第35号“観念的組織管理論にまどわされるな/世の経営コンサルタントへの苦言”<通算 第350号>(2011年10月14日)
「経営の腑」第31号<通算 第346号>(2011年8月19日)
コンピュータで何を処理するかは社長命令で 一倉定著「経営の思いがけないコツ」(社長学シリーズ第10巻)より引用
コンピュータは、事業経営に役立たせるための道具であって、コンピュータのために事業があるのではない。このことが分からないコンピュータ技術者が数多い。
その代表的な考え方が、「コンピュータの稼働率を上げる」という考え方である。
そして、会社のなかの人々がコンピュータに関する知識がないことを利用(?)して、やたらと無意味なプログラムを組み、役に立たない数字を次々とはじき出して数字の洪水を起こす。その洪水が大きければ大きいほど、コンピュータを有効に利用していると思い込んでいる。
だから、社長は「コンピュータにかける情報は、すべて社長決裁を要する」と宣言して、濫用を抑えることである。でないと、本当にコンピュータを使いたい時に、「満杯だからダメです」ということになりかねない。
こうなると、「もっと大型のコンピュータにして下さい」ということになり、ムダな費用の増大と、紙屑の増産というバカげたことが起るのである。
では、社長はコンピュータに何をさせたらいいのだろうか。「忙しい社長がコンピュータに“何をやらせるか”まで決定せよとは」…。
残念ながらコンピュータにやらせる仕事は、あまり多くないのである。その主なものは、
(1)純粋な経理的処理――これは、あくまでも純粋なものでなくてはならない
(2)技術計算――これは、自然に決まってくる
(3)統計――作る人によって、大きな差がつく
(4)日常業務の管理――日常業務をよく知っている人でなければ、役に立つものは作れない
の4つに分類できる。上記以外のことは、むしろ例外である。
そして、「たしかに役立つ」という確認ができない限り、許可してはならない。
ある会社の製造部では、私が調べたら書類の8割がまったく不要だったという例さえあるのだ。社員は、不要書類を作る名人なのだ。
プログラマーにとっては、自分だけの考えでプログラミングできなくなるので、「社長はコンピュータのことを知らない。十分な管理ができなくて、会社の業績を落とす」として、不満タラタラ、このために退職するプログラマーも多い。こういう阿呆は、やめてもらった方がいいのだ。
セキやんコメント: 会社の方針決定は社長の仕事であり、その方針を実現するため社員は行動するのである。その時、方針に相応しい仕事がどうかは社員には分からないことが多い。なぜなら、社員は特定部分の担当でしかなく、事業経営の成果は全体で獲得するものだからである。だから、社長判断が必須なのだ。
「経営の腑」第32号<通算 第347号>(2011年9月2日)
供給体勢の整備が先決 一倉定著「市場戦略・市場戦争」(社長学シリーズ第8巻)より引用
私は「現在の売上高に対してどれだけの供給力のユトリを持っているか」を、市場戦略を計画するに先立って必ず確かめることにしている。
現在の売上高に対して30%増くらいの能力しかない場合には、本当のところ市場戦略の展開は望めないからである。
これは、たちまち30%も売上が伸びるからだという意味ではない。いくら伸びるかはやってみなければ分からないけれども、確実に上昇し出すことに殆ど例外はない。仮に1年で10%伸びたとしても――このくらいのことは私にすればそれほど難しいことではないのだが――あと余力は20%弱しかない。
20%もあれば当面は大丈夫ではないかとお考えの読者も多いと思うが、そうではないのである。
というのは、どんな業種でもピーク時というものがある。その時にたちまち“玉不足”を起こしてしまうのである。これが恐ろしいのだ。折角上昇気流に乗りだしたと思ったら、途端に供給が間に合わないのでは戦略も何もあったものではないのだ。ましてや、季節変動のある業種で繁忙期にでもなったら全く目も当てられなくなってしまうのである。30%やそこらの供給力のユトリなどでは、過去においてさえ繁忙期には供給が間に合わなかった、というような会社が多いのである。
社長というものは、平均月商に対するユトリは考えるが、「繁忙期やピーク時にいくらユトリがあるか」などとは、なかなか考えないものである。繁忙期対策など事前に考えて対処することなど殆どないのである。閑散期に“作り溜め”することをやっている会社は極めて少ない。社長の関心は、そのような戦略的なことより、作り溜めによる資金増加と金利増加の方に大きな関心を持ってしまうからである。
繁忙期・ピーク時こそ、占有率を伸ばす絶好のチャンスなのだ。このような時には、各社とも殆ど例外なしに生産が間に合わない。そのために流通業者は複数の会社に重複発注し、重複需要(仮需要ともいう)が発生し、見かけ上のブームをさらに煽る。
これに踊らされて各社とも必死の増産を行なうのだが、もともと生産が間に合わないから発生した重複需要なのだから、注文に応じられるわけがない。
こうした時には、早く注文に応じた会社が勝ちなのである。実需が満たされれば当然のこととして重複需要分はキャンセルということになる。納期遅れという口実があるだけに、どうにもならずに大量の売れ残りをかかえこむことになる。
ピーク時は、一にも二にも早い者勝ちなのだ。
セキやんコメント: 売り損ない(機会ロス)防止に反する金利への過剰反応は、無用の長物だ。今までの経験上、在庫に必要な金利負担は、在庫商品販売による利益増の数パーセントでしかないケースが殆どだ。
「経営の腑」第33号<通算 第348号>(2011年9月16日)
社長の役割は“決定”である 一倉定著「経営の思いがけないコツ」(社長学シリーズ第10巻)より引用
ドラッカーいわく、「企業の運命を決めるものは決定である。決定の優れた非能率会社は、決定の劣る能率会社より優れている」と。
これこそ経営の神髄である。そして、決定を行うのは社長である。すでに述べたように、会社がつぶれたら、社長ただ一人が全責任を負わなければならないからである。
そして、その決定は、社長の責任において社員(この場合の社員とは、社長以外のすべての人々)に実施させる。
社長は決定、その実施は社員――これが会社というものなのだ。
社長は、自らの責任において決定した事項を社員にやらせるのだから、その結果については、定期的に、あるいは随時、チェックするのが当たり前である。
決定権というものは、結果に対して責任を負う人のみの権利であって、責任を負わない社員には、決定権はない。しかし、社員は命令されたことには実施責任を負う。重ねて言うと、
(1)上司は決定権があり、結果に対する責任を負う。
(2)部下は決定を実施する責任はあるが、結果に対する責任はない。しかし、決定を実施しない時には、決定不実施の責任を負う。
以上、二つの原則は、組織体である限り守らなければならない。これを守らなければ、組織は崩壊してしまう。
これと反対に、バカ殿様が決定を行わずに、「よきに図らえ」と言ったら、社員は自分の思う通りにやるほかない。
そのような時に、社長からあれこれ言われたら、「任せると言っておきながら…」と、社員は腹が立つのが当たり前である。これは明らかに社長の方が間違っているのだ。
だから、社長は、実施させようとする社員に自らの決定とともに、必要事項を十分に説明し、「疑問点は社長に申し出よ」と言わなければならない。さらに、必ずチェックを定期的に行わなければならないのである。
ところが、このチェックがうまく行われずに、“指令の出しっ放し”となってしまう危険が多い。これでは何にもならないどころか、かえって害がある。というのは、社長は社員からナメられるようになってしまうからである。
これを確実にやるかどうかは、会社の発展に大きな影響を及ぼすのだ。
セキやんコメント: 一倉はチェック漏れ防止策として、秘書を設けてチェック表をつくらせることを勧めている。確かにチェックなき指令ほど空虚で会社に害を及ぼすものはない。経験則からしても、秘書一人の人件費増分は、会社全体の生産性がアップした付加価値増分に比べれば取るに足らないことが多いのも事実だ。
「経営の腑」第34号<通算 第349号>(2011年9月30日)
“差別化”ということ 一倉定著「市場戦略・市場戦争」(社長学シリーズ第8巻)より引用
一言でこれを定義づければ、それは「目立たせる」ことであって、「目立つ」ことではない。
“紅一点”というのは、これが自然の成り行きの結果であれば差別化ではない。意図した場合が“差別化”である。
市場戦において販売を有利にするためには、どうしても「目立たせる」ことが必要であることはいうまでもない。だからこそ、各社とも血眼になって差別化に渾身の努力を払うのだ。
我社の商品、我社のサービス、我社の企業イメージなど、総べての会社があらゆる知恵を絞って目立たせ作戦を遂行する。商品の性能・機能という最もオーソドックスなものを中核として、大きさ・形状・色・包装と差別化を行っていく。
(中略)
“差別化”が市場戦を有利に進めるための作戦の一つだとばかり思っていると、これはいかに、それと全く反対の作戦がある。“反差別化”という作戦があるからだ。反差別化とは“差別を意識させない”ことである。
この作戦を行うのは“弱者”に限定されている。自らの非力を、強力な企業や商品に似せることによって強力になろうとする場合だからだ。この作戦はいうまでもなく、イミテーション作戦である。
(中略)
差別化と反差別化についての私の感想は、それが社長の正しい姿勢―お客様のため―によって生まれたものはむしろ少なく、多くの場合にお客様のためではなくて、我社のためのものであるということだ。
何とかして売上を伸ばそうという意図は結構だが、そのためにいたずらに奇をてらい、ひねくりまわす、恥も外聞もなく他社の真似をするという手合いが多すぎる。どうひねっても実体はゴマカしなのだ。
いくら工夫を凝らしたところで、所詮はニセ物、本物にかなうべくもない。お客様はバカではないのだ。最後にはお客様の要求をよりよく満たす商品が勝つのである。
差別化を計るのなら、競合商品を十分に研究し、その欠点、弱点を見つけ出し、これをカバーするだけでなく、さらによりお客様の要求を満たす商品を開発することである。
包装やネーミングもよいが、それらはあくまでも主体である商品が優れたものでなくては意味がないのだ。
高級食品店の「紀ノ国屋」などになると、包装など全く眼中にない。某社できらびやかな包装の商品を持ち込んだら「うちはこんなものに用はない。スーパーに持っていけ」と一言ではね付けられてしまった。「我社は中味でお客様にサービスするのだ。包装など何でもよい」というのだ。包装に注ぐ努力があったら、これを中味に注げというのが紀ノ国屋の精神なのである。何とも頭の下がることである。
本当の差別化とは、この紀ノ国屋の精神なのである。差別化とはサービス競争であるという認識こそ差別化に勝つ道である、と私は断じてはばからないのである。
セキやんコメント: 行政主導で最近盛んな「地域ブランド」も、差別化を狙った奇策の代表だ。商品力がバラバラなものを、産地が同じというだけで括っているから、肝心の商品力のレベル合わせができていない。売り手の都合の商いはハンデや同情があれば別だが、自由競争では成り立たないから、お薦めできない。
「経営の腑」第35号<通算 第350号>(2011年10月14日)
観念的組織管理論にまどわされるな 一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻)より引用
組織論は、経営学と称する学問では、最も重要な分野の一つである。そのために、多くの人々によってゲップの出るほど論ぜられている。しかし、伝統的な組織論は、人類が昔から持っている組織(軍隊・学校・宗教団体など)のための組織論に基づいている。そしてそれらの組織は、「変化を阻止する」という特性を持っている。これに反して、企業体の組織は「変化に対応する」という特性を持たなければならないのだ。
ということは、伝統的な組織論は、変化の激しくなかった、古き良き時代の(それはほんの十年ほど前までそうであった)組織論としては通用しても、激動する現代と未来の企業には全く合わないものになってしまったのである。現に、わが国のすぐれた企業で進行している組織変革が雄弁にこれを物語っている。
それにもかかわらず、企業の要求に合わなくなった組織論を振り回す学者や、ニセ者のコンサルタントがゴマンといるのである。そして、何も知らない企業体の人々が、これを信じ、これを企業に導入しては被害を受けているのである。
※(下記「世の経営コンサルタントへの苦言」参照)
だから企業体では、もっともらしい組織論などは相手にしないのが無難である。組織は理論的にではなく、常識的に考えるのがよいのだ。中小企業においては特にそうである。組織のことで、あまり頭を悩ませたり気にしたりして、組織いじりをする愚を犯してはならないのだ。常識的な組織や制度であるかぎり、組織や制度が悪いために業績が上がらないというようなことはないといえよう。その常識的な組織とは、「職能」をもとにして決めるのではなく、「事業の目標」達成を第一義的に考えた組織なのである。
※世の経営コンサルタントへの苦言 一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻まえがき)より引用
世の経営コンサルタントと称する人々へ、不遜を承知でこの本を通じて苦言を呈したかったのである。それは、私がお伺いする会社で、経営コンサルタントに対する不信の念が、あまりにも高すぎるからである。コンサルタントに指導してもらったが、少しも効果が上がらないというのだ。
その原因は、コンサルタントが自分の専門分野のテクニックを振りまわして、それを企業に押しつけているからである。企業の真の要求、社長の本当の悩みを聞こうとしない、ひとりよがりにあるのだ。というよりは、経営とは何かを全然知らないところにあるというのがほんとうである。
経営にとって、管理のテクニックは重要であっても、第二義的な重要さなのであることを考えてもらいたいのである。企業の経営は、すべてが「結果」である。よい結果を得た考え方と行動のみが正しいのである。よい結果が得られなければ、いかに管理水準が高かろうと、意図が正しかろうと、それらはすべて空しいものであることを考えてみてもらいたいのである。
セキやんコメント: 経営はすべて結果責任だ。間違った理論やシステムを選択しても、その理由はどうあれ、最終的に経営者が決めた結果だからだ。しかし、そうした経営者の苦悩を知ってか知らずか、経営の本質と無縁なピントはずれな理論や手法を推奨する手合いも多い。だから、こうしたニセ者に惑わされないよう、経営者自らが本質を外さないように日頃からの切磋琢磨が必要なのだ。