Sekiyan's Notebook セキやんのe講義 経営

セキやんのe講義 −経営の巻−


第61回 ドラッカーを読む 12 : 共通目標の邪魔もの

第62回 ドラッカーを読む 13 : 組織・個人の目標の意義

第63回 ドラッカーを読む 14 : 人こそ最大の資産

第64回 ドラッカーを読む 15 : マネジメントの役割

第65回 ドラッカーを読む 16 : 責 任 と 保 証

第61回 ドラッカーを読む 12 (2002年7月11日)

共通目標の邪魔もの
組織体には、企業に代表される機能体と家庭に代表される共同体の二種類があることは本欄でも繰り返し述べている。
そして、「顧客創造」という外部目標を達成するための機能体組織である企業では、社員それぞれの貢献がその共通目標に向けられなければならない。
この点、中小企業は本来規模も小さくまとまり易いはずだが、意外に企業内での統一がはかられていないケースが多い。それは経営者のリーダーシップの欠如に主たる原因はあるが、縁故関係や先代からの番頭グループへの遠慮など、経営者として理屈ではわかりながら、なかなか割り切りが難しい「情」に関わる課題でもある。
結局は、このような優柔不断さからの決別ができなければ、すべて絵に画いた餅になるが、その決断を促すために、ベクトル合わせの阻害要因をドラッカーから学ぶことにする。
ドラッカーは、@技能の分化、A組織の階級化、B階層の分離、C報酬の意味づけ、をあげている。
@について、「専門家は単に一つの作業をしているにすぎなくても、大きなことをしていると錯覚することがある。技能の重要性は強調しなければならないが、それは組織全体のニーズとの関連においてでなければならない。特に高等教育を受けた専門家が急増している現代は、この種の危険が大きなものになっている」と指摘している。日本にも古来から職人の扱いの難しさを「高飛車に出ればふてくされ、下手に出ればつけ上がる」という言い回しがあるが、専門家への過度な気遣いは、組織の全体目標をぼやけさす。
Aについては、「組織の階級的な構造が、この危険をさらに大きくする。上司の言動、些細な言葉じり、癖や習慣までもが、計算され意図されたものと受け取られる」と述べ、「この問題を解決するには、全員の目を仕事が要求するものに向けさせる組織構造が必要である」としている。こうした疑心暗鬼の状況では、経営陣の回し者とかの仲間内の誹謗中傷なども出て、とても一糸乱れず経営目標に向かうことなど困難である。
Bは、「階層ごとにものの見方があって当然である。さもなければ、仕事は行なわれない。とはいえ、階層ごとに見方があまりにも違うため、同じことを話していても気づかないことや、逆に反対のことを話していながら同じことを話していると錯覚することがあまりに多い。この問題も、よき意図や態度では解決できず、組織構造すなわち共通の言語と共通の理解が前提となる」としている。これは中小企業の現場でも散見されるが、いわゆる虫の視点ではなく鳥の視点が必要であり、全体における各々の役割認識が肝要である。
Cについては、「報酬は、組織にとってのコストであり、一人ひとりにとっての収入である。しかも、成果に対する評価のみならず、人間に対する評価を示す。したがって組織内の人間にとって、報酬や報酬システムほど強力な信号はない」とし、「いかなる報酬システムもさまざまな意味の妥協に過ぎず、それができることといえば、まちがった行動を褒めたり、まちがった成果を強調したり、共通の利益に反するまちがった方向へ導くことのないよう監視することぐらいである」と、報酬の持つ影響力の大きさと逆にそれに対する過大な期待を戒める。
以上の四点を良く理解し、その功罪に留意しながら、経営者が経営課題の整理を行ない、さらに企業の全体最適に向かって力強く踏み出す決断こそが、最も重要なのである。

第62回 ドラッカーを読む 13 (2002年7月21日)

組織・個人の目標の意義
前回は、組織を間違った方向に導く四つの要因について述べた。今回は、目標の意義について掘り下げたいので、早速ドラッカーを引用しよう。
「マネジャーたるものは、上は社長から下は職長や事務主任にいたるまで、明確な目標を必要とする。目標がなければ混乱する。目標は自らの率いる部門があげるべき成果を明らかにしなければならない。他部門の目標達成の助けとなるべき貢献を明らかにしなければならない。他部門に期待できる貢献を明らかにしなければならない。目標には、はじめからチームとしての成果を組みこんでおかなければならない。それらの目標は、常に組織全体の目標から引き出したものでなければならない。組立ラインの職長さえ、企業全体の目標と製造部門の目標に基づいた目標を必要とする」と、全体目標を果たすために部分目標があるという原則を繰り返し説く。
この考え方は、手段の目的化を防ぐためにも有効であり、「各部署の目標間のバランスを図るのは、トップマネジメントである」とし、全体を見渡すトップの視点が、各部署間の目標の明確化にとって重要であると指摘する。
さらに、「目標は、組織への貢献によって、規定しなければならない。プロジェクト・エンジニアの目標は、技術部門に対して果たすべき貢献によって規定される。事業部長の目標は、組織全体に対して果たすべき貢献によって規定される。もちろん上位のマネジメントは、それらの目標を否認する権限を持つ。しかし、それらの目標を規定することは、一人ひとりの責任である。自らの属する組織の目標設定に参画することも、一人ひとりの責任である」としている。
そして、「目標管理の最大の利点は、自らの仕事ぶりをマネジメントできるようになることにある。自己管理は強い動機づけをもたらす。適当にこなすのではなく、最善を尽くす願望を起こさせる。したがって目標管理は、たとえマネジメント全体の方向づけを図り活動の統一性を実現するうえでは必要ないとしても、自己管理を可能とするうえで必要とされる」と、自立した個人が自発的に行なうことに大きな意義を認めている。
またドラッカーは、「自らの仕事ぶりを管理するには、自らの目標を知っているだけでは十分ではない。目標に照らして、自らの仕事ぶりと成果を評価できなければならない。そのための情報を手にすることが不可欠である。しかも、必要な措置がとれるよう、それらの情報を早く手にしなければならない」としている。
このことは、企業の現場で行なわれる人事考課の際にも顕著に表れる。期末に結果だけを裁く考課の方法では、誰ひとりとして動機づけされないが、期初に自ら目標を設定し中間期で上司も関わって積極的に目標達成に取り組む場合は、大きな動機づけとなり何よりも自己の能力を肯定的に発揮しよういう努力がなされる。
筆者の経験からしても、「最後に結果だけを裁く」ような職場よりも、「途上で目標達成に上司も協力支援する」職場の方が、間違いなく活気があふれ格段に業績が良いことを確信している。
結論として、ドラッカーは「こうして自己管理による目標管理は、人間というものが責任、貢献、成果を欲する存在であると前提する。大胆な前提である。しかし、われわれは、人間というものがほぼ期待どおりに行動することを知っている」と、あくまでも自己管理による目標管理をその根幹にすえる。

第63回 ドラッカーを読む 14 (2002年8月1日)

人こそ最大の資産
「人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。
しかし人は、これらのことゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある」と、ドラッカーは述べる。
確かに、人以外の資産はどこでも同じように使われるので、結果として「組織の違いは人の働きだけである」との指摘にも説得力がある。ただ我が中小企業者として、わかっていながらも難しいのが、この「人の活かし方」である。
ドラッカーは、その主な原因を二つ上げている。
一つは、「権限と権力の混同」である。つまり、「マネジメントは、肉体労働者からにせよ、知識労働者からにせよ、責任を持ちたいとの要求に対して、それを権限の放棄を要求するものと誤解して抵抗する。自らの権限を危うくすると誤解する。
権限と権力とは異なる。マネジメントはもともと権力を持たない。責任を持つだけである。その責任を果たすために権限を必要とし、現実に権限を持つ。それ以上の何ものも持たない」と、最初から保有していない幻の「権力」を守ろうとする愚かさを指摘し、分権化によってトップマネジメントが本来為すべき仕事の時間を確保できるという利点を深く認識するよう促している。
これは、企業において、「人に任せる」ことが、人を育てる要件になっていることからも裏づけられる。
二つ目は、「仕事に対する部下からの高度な要求への恐れ」を上げる。これについては、「責任を与えられた者は高度の要求をする。マネジメントに対して完全を要求するのではない。上司も人間であることを知っている。しかし、自らの仕事に責任を持つ者は、マネジメントが報酬にふさわしい仕事をすることを要求する」と、マネジメントが部下の要求に直面し、自らを律することの必要性を述べている。
中小企業の現場でも、ご都合主義で身勝手な上司は、決して部下からの尊敬は得られない。基本は率先垂範である。
またドラッカーは、「必要なことは、実際に行うことである」とし、「これまでに企業が働く者に主体的に成果を上げさせるということに取り組み、必ず成果を上げ、組織の体質を強化し、繁栄をもたらし、さらにこれを知ったマネジメントがすべて同意してきたにもかかわらず、実行に移したマネジメントは多くない」と指摘し、その実行のためには、「@仕事と職場に対して、成果と責任を組み込むこと。A共に働く人たちを生かすべきものとして捉えること。B強みが成果に結びつくよう人を配置すること」の三点が必要だとしている。
その結果、「組織の機能や緊張をなくしたり、権力や金に関わる問題を解決することはできないかもしれないが、信頼と成果をもたらす。人を問題、雑事、費用、脅威として見る従来のアプローチを不要にするわけではない。しかし、マネジメントとマネジャーを人事管理から真のリーダーシップへと進ませる」としている。
人を活かすということは、組織の永遠のかつ最大のテーマである。経営現場でいえば、人の活性度はマネジメントの活性度、すなわち究極は経営者自身の活性度に比例する。そして、経営者自身の活性度の源は、部下への信頼と自己開示にあり、結局は経営者の腹ひとつなのである。

第64回 ドラッカーを読む 15 (2002年8月11日)

マネジメントの役割
ドラッカーは、マネジメントには、次の三つの役割があるとしている。
@組織に特有の使命すなわちそれぞれの目的を果たすこと。A組織は、現代社会で働く人にとってかけがえのないものだから、働く人を生かすものであること。B組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題解決に貢献すること。
一番目の「使命を果たす」とは、組織自体は手段であり、目的にはなり得ない。したがって、使命を掲げられない組織は、存在が継続できない。しきりに話題になる構造改革論議の本質もここにある。瑣末な議論は不要で、その組織が世の中への使命を持つかどうかの一点で、組織の要否を問うべきである。
二番目の「働く人を生かす」という点は、組織のパワーの違いは、前回も述べたように、人以外の資産はどこでも同じように使われるので、結果として「組織の違いは人の働きだけである」ということになる。したがって、組織のエンジンであるマネジメントでは、この点が最重要になる。
三番目の、社会との関係は、最近の企業の不祥事を見れば分かる。社会に背を向けた組織は、社会的な制裁を免れず、最悪の場合は抹殺される。
さらに、ドラッカーは時間軸について、次のように解説する。
「存続と健全さを犠牲にして、目先の利益を手にすることに価値はない。逆に、壮大な未来を手にしようとして危機を招くことは無責任である。今日では、短期的な経済上の意思決定が環境や資源に与える長期的な影響にも考慮しなければならない。」
続けて、「はっきりしていることは、未来は現在とは違うということだけである。未来は断絶の向こう側にある。だが未来は、それがいかに違ったものになるとしても、現在からしか到達できない。未知への跳躍を大きくしようとするほど、基礎をしっかりさせなければならない」とドラッカーは述べる。これは最近はやりの「過去と他人は変えられない。自分と未来は変えられる」というフレーズに置きかえられる。
さらに、ドラッカーはマネジメントの役割として、「起業家であること」を加える。「成果の小さな分野、縮小しつつある分野から、成果の大きな分野、しかも増大する分野へと資源を向けなければならない。そのために昨日を捨て、すでに存在しているものを陳腐化しなければならない。明日を創造しなければならない」という。
以上のように、成果をあげること、人を生かすこと、社会に及ぼす影響を処理するとともに社会に貢献すること、これら三つの役割すべてについて、今日と明日のバランスのもとに果たすことがマネジメントであると総括する。
また、マネジメントへのアプローチ法として「マネジメントの仕事と組織から論じ始めることは、あまりにテクノクラート的な発想である。それもかなり質の悪い発想である」とし、その理由を「マネジメントの仕事と組織は、それ自体が絶対かつ無条件のものではないからである。それらのものは、果たすべき役割によって決定されるべきものである」としている。
ドラッカーの発想の基点は常に「本質は何か。目的は何か。そのための手段はどうか」というところにある。
つまり、企業経営者は、次のことを問い続け、革新し続けねばならない。
「自社の存在意義は何か。全社一丸となって、その特性を生かすにはどうあるべきか。それは社会に貢献し得るか」
まさにこれこそが企業経営の醍醐味である。

第65回 ドラッカーを読む 16 (2002年9月1日)

責任と保証
人が働きがいを持つには、仕事そのものに責任を持つこと、なすべき仕事を保証すること、二つの必要性をドラッカーは指摘する。
まず、責任を持つためには、@生産的な仕事、Aフィードバック情報、B継続学習が不可欠であるとし、「@仕事を分析せず、プロセスを総合せず、管理手段と基準を検討せず、道具や情報を設計せずに、仕事に責任を持たせようとしても無駄である。
このことは独創性のスローガンには反する。人は束縛から解放されれば、専門家よりも優れた生産的な答えを出すとの考えは昔からある。だが、その正しさを支持する証拠はない。独創性といえども、基礎的な道具があって初めて力を発揮する。われわれの知るかぎり、正しい仕事の構成は直感的に知り得る代物ではない。A成果についてのフィードバック情報は、自己管理を可能とするためには不可欠である。B継続学習は、肉体労働と同様、事務労働にも必要である。知識労働にはさらに必要である。知識労働が成果を上げるためには専門化しなければならない。したがって、他の分野の経験、問題、ニーズに接し、かつ自らの知識と情報を他の分野に適用できるようにしなければならない。経理、市場調査、企画、ケミカル・エンジニアリングのいずれにせよ、知識労働に携わる作業者集団は、学習集団とならなければならない。
これら三つの条件、すなわち生産的な仕事、フィードバック情報、継続学習は、働く者が自らの仕事、集団、成果について責任を持つための、いわば基盤である。したがって、それはマネジメントの責任であり、課題である。」と述べている。
さらに大事なことは「これら三つの条件すべてについて、実際に仕事をする者自身は始めから参画しなければならない。仕事、プロセス、道具、情報についての検討に始めから参加しなければならない。彼らの知識、経験、欲求が、仕事のあらゆる段階において貴重な資源とならなければならない。」とし、「仕事をいかに行うべきかを検討することは、働く者とその集団の責任である。仕事の仕方や成果の量や質は、彼らの責任である。したがって、仕事、職務、道具、プロセス、技能の向上は、彼らの責任である。これは厳しい要求である。しかし、満たすことのできる要求である。」と続ける。
そして、「自らや作業者集団の職務の設計に責任を持たせることが成功につながるのは、彼等が唯一の専門家である分野において、彼らの知識と経験が生かされるからである。」
つまり、「仕事を生産的なものにするうえで独創性に期待することは夢想である。必要なものは、実際に働く者の知識と技術である。彼らこそ唯一の専門家である。仕事とは総合的なものである。」と望ましい手順を導く。このことは、本業の激戦から目を背けて、他の分野に安易に事業シフトしがちな経営者への警鐘とそのまま重なる。まずは専門家としての優位性や特徴を発揮することの大切さを気づかせてくれる。
次に、保証については、「仕事と収入を失う恐れがあるなかで、仕事や集団、成果に責任を持つことはできない。責任を持たせるために必要な保証とは、約束ではなく実行である。給与を払い続けても、現実に仕事を与えなくては失業と同じ不安を与える。必要なのは収入の保証だけではない。積極的かつ体系的に仕事を与える仕組み、すなわち働く者を社会の生産的な一員にする仕組みである。」とし、組織の一員として認められることの重要性を説く。

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