「経営の腑」第91号<通算 第406号>(2013年12月6日)
原価計算は誤っているのではないか 一倉定著「増収増益戦略」(社長学シリーズ第5巻)より
たくさんの会社で原価計算を行なっている。「原価を正しくつかまなければ事業の経営を誤る」という社長の意図から出ているのには違いない。しかし、その意図が果たしてかなえられているのだろうか。
多くの場合に、その計算は伝統的な原価計算にもとづいて経理担当者が行なう。そこにはじき出された原価を見て、大部分の社長はこれを信用する以外にない。何か不審を感じて経理担当者に質問すると、理路整然たる説明に会って、一応は「そうか」と思う。それを反論する何等の根拠もないからだ。とはいえ、優れた社長は何かしら割り切れないものを感じる。しかし半信半疑ながらも、これに従うより外にないのである。
しかし、これらの原価計算を示されたそれぞれの部門は、「それはそうかも知れないが…」と反発する。実務の経験からして納得できない点が多すぎるからである。
F社では、新商品についての月次損益で、売れない月が黒字で、売れた月が赤字になって物議をかもした。これは、常識的にみて明らかにおかしいからだ。
N社では、商品別の原価計算をするようになってから、毎月の営業会議の主要議題は、乱高下する原価に集中し、営業部門と製造部門とのやり合いになってしまった。
T社では、部門に割掛けられる多額の費用について、その根拠の妥当性について、いつも経理部門ともめていた。自らの部門の活動とは関係のない管理部門や経理部門の増員を、なぜ自分の部門で負担しなければならないのか、という素朴ではあるが、もっともな疑問である。
S社では、工場で行なう原価計算では会社は赤字のはずなのに、経理で行なう決算では黒字であった。社長はどちらが正しいのかが分からずに閉口していた。
K社のある営業課長は「一倉さん、私の課では懸命になって売上を伸ばしていますが、売上を伸ばせば伸ばすほど共通費の割掛けが多くなります。反対に売上の少ない課に対する割掛けは少ないのです。こんな馬鹿なことはないと思うのですが」と私にボヤイていた。
G社の営業部門では「うちの製品原価は、市価よりも遥かに高い。損をせずに売れといわれても、そんなことは出来ない相談だ」と反発していた。
あとからあとからと、際限もなく発生する現業部門からの批判、反発、怒り、疑問は、いったい何を物語っているのだろうか。しかも、これらに対して、納得のいく説明がなされた例はないのである。もしも、原価計算が正しいのであれば、こんなにも多くのトラブルが怒るはずがないし、たとえ起こっても説明で納得させることができるのである。このように考えてくると、明らかに「原価計算それ自体が間違っている」と結論づけるより外に説明がつかないのである。
私自身、実務の中で、実務の感覚と喰い違いすぎる原価計算に疑問を持ち、十年余りも経理担当者とやり合ってきた。――そして、持ち前の反骨精神から、その疑問の解明に取り組んだのである。
そして、やっとのことでこの疑問を解くことができた。それと同時に、原価計算では不可能な前向きの計算もできるようになったのである。
それは、極めて簡単で分かりやすく、実務にはもってこいのものである。それだけでなく、事業の高度な戦略的決定に使えるものである。
セキやんコメント: 上記の集大成が一倉式賃率である。これは、前号まで連載した京セラの稲盛氏の「時間当り」の考え方と同じで、その本質は「付加価値由来の人時生産性」である。
「経営の腑」第92号<通算 第407号>(2013年12月20日)
クレームは宝の山 一倉定著「経営の思いがけないコツ」(社長学シリーズ第10巻)より
クレームは、事業経営には“つきもの”といっていい。そして、その処理を誤ると大変なことになり、誠意ある処置を取ると、会社の信用を思いがけないほど高められるものである。
しかし、このことを多くの会社では知らないのである。そのために、どれだけ会社の信用を落としているか分からない。それは想像を絶するものがある。
あるセールス関係の本に、「クレーム処理のような次元の低い事に大切な時間を浪費してはいけない」というあきれた暴論が載っているのを見たことがある。話にも何にもならないような阿呆が、世の中にはいるから注意しなければならない。
私は、たくさんの会社のクレーム処理の規定やらマニュアルやらを見ているが、クレームに関する正しい理解や、お客様に対する誠意など無いものが多いのは残念なことである。これに関する恐ろしい実例を紹介させていただく。
(中略:以下、「それは、私の責任範囲ではありません」と「明日は我が身かもしれない」の事例解説)
“クレーム”というのは、「お客様が満足していない状態」である。もしも、クレームをお客様が満足するような状態で解決できなかった場合には、お客様の信頼を失い、場合によったら取引停止となるかも知れない。逆に、お客様が満足のいく解決をした場合は、お客様の信頼感は格段に高まり、お客様とともに発展することができるのである。
私がコンサルタントとして、多くの会社を見て感じるのは、この“お客様の満足”という思想はほとんどゼロである。大企業とて例外ではない。いったい、事業経営者は何を考えているのか。自らの会社を立派にしたくないのか、と言いたくなるのである。
文句はこのくらいにして、クレームの正しい処理について考えてみよう。
クレームが発生した時に、真っ先にやらなければならないことは何だろうか。
それは、お客様のご不便を一刻も早く解決することであって、誰がクレームを発生させたかでもなければ、その原因を追及することでもない。これが企業人としての最も大切な心構えなのである。しかし、残念ながら、多くの企業でこの心構えが欠落している。落第企業が多すぎる。これでは、会社の繁栄はむずかしい。
すべてを放り出して、まずクレーム処理だけに全力を投入することである。これが、「すべての業務に最優先する」ということである。実態調査やクレーム対策会議などは、クレーム解決後に行なうものである。
このような態度に、お客様は「もう直ってしまったのか」「こんなに早く来てもらえるとは思わなかった」という感嘆の声をあげ、これが「あの会社は我社に好意を持っている」から「その会社は絶対に信頼できる」ということになってくるのである。そして、その可能性が最も高く、しかもそのチャンスが最も多いのは“クレーム処理”なのである。
セキやんコメント: 一倉は、「クレームはお客様の怒りの声で、我社の常識はお客様には通用しない」というJ社の方針を紹介している。それは、「お客様の立場になり、すべての業務に最優先し、誠意を尽くして素早く処理することが重要で、信用増大のチャンスということだ。つまり、処理にあたって費用・時間は一切無視する」ことが、お客様の信頼感を増大させるのだ。建前や掛声ではなく、行動と結果が重要なのだ。
「経営の腑」第93号<通算 第408号>(2014年1月3日)
社長の意図伝達と明文化 一倉定著「経営計画・資金運用」(社長学シリーズ第2巻)より
経営計画は、いうまでもなく“明文化”しなければならない。明文化しないものは経営計画ではない。
社長の意図を誤りなく社員に伝えることは、口で言っただけでは不可能である。ただ1回口で言っただけで社長の意図を理解させることなど、できるはずがない。だから、何回も同じことを言うことになる。ところが、そのつど多少とも表現が違うし、その時の状況も違う。同じことを何回も言っているうちに言い方がうまくなる。これを聞いた社員は、そのつど違った印象を受け、社長の言うことは恐ろしく一貫性に欠ける、と感じるのだ。
次に、社長から口頭できいたことは、恐らくは口頭で下部に伝わってゆく。そのたびに少しずつ変形し、時には逆の意味となって伝えられてゆく。これが混乱を引き起こすのである。
だから、意思伝達を正しく行うためには、必ず文書で行なわなければならないのである。
ましてや、企業経営にとって、基本となる経営計画を明文化しないという手はない。
社長は自らの考えを、自らの筆に託して明文化し、自ら社員によくよく説明して納得させ、協力を求めるべきである。これでこそ、会社は社長の意図にそって活動するのである。
ところが、現実の問題として、これを明文化することは容易なことではない。その第一は、社長自身の“表現力”の不足である。K社長は「私の頭の中には、いろいろ社員に言いたい事がいっぱい詰まっているのに、いざ話そうとすると、その百分の一も話せない」と私に述懐されたが、大方の社長がこんなものである。たくさんの社長に接している私は、社長族というのは、何と表現力の乏しい人種だろう、といつも思う。自分の考えを社員に伝えることができずに、どうやって社員を自分の意図通りに動かそうというのか、誠に不思議である。それを残念とも思わずに、「僕は口が下手だから」とすましているのだから、困ったものである。
口下手を直すことは、努力次第で決して不可能なことではない。それは“能弁”という意味ではなく、自分の意思を他人に理解させることができるようになる、という意味においてである。
その方法は、「自分の思っていることを書き表わす」ことである。それを、経営計画の“方針書”でやるのである。“書く”ということは自分の考えをまとめることだからである。
とはいえ、ただ書けばいいというものではない。ただ漫然と書くと、それは人を動かす力のないものになってしまう。世の多くの経営計画書を見ると、その殆どが「抽象論とスローガン」になっているのを見れば分る。
そこには、おのずから“書き方”というものがある。何を、どのような順序で、どのように、ということである。それは、後に“方針書”のところでふれることにする。
第二には、事業全体についての活動とその目標を示すための、経営計画書そのものを知らなければならない、ということである。これを知っている社長は殆んどいないといえる。殆んどの経営計画書は、「全く成っていない」としか言いようがない程、お粗末なものばかりである。
以上の二つは、何れも経営計画の樹立に関することである。苦労して経営計画をつくりあげれば、これ自体が立派な社長の意思表示である。面白いことに、この経営計画の発表会においては、どんな社長でも、最低1時間は熱弁をふるうのである。それまでは、10分か15分も話をすればネタ切れになってしまった社長がである。
セキやんコメント: 伝言ゲームの例を引くまでもなく、口頭伝達による情報は劣化する。従って、会社の憲法たる事業計画はしっかりと文書に示し、社員が迷わないようにしなければならない。さらに、できるだけ日常業務にメモを活用し、行き違いをなくして飛躍的に業務をスムーズにした名社長もいる。
「経営の腑」第94号<通算 第409号>(2014年1月17日)
供給体勢の整備、その2 一倉定著「市場戦略・市場戦争」(社長学シリーズ第8巻)より
供給力の絶対量を大きくすることこそ戦略である。これは、単に内製能力を大きくすることではない。内製、外注を合わせた供給力を大きくすることでなければならない。
社長として考えなければならない供給力の整備は、「現在の年商額の3倍」である。「そんなオーバーな」と思われるかも知れないが、そうではないのだ。
市場戦略の展開によって、20〜30%程度の売上げの伸びはしばしば起こる。これにピーク時を加えると、瞬間風速は2倍くらいになることはある。これで既に2倍である。さらに次の年以降を考えると、…(中略)
供給力3倍を目標に整備を始めるのはオーバーどころか、むしろ内輪でさえあるのだ。だからこそ私は事前に声を大にして社長を説くのだ。
私の勧めをすぐに実行に移した会社でさえ、殆どの場合に、供給力の増強が思うに任せず2〜3年後には供給力の不足を来すのである。それを何も考えずに作戦を進めたなら、1年も経たずに供給力の不足に悩まされることになるのだ。だからこそ、社長が自ら構想をたて、自ら推進しなければならないのである
これを単なる指令だけで任せた場合には、売上げの増大を賄うのが精いっぱいで、ほんの僅かでも供給余力が増えることさえ、まずは出来ないと思った方が良い。供給力増大に伴う様々な問題や制約を解決することは、どうしても社長が自らやらなければならないのだ。それほど難しく、そして重大なことなのである。
社長が行なうべき供給力整備は、まず目標を設定しなければならない。その目標は固定的なものではなく、「いつの場合にも現在の能力の3倍を目指す」というものである。今年の目標は、来年になったら売上げの伸びた分に相応して大きくなる、と考えなければならない。(中略)
外注工場は、大型ほどよい。(中略)
我社より大きな下請けを持つことこそ、市場戦略を後顧の憂い無く展開することができることを、よくよく認識していただきたいのである。(中略)本当の意味での外注とは、増産余力を最小限度でも50%は持っていなければならないのである。
さて、では流通業者としての供給力の増加をどう考えればいいのだろうか。
季節変動があまりない商品で、仕入先がシッカリしている場合には、あまり考える必要はないが、季節変動があり、しかも仕入先に中小業者が多い場合には他人事では済まされない。この場合には、市場戦略上の最重要懸案の一つとして、必ず社長自らがこれの解決にあたる必要がある。
その方法は極めて簡単である。「閑散期に仕入れておく」だけのことである。この簡単極まりないことが何故多くの会社でできないのだろうか。誠に不思議の一語に尽きる。
できない理由たるや、資金と金利の問題だけなのだから私にはどうしても解せないのである。これは“増分計算”をやってみればいかに有利であるか議論の余地などないほど大幅に収益が向上するからだ。(中略)それは、会計学にこうした思想がないから、ということである−いや実をいうと理論としてはあるのだが、会計学者は事業経営の実際を知らないために単なる理論としてあるだけで、これの発展も応用もできない、というのが本当のところである。
セキやんコメント: No.32「供給体勢の整備が先決」の再確認だ。在庫確保の重要性を戦(いくさ)にたとえれば「鉄砲を撃とうとした時」に「撃つタマが無ければ」まったく戦にならない、ということである。
「経営の腑」第95号<通算 第410号>(2014年1月31日)
まず現在の事業を見直せ 一倉定著「新事業・新商品開発」(社長学シリーズ第4巻)より
世に多くの社長は、いったん何かの事業を始めると、それが低業績であっても、何とか赤字にならずに済んでいると、その事業を再検討して直すことをあまりやらない。ましてや先の例のように、それが事業の一部である場合には、それ自身が赤字であっても、他の事業で支えてくれている場合などは、「あまり売れない」程度の関心で終り、規模拡大や店舗増設のようなことばかり考えてしまうのである。
このような考え方は、高度成長時代の考え方であって、一歩間違うと会社をピンチに追い込む危険が大きい。低成長時代には、拡大よりも内容の充実が先である。低成長という厳しい環境では、水ぶくれ的な企業や、大きな欠陥を持った会社は、生き残ることが難しいのである。
いたずらな拡大の夢や、新事業は後回しにして、まず我社の事業の再点検こそ必要なのである。これは、新事業をやってはいけないということではない。「まず足許を固めなければならない。その上で新事業を考えよ」という意味なのである。
私のぶつかる赤字会社の例をみても、韓国製品に押されてどうにもならない不採算製品を捨てるどころか、作業改善の研究をしているK社。限界商品を単なる惰性だけで抱えているL社。金額が大きいという理由だけで話しにならない低収益事業に期待を寄せているY社。手を広げ過ぎてどうにも始末のつかない多品種を抱え込んで動きのとれないM社。得意先構成で一社への依存度が高すぎるN社。全くの単品しか持っていないP社、などなど。あげていけばまだまだたくさんある。
それらの会社に共通する社長の態度は、「困った」というだけで、何の手も打っていないということである。本当のところは分からないのではあるが……。だからこそ、私のところへ相談に来るわけである。そして、その、どうしていいか分からない社長は、申し合わせたように“穴熊社長”であるのだ。穴熊である限り、いくら穴の中で考えても、何も出てこないのが当たり前である。
我社の事業をどうすべきかは、社長自らお客様のことろに出掛けて行って教えを乞う以外にないのである。
それをせずに、私のところへ相談に来ても、私としても答えようがない。一般論としてなら答えられるけれども、それはコンサルタントのやることではない。コンサルタントというのは、あくまでも実戦でのアドバイザーでなければならないというのが私の主義である。
このような時に、私は「外部の情報も、お客様の要望も、私に知らせてくれないのでは、判断の材料が何もないではないか。社長が外に出掛けて行き、そうした情報を集めて知らせて下さい。そうすれば、その情報を検討し、あなたの会社の体質と社長の性格に合った事業経営の在り方や方向づけをアドバイスしましょう」と申し上げるより他にないのである。
セキやんコメント: 穴熊社長がいったん覚醒し、顧客活動を始めた途端、お客様から多くの気づきや教えがもたらされる。こうなると、専門コンサルタントのアドバイスなど不要となる。だから、真のコンサルタントは、専門家ではなくお客様なのだ。