「経営の腑」第101号<通算416号>(2014年4月25日)
経営戦略とは 一倉定著「経営戦略」(社長学シリーズ第1巻:1975年刊)より
敵を見ずして敵を制するを戦略という(孫子)
孫子の戦略の定義を経営に当てはめてみると、それは「高収益型事業構造」のことである。しかも、「自然に高収益が上がるような」事業構造でなければならない。
事業は、永久に存続しなければならないという至上命令を背負っている。そのためには存続に必要な利益を確保しなければならない。
企業の活動は広範で多岐にわたる。それらの活動は、常に市場の変化に対応するための弾力性と機動力を持たなければならず、もしも変化に対応できなければ存続も難しくなる。
上のような要請に応えられる事業構造とはどんなものであろうか。それは、事業構造それ自体が効率的で、しかも柔軟なものでなければならない。詳しくは本文の中で述べることとして、どのような構造を持ったものだろうか、それは、
1.どんな市場、またはそんな市場の組み合わせにするか
2.どんな商品構成、どんなグレードとするか
3.どんな得意先構成とするか
4.どんな店舗展開をするか
5.どんな供給体制(内外作区分、仕入体勢)とするか
6.未来事業の推進体勢をどうするか
7.人員構成をどうするか
というようなものが主体となる。
そして、その活動、相互関連などは、必ず客観情勢の変化への対応がその基本認識でなければならない。社内の都合を優先したならば、お客様の要求を十分に満たすことができなくなり、企業は衰亡してゆくより外に道はないのである。数々の実例がこれを如実に教えてくれている。
企業の最高唯一の責任者である社長の“正しい姿勢”こそ企業繁栄の基本であることを忘れてはならないのである。
セキやんコメント: 一倉社長学では、社長に対し@構造志向、A外部志向、B未来志向の3要素を求める。この経営戦略の解説では「構造」の重要性を指摘している。そして、それには企業存続という「未来」の視点を持ち、そのためにお客様の要求という「外部」にこそヒントがあると続け、これこそが事業の本質という。具体的には、まずは上記本文の構成要素を網羅した事業計画を社長自らの手で策定することだ。
「経営の腑」第102号<通算417号>(2014年5月9日)
内部管理からの脱出 1 一倉定著「経営戦略」(社長学シリーズ第1巻:1975年刊)より
私の「社長ゼミ」は、もう25年続いている。セミナーの後に“相談の時間”を設けていたのだが、はじめて参加された社長からの相談というのは、この25年間に1千人を超すが、それらの社長の相談は、すべて“内部管理”に関することである。いかに内部管理について社長の悩みが多いかの実証がここにある。
これは、同時に、それらの社長には事業経営が全く分かっていない証拠でもある。それは、それらの社長がいままで勉強したことが内部管理のことばかりで、事業経営に関する勉強は全くと言っていい程していないし、受けていないのだ。だから、内部管理が事業の経営であると思い込んでしまっているのである。
目標管理華やかし頃である。ある会合で、数人のコンサルタントと一緒になったことがある。控室での雑談の中で、電電公社の経営相談室だか指導室だか忘れたが、日本でも超一流といわれたコンサルタントがいて、この人は熱心な目標管理の指導者であった。
その人が盛んに目標管理の素晴らしさを話していた。いわく、「目標は公正で納得のいくものでなければならない」「目標はノルマではない」「上から押し付けるのではなく、各人の自発的意志にもとづいている」「上下のコミュニケーションによる良好な人間関係醸成の過程から目標が設定される」「目標は各人の能力に応じたものでなければならない」式のものである。
私は、その人の話の切れ目に「電電公社はつぶれないからなあ」と半分は一人言のような発言をした。その人は顔色を変えて黙ってしまった。その後この人は目標管理の話しは一切しなくなってしまった。自らの誤りに気がついたのは立派である。(セキやん注:顧客からの売上が無ければ潰れる中小企業とは違い、大組織では顧客への関心は無くても自動的に給料がもらえる(と思い込んでいる)故の独りよがりが内部管理)
「社長の設定した目標と自主的に設定した目標が食い違うが、どうしたらよいか」「目標を達成したが赤字になってしまった」「ミスを許せというが、小さなミスでも許されないのだ」というような質問が、当時、私のところに殺到したのである。私は「目標管理は会社をつぶします」と答えることにしていた。
目標管理というのは、シューレの“結果の割付けによる管理”という著書を、勝手に美化し拡大してもっともらしく見せかけたものにすぎない。
シューレはその著書の中で「職長は…」という言葉を使っていて、「管理職は…」「経営者は…」という言葉は一切使っていない。それどころか、その本の中には「私は管理職については全く興味を持っていない」ということを明言しているのだ。つまり職長のためのものを、勝手にひねくりまわしているだけなのだ。(中略)
内部管理が経営学と思い違いを起こしてしまったのは、もとをたどっていくと、テーラーの時間研究・作業研究による。これは当時の賃金制度の非科学性を、科学的な出来高払賃金に変えるべきだというテーラーの思想にもとづくもので、公平な賃金を決めるために時間や作業の研究が必要だったからである。(中略)
これは「経営における人間関係」という著作となって発表され、人間関係ブームとなり、カウンセラー、システム、モラル、サーベイ、X理論Y理論と様々な人間関係論が生まれた。
これらの人間関係論は、アメリカにおいてはあくまでも“ブルーカラーのみに限定”されていたが、日本では経営の決め手のような過剰反応を巻き起こし、悪影響を及ぼすことが少なくない。
セキやんコメント: コーチングやら何やら、今ますます舶来の技法に対する過剰反応がはびこっているが、片腹痛い。たとえばこれは、古来我が国では当然とされた、相手を慮った「傾聴」や「斟酌」に過ぎない。
「経営の腑」第103号<通算418号>(2014年5月23日)
内部管理からの脱出 2(原価計算の害毒) 一倉定著「経営戦略」(社長学シリーズ第1巻:1975年刊)より
次は原価計算の害毒である。企業経営の実態を知らない学者が、自らの持っている観念論によって作り上げた空理空論の固まりであって、企業経営にとって最も重要なものは収益(付加価値つまり粗利益)であることに思い及ばすに、費用に焦点を合わせてしまったという根本的な誤りをおかしてしまっている。
その費用についても、企業経営全体に関するものは全くなく、すべて“原単位”に焦点を合わせただけでなく、外部から仕入れた価値と内部で発生する費用の特性さえも分からずに、クソもミソも一緒にして考えてしまっている。
そして、「すべての費用は製品に配賦されて補償されなければならない」という大錯誤をおかしてしまい、企業全体に計り知れない害と大混乱を巻き起こしているのである。
しかも、その害毒には企業人といえども、ごくごく少数の人がその大錯誤を知るだけで、殆どの人は全くこれに気がつかないのである。それは、企業の知らない間に、企業を倒産に追い込んでいるのである。(一倉自身がかつて勤めていた会社の倒産がその実例)
それにもかかわらず、会計学者も企業もこれに気がつかないという恐ろしいものである。
とはいえ、法律で決められた企業会計原則がその原価方式をとっているという厄介極まるものである。
これに対する道は、外部報告(税務署、銀行、株主)には企業会計原則を使い、事業経営には正しい計算方式をとり、これを使って未来指向のための実践的な数字を使わなければならないということになる。これは、直接原価計算(ダイレクト・コスティング)の方式を使って、収益計算を行ない、これを事業経営の要請に従って組み上げてゆくものである。(これについては「増収・増益戦略」で述べる)
しかし、この方式は一般化していない。世は“全部原価”の天下である。
全部原価計算方式のもう一つの罪悪は「原価は安い方がよい」という考え方を広く植え付けてしまい、これが正しいい事業経営に無視できない障害となっているのである。
セキやんコメント: 今から約40年前の著書で指摘されているにもかかわらず、いまだ経営シーンでは原価計算の害毒が納まる兆しはない。誠に残念なことだが、逆にこれが分かった経営者は「何をやるべきか」が明確になり、いままでの「闇雲に刀を振りまわす」状態から脱皮し、好業績へと舵を切ることになるのだ。
「経営の腑」第104号<通算419号>(2014年6月6日)
内部管理からの脱出 3(組織論) 一倉定著「経営戦略」(社長学シリーズ第1巻:1975年刊)より
次は組織論である。組織論は、経営学の中核的な存在になっている。
ところが、企業の経営に奉仕する筈の組織は、実はその反対に重大な障害となっている。
組織というものは、いったん出来上がると、奉仕すべき対象よりも組織それ自体の存続の方が常に優先するという危険をはらんでいるからである。(臨調に対する官僚の反対がこれ)
企業組織は、産業革命によって企業の誕生と同時に生まれた。しかし、それをどう管理していいか分からなかった。
そこで、人類が昔から持っている組織――役所、軍隊、宗教団体、学校の組織理論をお手本として作られた。これが大きな誤りだったのである。
これらの組織には“市場”がない。だから、管理といえば内部だけを対象としている。そして、組織存続という至上命令を実現するには、“変化”を阻止しなければならない。変化は組織のピンチや指導者の失脚をもたらす危険があるからだ。“変化を阻止する”という特性こそ、これらの組織の特性なのである。
ところが、企業には“市場”がある。いや、市場の要求を満たすために企業が生まれたのである。
市場というものは絶えず変化する。当然のこととして企業はその変化に合わせて自らを変えていかなければならない。市場の変化に対応できなければ企業はつぶれてしまう。
全部原価計算方式のもう一つの罪悪は「原価は安い方がよい」という考え方を広く植え付けてしまい、これが正しいい事業経営に無視できない障害となっているのである。
当然のこととして、企業組織は変化に対応するという特性を持たなければならない。
さあ、大変。変化に対応しなければ生きられない企業に、変化を阻止するという特性を持った組織理論を導入してしまったのである。
企業組織がうまく機能しない根本原因がここにあるのだ。ムリに機能させようとすると、企業の要請から外れてしまうのである。
では、どうしたらいいかということになる。何がどうなっていようと、企業をつぶすわけにはいかない。といった組織を無視するわけにはいかない。
この問題の解決は、まず正しい組織理論を持つことから始める。その理論は、従来の伝統的な組織理論を百八十度ひっくり返せばよい。
いわく「責任の範囲は明確にしてはならない」「仕事の分担は、その境目を明確にしてはならない」というようにするのだ。これは、かつての松下電器の指導方針である。今はどうなっているか知らない。
複数の部門に関係するプロジェクトは、横断的なプロジェクトチームを組織する。
仕事の繁閑に応じて、お互いに応援し合う。というように、いくらでもある。
要は方針の問題であり、指導であり、そして知恵の分野である。事業の目標に焦点を合わせた(実はこれが極めて難しい)柔軟な頭脳の問題である。
頭の固い観念論者は、日本とは全く違う事情にもとづくアメリカの組織管理論をふり回したがるが、借り物はやめた方がよい。
筆者は「変化に対応する組織論」を(「内部体勢の確立」で述べている)持っているのである。
セキやんコメント: 一倉は、お客様の要求を満たすのが企業本来のつとめで、お客様の都合だけを考えて行動するのが企業本来の姿という。だから、企業組織では社内は混乱するものだと割り切れば良い。
「経営の腑」第105号<通算420号>(2014年6月20日)
内部管理からの脱出 4(コンピューターの害毒) 一倉定著「経営戦略」(社長学シリーズ第1巻:1975年刊)より
内部管理で無視できないのが、コンピューターの流す害毒である。
ここで断っておきたいのは「一倉はコンピューター反対論者である」ということを言われるが、私はコンピューター否定論者ではない。
コンピューターの特質を知らない多くの社長が、誤った使い方をして企業の業績を落としてゆく姿を多く見過ぎているというところから来る警告が否定論者ととられるだけである。「コンピューターによる経営」「コンピューターによる戦略的決定」なんて全く間違ったことを言うから、「そんなことはできない」というだけである。
私は、多くの会社でコンピューターのデータを使って戦略的な決定をしたことは一度もない。ないというより「出来ない」のである。
そもそも、コンピューターというのは、ソロバンとメモ用紙と鉛筆と複写機を組み合わせたものにしか過ぎない。ただべラボ-にスピードが速いというにしかすぎないのだ。原理は完全な理論の産物なので“足し算”しかできない。引き算も掛算も割算も、すべて足し算で行う。“9×9=81”という計算はできないのだ。9を9回足して答えを出す。これを数学的白痴という。
また、断面データは取れても、時系列データはとれない。厳密な意味では、とれなくもないが、煩わしくて実用にならないのである。
戦略的情報は時系列データでなければダメなのだ。断面データしかとれないコンピューターが戦略的決定に使えないわけがここにある。
さらに、量的な情報はとれても、質的情報はとれない。質的情報は数量化出来ないからだ。企業にとっては数量化できない質的情報の方が遥かに重要なのに、である。これもコンピューターの大きな弱点である。
このような様々な欠陥があるのに、その欠陥を知らずに万能のように思い込み、膨大な資金をつぎ込んで配送センターのコンピューター処理システムを導入し、ラックシステムとのアンバランスによって、かえって処理能力を落とし、業績を大幅に低下させ、中には倒産に追い込まれた会社さえある。
また、POSの導入は、売れ切れによる売り損ないの情報はPOSでは把えるることができないことを忘れて売上げを大幅に低下させてしまった。ある食品メーカーは、取引先でPOSを導入した途端に売上減少を起こすので、「納入先のスーパーでPOSを導入しないように祈るしかありません」と私に語るのである。
これは、POS以前にコンピューターを使用していながら、これが殆んど何の役にも立っていなかったことを同時に物語っている。無用の長物である。もしも、これがうまくいっていれば、POSなんか導入する必要がないからだ。
コンピューターは、技術計算、CAD、CAM、CG、などでは威力を発揮しているが、仕事の管理には殆んど役に立っていないのである。
毎日コンピューターから吐き出される情報の殆どは役に立たず、紙屑製造機になっているのである。
これらは、コンピューターが悪いのではなくて、間違った使い方をしている人間の側にすべて責任がある。
高額の費用を要するコンピューターの使用は、根本的に見直さなければならないのである。
セキやんコメント: この世界では人間を超えるロボットの出現まで取り沙汰されるが、あくまでも人間が使うという本質を外してはならない。原発のように、決して制御不能に陥いる愚を繰り返してはならない。