「経営の腑」第11号<通算 第326号>(2010年11月12日)
新事業は、社長の役割 一倉定著「新事業・新商品開発」(社長学シリーズ第4巻)より引用
新商品、新事業の成否は、そのまま企業の将来の運命に直結する。社長の役割は企業の未来を作ることにある限り、社長自ら新事業に取り組み、総指揮をとるのが当たり前である。
新事業開発の、本当の難しさは社内にあるのではなくマーケットにある。市場と顧客の要求を見極めることこそ最も重要なことである。それなるが故に、社長自らお客様のところへ出かけ、お客様の要求とその変化を、自らの目で見、自らの耳で聞き、我社はお客様の要求にどう答えるべきかを決めるのである。
顧客の要求を聞かず、我社だけの「ひとりよがり」の考えで新商品、新事業を考えるとは大きな誤りである。同時に、自らの意図も明確に示さずに、開発担当者に任せるが如き態度は、社長として最も戒めなければならないことであろう。
企業の最高責任者である社長が、お客様の要求に基づいて、自らの意思で新商品、新事業の開発を決めるべきであり、他の誰の責任でもないことを肝に銘じていなければならないのである。
<上記の前段で、以下の具体例が記述されている>
H社は、業界第一の占有率を誇る優良企業である。社長のH氏は、自らの時間の大部分を、お客様のところへ行くことに費やしている。たまに会社に居る時に、社長の姿は常に開発室にある。お客様のところと開発室を行ったり来たりしているのである。これがH社の新商品が当たり続けている最大の理由である。自らの目で見、耳で聞いたお客様の要求を、自ら開発室に入り浸って実現しているからである。業界ナンバーワンの秘密は、お客様のところへ社長自ら出かけていくところにあるのだ。
O社の社長室は、いつ行っても新商品や試作品に埋まっていて、どう見ても社長室の体裁を保っていない。いわば開発室である。O社にお伺いすると、社長はまっ先に新商品や試作品を私に示して説明を始める。その熱意には全く頭が下がるのである。ファッション商品なるが故に、新商品の機能とデザインは決定的な重要度を持つ。機能面は実験や試用で結論が出るが、デザインはそうはいかない。いつも開発部長と激論である。そして、開発部長に押しきられてしまうことが多いのである。私は、若い開発部長に負ける社長を、微笑を持って見ている。ファッションについては、若い開発部長のセンスの方が優れているに決まっているからである。
セキやんコメント: 私が今かかわっているI社は研究開発型ベンチャー企業だ。そのK社長は、少し前までは開発体制を含め社内体制の構築で精いっぱいだったこともあり、なかなか会社を留守にすることができなかったが、このところ思い切って首都圏営業へ注力し始めた。まだ何カ月も経ってないが、既にK社長は手ごたえを感じている。顧客や市場のニーズをトップ自らが身をもって体感し、それに対して自社の対応策を真剣に考える、この連動こそが正しい事業のプロセスだ。事業の経済的成果は、自社内や取り巻きには存在せず、顧客や市場の要求に応えることでのみ生まれるという原則を、ここでもまた確信することになる。
「経営の腑」第12号<通算 第327号>(2010年11月26日)
開発部門は、独立させよ 一倉定著「新事業・新商品開発」(社長学シリーズ第4巻)より引用
O社の社長が、「うちの新商品開発はさっぱり進まないけれど、どうすればよいのでしょうか」という質問である。
事情を聞いてみると、技術部長が兼任しているという。兼任では開発が進まないのが当然である。
現事業と未来事業を、同一部門または同一人に兼任させたら、どういうことが起るだろうか。現事業というものは、後から後からと問題が起ってくるものだ。そして、それは放っておくわけにはいかない。どうしても現事業に優先的に取り組むことになる。それを解決したら何らかの現実の収益に結びつくだけに、やり甲斐もある。
それに対して、未来事業というものは、何もどうしても今日やらなければならないことではないし、やったところで現実の収益があるわけではない。つい、今日やらなくとも…ということになってしまう。
だから、未来事業と現事業を同一部門や同一人にやらせたら、未来事業などいつまでたっても進まないのである。
未来事業は、それが新商品の開発であれ、販売促進であれ、マーケットの開拓であれ、現事業と完全に分離しなければならないのである。
現事業と未来事業を兼任させるくらいなら、むしろ未来事業などというきれい事はやめたほうがよい。形だけ作っても、実質的には何もないのと同じだからである。
人がいないというのなら、社長自らこれに取り組むべきである。それができないなら専任者をおきなさい、ということになるのだ。
私に云わせたら、社長の意を挺して未来事業を推進する人は、販売部門と共に最重点に考えるべきなのである。自らもできない、人もいない、で済む問題ではないのである。
開発方針の決定は社長の役割
「新商品開発」というのは、我社の将来の収益を生み出すためのものだ。我社の将来を築くことこそ社長の役割であると同時に、社長以外の誰の役割でもないのである。
その収益は「顧客の要求を満たす」ことによって初めて手に入れることができるものなのだ。だから、社長自ら顧客の要求を見つけ出し、それにこたえる新商品は何かを決めるべきである。こんな当たり前のことが分からずに、社員に任せるとは何たる無責任社長なのだろう。
セキやんコメント: 中小企業は、人手が足りないのが当たり前である。だから、トップは率先垂範の励行だ。その際、最も大事にしなければならないのは、方針の決定であり明示である。ともすれば、伝えるよりも自分がやる方が早いことに気を取られ、方針を指し示すことを疎かにしていないか、常に自問すべきである。少々面倒でも回りくどいと思われても、ここが抜け落ちると組織はバラバラになることを肝に命ずることだ。
「経営の腑」第13号<通算 第328号>(2010年12月10日)
人材待望論の誤りを知れ 一倉定著「新・社長の姿勢」(社長学シリーズ第9巻)より引用
M社にお伺いした時に、まっ先に目に入ったのは、事務所の壁に貼ってある大きな紙に書かれた標語であった。いわく「一人一人が経営者」と。
これが、社長の搾取思想のあらわれであり、低業績の原因である。社員の待遇しか与えておかずに、経営者の意識を要求する。これが搾取でなくて何であろうか。
そして、人材待望論も同様である。
M社長いわく、「企業は人なりといわれています。だから、私は人材育成に執念を燃やしています。私の念願とするところは、社員全員が課長の能力を身につけてもらうことです」と、これが搾取の理論なのである。
全員課長の能力を身につけても、全員課長になれるわけではない。大部分の人は平社員のままだ。能力は課長、待遇は平社員、みな会社を去ってしまう。これでは会社はやっていけない。ここに論理の矛盾がある。その矛盾に気がつかないのが“搾取の精神”なのである。
だいたい、人材教育という考えからしておかしい。人材というものは、誰にも教育など受けなくとも、自分で勉強し、自分で努力して自らを高めていくものだ。教育を必要とする人は、教育を受けても、効果はあるだろうが人材にはならない。
人材とは、教育を必要とする人ではなくて、自ら努力し、自らを高めて行く人なのである。
こういう人材は、いつまでも会社にいない、やがては独立して会社を出てゆく人である。
人材は教育でつくることはできず、もしいたら、やがては会社を出てゆくのだ。だから会社の中には人材はいない、というのが社長としての正しい認識である。
とするならば、社長は人材待望論を捨てなければならない。人材は一切期待せず、自らが懸命に努力するより外はない。
すると、社長の懸命の努力を見習って懸命に努力する社員が必ず出てくる。そして、人材に育ってゆく。この人材は本物である。社長が絶対に信頼できる人材である。
人材に関する正しい認識は、人材は期待しても教育しても得られない。社長自らが懸命の努力をすることによってのみ得られる、というものである。
セキやんコメント: 経営者が自らに磨きをかけないで、もっぱら社員の能力を当てにする。そんな社員依存の思想からは、事業経営者としての気概は生まれない。結果、「決められない」経営者となり、会社全体が右往左往することになる。目指すは、経営者自らが全身全霊をかけて方向性を定め、全社員一致結束してそれを実践することだ。間違ってもいいから、そうでなければならない。万が一、過ちに気がついたら、勇気をもって即座に改めればいい。そうした経営者なら、社員も安心して伸びられる。
「経営の腑」第14号<通算 第329号>(2010年12月24日)
製品分析はこうして 一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻)より引用
実戦家の行なう製品分析は、理論のためのものでもなければ観賞用でもない。自社のためのものである。それは素朴で、簡単で、明快なもので、「使いやすさ」を第一としたものでなければならないのである。あまり理論に走りすぎたり、精妙なものをねらうと、使いにくくなってしまうのだ。
分析項目としては、製品別に、@売上高と数量、A1台(1個)当りの付加価値、B製品別の付加価値総額、C投入工数、D単位時間当たりの付加価値(実際賃率)、E将来性などが主なものである。
@売上高と数量
製品ごとの単価、数量、売上高、総売上げに占める比率を計算する
A単位当りの付加価値
収益性判定の基礎になる重要な数字である。付加価値とは「企業のあげた総売上額から、この売上げのために外部から購入した原材料とサービスを引き去った額」である。つまり、「企業が外部価値(原材料とサービス)に付け加えた経済的価値」なのである。
<B〜E中略>
こうした諸項目を総合して検討し、収益性が良くて将来性のある製品を「Aクラス」、収益性が悪いものを「Cクラス」、それらの中間を「Bクラス」というような格付けを行なう。そして、Cクラスの製品こそ、企業の業績の足をひっぱる元凶なのだ。だから、一日も早くこれを捨て去り、余った工数と労力を高収益製品に振り向けることこそ、経済的成果を高めるための基本方策なのである。
このような経済的成果をあげることをねらいとした企業の構造的変革を「革新」というのだ。革新こそ、経営者の最大かつ最重要な仕事なのである。
ところが、Cクラスの製品には、必ずといっていいほど「捨てられない理由」があるものなのだ。「オトリ製品」であるとか、「お得意にそんなことは言えない」とか、いろいろあるけれども、要するに、捨てるのがむずかしいから捨てられずにいるのである。
ここのところである。経営者が考えなければならないのは…。それがむずかしいからこそ、経営者自らが取り組むのだ。それが経営者の役割なのだ。むずかしいから捨てられないというのは、経営者のセリフにはないのがほんとうである。こうしたセリフをはく経営者が会社をつぶすのだ。
セキやんコメント: 一倉は、「企業分析で一番大切なのは財務分析だが、我社の分析で一番大切なのは、実に製品分析なのである」と指摘している。なぜなら、企業分析の目的は銀行と投資家のための企業の優劣判定だから財務分析でよいが、我社が経済的価値を創造するために必要な「具体的な意思決定のための情報」は、企業の成果のもとをなす製品の分析をせずには見つけられないからである。
「経営の腑」第15号<通算 第330号>(2011年1月7日)
企業の内部に成果はない 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻)より引用
会社というものは、人間という厄介な動物の集団である。
そこには、さまざまな生い立ちを持ったさまざな人間がおり、それぞれの年代の違い、性格、能力の違いがある。そして、感情の行き違いや自己主張のぶつかり合いから、絶え間のないトラブル集団となっている。
その集団の長である社長は、何とかしてこのトラブルを解消し、社員が社業に精励してもらいたいと切望している。「社是」に「和」をかかげている会社がいかに多いかを見れば、社長の願望がよく分る。社長ならずとも、口を開けば「チームワーク」を唱う。
しかし、これらの願望は、まずはかなえられない。社長の大きな悩みの種がここにある。それがなるが故に、なおのこと、人々をうまく管理することに大きな努力を傾ける。
世にある「経営学」と称する内部管理学の中心が、「組織」とその管理に関することになってしまっているのは、この辺に起因するのであろう。
そして、社長をはじめ多くの人々が、組織を管理し、チームワークを良くすることが社長の仕事の最も重要なことだという、全く誤った考え方に陥ってしまっている。
社長は毎日会社に出勤して精励恪勤、ただひたすら組織の管理と運営をすべきであると説いた書物ばかりが世の中に氾濫しているのも、このためである。
そのために、多くの社長が内部、内部と、会社の内部管理のみにうつつを抜かしている。そして、社長にとってこれが最も楽な仕事であるだけに、これにのめりこんでしまう。
論より証拠、怠慢社長は私がいくら「お客様のところへ行け」と勧めても、なかなか行こうとしない。行ってもすぐに止めてしまう。こんな恐ろしいことはない。
社長の仕事は「事業の経営」であって、会社の内部を管理することではないのだ。
事業とは、お客様をつくりだす活動である。お客様の要求を満たし、お客様をつくりだすことによって、初めて成果が得られるのである。
会社の内部には、何がどうなっていようと「費用」しかないのである。
この分かりきったことがほんとうの意味で分かっていない社長は多い。分かっているのなら会社の中になど居るわけがないのだ。社長が会社の中に居り、お客様に関心を持たないから、お客様の要求が変わっていくのも知らず、会社がお客様の要求とは違った方向に走ってしまい、その結果は業績不振に苦しむことになるのである。
事業は、お客様の要求を満たすこと以外の何物でもないのだ。この基本認識こそ社長のまず第一に持たなければならない最重要条件なのである。
別の云い方をすれば、会社はお客様の要求さえ満たしておれば、絶対につぶれることはないのだ。
セキやんコメント: 組織自体は目的ではない。どういう組織がお客様の要求に応えるのにいいのか、というあくまで手段でしかない。一倉が内部管理を激しく糾弾するのは、一旦出来た内部組織は変わりたがらないという習性を持つからでもある。その油断ならない組織の特性に、くれぐれも注意する必要があるからだ。