Sekiyan's Notebook グローカルニュース〜経営の腑

セキやん通信「経営の腑」


第36号“賃率はよいか”<通算 第351号>(2011年10月28日)

第37号“スクラップ・アンド・ビルド”<通算 第352号>(2011年11月11日)

第38号“コスト病と真の生産性向上策”<通算 第353号>(2011年11月25日)

第39号“市場戦略の原理”<通算 第354号>(2011年12月9日)

第40号“購買決定者、購買行為者”<通算 第355号>(2011年12月23日)

「経営の腑」第36号<通算 第351号>(2011年10月28日)

賃率はよいか 一倉定著「増収増益戦略」(社長学シリーズ第5巻)より引用
 賃率というものは、「単位時間当たりの直接工の生み出す付加価値」と定義されているが、業種によっては、これを「単位当たり工賃」として使っている。(以下、単位当たり工賃も、賃率として表示してゆく)
 たとえば、溶接では溶接長で(1センチ当たりいくら)、塗装では面積で(坪当たりいくら)、染色では長さで(1メートル当たりいくら)、プラントなんかではトン当たりいくらというような、ちょっと考えると不合理な積算が行われている。これらは、多少の不合理よりも、実用性を重視しているわけである。だから、それはそれでいいとして、問題は別のところにあるのだ。
 というのは、分かっているようで分からないのがこの賃率なのである。間違った認識としてあるのが、まず第一には、付加価値率が高いものが有利だという考え方で、これはかなり根強いものがある。第二には、売上高だけで見るということである。売上高の大きさに目がくらんで、収益性が忘れられてしまっている。「付加価値率10%で必要賃率の5分の1以下」という極端な例にぶつかったことさえある。
以上のような間違った考え方は改めてもらうより外にないのだが、賃率の意味を知っていながら、これと取り組む姿勢の甘い社長はかなりの数にのぼるのである。
 自社製品を持っている会社では、なんだかんだといいながらも、ある程度の自主的価格決定が可能であるが、加工専業となるとそうはいかない。価格は得意先によって決められてしまうからだ。
 それが、過当競争によって「低い賃率でも我慢しなければならない」という、一種の宿命観をもっている。この宿命観が会社を赤字に陥れ、ついには倒産に追いやるということになっていくのである。
 これを防ぐ道は、合理化、能率化、コスト削減、不良撲滅というような、低次元の労多くして功少ない対策しかとれない社長が多いのである。やっと黒字にした時には次の「値下げ要求」を呑まなければならない、というようなことになるのである。「この値段でできないのなら、よそへ廻す」という脅迫には極端に弱いのが、加工業者なのである。これでは、全くの「賽の河原の石積み」である。
 このような状態に追い込まれている原因は、“販売”−加工業者の場合には受注活動−という、企業経営にとって最も重要で、最も難しい活動を放棄しているところにある。これは、社長として全くの怠慢である。
 その怠慢の代償が「親企業からいじめられる」−これは加工業の社長の実感−ことなのである。親企業にいじめられても、親企業を恨むのは明らかに間違いだ。引合わない仕事ならば受けなければよいのである。
 加工業の会社の社長の正しい経営態度は「引合う仕事を自らの努力で探しだす」ということなのである。
 営業活動に必要な人的資源を配分し、社長自らその長となって、必死の受注活動を展開するのである。そしてたくさんの引合いの中から、引合う仕事を選択していくのである。その時の選択の物差しが“賃率”であることはいうまでもない。

セキやんコメント:  かつては「まじめに働く」が企業存続の十分条件になり得た時期もあったが、今やいくらまじめにやっても「合わない仕事」であれば、いずれ企業は破たんする時代だ。本来、事業経営とは冷徹な市場原理の中でいかに生き抜くかの知恵比べである。だからこそ、労働者でなく真の経営者が必要なのだ。

「経営の腑」第37号<通算 第352号>(2011年11月11日)

スクラップ・アンド・ビルド 一倉定著「経営戦略」(社長学シリーズ第1巻)より引用
 “企業の一般的な態度”と“成果を高める態度”をくらべると、全く逆の態度であることに気づく。
 このことは、大部分の企業では、儲けたいという気持ちで行動している事が、実は儲からないように、さらに儲けを落とすように行動していることを意味している。これでは、儲かる筈がない。儲けたければ、儲かるように行動すべきである。そして、その行動は、意外にも一般に考えられていることとは全く逆なのである。このことは、よくよく心しなければならないのである。
 これは一見逆説のように思われるかも知れないが、よく考えてみれば、ごく当たり前の常識にしかすぎないのである。その常識とは、「収益性が高くて将来性のある商品に力を入れる」ということである。
われわれはともすると、この常識を忘れて、非常識に走ってしまう。非常識になる原因は、「個々の商品だけを見て、全体を見ることを忘れる」ところにあるのだ。そのために、“捨て去る”ことは、そのままその商品の収益減につながることだけを考えてしまうのである。全体を考えたならば、低収益商品を捨てて、これに投入されていた資源を、高収益商品に振り向けることの有利さに気がつかない筈はないのである。
(中略)
 売上が落ちていくとはいえ、まだ売れる商品を切り捨てるということは、お客様の要求を無視することにならないか、ということである。心配無用である。何故かというと、「昨日の商品」についていえば、斜陽化する理由は、お客様の要求がなくなっていいくか、過当競争かの二つである。お客様の要求のなくなっていくものは、捨ててもお客様の迷惑にはならないし、過当競争ならば、他社が代わって供給してくれるからである。「不必要な特殊品」は、多くの場合売り込みのための方便としてひねったもので、他に代替品があるのだし、「経営者の我の申し子」に至ってはお客様の要求などないのである。
 しかし、何といっても最大の理由は、前向きにお客様の要求を満たしていくという姿勢である。
 あとからあとから生まれてくる、お客様の新しい要求を満たしていくためには、お客様の要求の少なくなっていく商品を切り捨てて、これによって浮いた資源を、新しいお客様の要求に投入していくよりほかに道がないということなのである。
 そして、それは同時に、我社の収益向上と発展に寄与するのである。
 変転する顧客の要求に応ずるためには、“切り捨て”こそ最も大切なものであり、これができるかできないかが、我社の将来の運命を左右する重大事であることを、よくよく肝に銘じておくべきである。
 とはいえ、これは大変な難事である。場合によっては得意先を失うかもしれない危険があり、商品に対する愛着もある。
 しかし、何といってもその最大の理由は、「売上高減少のおそれ」である。これは、もっともなことであるが、実際にはその逆で、このような売上の伸びない商品を抱え込んでいたら、いつまでたっても売上増大は望めないのである。売上の伸びない商品を切り、売上の伸びる商品を加えるという、スクラップ・アンド・ビルドができなくなるからである。
 名社長は、以上のことをよく知っており、ボンクラ社長は知らないのである。

セキやんコメント:  経営資源は有限であり、それをいかに有効活用するかが、経営成績を決める。そして、有限であるかぎり、不要なものを捨てないと新しいものを入れる余地はないから、その順序は明白なのだ。

「経営の腑」第38号<通算 第353号>(2011年11月25日)

コスト病と真の生産性向上策 一倉定著「新事業・新商品開発」(社長学シリーズ第4巻)より引用
 外食産業者の大部分は、別の意味でのコスト病にかかって業績を伸ばせずにいる。それは、1食分のコストを下げて、1食当たりの利益を多くしようとしている。その結果は、言わずと知れた「高くてまずい」ものになって、お客様をつかむことができず、当然のこととして業績が上がらないのである。
 一部の誠実で賢明な業者が、原価を犠牲にしてうまいものをお客様に提供して高収益をあげているのである。1食当たりの収益は低くとも、数が多いからである。
 K社は菓子のチェーン店である。K社長は、コストを無視してうまいものづくりに精魂を傾けている。かつてはコスト病にかかって商品の売り上げが伸びずに低収益に泣いていたのであるが、私の勧告によってその誤りを悟り、うまいもの主義に変わったのである。
その効果はみるみる表われ、売上は急伸し、収益性も格段に向上しY県内での注目企業になったのである。
 そのK社が、某団体からの押しかけ診断員の診断を受けたところ、「あなたの会社の原材料比率は、業界平均より5%以上も高い。これを引き下げることが大切である」という勧告である。K社長は「昔だったら、その勧告をきいただろうが、今は違う。うちは他社よりも5%原料高だからうまい菓子ができる。これがお客様に喜ばれて、お蔭様で高収益をあげさせてもらっている」と笑っていた。
 紳士既製服メーカーである大賀の大賀社長は、「大企業はコストしか考えない片端の体質になっている」と評している。その大賀社長は、「多様な要求を持つ顧客の要求を満たす」という基本的態度で、優れた経営を行っているのである。
 「コスト病」というのは、全く困った病気である。これにかかると、「コスト」以外のことは考えられなくなってしまうことである。ムリもないとは思う。たくさんの権威者と称する素人が、コストだけをとりあげているからだ。また、「生産性」を説く人々も、結局はそれがコスト低減になると思い込んでいるのである。つまり、生産性をあげるために、企業内の活動を合理化すべきである、という論調ばかりである。本当の意味での生産性向上は、顧客の要求する商品またはサービスを行うことにより、第一にはより高値で売れ、その上、売上数量が増大することによって、高収益を実現することに他ならないことを忘れてはいけないのである。

セキやんコメント:  生産性とは、INPUTに対するOUTPUTの割合だ。コストはあくまでもINPUTすなわち分母の一要素に過ぎない。しかも、ほとんどの場合コスト低減と顧客の要求は相反する。そのコストを錦の御旗に掲げて生産性の向上を語る愚に、賢明な経営者なら気がつかなければならない。優良企業の例を引くまでもなく、経営者が最優先すべきは、分子であるOUTPUTの付加価値をいかに大きくするかである。

「経営の腑」第39号<通算 第354号>(2011年12月9日)

市場戦略の原理 一倉定著「市場戦略・市場戦争」(社長学シリーズ第8巻)より引用
 沢山の中小企業の社長は同じように考えている。品物が売れなくなったから、全国的に販売を開始したい。そのためには各県に1名ずつセールスマンを配置したいという会社。全国的に貸マンションを展開したいというような、相談があとからあとから私のところに持ち込まれる。
 それらの社長さんたちは、全国的に販路を広げることが販売を増大させる最良の方法だと思っている。
 しかし、それをやったところで殆どの社長の構想は挫折してしまうのである。その原因は、市場には競争があるということである。
そして、競争は強いものが勝つのである。ただ漫然と全国的に戦いを展開しても、まずは勝つことは不可能である。数多くの会社が一つの市場の中にひしめき合って必死に販売戦を展開しているのだ。その中に小さな会社が飛び込んでみてもどうにもなるものではない。世の中はそんなに甘くないのである。
 小さな会社、力のない会社は身分相応のことをやらなければいけないのに、それを忘れて力以上のことをよろうとしてもダメなことを知らなければならないのだ。
 これに対しての反論は決まっている。いわく、小さな会社が身分相応なことをしていたら、いつまでたっても大きくなれないではないか。それはおかしい。小さな会社だって大きな会社との戦いに勝って大きくなっていく会社が、世の中にいくらでもあるではないか。
 その通りである。しかし、そのような会社は大敵と戦って勝つだけの何等かの力を持っていただけでなく、販売戦力においても敵に勝つものを持っていたのである。その戦略が市場戦略である――たとえその会社が市場戦略を知らなかった場合でも、必ず知らない間に市場戦略の原理を実践していたことは間違いないのである。
 大きくなりたいのなら、大きくなれるための他社よりも何倍もの努力を重ねて、先ず他社よりも優れた力量を持つことが大事であり、その力量を最も有効に駆使するための市場戦略を持たなければならない。市場戦略がなければ、いかに優れた力量を持っていても、これが“宝の持ちぐされ”となってしまうのである。
 市場戦略は、大きな会社が他社を圧してNo.1の地位を手にする戦略であると同時に、小さな会社が大きな会社と戦って勝つ戦略でもあるのだ。
 「そんなものがある筈がない。相手はみんな違うのだし、どう出るか分からない。だから相手の出かたを見て臨機応変に行くよりほかにないではないか。また、それが一番だ」と思われるかもしれないが、それは明らかに誤りである。市場戦略の原理は厳然として存在するのである。
 というのは、市場戦略の原理――これを“ランチェスター戦略”というが、この戦略は机の上で頭のいい先生がデッチあげた、もっともらしい観念論ではない。数々の実践から得られた“戦いの法則”に基づいたものである。文字通り実践の教訓そのものなのである。

セキやんコメント:  ランチェスターの第一法則は、一騎打ちの法則で「戦いには、必ず敵に勝る兵力を投入せよ」という教えで、第二法則は集中効果の法則で「局地戦では総戦力に関係なく、その局地における投入兵力の二乗に戦力は比例する」という教えだ。これらは「投入資源の分散」という誤りへの警句である。

「経営の腑」第40号<通算 第355号>(2011年12月23日)

購買決定者、購買行為者 一倉定著「販売戦略・市場戦略」(社長学シリーズ第3巻)より引用
 K製作所の実例は、我々に「真の顧客とは誰か」ということについての貴重な教訓を与えてくれる。
 はじめK製作所では、顧客は建築金物問屋であると思っていた。したがって営業活動も問屋のみであった。しかし、よく考えてみると、問屋は工事業者が買わないものは扱わないのである。つまり「工事業者の買わないものは問屋に売れない」ということである。
 とすると、いくら問屋に日参して「我社の商品を買ってくれ」といっても、それは販売促進ではなくて、押売りをやっているにしか過ぎないことになる。
本当の意味での販売促進は、工事業者に買ってもらうような活動をすることである。
 買うか買わないかは、工事業者が決めるのだからである。買うか買わないかを決める人を「購買決定者」という。購買決定者こそ、真の顧客である。K製作所の場合に、購買決定者は工事業者であり、問屋は「購買行為者」にしか過ぎないのである。いうまでもなく、K製作所のみならずすべてのメーカーにとって、問屋というのは購買決定者ではなくて、購買行為者なのだ。この違いを知らずに問屋に対して販促行為を行うのは、明らかに見当違いなのである。
 子供がマーケットに惣菜を買いに行くのは、ママのいいつけで行く。つまり購買行為者である。その子供をつかまえて「坊ちゃん、今日のエビフライは特別サービスですよ」と売り込んでみても、「僕ママにきかなければ分からない」ということになるだけだ。購買決定者は主婦なのだ。こんな馬鹿な惣菜屋はないだろうが、世のメーカーの大部分は、購買行為者をつかまえて、あまり効果のない販売促進を行っている。まったく阿呆らしいことである。
 我社の商品の購買決定者は誰か、を先ず考えて、ここに直接売り込みをするのが正しいのである。
 しかし、購買決定者が一般大衆である場合には、訪問販売と通信販売を除いては、直接売込むわけにはいかない。その場合には、購買決定者に最も近いところ、つまり小売店や工事業者を狙うのである。
 また、例えば玄関扉のように購買決定者は消費者であっても、施主が業者のすすめによって選ぶ場合には、どんなものを業者がすすめるかによって決まる。業者のすすめないものは、まず買わないからだ。この場合には、実質の購買決定者は業者であるとみなすことができるのである。
 購買決定者に直接売込むことが大切だからといって、購買行為者を軽視してはならない。
 購買決定者にたやすく接触できるのは、購買行為者である問屋あってのことである。
 メーカーにとっての購買決定者は、問屋にとってもやはり購買決定者である。だから、メーカーと問屋は共通の顧客に対して、共同の作戦を展開するのが正しいのである。
 メーカーが真の顧客を認識せず、顧客は問屋だと思い込み、問屋との間の価格の駆引きばかりやっているうちは、真の販売はないことを、よくよく心得なければならないのである。

セキやんコメント:  一倉は、「問屋に払うマージンは、販売網利用料であり小売店の売場使用料(ショバ代)である」とも述べている。つまり、どんな場合でも、自らの商品は自ら売るべきであるということだ。よく大手商社と販売契約を結んで安心している向きもあるが、仕掛けなければいつまでたっても売れるわけがない。

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