企業の目的は、顧客の創造である。したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。」
次回からは、企業の持つこの二つの基本機能を引き続き取り上げる。

第54回 ドラッカーを読む 5 (2002年4月11日)

マーケティング
前回テーマの「企業の目的である顧客創造」を実現するために、企業が発揮すべき第一の機能である「マーケティング」を今回取り上げる。
これは同時に中小企業から受ける相談の中で最も多い課題でもある。
「技術的に素晴らしい物が出来上がったが、さっぱり売れない」「特許をもとに製品化したが、誰もこの製品の良さを分かってくれない」「自分が作ったホンモノが理解できないお客が悪い」などと偏狭な視点での相談も少なくない。
これに共通するのは、市場に対するアプローチの誤りであるが、ドラッカーは次のように述べている。
「企業の第一の機能としてのマーケティングは、今日あまりにも多くの企業で行なわれていない。言葉だけに終わっている。
消費者運動がこのことを示している。消費者運動が企業に要求しているものこそ、まさにマーケティングである。それは企業に対し、顧客の欲求、現実、価値からスタートせよと要求する。企業の目的は欲求の満足であると定義せよと要求する。収入の基盤を顧客への貢献に置けと要求する。マーケティングが長い間説かれて来たにもかかわらず、消費者運動が強力な大衆運動として出てきたということは、結局のところ、マーケティングが実践されてこなかったということである。消費者運動はマーケティングにとって恥である。
だが消費者運動こそ、企業にとって機会である。消費者運動によって、企業はマーケティングを企業活動の中心に置かざるをえなくなる。」と指摘し、さらに従来型のマーケティングと販売活動の混同についても整理し、方向性を示している。
「これまでマーケティングは、販売に関する全機能の遂行を意味するにすぎなかった。それではまだ販売である。われわれの製品からスタートしている。我々の市場を探している。これに対し真のマーケティングは顧客からスタートする。すなわち現実、欲求、価値からスタートする。われわれは何を売りたいか、ではなく、顧客は何を買いたいか、を問う。われわれの製品やサービスにできることはこれである、ではなく、顧客が価値ありとし必要とし求めている満足がこれである、と言う。
実のところ、販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。もちろんなんらかの販売は必要である。だがマーケティングの理想は、販売を不要にすることである。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることである。」
すなわち、マーケティングの究極の目的は、セリング(売り込み)をなくすことと定義している。
かつて流行した言い方を許してもらえるならば、マーケティングは顧客ニーズを起源とする「マーケット・イン」であるのに対して、販売は売る側のシーズから発した「プロダクト・アウト」ということになる。
商品化した時には既に顧客が決まっているように、事前に顧客ターゲットを想定し、顧客が得る効用を明確にし、コストパフォーマンスのアピールも抜かりなく、想定可能な段取りを為しその具現化を推進することこそがマーケティングの使命であり、すべての企業に求められる第一の機能である。

第55回 ドラッカーを読む 6 (2002年4月21日)

イノベーション
今回は、企業が発揮すべき第二の機能である「イノベーション」である。
最近地域の中小企業のアンケートを見ると、何と約三分の二にも及ぶ企業が「現状維持」と答えていて、その傾向は売上減と経営者の高年齢度に比例する。つまり、データでは、売上増とか、経営者が若いとかであれば、経営多角化や規模拡大への意欲も大きいと出ている。
激変する今時の経営環境を考えると「現状維持」は、淘汰の生贄に直結する。それを、以下のドラッカーのイノベーションという観点から考察をする。
「マーケティングだけでは企業としての成功はない。静的な経済には、企業は存在し得ない。そこに存在しうるものは、手数料をもらうだけのブローカーか、何の価値も生まない投機家である。企業が存在しうるのは、成長する経済のみである。少なくとも、変化を当然とする経済においてのみである。そして企業こそ、この成長と変化のための機関である。
したがって企業の第二の機能は、イノベーションすなわち新しい満足を見出すことである。経済的な財とサービスを供給するだけでなく、より良く、より経済的な財とサービスを供給しなければならない。企業そのものはより大きくなる必要はないが、常により良くならなければならない。
イノベーションの結果もたらされるものは値下げかもしれない。しかし経済学が価格に大きな関心をもって来たのは、価格だけが定量的に処理できるからにすぎない。イノベーションの結果もたらされるものは、より良い製品、より多くの便利さ、より大きな欲求の満足である。」とイノベーションを定義し、その重要性を説いている。
そして「既存の製品の新しい用途を見つけることもイノベーションである。イヌイットに対して凍結防止のために冷蔵庫を売ることは、新しい工程開発や新しい製品の発明に劣らないイノベーションである。それは新しい市場を開拓することである。凍結防止用という新しい製品を創造することである。技術的には既存の商品があるだけだが、経済的には、イノベーションが行なわれている。
イノベーションとは、発明のことではない。技術のみに関するコンセプトでもない。経済に関わることである。経済的なイノベーション、さらに社会的なイノベーションは、技術のイノベーション以上に重要である。
イノベーションを単なる一つの職能と見なすことはできない。それは技術や研究の世界のものではない。企業のあらゆる部門、職能、活動に及ぶ。製造業だけのものでもない。流通業におけるイノベーションは、製造業におけると同じように重要な役割を果たしてきた。
イノベーションとは、人的資源や物的資源に対し、より大きな富を生み出す新しい能力をもたらすことである。当然マネジメントは、社会のニーズを事業の機会として捉えなければならない。このことは、社会、学校、医療、都市、環境などのニーズが強く意識されている今日、特に強調されるべきである。」と、その本質について言及している。
従って、ハイテクを追い求めるよりむしろローテクでも最も得意な分野に基点をおいたイノベーションこそ、中小企業の目指すべき方向であり、現有の経営資源を飛躍させ有効活用させるポイントである。

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