「経営の腑」第46号<通算 第361号>(2012年3月16日)
変わるものと変わらぬもの 一倉定著「増収増益戦略」(社長学シリーズ第5巻)より
固定費の割掛けが、どんないたずらをするかということを、いろいろな例で説明してきた。
何回も述べたように、固定費は経営の総額として、期間に比例して固定的に発生するものである。どんな商品を作ろうと、設備が変わらない限り減価償却費は変わらない。社員がどんな行動をしようと、人員が変わらぬ限り人件費は超過勤務の多少の増減以外変わりないのである。自動車は、走らせようと全然使わないでおこうと、減価償却費、税金、保険料は変わらない。
だから、何か手を打つ場合に、変わらないものを考えても意味はないのだ。
いま、あなたが靴を買いに行ったとする。買う時に考える条件として、価格、品質、デザイン、色の4つくらいが主なものであろう。ところで、あなたが気に入った靴は、価格、品質、デザインが同じで、色が黒と茶であったとする。黒か茶か、どちらの靴を選ぶかという時に、価格、品質、デザインはどちらをとっても同じだから、これは考える必要はない。色だけを考えたらいいのだ。
つまり「どちらをとるかで違う部分のみを比較する」のが正しいのである。
何と当たり前のことではないか。この当たり前のことを忘れて、変わらない固定費をあちらに割掛け、こちらに割掛けるから、いたるところで混乱が生まれるのである。
われわれは「割掛けの理論」を捨て、正しい考え方に戻らなければならないのである。
その、正しい考え方であるが、それは「どちらをとるかで変わる部分を比較する」ことである。いままでの例題を考えてみよう。
スキー宿の原価計算では、客数と粗利益の関係だけを見ればよいことを述べた。
商品別の損益計算では、売価と変動費だけを見ればよいことを説明しておいた。
部門別損益計算では、本社費をどの部門に割掛けしようが総額は変わりないので、一切割掛けせずに全社一括で計上すれば良いだけである。
以上の例だけではなく、さらにいくつかの例で「変わるもの」についての正しい考え方と計算法を説明する。
…以下、「新しい仕事は引き合うかどうか」「外注は高いか安いか」について解説を続ける。
セキやんコメント: 経営者の最大の役割は「高収益構造の確立」、すなわち「儲かる仕事を確保する」ことだ。その際の物差しは製造部門に関係のない間接費を割掛ける「原価」であってはならない。あくまでも現場の「収益」が正しく判断できる賃率でなければ、原価計算の呪縛に陥り完全にピントはずれで混乱する。
「経営の腑」第47号<通算 第362号>(2012年3月30日)
生産性はどうか 一倉定著「経営戦略」(社長学シリーズ第1巻)より
会社の持っている資源は僅かなものである。僅かな資源を、どのように有効に使うかということは、社長の関心のうち最も大きなものの一つでなければならない。
それにもかかわらず、多くの会社で、想像以上に間違った使われ方をしている。
しかも、その原因が、近代化、能率化を狙いとした、マネジメントの数々の思想や手法や、管理機構を導入したことによることが、非常に多いのだから困ったことである。
それらの管理機構や手法は、成果を上げるために役立ってこそ意味があるのだ。この常識が忘れられて、管理すること自体がいいことだと思い込んでしまっている人があまりにも多い。
社長たるものは、我社の資源が本当に有効に利用されているか、少なくとも有効化が進んでいるかどうかをチェックしなければならない。しかもそのための手間ヒマはごく僅かしかかからないのだから、ぜひ行うことをお勧めする。
その手段は「生産性の測定」である。
生産性とは、「成果に対する費用の割合」のことである。成果に対する費用の割合が低ければ、生産性が高いのはいうまでもない。
一般式にすると、 生産性=産出高(アウトプット)/投入高(インプット)
となる。会社の場合には、産出高とは“成果”であり、投入高とは“費用”を意味すると思えばよい。
成果というのは、会社の生み出した“経済的価値”のことである。メーカーの場合には、“付加価値”“限界利益”“加工高”などとよばれているものであり、流通業では“粗利益”といわれているものである。
定義づけは「企業の売上高から仕入高を引き去ったもの」となる。
売上は、その会社の生み出した経済的価値ではない。何故かというと、その中には外部でつくられた経済的価値が含まれているからである。だから、その会社の生み出した経済的価値を知るためには、外部でつくられた価値を引き去らなければならない。外部でつくられた価値とは、仕入高であり、メーカーの場合には「原材料と外注費」である。
この成果を生み出すために、会社はいろいろの費用を投入する。それは、人件費と経費であり、費用ではないが、成果を生むために投入される設備もあれば運転資金もある。有効に使われているかを、前記の算式に当てはめてみて、判定をするのである。
計算の結果、答えが大きい程、生産性が高いことになる。分数であるから、分母(投入高、費用)が小さく、分子(生産高、成果)が大きい程、答えは大きくなるからだ。
ただし、単に絶対値を見ただけではダメである。大切なことは、“傾向”を見ることなのである。そして、傾向を見るためには、少なくても3年にわたって数字を見なければならない。
数字が上り傾向であれば、たとえ絶対値が小さくとも心配はいらない。反対に、絶対値は大きくとも、傾向が下り坂ならば大変である。このまま進んだら、ますます低くなることを意味しているからである。
セキやんコメント: マネジメント病患者の専らの関心は「分母をいかに小さくするか」で、これは社員の仕事だ。一方、経営者にとって大事なことは「分子をいかに大きくするか」を自らの使命と課すことである。なぜなら、分子の拡充とは、社長だけにしかできない戦略的活動だからである。
「経営の腑」第48号<通算 第363号>(2012年4月13日)
社員教育はどうやるか 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻)より
根本的な誤りは、「社員教育は外部講師で」という社長の態度そのものにあるのだ。社員教育は、あくまでも社内で行うべきものである。一部の例外を除いて、である。その例外とは“技術教育”“素養教育”というようなものである。“意識教育”“能力教育”などというものは、外部にやってもらうべき性格ではないのである。
教育の主体は、あくまでも自らの会社での“実務”の中で行うべきものなのである。では、具体的にはどうしたらいいのだろうか。
社員教育の基本は、実に“経営理念”にある。そして、この経営理念にもとづく“経営計画書”こそ社員の“教科書”であり、“プロジェクト計画書”が“副読本”である。そして、その都度社長から発せられる“指令”は“宿題”なのである。
それらの“講師”は当然のこととして社長であり、重役や管理職は“助手”として、日常業務の管理の中で教育し、指導してゆくのである。
社長が精魂をこめた経営計画書は、それだけで社員の意識革命と動機づけを実現することは、私の数多くの経験がこれを物語っている。方針書を繰り返し強調する社長の熱意は、重役や管理職を大きく変えるのである。
もう一つ大切な教育がある。それは、外に出すことである。外とは、お客様のところが主体となることはいうまでもない。外に出るのは、社長と営業担当者だけでよいのではないのだ。
重役も、すべての部課長も、できれば、下級管理職である係長・主任までもである。監督職を出せばさらによいのだ。
それらの人々は、内部に職場を持っているから、特に忙しい期間――製造部門ならばモデル・チェンジや超繁忙期、経理部門なら決算期、総務部門なら4〜5月の新入社員教育期――は除いてもよいが、それ以外は年間のお客様訪問スケジュールを決めておいて実施するのである。
開発部門などは、外に出ている時のほうが多いくらいでなければならず、技術部門もお客様の意向を聞くために、少なくとも社内と半々くらいは外に出るべきである。
その他部門でも、1週間に1日はお客様のところへ行くべきである。
以上のようなことを実施しているI社では、製造部長は、週のうち3日はお客様のところへ行く。そして、そのたびに顧客サービスの悪さ――それは気づかずにやっていた――を痛感させられる、と製造部長は私に語っている。
お客様のところへ行けば行く程、お客様サービスの大切さの認識が深くなり、社長の顧客サービスの方針が痛いほど感ぜられて、社長の方針を積極的に推進するようになるのである。これこそ本当の教育である。つまり、教師はお客様なのである。
セキやんコメント: 経営とは、「顧客の要求を満たす」“外部活動”であって、「会社の社内組織をいじりまわす」“内部管理”ではない。あくまでも、顧客の要求にこたえるために内部活動がある。社長がそうした方針を明確に示し、顧客から学ぶという姿勢を社内に徹底することが優良企業の必須条件だ。
「経営の腑」第49号<通算 第364号>(2012年4月27日)
セールスマンの教育をどうするか 一倉定著「販売戦略・市場戦略」(社長学シリーズ第3巻)より
どの会社でも、セールスマンに対して、過大すぎる期待と重責を負わせすぎている。
過大すぎるが故に、その期待はいつも満たされることはない。当たり前である。社長の期待するセールスマンなど、会社の中にいるわけがない。もしいるとしたら直ちに大抜擢して専務にでもすべきである。さもないと、早晩会社を飛び出して独立し、我社に弓を引くことになるからである。
社長は、まずセールスマンに過大な期待と重責をかけることをやめなければならない。販売はセールスマンの能力と努力ではなく、自らの販売戦略によるものだと思うべきである。これは、セールスマンなどどうでもいいという意味ではない。それどころか、セールスマンの能力と努力だけに期待して、自らは販売努力を放棄しているのは誤った態度だということである。
セールスマンの能力と努力を、本当の意味で生かすのは社長の販売戦略である。それなるが故に、社長は自らの意の如く動くセールスマンをつくりあげなければならないのである。そのためには、どんな教育をしたらいいのだろうか。
世にセールスマン教育は数多い。しかし、それらの教育の殆ど大部分は、セールスマン個人の販売能力や商談能力に関するもので、極めて次元の低いものである。コミッション・セールスならこれでもよいが、販売戦略の推進には何としても物足りない。
まず第一に教育しなければならないのは、セールスマンの立場とその役割に関する基本認識である。
(中略・要約:全社的な市場戦略に沿って、訪問計画を忠実に実行すること)
その基本認識に立って、セールスマンとしての心得を教え込むのである。それは「セールスマンとして最も大切なことは、お得意先から可愛がられることである」ということを、よくよく理解させることである。そのためには、エチケットと服装の大切さを教えた上に、
1.イデオロギー、宗教、ひいきには絶対ふれてはならない。
2.言い訳は絶対にしてはならない。
3.反論、議論は厳禁。
4.「教えてあげましょう」という態度はとってはならない。
5.相手の手落ちを責めてはならない。
6. 相手との約束は必ず守ること。
という、最も基本的な心得を、先ず教えなければならない。(中略)
私にいわせれば、お客様に可愛がられさえしたら、セールステクニックの上手下手など、大した問題にはならないのである。
あとは、営業活動に伴ういろいろな活動についての心得である。(後略)
セキやんコメント: 一倉は、「頭脳明晰、社交性抜群、弁舌さわやか、いい男、この4つはセールスマンの不適格条件である」と断じている。顧客は自分の話を真剣に聞いてくれる者を「話のうまい奴」と評価し、可愛いがるものだ。営業マンの最も重要な資質は、「顧客へ真摯に対応する姿勢と能力」である。
「経営の腑」第50号<通算 第365号>(2012年5月11日)
アナグマ社長の言い分 一倉定著「販売戦略・市場戦略」(社長学シリーズ第3巻)より
くどいようだが、社長自ら先頭に立って販売戦略の推進をする会社が少なすぎる。その理由は、忙しくてとてもそんなことまで手が回らない、というのが大部分である。
何がそんなに忙しいのかというと、社員の日常業務の指揮監督である。つまり“現場監督”なのである。事業経営にとって最も次元の低い業務を行なっていて忙しいというのでは話にならない。
だいいち、社長が毎日会社の中にいて、現場監督をしなければ会社が回らないというのであれば、そのほうが余程問題である。それは、社員を信頼していないからに外ならないのである。なぜ信頼できないかというと、自らの姿勢を明確にせず、会社の行くべき道と方針を社員に明示していないからである。社員としたならば、それぞれが自分で正しいと思われることをするより外はない。それが社長の意図と合致しない場合がしばしば起きるために、社長はこれをいちいち修正しなければならないのである。それを社員の無能や無自覚、無責任というふうにとってしまう危険が大きいのである。
こういう社長ほど、社員の能力を自分の物差しで測る。社長の物差しで測って合格する社員などめったにいる筈がない。社員の能力は、社長の物差しの十分の一、いや百分の一で測って合格すれば、それ以上を望むのは、虫がよすぎるのである。
話をもとにもどすが、社員の日常業務などは、上手だろうと下手だろうと、会社の業績に対してたいした影響はないのだ。会社の業績の影響を及ぼす日常業務は、お客様に対するサービス不良である。これは社長がお客様のところに行かなければ分からないのである。次元の低い現場監督業務など、社長のやるべきことではないのである。
もう一つ、社長として知っていなければならないことは、社員が社長に対して指示を求めるのは、社員の“責任回避”なのである。予め社長に申し出て指示や了解をとっておけば、もしも結果が悪かった時に、「それは社長の了解をとってあります」といえるからなのである。社長に指示を受けに来る事柄の大部分は、社長の指示など受けなくとも差し支えないことなのである。
社長がお客様のところへ行くのは「営業」をしに行くのではない。市場と顧客の要求と、その方向性を的確につかんで、我社の事業が誤まりのない方向に進んでいるかどうかを確かめることであり、もう一つは、我社の販売戦略を進めるためのいろいろな情報――我社の販売戦略はこれでいいのか、同業他社の動きはどうか、などを知るためである。だから、我社のピンチを除いては、社長は自ら営業しないほうがよい。これをやると営業に関心が向いてしまい、もっと大切な事業経営に必要な情報を捉え損なうおそれが多いことを知るべきである。ただし、開拓営業は別である。
セキやんコメント: 社内にいる限り、社長は誰からも苦言や説教を受けることはない。社員はもとより来訪者からも、揉み手で対応される。これに心地良さを感じると、アナグマ社長となる。社長はお大尽などではなく、自ら顧客サービスの最前線に立ち範を示さねば、社員はついて行かないことが分かっているのに、である。