「経営の腑」第26号<通算 第341号>(2011年6月10日)
企業の兇器、原価計算 一倉定著「増収増益戦略」(社長学シリーズ第5巻)より引用
事業経営に数字は絶対不可欠なものであることは論をまたない。
しかし、企業会計原則にもとづく伝統的な会計学は、過去の数字を扱ったものにすぎず、しかもそれは企業外の人びと---税務署、銀行、株主のためにつくられたものであって、企業自体に奉仕するためにつくられたのではないのである。
ただ一つ、企業自体のためと思われる原価計算は、事業の実態を全く知らない観念論者のつくりあげたものであって、真実の姿とは似ても似つかない数字をつくりあげるという危険極まりないものである。
それにもかかわらず、深く広く企業に浸透して、大きな害毒を流し続けているのである。
われわれは、まず企業の兇器ともいうべき原価計算を捨てなければならない。
そして、真に自らの事業経営に必要な数字を、自らの必要性に応じて使っていかなければならない。
それは、過去の原価計算に焦点を合わせたものではなく、将来の収益に焦点を合わせたものであって、企業の増収・増益のための戦略的決定に対して正しい判定ができるものでなくてはならないのである。
それと同時に、素朴で分かり易く、使いやすいものでなくては、実戦には適さないのである。
本書は、以上のような企業の要請を満たすために書かれたものである。
とはいえ、企業活動は複雑な要因がからみ合っているだけに、数字の意味を正しく読みとることは必ずしも易しくない。そのために極力実例などで理解してもらうことを試みたが、筆者自身の能力的な限界から、説明不十分なところも多いことと思われる。
この点については、ご海容を願うこととし、本書が読者自身の研究の一助となれば幸甚の至りである。
昭和54年5月 「まえがき」より
セキやんコメント: 以前、ある男の自己破産の導きをした。男の事業には都道府県中核支援機関がベタで関与し、一時は地元マスコミでも「ベンチャーの雄」的な扱いをされていた。それまでは、「ふ〜ん」と気にとめていなかったが、ある日突然小職に経営相談に来た。だが、時すでに遅く、ビジネスモデルは収益構造に本質的欠陥があり、頼り切っていた顧問税理士も逃げまくり支援機関も手のひらを返す仕打ちに、たまたま駆け込んで来たのだ。予納金もない状態だったが、やればやるほど出血しまくることを説明しようやく納得させ、自分の命を優先させ事業を断念させた。ことほど左様に、経理専門士も中核支援機関も最後は事業者の自業自得という論理で固めるので、収益と関与先選定には、くれぐれもご注意あれ!
「経営の腑」第27号<通算 第342号>(2011年6月24日)
管理職は、社長の意図を実現する人 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻)より引用
世にゴマンとあるマネジメント論では、管理職とは「部下とその仕事を管理する人」と定義されている。そして、部下を管理する以外には全く関心を示さず、「事業への貢献」という思想は薬にしたくともない。こんな誤った思想はない。
管理職の役割は、「社長の意図を実現する」ことである。社長が社員一人一人を全部見るわけにはいかないから、社長のかわりとなって、社長の意図の徹底を図るのが管理職なのである。
管理職は、社員の自由意思を通すための防波堤になることでもなければ、社員の相談役でもないし、社員の意向をとりまとめて社長に伝達する人でもないのだ。
社長は、管理職とは「社長の意図を実現する人」であって、「部下を管理する人」ではない、という意識革命から行なわなければならないのだ。さもないと、マネジメントの間違った思想にかぶれて、部下のみに関心を示し、事業への関心も、社長の意図の理解への努力もしない、という困った管理職ができ上がってしまうのであることを知らなければならない。
管理職は、下を向くことではなくて、上を向くことこそ正しい態度であることを教えなければならない――そして、これは社長の役割である。
それは、まず第一に「経営計画書」の方針と目標の繰り返しての強調であり、プロジェクト計画書の作成を命ずることであり、これをチェックすることである。次には、状況に応じて社長から出る指令や、自らの状況判断による結論を実行してゆくことである。
そして、それらのことは、ムリであったり、管理職や社員の立場を無視しなければならないことも数々あることをよく認識し、部下に対する説得力をつけさせるようにしなければならない。
これこそ、企業戦争に勝ち抜くための心構えとして、絶対に欠かすことのできない大切なことであることを、社長自身がよく知ってもらいたいのである。
セキやんコメント: 結局、管理職に対して具体的にどう接すればよいかに集約されるが、その答えをおおざっぱに述べると、以下のような按配になる。特に優秀な理系型社長に有り勝ちなのだが、「できることを前提に指示する」のではなく、「難しいからこそ、あなたに頼む」という姿勢で社員に接することが真の動機づけにつながるのだ。社員には「結果責任は無いよ!」という逃げ道があればこそ、真のやる気の特効薬となる。
「経営の腑」第28号<通算 第343号>(2011年7月8日)
蛇口作戦を展開する 一倉定著「市場戦略・市場戦争」(社長学シリーズ第8巻)より引用
蛇口作戦こそ市場戦略の決め手である。“画龍”における“点睛”である。
如何なる戦略を立てようと、コマーシャルに多額の費用を投入しようと、蛇口作戦で敵に後れをとったのでは、最後の勝利はおぼつかないと思わなければならない。
蛇口作戦において、敵に勝る兵力を投入することこそ勝利を不動のものにするのである。
その兵力とは、セールスマンの数ではなくて、特定のテリトリーまたは特定得意先における訪問回数である。訪問回数において敵に勝ることなのである。それも単にセールスマンの訪問回数ではなくて、社長・役員・セールスマンの訪問回数の総計である。
社長は、手に入れたい占有率を獲得するために、自ら蛇口作戦の方針を決め、計画を立てて指導を行なうのである。セールスマンの自由意思に任せるが如きは市場戦を全く知らないトーシロー社長である。販売が戦いである限り、作戦計画に基づく訪問が当然である。戦場で各人が自由意思に基づいて行動したら、それは“烏合の衆”になってしまい、戦いも何もあったものではないのである。セールスマンに行動の自由はないのである。
蛇口作戦で絶対的な重要度をもつのは、まさに社長自身の蛇口訪問である。私は、会社のお手伝いをする時に、まっ先に社長にお願というよりは“強制”をするのが社長の蛇口訪問である。
この社長学シリーズで、何十回となく繰返し繰返し強調しているのが社長の蛇口訪問であることは、絶対的な重要度をもっているからである。蛇口訪問をしない社長は、私の勧告の意味を全くといっていいほど理解できないからである。
社長がお客様のところを廻らないで、セールスマンの報告だけではお客様の要求も、我社の欠点も、敵の情報も、ごく僅かしか得られない。セールスマンに次元の高い情報――将来の方向とか現在の問題点などは絶対に話してはくれないのだ。
セキやんコメント: 一倉が「小売店に払うマージンは売場借用料であり、問屋に払うマージンは販売網使用料である」と述べている通り、我社の商品は他社に依存せず自らの手で売るという姿勢こそが成果を出す秘訣だ。さらに「社長の蛇口訪問一回は、セールスマン百回の蛇口訪問に勝る」と指摘する。すなわち、社長自ら顧客と接し現場のにおいを含めた情報収集を率先垂範することこそが、最も重要な経営活動なのである。
「経営の腑」第29号<通算 第344号>(2011年7月22日)
高収益の受注作戦展開 一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻)より引用
第一は、能率主義を捨てて、効率主義への転換である。いくら能率的な生産を行なっても、製品そのものの収益性が悪いのでは話にならない。だから、収益性の良い製品を受注しようというわけである。収益性のよい製品というと、多量生産の消費財では、まず望みうすである。収益性の良い製品は生産財である。しかし、生産財は数量がまとまらない、というわけである。ところが、ここが盲点になっているのである。
戦後の経済の拡大は、生産財の数量をも大きく拡大した。そのうえに寡占化が進み、かつては特定メーカーの月産数または1ロットが、二桁であったものを三桁にしているものがかなりあるのだ。いま仮に、月産200台であるとすると(このくらいの数のものは、けっして珍しくない)そろそろ量産技術が役に立つ。2か月分を一度にすれば400個になり、1台分2個、4個の部品もある。こういうものは月産400個、800個であり、2か月分一度にすれば、800個、1600個という数字になる。こうなると、もうりっぱな量産技術を生かすことができるようになる。
しかし、生産財のメーカーは、多量生産の技術に不慣れであり、したがって少量生産的な設計や加工法をとっている。したがって部品の単価もよい。ここを狙えというわけである。この場合、たいせつなのは価格見積である。量産方式によって見積をし、それに数が少ない点を考慮して、その分の価格を上積みしてはいけない。こうすると、必ず原価主義による量産見積もりのクセが出て、妙味のない価格を算定してしまう。
まず、受注しようとする部品の現在価格を知ることに努め、その5〜10%安でそのような収益性になるかを検討する。よければその値に合わせて見積書を作文する。さもなければ、指値をしてもらって収益性を検討し、返答をする。
もしも、VAによって、コストが下げられるものがあれば、下がった分の3分の1を値下げするようにすること。けっして、「適正利益率」という神話にまどわされてはいけない、という方針を強く打ちだしたのである。
セキやんコメント: 中小企業社長の一般的傾向として、価格に対する自信を持ててないということが挙げられる。かねてから指摘している通り、最終的な値決めは社員にはできないから、値決めは社長がなすべき最重要事である。そして、その事が我社のすべての従業員の生活に直結するということをとことん自覚しなければならない。その結果、安易な価格の妥協や軽々な値引きに応じられるわけなどないのだ。
「経営の腑」第30号<通算 第345号>(2011年8月5日)
値上げ要求は経営者の仕事 一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻)より引用
※ 本30号は、前29号の「第一の、能率至上主義を捨て効率主義に転換する」の続編です。
第二に、引き合わない製品の値上げ要求である。はじめこれを提案した時に、社長は「とんでもないことだ。そんなことをしても値上げなんか絶対に認めてくれないからムダだ」という意見だったのである。だが、それは違う。値上げは通らないかもしれないが、値下げ要求の圧力を軽くする効果をねらうのだ。それに、最近は、鋳物やメッキは業者が結束して値上げを要求し、あるいは申し合わせて成功している例もある。
昔のように値下げ要求をのまなければ、仕事をもらえなかった時代ならいざ知らず、今は引き合わない仕事は返上する会社が増えてきている。そうしなければ会社が持たないからだ。引き合わない仕事は値上げを要求することこそ、経営者の責任なのである。S社の場合には、値上げ要求に応じてもらえず、もしもその製品を引き上げると親会社が言ったら、それこそ望むところなのだ(→セキやん注:採算性が確保できない飼い殺し仕事から解放され、その結果経営資源が浮き、厳しいながらも高収益が見込める仕事へのチャレンジが可能となる)。だから、むしろ値上げ要求が認められなければ、返上するという意思表示をするのがほんとうなのだ、ということである。
第三に、不足資金については、社宅を建てる計画で確保していた土地を売る。合理化計画は、たとえ着手したものでも即時中止し、全部無期延期する。社長以下、全重役の給料を6か月間半額棚上げする、ということで、4か月はもちこたえる。その間に業績が回復すればよし、そうでなければ、どんなことをしても、社長と専務が不足分を都合する。それを今から考えておく、というのである。重役の給料を半額棚上げしたところで、金繰りにプラスするのは微々たるものである。これは金繰りというよりは、社長以下経営陣の決意と覚悟のほどを表明するという意味で重要なのである。
セキやんコメント: こうした決断をするには、社長としては相当な覚悟が要る。最悪の場合には、顧客も失い、仕事も失うことになるからだ。でも思い出して貰いたい、経営者として最大の使命は「我社の事業構造を高収益構造にすること」だ。それなしには、経営者も社員もその将来に希望が持てず、結局は「貧すれば鈍す」の悪循環に陥ることになってしまう。経営者の責任として、この負の循環は断ち切らねばならない。