「経営の腑」第51号<通算 第366号>(2012年5月25日)
ABC分析表の効果 一倉定著「社長の販売学」(第4章 我社の内部資料を読む)より
装粧品の問屋である。いくつものジャンルを持っているのだが、そのうちの主力ジャンルに属する商品の売上高ABC分析を行ったところ、これを見た社長はビックリ仰天した。総数2100アイテムほどのうち、1100アイテムで、何と売上の99%だったからであった。
商品の半数はデッド商品なのであった。社長はデッド商品をすべて廃番とし、在庫は完全に処分した。今まで手狭で困っていた倉庫には、かなりのゆとりが生まれた。
それに力を得た社長は、残りの数ジャンルに対してもそれを行った。商品アイテムは半数近くになり、倉庫は半分以上空いてしまった。倉庫をふさいでいたのは、何とデッドストックだったのである。
次に打った手は、売れ筋商品の情報を主要客先に提供したのである。
それは、当社の商品の売上高ABC分析表と、得意先ごとの当社の納品のアイテムのABC分析表だった。
そして、上記の2つのABC分析表を並べてご説明である。
「お宅様では、我社の売上高のベストテンのうち、これとこれがお買い上げいただいておりません。これを定番に繰り入れたらいかがでしょうか。また、お買い上げ願ったもので、これとこれは、ごく少額です。これらを廃番にされたら、定番のワクが空きます。廃番にされました品は、全品をご納入価格で引き取らせていただきます。パッケージが破れていようと、破損していようと、すべて納入価格で引き取らせていただきます。期限は無期限です。2年前でも3年前でも結構です」といった調子であった。
この場合に「返品は納入後1年以内」だとか「汚れたものはお引き取り出来ません」というのは阿呆のやることである。条件付きは、すべてをパーにするからである。
当社の提案はすべて通り、その月から売上は急増し、値引きや値下げの要求も軽くなった。1年後には、伸びない店で売上30%増、最高50%増になったのである。
返品は3年間に及び、総額数億円だったが、これは売上増大でカバーができ、返品は売れるまで値引きして処分し、その売上は資金繰りを助け、金利負担減ということになったのである。
セキやんコメント: 当社の商品を買っていただき売って下さる先こそが、ありがたい協力者なのである。自社商品を売るのはあくまでも自分であるが、それを手助けしてくれるのが卸売業者さんの販売網であり小売業者さんの売場である。だから、販売網使用料や売場借用料をお支払いするのは、当然なのだ。
「経営の腑」第52号<通算 第367号>(2012年6月8日)
収益性の判定はどうするのか 一倉定著「増収増益戦略」(社長学シリーズ第5巻)より
「単位当たりの原価」という考え方をすると、すべての場合に間違ってしまうことは、いままでの説明でお分かりいただけたと思う。会社全体で変わらない原価を、単位当たりに割掛けるのだから、単位当たりの割掛金額が、数量によって違ってくるからだ。だから「単位当たり原価」という考え方は、きれいさっぱりと捨て去らなければならない。
「原価がつかめないのではどうにもならないのではないか」という心配は無用である。つかめないのは「単位当たりの原価」であって、「会社全体の原価」はつかめるのである。そしてその原価は、設備を増やす、又は減らす、人員を増加する、又は減らす、というような何らかの変動がない限り、売上高が変わろうと、商品構成が変わろうと、そんなことに関係なく常に一定である。(むろん、ある幅でのバラツキはあるが)
原価が変わらないのだから、利益を増大させるには収益を増やせばよい。これは個人の家計でも「生活費は変わらないのだから、収入を増やせば貯金が多くできる」と考えるのと全く同じである。
原価に焦点を合わせず、収益に焦点を合わせる
というのが正しい考え方であり、これ以外には方法がないのである。
収益と損益の関係をみると、
収益<費用……赤字
収益=費用……損益トントン
収益>費用……利益
となる。だから「費用を上回る収益」と考えればよい。そして費用は分かっているのだから、そして変わらないのだから、ただ収益増大だけを考えればよいのである。
そこで、いよいよ収益をあげる考え方に移ろう。
幸いなことに、収益は商品一個当たりでつかめるのだ。そして、これは完全に数量に比例する。だから必要な収益をあげるには、
1.何をいくつ売ったらいいか
2.何と何をいくつ売ったらいいか
が事前の計算で簡単に分かる。さらに、
3.これだけしか売れないのだから、いくらの収益不足になる――それは損益が分かることでもある
4.売上高がこれだけあるのなら、収益はこれこれで、損益はこれこれであるというようなことが、自由自在に計算できるのである。
こうした考え方に立つと、社長の考え方が完全に前向きになる。これでこそ、社長の考え方と行動が正しいものになるのだ。
過去しか分からない原価計算の世界は、社長には全く無用なのである。
セキやんコメント: 原価計算は、既に使った経費実績をもとに過去の分析をする手段にすぎず、さらに製造部門ではどうしようもない間接部門の費用も製造原価に割掛けされる矛盾ももっている。極論すれば、マネジメント病患者にとってのオモチャの役目しかないから、経営者はこの罠に陥ってはならない。
「経営の腑」第53号<通算 第368号>(2012年6月22日)
環境整備の意味 一倉定著「新・社長の姿勢」(社長学シリーズ第9巻)より
環境整備というのは、規律・清潔・整頓・安全・衛生の5つである、というのが私の見解である。
このうち、安全と衛生は、規律・清潔・整頓を行えば自然に実現するし、その意味は誰でも分かっているので、この2つは省略することとする。
規律とは、
(1)決められたことは必ず守る
(2)命令や指図は必ず行われる
というのが正しい解釈であろう。
憲法・法律・条例などは、国や自治体で決めることである。ゲームにはルールがある。会社には、社規・社則というものがある。物をつくる時は、設計や仕様を守らなければならない。
人間の生活や活動、会社の仕事、ゲームに至るまで、必ず“きめごと”がある。これを守らなければ、社会生活も会社の活動も、うまくいかない。競技やゲームはルールがなければ実施できないのだ。守らなければ混乱が起こったり、事故が発生する危険がある。
だから、“きめごと”を守らなければならない、という何とも単純なことなのである。
“きめごと”がある以上、それが不都合であろうと、違背してはいけない。あくまでも、その通りやらなければならない。しかし、“きめごと”が不都合となってくれば、いつまでもそのままでは困るから“変更”をしなければならない。そうしたら、今度は変更されたことを守らなければならないのだ。
だから“きめごと”には良識が必要なのである。良識のない“きめごと”は社会的罪悪である。
命令や指図も同様、これが必ず行われなかったなら、これまた社会生活も、会社の経営もあったものではない。
「必ず行われること」については、命令や指図を受けた側に一方的な責任があるのではない。命令した側には、行わせる、行えるように指導する、正しく行われたかどうかをチェックする責任があるのだ。
とかく、「命令の出しっぱなし」ということがある。もしも行われないのに出しっぱなしでチェックも行わないというのでは、結果においては「命令しなかった」と同じことになってしまう。だからこそ、命令した側には、「行わせる」、「チェックする」という責任があることを忘れてはならないのである。
よく「いくら言ってもやらない」とボヤく上司がいるが、これは行わない方が悪いだけでなく、行わせない方に、より多くの非がある、と考えるのが上司としては正しい態度である。
(次号は、引き続き、清潔・整頓について記したい)
セキやんコメント: いわゆる5S活動は製造業はもとよりサービス業にまで広まっている。それなりに成果が出ているところもあるが、時間とともに元の木阿弥になるところも少なくない。その違いは、現象面だけに終始するか本質面にまで踏み込むかにある。その本質を表すのが規律である。まさに正鵠を射た氏の見解だ。
「経営の腑」第54号<通算 第369号>(2012年7月6日)
清潔とは、便秘や下痢を防ぐこと 一倉定著「新・社長の姿勢」(社長学シリーズ第9巻)より
清潔とは、
(1)いらないものを捨てる
(2)いるものを捨てない
というのが正しい解釈である。
単に掃除をしてキレイにする、ということではない。いくらキレイにしても、いらないものを捨てずにいるのでは、清潔ではないのである。
もったいない、といって捨てずにおくのは美徳のようであって美徳ではないのだ。いらないものに大切なスペースを占領されて仕事に差し支えるのは、愚行でしかないのだ。もったいない、といっていらない物を捨てずにいるのこそ、本当の意味でもったいないことをしていることになるのである。
清潔において、大きな盲点に気がつかない会社は数多い。その盲点とは、色のついた作業衣である。
なぜ、色のついた作業衣を着るのか、を考えていただきたい。それは、「汚れが目立たない」からではないか。汚れというのは“いらないもの”であり、不潔である。色のついた作業衣を着せること自体が「汚れて不潔なものを着ていてよろしい」という社長の無意識の意思表示であることを考えていただきたい。
汚れをきらう職業や職務――医師、看護婦、薬剤師、コック、板前などは、みな真っ白な上っ張りを着ているではないか。
私が最初に白い作業衣にお目にかかったのは、20数年前に、本田技研の協力工場にお手伝いにいった時である。
本田社長が、ある協力工場に出向いた時に、その工場では白の作業衣を着ていた。これを一目見た本田社長は、自らのウカツに気づき、直ちに本田技研だけでなく、全協力工場にまで白作業衣を着せたという話を聞いている。さすがに名経営者である。
(中略)
「いるものを捨てない」というのは、読んで字の如しだから省く。後始末や清掃の時に、これを面倒がらずに行うかどうかは、躾の問題である。端材・残材などは、現場の責任者が判定するとか、寸法や大きさの基準を定めて、それより小さなものは捨てるとかを決めておけばよい。
いらないものを捨てる、というのは人体に例えると“便秘”をしない、ということであり、いるものを捨てない、というのは“下痢”をしない、ということである。
便秘と下痢をしないということは、人体の健康のための基本条件である。同様に、職場においても便秘と下痢を防ぐということが健全な職場の基本条件である。人体と職場は全く同じ原理に基づいているのだ。
「職場の便秘と下痢を防ごう」というスローガンも面白いと思う。
(次号は、引き続き、整頓について記したい)
セキやんコメント: 職場の健全な姿を、人体の健康にたとえることで、ストンと腑に落ちる。まさに、一倉イズムの真骨頂である。さらに、色もので汚れを誤魔化そうというあさましさにも容赦がない。本質をおさえた正しい行いを推進するには、皮相的な付和雷同は禁物で、シンプルさこそ尊重されるべきなのだ。
「経営の腑」第55号<通算 第370号>(2012年7月20日)
整頓とは、片づけることではない 一倉定著「新・社長の姿勢」(社長学シリーズ第9巻)より
整頓とは、
(1)物の置き場所を決める
(2)置き場の管理責任者を決めて表示する
ことであって、“片づける”ことではない。片づけられたら仕事にならないのではないか。だから、「片づけろ」という指令は間違いである。
物の置き場所を決める時の留意点は、仕事に最も便利なような、ということである。
だから、工具などは工具箱にしまったりすると、取り出す時にガチャガチャとかき回すようになるから、必ず整理板(穴空きボードがよい)を使い、影絵を書いて工具名を書いておけば、新人にわざわざ教えなくともよい。
机の上の書類立てに、たくさんの書類を並べておくのは、どこの職場でも見られる光景だが、あれは、ごくまれにしか使わないものが殆んどだから、別のところに保管して、終業後は机の上には何もない、というようにすべきである。
その他、引き出しの中、棚、車のダッシュボードやトランクの中などまで、いらないものを捨て、置き方を決めると、全く見違えるようにキチンとした職場になってしまう。
消火器は、イザという時を考えて、必ず取り出し易い場所に置かなければならないし、取り出す時にジャマになるような物は置かないようにしなければならない。これが案外できていないのを、私は知っている。
置き場と管理責任者の表示板は、大、中、小と三種くらいつくり、全社で同じものを使うべきである。
大、中、小をタテとヨコに使えば六通りの使い方ができる。
その他、法律で決められた危険物、注意箇所などは、必ず法律に従って表示や防護法をとるのはいうまでもない。
私は、掃除用具の置き場所と表示ができた時に、及第点をつけることにしている。
セキやんコメント: お釈迦様は、ひとつとしてものを覚えられないシュリハンドクに「塵を払わん、垢を除かん」という言葉を与えた。彼はこの言葉を繰り返しながら、黙々と掃除をすることで、誰にも負けない「悟り」を啓いた。無心で掃除するうちに、心の塵や垢も取り去ることができるのは、万人共通だ。ここまで徹底すると、品質や能率も飛躍的に上がる。そして、いわゆるオーラが出て、お客様が増えるのが必然となる。