第56回 ドラッカーを読む 7 (2002年5月11日)
生産性への影響要因
今回は、顧客創造を達成するために不可欠な機能である生産性の要因についておさえておこう。
ドラッカーは、「顧客の創造という目的を達するには、富を生むべき資源を生産的に使用する必要がある。これが企業の管理的な機能である。この機能の経済的な側面が生産性である。
近年、生産性を論じる人は少なくない。生産性の向上すなわち資源の活用が成果を左右し生活水準の向上をもたらすことは、もはや常識だ。ところが、われわれは生産性についてわずかしか知らない。その測定さえ十分できない。
必要とされているものは、労働だけが唯一の生産要素であるとする生産性のコンセプトではない。成果に結びつくあらゆる活動を含む生産性のコンセプトである。
つまり、会計学の定義に従っていたのでは間違いになる。なぜならば、目に見えるコストの形はとらなくとも、生産性に重大な影響を与える要因がいくつもあるからである。」と生産性について述べている。
筆者の経験からしても、企業の財務諸表の分析も重要だが、それはあくまでも「過去」の分析である。会計帳票についての知識に乏しい経営者はある種の劣等感を持っているため、「過去」会計を俎上に載せての瑣末な議論に振り回される愚を犯しやすい。
企業経営者がテーマにすべきは、「現在」会計であり、「将来」会計である。「現在」は売掛先や買掛先との現状把握であるし、「将来」は地に足の着いた経営計画である。
さて、生産性の方へ話しを戻すが、ドラッカーは次の六点も生産性を大きく左右する要因であるとしている。
「@知識――知識とは正しく適用されれば最も生産的な資源になるが、誤って適用されると、最も高価でまったく生産的でない資源となる。
A時間――時間はもっとも消えやすい資源である。人や機械をフルに使った時と、半分しか使わなかった時では生産性に大きな差が生ずる。
B製品の組み合わせ(プロダクト・ミックス)――製品の組み合わせとは資源の組み合わせでもある。
Cプロセスの組み合わせ(プロセス・ミックス)――部品を買うのと自作するのといずれが生産的か。組み立ては、内製と外製のいずれが生産的か。販売を流通業ブランドに依存するのと自らの販売網を使うのといずれが生産的か。
D自らの強み――いかなるマネジメントといえども万能ではない。収益が見込める事業すべてに進出すべきであるとはかぎらない。したがって、それぞれの企業特有の限界をわきまえることも、生産性を左右する。
E組織構造の適切さ、および活動間のバランス――組織構造が不適切なために、マネジメントが自らなすべきことを行わなければ、マネジメントという企業にとって最も希少な資源が浪費されることになる。トップマネジメントが、マーケティングに関心を寄せるべきであるにも関わらず、技術にしか関心を示さなければ、生産性は低下する。その結果被る損失は、単位当たりの生産量の低下による損失をはるかに上回る。」
つまり、経営者は、容易に整理できる数値だけに安易に頼ることなく、大局的にかつ本質的に生産性要因を把握し、業務への具体的な落とし込みをしなければならないのである。
第57回 ドラッカーを読む 8 (2002年5月21日)
事業は何か
景況は一向に上向きになる様子はない、業界の今後の動向も先が見えない、いつになったら明るい兆しが見えるのだろう、今こんな気持ちで居る経営者は少なくない。
しかし、もし経営が業界や景気に依存するものならば、トヨタが過去最高の営業利益を上げたことは説明できないし、景気が良い場合でも赤字会社が四割にも上るということもあり得ない筈だ。
ここはドラッカーが言うように「自社をいかに定義するか」を真剣に検討し、そこから自立的に活路を見出すことが賢明である。ドラッカーは次のように述べている。
――自らの事業を知ることほど、簡単でわかりきったことはないと思われるかもしれない。鉄鋼会社は鉄を作り、鉄道会社は貨物と乗客を運び、保険会社は火災の危険を引き受け、銀行は金を貸す。しかし実際には、「われわれの事業は何か」との問いは、ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。わかりきった答えが正しいことはほとんどない。「われわれの事業は何か」を問うことこそ、トップマネジメントの責任である。
企業の目的としての事業が十分に検討されていないことが、企業の挫折や失敗の最大の原因である。逆に、成功を収めている企業は、「われわれの事業は何か」を問い、その問いに対する答えを考え、明確にすることによって成功がもたらされている。――
かつて花形だった石炭産業がよく持ち出される。彼等は石炭屋だったため、その後のエネルギーの変遷に遅れをとった。もし、自らの事業をエネルギー産業と定義していたならば、事業展開に活路を見出せていたかもしれない。
つまり事業の定義付けの際には、事業者サイドからではなく、顧客サイドから決められるべきである。そのことをドラッカーは、
――企業の目的と使命を定義するとき、出発点は一つしかない。顧客である。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義される。顧客を満足させることこそ、企業の使命であり目的である。したがって、「われわれの事業は何か」との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。
顧客にとっての関心は、彼らにとっての価値、欲求、現実である。したがって、その問いには、顧客の価値、欲求、期待、現実、状況、行動からスタートしなければならない。――という。
さらに続けて、――したがって「顧客は誰か」との問いかけこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである。やさしい問いでも、答えのわかりきった問いでもない。しかるに、この問いに対する答えによって、企業が自らをどう定義するかがほぼ決まってくる。――
そして、その難しさを次のように指摘する。
――ほとんどの事業が少なくとも二種類の顧客を持つ。カーペット業者は建築業者、住宅購入者という二種類の顧客を持つ。この両方に購入してもらわなければならない。
生活用品のメーカーは主婦、小売店という二種類の顧客を持つ。主婦に買う気を起こさせても、店が品を置いてくれなければ何にもならない。店が目につくように陳列しても主婦が買ってくれなければ何にもならない。――
だからこそ重要なのだ。
第58回 ドラッカーを読む 9 (2002年6月11日)
事業分野の破棄
中小企業に限らず、大企業でさえも、その保有する経営資源は有限である。したがって、イノベーションを続けるためには、時には特定の事業分野を捨て去る決断も必要となる。
ドラッカーは、企業の使命に合わなくなり、顧客に満足を与えなくなり、業績に貢献しなくなった事業を体系的に破棄するかどうかを、次のような問いかけでチェックすることをすすめている。
「それらのものは、今日も有効か、明日も有効か」「今日顧客に価値を与えているか、明日も顧客に価値を与えるか」「今日の人口、市場、技術、経済の実態に合っているか。合っていないならば、いかにして破棄するか、あるいは少なくとも、いかにしてそれらに資源や努力を投ずることを中止するか」と問いかけ、さらに、「この問いを体系的かつ真剣に問わないかぎり、またこれらの問いに対する答えに従って行動しないかぎり、単に立派な手続きを経たにすぎない。エネルギーは昨日を防衛するために浪費され、明日をつくるためどころか、今日を開拓するために働く時間も、資源も、意欲も持ち得ないことになる。」と指摘し、課題を抽出した後の「実行」の重要性に言及することも忘れていない。
筆者は中小企業経営者と関わって、いかに彼等が「捨てること」に対して抵抗感があるかを痛感する。しかし、顧客にとって無用の事業は「事業者の我の申し子」に過ぎないことに気付き、勇気を持って「捨てる」ことの出来る経営者も少数派だが存在する。彼等は、その負の部分に投じていたエネルギーがいかに大きいか、また正の部分に振り向けることで、いかに経営全体が効率良く回っていくかを実感する。
一度この感覚を味わうと、「捨て去る」ことへの恐怖心がなくなり、思い切った経営が出来るようになる。もちろん、そこには顧客基点の志向が確保されてのことではあるが。
また、ドラッカーは市場動向の中で次の三つに着目している。
@市場動向のうち、もっとも重要なものが人口構造の変化である。経済学では一定のものとしていて、過去においては正しかった。戦争や飢饉などの破壊的な出来事がない限り、人口の変化は極めてゆっくりしたものだった。だが今や人口は途上国においても先進国においても急激に変化しうる。そして、それは唯一予測可能な事象だからである。
A経済構造、流行と意識、競争状態の変化によってもたらされる市場構造の変化も重要である。特に競争状態については、顧客の製品観やサービス観に従って明らかにしなければならない。直接の競争だけでなく、間接の競争も含めて明らかにしていかなければならない。
B最後に、消費者の欲求のうち、「今日の財やサービスで満たされていない欲求は何か」を問わなければならない。この問いを発し、かつ正しく答える能力を持つことが、波に乗るだけの企業と成長する企業との差になる。波に乗っているだけの企業は、波とともに衰退する。
かえりみると日本では高度経済成長期をはじめ長く景気の「良い波」が続いたため、本来的な「経営」と単なる「波乗り」との違いに大きな意味を見出せなかった。そのツケが、現下の混迷期に一気に回ってきたということだ。
その意味で、ホンモノの経営者にとっては、今がまたとないチャンスなのだ。
第59回 ドラッカーを読む 10 (2002年6月21日)
戦略計画とは
近年中小企業でも「戦略計画」の必要性が叫ばれている。しかし、漠然とした抽象論に終始する例が少なくない。
ドラッカーはこのことについて、「未来は、望むだけでは起こらない。そのためには、いま意思決定をし、いま行動し、リスクを冒さなければならない」とし、戦略計画で錯誤しやすい点について以下のように言及している。
第一に、――戦略計画は魔法の箱や手法の束ではない。思考であり、資源を行動に結びつけるものである。――と述べ、用いる手法に目を奪われるのではなく、あくまでも果たすべき責任と認識する重要性を説く。
第二に、――戦略計画は予測ではない。未来の主人になろうとすることではない。未来は予見できない。戦略計画が必要なのは、まさにわれわれが未来を予測できないからである。また予測が戦略計画でないもう一つの理由は、予測というものが、可能性とその範囲を見つけようとするだけのものだからである。起業家にとっての関心は、その可能性そのものを変える出来事である。起業家的な世界とは、自然物理ではなく人間社会の世界である。実際、企業が利益によって報われる唯一の貢献、すなわち起業家的な貢献とは、経済、社会、政治の状況を変えるイノベーションを起こすことである。したがって、企業に未来を志向させるうえで、予測は役に立たない。――とし、単なる興味本位の予測となりかねない戦略計画に警鐘を鳴らす。
第三に、――戦略計画は未来の意思決定に関わるものではない。それは、現在の意思決定が未来において持つ意味に関わるものである。意思決定が存在し得るのは、現在においてのみである。最大の問題は、明日何をすべきかではない。「不確実な明日のために今日何をなすべきか」である。問題は、「明日何が起きるか」ではない。「現在の考え方や行動にいかなる種類の未来を折り込むか、どの程度の先を考えるか」、そしてそこから「いかにしていま合理的な意思決定を行うか」である。――と、意味のない明日行う意思決定の計画を策定しがちなことを指摘している。ゲームであれば、確かに楽しいが、企業にとっては残念ながらそれは無益なことである。
第四に、――戦略計画はリスクをなくすためのものではなく、最小にするためのものでもない。そのような試みは、最後には、不合理かつ際限のないリスクと確実な破滅を招くだけである。経済活動とは、現在の資源を未来に、すなわち不確実な期待に賭けることである。経済活動の本質とは、リスクを冒すことである。――と、元来不可能な未来の事象の安全性確保に完璧を期すことの無意味さを指摘する。が、続けて、――たとえリスクを皆無にすることが不毛であり、最小にすることが疑問であるとしても、得るべき成果と比較して冒すべきリスクというものがある。戦略計画に成功するということは、より大きなリスクを負担できるようにすることである。より大きなリスクを負担できるようにすることこそ、起業家としての成果を向上させる唯一の方法だからである。――と記す。
すなわち、リスクを伴う意思決定を行いたいか、行いたくないかは問題ではない。マネジメントは、その責務からして必ず意思決定を行う。違いは、責任を持って行うか、無責任に行うかだけである。成果と成功についての妥当な可能性を考慮に入れつつ行うか、でたらめに行うかだけだ。
戦略計画とはそうしたプロセスのことなのだ。
第60回 ドラッカーを読む 11 (2002年7月1日)
事業の目標
事業とは経営者の「想い」を実現するためのものであるから、それを実践するためには具体的な目標設定をしなければならない。ドラッカーは、このことを「事業の定義は、目標に具体化しなければならない。そのままでは、いかによくできた定義であっても、優れた洞察、よき意図、よき警告に過ぎない」と述べている。
そしてその目標設定の中心はマーケティングとイノベーションであるとし、その理由を「顧客が代価を支払うのは、この二つの分野における成果と貢献に対してだから」としている。そしてその他に、経営資源の目標、生産性の目標、社会的責任の目標、費用としての目標などを上げている。
まずマーケティングの目標については、@既存の製品についての目標、A既存の製品の破棄についての目標、B既存の市場における新製品についての目標、C新市場についての目標、D流通チャネルについての目標、Eアフターサービスについての目標、F信用供与についての目標など複数存在するが、「集中の目標と、市場地位の目標を意思決定すること」が、これらの前提条件としている。
アルキメデスは「立つ場所を与えてくれれば世界を持ち上げてみせる」と言ったが、この「立つ場所」が、集中すべき分野である。集中することによって、世界を持ち上げることができる。したがって集中についての目標が、行動を意味のあるものにする前提である。
また、市場地位については、「あらゆる企業が、同一の市場において、同時にリーダー的な地位を占めることはない」とし、「市場において目指すべき地位は、最大ではなく最適である」と明言している。
ランチェスターの法則という経営理論で、事業成果はシェア比の二乗に比例するとされている。しかし、そもそも市場領域の規定そのものが、ケースバーケースであり、競争条件を一元化できる場合以外は、シェアはあまり意味をなさない。事実、ランチェスター理論をもとに戦略立案する場合も、特定の地域に絞ったり、限定した商品・サービスで括ったりするが、このことは市場領域の規定の仕方によってシェアを人為的に操作していることに他ならない。
つまり、ドラッカーの論でいう「最適な地位」が獲得できるように市場領域を設定することが、ランチェスター戦略の要諦であり、結果的にその「シェアが高められる」という、二つの理論の逆説的な補完関係が成り立っている。
だから、企業は「シェア確保できる市場」に経営資源を投入しなければならないのである。
次にイノベーションの目標を設定するについては、「イノベーションの影響度と重要度の測定の難しさ」を乗り越える重要性を指摘する。つまり、「包装に関する現実的な改良と、十年かけて発見される画期的な化学上の発見とどちらが重要なのかは、デパートと製薬会社で違うし、製薬会社でも会社によって違う。」ことになる。あくまでも、自社にとってどうなのかである。
そして、目標とするヒト・モノ・カネの経営資源を手に入れ、それを生かす生産性の目標を立てる。
そして、最も大事なのが実行に移すことで「目標を検討するのは、知識を得るためではなく行動するため」で「その狙いは、組織のエネルギーと資源を正しい成果に集中することである。したがって、検討の結果もたらされるべきものは、具体的な目標、期限、計画であり、具体的な仕事の割り当てである」とし、「目標は、実行に移さなければ目標ではない。夢に過ぎない。」と結論づけている。まさに至言である。