「経営の腑」第111号<通算426号>(2014年9月12日)
限界企業でなくとも危険はある 一倉定著「増収増益戦略」(社長学シリーズ第8巻:1985年刊)より
限界企業の持っている危険は外部――つまり市場――にあるのに対して、限界企業でない企業の危険は内部――自らの会社の中――にある場合が多い。
占有率が大きくなって独占的になると、その占有率の上にアグラをかいて内部から腐敗してゆくおそれがある。何よりも恐ろしいのは“お客様無視”である。
新商品、新技術の開発を怠ったり、お客様をお客様と思わなくなってサービスが低下するというようなことになる。お客様はシャクにさわっても他社が弱すぎるために、これに乗り換えるわけにもいかず、不満を持ちながらも買わなければならない、というようになっている。こういう状態のときに、もしもお客様の要求をよく満たす会社が現れると、「待ってました」とばかり鞍替えされてしまうのである。
私が限界的企業をお手伝いする時、あるいは新規テリトリーに参入しようとする場合には、必ず大手の弱点を研究してもらい、これを衝くことにしている。商品の性能、品質、配送、メンテナンス、クレーム処理などに欠陥が起こり易いことを私は知っているからである。そして、そこを衝くと意外な程効果があることもある。
大手で何よりも恐ろしいのは、この優位性が長く続くと思い込んで状況の変化に気付かないことである。先に述べた武田勝頼が精鋭な騎馬隊に頼って鉄砲を忘れて亡びてしまったのはこの好例である。
太平洋戦争後の三白景気の波にのって隆盛を誇った日東化学は、硫安(硫酸アンモニウム――窒素肥料)の好調が継続するものと思い込んで、硫安が低収益化する時がくることなど考えずに代替製品の開発を怠り、空中窒素固定法による安価硫安の出現により業績は急速に悪化し、ついに倒産してしまったのである。
アメリカの自動車業界が世界一の座を日本に奪われてしまったのは、石油ショックにより、お客様が燃料消費量の少ない車を望んでいたのに、自らの強大さに驕り、眼前の利益のみを追って大型車に重点をおき、小型車の開発を怠ったためにお客様にソッポを向かれてしまったからである。
それを日本車のせいにするのは逆恨みである。しかも救われないのは、ガソリンが少しばかり値下がりすると、たちまち小型車の生産から力を抜いて大型車に重点を移している。それが将来必ず自らの会社にハネ返ってくる時が来ることを考えないのであろうか。
如何に強大な会社といえどもお客様に命令を下すことはできないのである。そのことを忘れたアメリカの自動車業界の驕慢ぶりを他山の石としなければならないのである。
セキやんコメント: 事業経営の不振の多くは、顧客の要求を忘れ、顧客を置き去りにすることから来る。目の前の顧客を忘れ、古き良き時代に繁盛した頃を懐かしむだけの地場大手や老舗が、その代表格だ。いわゆる殿様商売のゆでガエル状態では、いかに人のよい買い手でもいつかは愛想を尽かしてしまう。
「経営の腑」第112号<通算427号>(2014年9月26日)
資金とは 一倉定著「経営計画・資金運用」(社長学シリーズ第2巻:1976年刊)より
資金資金とはいうけれど、資金とはいったい何をさすのだろうか。
資金には、いろいろ難しい学問的な定義づけがあり、狭義の資金とか広義の資金とか、ややこしくていけない。そのようなことは閑を持て余す先生方に任せて、社長は実践的に考えればいい。
事業の経営には“資本”つまり“もとで”が必要である。その資本は二種類あるのだ。
それは、“非現金資本”と“現金資本”の二つである。非現金資本は、固定資産がその代表である。そして、資金というのは現金資本である、と考えればいいのである。
事業活動は“取引”によって成り立つ。その取引は、最後には現金によって決済される。決済のための現金が不足し、支払手形を落とせなければ、その瞬間に会社はつぶれる。その意味では、損益よりも重要なものが現金、つまり資金なのだ。
その大切な資金がどうなっているのか、どうなるのかということになると、のらりくらりとして全くつかみにくいのである。
というのは、資金は単なる現金収支という単純な動きではないからだ。たえず現金以外のものに姿を変え、現金以外のものから現金に姿を変える。その、のらりくらり現金は損益勘定の現金収支もあれば、損益勘定以外の現金収支もある。だから、儲かっているから資金繰りが楽というわけにもいかず、赤字でも資金繰りがそれほど苦しくない場合もある。実例で考えてみよう。
(中略:業績が突然好転して資金繰りに苦慮した例を2事例記載)
資金のややこしさと難しさは、以上の例でもお分かりいただけると思う。しかし、資金の実態を知っていれば、それ程ややこしいものでもなければ、つかみどころのないものでもないのだ。資金の実態を知る限り、資金についての難しさは、“赤字”以外にはないのである。赤字だけは、それがある限度を越してしまえば、どうにもならないものなのである。
それなるが故に、資金運用といい、資金繰りといっても、それをうまくこなす大前提は、“利益”であることを忘れてはならないのである。
セキやんコメント: よく「勘定合って、銭足らず」といわれるが、これは心配無用だ。なぜなら、一時的に決済資金を借りれば済むからである。貸すことによって利ザヤを稼ぎ飯を食っている貸し手側の最大の関心は「返してくれるかどうか」にあるから、間違いなく返済できる事業者に貸すのは、単なる日常業務なのだ。
「経営の腑」第113号<通算428号>(2014年10月10日)
問題解決型社長から脱出せよ 一倉定著「内部体勢確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
「忙しくて、どうにもならない」「どうして、こんなに雑用が多いのだろう」「問題の解決に追いまくられて何もできない。一つ問題を解決すると、もう次の問題が待っている」
こういうのを“問題解決型社長”という。納期遅れに振り回され、生産の遅延対策に頭を突っ込み、不良品の発生原因をさぐり、そのくせ対策は無し、売上不振にハッパをかけ、益率低下に悩み、在庫増大にトンチンカンな指令を出し、そして資金繰りに追われる。管理職からは下らない相談をかけられるだけでなく、いつも人員不足と人材不足の言い訳を聞かされて管理職の肩代わりをさせられている。その合間に電話の応対と来客の相手をつとめさせられる。ワンさと来る書類に目を通す暇もない。その書類の整理など思いも及ばず、後になって必要な時に、すぐに取り出せない。名刺の整理などとてもできない。そして“会議”また“会議”で大きく時間を喰われる。終日の悪戦苦闘で、気がついてみたら日が暮れていた、というような毎日である。
これではお客様のところへ行くなど思いも及ばず、クレーム処理は社員任せで、お詫びの電話さえかけられない。メーンバンクには何カ月も顔を出さず、すべては経理担当者まかせ、そこでハンコは経理にあずけっ放し、これがいつ、会社がひっくりかえるような事態をひき起こすかも知れない危険にも無関心とあっては、肌に粟が生ずる気持である。
そのくせ、「うちの役員は経営者としての自覚が足りない」とか、「うちの部課長は一人として満足に仕事ができるやつはいない」というような部下の批判や不満は人一倍持っている。部下をいくら批判しても、事態を変えることは不可能なのだ。そして、部下を批判することは社長として全く間違った態度である。
こうなってしまったら、会社はもう“指導者なき集団”と化してしまい、業績の向上どころか、生き残ることさえできなくなってしまうのである。
では、どうしたら社長が日常の仕事から解放されて、本当の意味での事業経営のための時間を生み出せるのだろうか。
そのためには、次の二つのことを行なう必要がある。(次号に続く)
セキやんコメント: 社長は「結果責任」だ。一方、社員には「行為責任」がある。社長が動くこと自体で「仕事」をしたつもりになるのはお門違いもいいところだ。社長の仕事は、あくまでも「結果」を出すことだということを忘れてはならない。だから、社員と同じような日常業務に決して埋没してはならないのだ。
「経営の腑」第114号<通算429号>(2014年10月24日)
経営計画書を作成する 一倉定著「内部体勢確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
まず第一は、“経営計画書”を作成することである。この計画書の中に、方針書として社長の姿勢と事業経営の方向づけを明確にすることである。これが指導理念として繰り返し繰り返し社員に強調されなければならない。
M社の専務(実質的には社長)曰く、「先生、うちの社員は僕の方針通り動いてくれるようになりました。お蔭様で業績は順調です。方針書というのは素晴らしいものですね」と。
方針書は、経営計画の魂となるものであることは社長学シリーズ第2巻「経営計画・資金運用」篇で述べた通りである。
M社の方針書は、レポート用紙で六冊にもおよび、これを三冊にあえて縮めたものである。およそ三万字である。これだけでも、いかに大変な努力であるかがお分かりいただけると思う。方針書の徹底法は次の通りである。
M社はスーパーであり、スーパーの泣き所は午前中にお客様が非常に少ない、ということである。この泣き所を逆に利用して、この方針書を徹底させる時間としたのである。M専務は、毎日一店舗ずつこの時間を使って自ら方針書の説明を行なったのである。
これまた大変な努力である。M社の社員は同じことを何十回も繰り返し繰り返し聞かされているのである。だからこそ、M社の社員は専務の方針通り働くのである。
「うちの社員は、僕の思うように動いてくれない」とボヤク前に、このM専務だけの努力をしているかどうかを反省して貰いたいのである。社長の思うように動かない社員が悪いのではなくて、方針を社員が理解し実行するまで何十回でも繰り返すことなのである。
K社にお伺いした時に、社長のボヤキというのは、二人の常務に対するものであった。私はK社長に申し上げた。「それは両常務が悪いのではない。あなた自身の考えを、方針書に明文化していないではないか。両常務のことを批判する前に、社長がやるべきことをやることだ」と。
私の勧告により、経営計画書がつくられ、その中に明示された方針の徹底が行なわれた。
数カ月後に社長曰く、「先生、私は失業してしまいました。両常務が実によくやってくれますので」と。私は「失業中の社長が何をやっているか当ててみましょうか。会社の将来のことを考えていますね」と。K社長の返答は「その通りです。こんなに嬉しいことはありません」というものであった。(次号に続く)
セキやんコメント: 方針書を含め経営計画書は、作っただけでは全く意味がなく、実行することが目的だ。実行するにはトップの意図を浸透させる必要があり、それには「繰り返し」が欠かせない。朝礼・会議・筆写・試験などあらゆる機会をとらえて徹底して、結果を出すまで繰り返すことだ。
「経営の腑」第115号<通算430号>(2014年11月7日)
個別問題に頭を突っ込まない 一倉定著「内部体勢確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
第二には、個々の活動や問題解決に、頭を突っ込まないことである。これをやるから他のことが見えもしなければ、できもしないということになってしまう。社長が一つのことに頭を突っ込んだら終わりである。それは社員のやることだ。社員は個々の活動を方針通りにそってやればそれでよいが、社長の仕事は事業の経営なのだ。それを誤りなくやるためのまず第一の条件は、常に市場を眺め、わが社全体を市場の要求に応える方向にもってゆくことである。
社長が個々のことに頭を突っ込まないようにするためには、次のことを実行すればよい。
その一は、プロジェクト計画書の作成である。方針書に盛られた一つ一つの施策に対して必ずプロジェクト計画書をつくらなければならない。もしも、プロジェクト計画書をつくらなくてもよいような施策があるとしたならば、それは方針書に載せるのに値しない次元の低いものである。
プロジェクト計画書は必ずチェックしなければならない。これを怠ると施策が行なわれなくなる危険がある。この危険を回避するチェックを、どうやって行なったらいいかについては、次の節の「社長は秘書を持て」のところで説明することにする。なにしろ、社長は一週間に一回しか会社にいる時がない人種だから、下手をするとチェックができなくなるおそれがあるからだ。
その二は、“基準”をつくることである。この基準は、活動の拠り所となる基準と、活動のやり方の基準である。
活動の拠り所になる基準として最も大切なのは、“価格基準”と“在庫基準”と“品質基準”である。これらの基準は、これが無いための混乱のみでなく、基準自体が実情に合わなかったり、ズサンなものであるための混乱が意外と大きいことを知らなくてはならない。この混乱に社長が巻き込まれて大切な“持ち時間”を喰われるのである。
活動のやり方の基準は、どこの会社でも殆んどできていない。これが会社の中で日常業務についての果てしない混乱を引き起こしていることを、多くの社長は気がついていないのである。これについては、後に詳しく触れることとする。
以上のことを実行すると、トラブルの殆んどは発生しなくなる。
これは、私が実務の経験を通じて痛感させられたことである。私は、たくさんの会社を渡り歩いた不良社員であったが、どこの会社でも、いつも一番混乱している部門に廻された。その混乱を治めた方法は、いつの場合にも、“基準”をつくることだったのである。だからこそ、私は確信を持って言い切れるのである。
セキやんコメント: 一倉氏は「環境整備」の推奨者としても知られているが、その環境整備の大本は“規律”にあるとしている。規律の定義は「決められたことは必ず守る」と「命令や指図(そしてチェック)は必ず行われる」としており、とりもなおさず事業活動の拠り所として「基準」が不可欠であることを繰り返し説いている。