「経営の腑」第16号<通算 第331号>(2011年1月21日)
社長の役割は何か 一倉定著「新・社長の姿勢」(社長学シリーズ第9巻)より引用
社長とは、「経済に関する危険を伴う意思決定」をする人である。そして、
1.関心と行動の焦点を未来に合わせ
2.市場と顧客の要求の変化に対応して絶えず革新を行い
3.高収益型事業を創り出す
ことこそ社長の役割である。
外部指向、未来指向、構造指向、これこそ社長の基本的態度である。
外部情勢は絶えず、しかも急速に変化してゆく。グズグズしていると、会社はたちまち市場から置いてきぼりを食ってつぶれてしまうのである。
外部情勢の変化を正しくとらえ、それが我社の経営にどのような影響を与えるかを考え、その変化に対応して我社をどう変えてゆかなければならないかを決めなければならない。その対応には少なくとも3年や5年はかかる。10年かかるかも知れないのである。
ここには未来指向がある。10年後をにらみ、5年後の我社の姿を想定し、これに向かって我社をつくりかえてゆかなければならない。それは、いま出発しなければ間に合わないと考えなければならない。5年後、10年後こそ社長にとっては現在なのである。
<中略=カメラと時計のねじメーカーだったスター精密鰍ェエレクトロニクスへ転換した例を引いて解説>
社長の決断や決定は、すべて外部への対応であり、未来指向である。それは、社員の知らない世界のことであり、社員に意見を求めても意味のないことが多い。意見を求めるのは社内よりもむしろ社外の人の方が多いのだ。それどころか、重要な事ほど意見を求めるわけにはいかないのである。これが事業というものである。
このことを、平素から社員に話をして理解させておかなければならない。
これをやっておかないと、経営を知らない社員は「うちの社長はわれわれに相談をかけてくれない。ワンマン社長で困ったものだ」というような全くのトンチンカンな見解をもってしまうという危険があるのだ。
また会社の内部の事情を無視した決定をしなければならないことも起る。これは外部への対応として止むを得ないこともある。事業とは市場活動なのだ。市場の変化への対応を誤ったなら、会社をつぶしてしまうからである。
セキやんコメント: 5年後、10年後こそ社長にとっての現在である――という指摘には心底納得させられる。社長が目の前の蠅を追うことに終始しているようでは、事業経営など論外だ。社長が未来像ビジョンを明確にし、社員に十分説明し、社長が客先回りで会社を留守にしても社員がそれぞれのミッションを率先励行する。社長は、そこではじめて未来を見据えて現在なすべきことを大局的にとらえることができるのだ。
「経営の腑」第17号<通算 第332号>(2011年2月4日)
社長と社員の責任の違い 一倉定著「新・社長の姿勢」(社長学シリーズ第9巻)より引用
「社長の責任において決定する」という意味は、「結果に対する責任は社長が負う」という意味である。
それだけではない。「社長が知らないうちに起ったこと」でもすべて社長が責任をとらなければならないのだ。
会社の中では、何がどうなっていようと、結果に対する責任はすべて社長がとらなければならないのだ。
これに対して、社員の責任は「実施責任」であって「結果に対する責任」ではないのだ。
方針や指令を忠実に行う実施責任だから、もしもこれらを実施しなければ「不実施責任」を負わなければならない。方針や指令を忠実に実行していれば、結果がどうであれ、その責任は追及されない。これは、方針や指令が誤っているから結果が悪いのである。
以上が、責任というものに対する正しい考え方である。
この点が明らかになっていないと、会社の中に無用な行動が起こったり、責任回避のための奇妙な習慣や複雑な手続きが生まれてくるのである。
“独裁すれど独断せず”はワンマン社長の基本的態度であり、未来指向、外部指向、構造指向こそ社長の関心と思考の正しい方向である。
以上のことを踏まえて、では“正しいワンマン経営”とは何ぞやということになる。その基本条件を考えてみよう。
正しいワンマン経営とは
1.社長は、自らの経営理念にもとづく我社の「未来像」を持ち、
2.その未来像を実現するための目標と方針を、自らの意志と責任において決定し、これを“経営計画書”に明文化する
3.経営計画を、社員によくよく説明して協力を求める
4.経営計画の最も重要な施策は自ら取り組み、他は任せる
のである。以下、これについて若干の補足をさせていただく。(次号に続く)
セキやんコメント: 我が国の金融の仕組みでは、大企業は別として、中小企業の場合には会社の借り入れの保証人として必ず社長がセットされる。万が一、会社が立ち行かなくなった場合、保証人でなければ役員であっても債務に対する法的な責任は一切免責である。一方、保証人たる社長はどこまでも債権者に追いたてられることになる。つまり、会社経営の最終的な責任をとるのは社長以外いないのだから、経営の大事なことは、その全責任者である社長が決定するのは、当たり前のことだ。そういう意味で、民主経営とか合議経営などはあり得ないことを、当の社長が確信しなければならない。
「経営の腑」第18号<通算 第333号>(2011年2月18日)
経営理念と未来像 一倉定著「新・社長の姿勢」(社長学シリーズ第9巻)より引用
経営理念というのは、社長の人生観・宗教観・使命感にもとづく経営の基本的態度のことである。
これは、作ろうと思ってもできるものではないし、考えて作り上げるものでもない。
長年の事業経営の中で次第に育ってくるものであったり、人生観の積み重ねから生まれたりするものである。
<中略>
経営理念こそ、事業経営の魂である。だから、社長は経営理念を持たなければならない。
とはいえ、常に明文化された経営理念がなければならない、ということではない。
明文化されない経営理念もある。それを大事にしながら経営を行なうのも立派な経営であると心得ていれば、それでもよいのである。
経営理念は一つの哲学である。この哲学をふまえ、実践しなければならない。その実践は、我社の未来像(ビジョン)として、具体的に示されなければならない。
その未来像には、最小限度次の三つが必要であろう。
まず第一には、どのような事業を行なうかということである。事業は、必ずしも一つとは限らない。いくつかの事業の組み合わせもある。
長期的には、むしろ組み合わせの方が変化への対応力が強くなるからである。
第二には、事業構造と規模である。事業構造を明らかにすることによって、企業の基本的な性格がきまり、規模を示すことによって、行動の基準と方向が明らかになるのである。
第三には、社員の処遇である。給与、勤務、福利厚生などがその中心となるものといえよう。定年後の第二の人生まで及んでいる会社もある。
以上三つの未来像は、固定したものであってはならない。客観情勢も変われば、社長のビジョンの発展もある。それらの変化と発展にともなって、絶えず前向きに書きかえられなければならない。事業は“生き物”であり“成長”してゆくからである。
セキやんコメント: 古くから「人間の行動は規則(理性)でなく、慣習(感性)に従う」と言われ、これは企業人としての側面で最も顕著である。ここで述べられていることは、未来像という根拠(理性)に裏打ちされたものを感性に働きかけるという意味で、人間学的にも非常に合理的で優れた方法であることは論をまたない。
「経営の腑」第19号<通算 第334号>(2011年3月4日)
近代化の夢想から覚めよ 一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻)より引用
企業近代化への風潮は、それ自体誠に結構である。それが、厳しい企業戦争に勝ち抜くために必要であることはまちがいない。しかし、その道をいささか誤っている企業があまりにも多すぎる。そして、それは管理部門の業務においてはなはだしいといえよう。
まちがった近代化は、まず書類をつくることから始まる。なにもかも記録をとり、これを分析して合理化への道をみつけるということらしい。ところが、書類をつくることには、ひどく熱心なくせに、これを検討することになると、あまり熱意を示さない場合が大半だ。書類をつくっただけで管理していると錯覚してしまうらしいのだ。
極端な表現をすれば、遅延報告書を提出させることによって、わが社の遅延対策は万全であると思いこみ、書くことの苦手な現業員に詳細な作業日報を書かせて、作業管理をしていると安心してしまう。X−R管理図を書くことが品質管理であると勘違いし、出勤率記録をとれば出勤率が向上するような気になる。原価記録をとることが原価管理でもなければ、営業日報をつけさせるのがセールスマン管理でもないのである。
「ガソリン節約のため、運転手は運転日報を書いて課長に提出してください」というのにぶつかったことがある。まさに笑い話である。
そして、それらの記録を能率的にまとめるために、計算機や会計機が導入され、それでも間に合わずに、ついにコンピューターの登場となる。
いったんコンピューターがはいると、高価なレンタルを払うのだから、遊ばせておくのはもったいないとばかり、24時間フル稼働を考える。フル稼働させるための経費の増大は考えないのだ。こうして、コンピューターから吐き出される膨大な数字の洪水をみて、わが社のMIS(management information system経営情報システム)はすばらしいと思って安心するというミスを犯してしまうのである。これを「経営の機械化」というのだそうだ。とんでもない「計算の機械化」なのだ。見境なしに行う計算の……。
ここで、考えなければならないことがある。それは、記録それ自体はいかに精緻なものであろうとも、過去の数字を変えることはできない、ということだ。われわれの関心は、活動によって作られた過去の数字を集計することではなくて、数字をつくりだす活動でなければならないはずである。
ところが、前向きに数字を作りだしてゆく活動に関する研究は、まさに恐るべき貧困さである。私はこの点についても、権威者と称する人々の奮起を強く促したいのである。
むろん、過去の数字がわかれば、それから前向きの対策を考えだすことはできる。しかし、これはごく短期的な戦術的決定である。だから、これらの数字は、常に最小限度にとどめるために、定期的な検討をさせるのが経営者のつとめである。自らしてはいけない。
経営者が自らしなければならないのは、長期的な戦略的決定である。そして、その戦略決定に必要なのは、企業内の過去の数字ではない(コンピューターから出てくる数字は、まさに企業内の過去の数字である)。それは、企業外の数々の情報である。その情報は、数字で表すことのできない、信頼度のうすい、切れ切れのものであり、不完全な「兆候」と呼ぶべきものが多いのだ。
それらの、不完全な兆候をよく観察し、その変化に対応するための道を見つけだし、危険を伴う決定を下し、果敢に前進しなければならないのが経営者である。
セキやんコメント: だから、経営者は外部指向、未来指向、構造指向でなければならないのだ。つまり、市場・顧客の動向に関心をおき、将来に向けてわが社をいかに高収益構造にするのかを考えるのである。
「経営の腑」第20号<通算 第335号>(2011年3月18日)
顧客の要求は何か 一倉定著「販売戦略・市場戦略」(社長学シリーズ第3巻)より引用
N社は、パチンコ機械の販売会社である。N社の販売方針は、単に機械を売ればいいという、いい加減なものではない。
パチンコ機械の引き合いがあると、それが新設店である場合には、いきなり機械を売るようなことはしない。
まず、立地条件を調べる。もしも、それがパチンコ店として不適と判断すると、ここは立地条件が悪いからパチンコ店をやってもダメだから、やめた方がよいでしょうと、断念を進めるのである。
機械を売りたいのは山々であるが、はじめからダメだと分かっているのに機械を売ったら、うまくいかない時に、必ず機械が悪いといわれる。それでは会社の信用を落とす。それよりもお客様に損害をかけることになる、というのだ。
立地条件がよい場合には、店舗設計からレイアウト、玉売器から景品、さてはかける音楽のレコードまで、お客様の要望によってすべての段取りをとる。「釘師」の紹介までしたかどうかは聞きもらしたが、ここまでお客様のためにやるとは立派なものである。
そういうことは、すべて儲けにつながるじゃないか、と横槍を入れる前に、同社の方針をきいてもらいたい。
それは
我社はパチンコ機械を売るのではない。パチンコ店の繁盛を売るのだ、
というのである。これこそ正しい態度である。この正しい姿勢は、当然のこととして利益を生む。お客様への奉仕の正当な報酬である。
顧客が欲しいのは商品ではない。商品のもっているはたらきである。
パチンコ機械が欲しいのではなくて、事業の繁栄が欲しいのである。そして、顧客の要求を満たすことこそ会社の使命である。
その使命を、よりよく果たした会社が、その度合いに応じて報酬を手に入れることができるのである。
だからこそ、社長は我社の事業を考える時に、必ず顧客の要求を知るところから入らなければならない。「お客様は何を我社に求めているのか。我社の商品やサービスのどこに不満をもっているのか。お客様の好みはどう変わっていくのか」というようなことをよく研究するところから入るのである。
そして「お客様の要求を満たすには、我社は何をしなければならないか」という設問こそ大事である。
それをやらずに、やたらと売りあせっても、決していい結果は得られないのであり、お客様の要求を満たすと、即座に収益が手に入るのである。
セキやんコメント: 以上は、一倉のいう事業の2要件の一つである「正しい奉仕をする」ための必須要素である。そして、もう一つの要件である「正しい報酬を得る」ことも忘れてはならず、そしてこちらについては専ら社長自身が担うことになる。だから、社長は会社の仕事以外のことなどやっている暇はないのである。