「経営の腑」第121号<通算436号>(2015年1月30日)
世の中になかったものは売りにくい 一倉定著「新事業・新商品開発」(社長学シリーズ第4巻:1978年刊)より
人々は、新商品を口にする時には、申し合わせたように“アイデア商品”という。アイデア商品でなければ新商品ではないような口ぶりである。
そこにあるのは、「アイデア商品は必ず売れる」という神話らしい。すでに世の中にあるものは、先発事業者が喰い荒してしまっているからダメだ。だから“創業者利潤”を手に入れるためには、どうしてもアイデア商品でなければならない、ということらしい。
そこには、顧客の要求や流通業者の立場などは、爪のアカほども考えられてはいない。あるのは、“天動説”から生れる単細胞的思考――「アイデア商品は必ず売れる」――以外の何物でもないのである。
(中略)
新商品新事業というものは、顧客の要求を満たすものでなくてはならないのである。そのための基本的な態度は、市場と顧客に対する不断の注意深い“洞察”と、真摯に顧客の意見を聞く“耳”と、顧客の潜在する要求を見つけだす“洞察力”などである。
顧客の要求を正しく捉えれば、あとは必然的に“どのような商品”あるいは“事業”を開発したらいいかが決まってくるのである。
この辺で、「世の中になかったもの」に対する結論を出そう。
いままで世の中になかった商品には、市場がない。
消費者やエンドユーザーは、その商品のあることを知らない。販売実績のない商品は流通業者は扱いたがらない、という全くゼロの状態から出発しなければならない。
だから、何もかも初めから一つ一つ作り上げていかなければならないのだ。そこには、多くの時間と多額の費用がかかるのである。
だから、私は、余程の時間的な余裕と、投入できる資金がない限り、中小企業では「世の中になかったもの」「アイデア商品」には取り組むべきではない、という意見をもっている。
だからといって、絶対に取り組んではいけないということではない。立派に成功している商品も事業も数多くあるのだ。
ただ、以上のことをよく認識した上で、腰を据えて取り組むべきだといいたいのである。不用意に走り出すことは絶対に慎まなければならないのである。そして、早急に成果を期待せず、長期的な育成を図ることが肝腎なのである。これが成功へ導く秘訣であるといえよう。
セキやんコメント: 説明に労力がかかる「世の中にないもの」ではなく、むしろ「今あるものの欠陥を見つけ出せ」と一倉は勧めている。それには、やはり市場と顧客に対する「洞察」が不可欠だ。事業経営の答えは、すべて顧客のところにあることを肝に銘じて欲しい。
「経営の腑」第122号<通算437号>(2015年2月13日)
細分化ということ 一倉定著「市場戦略・市場戦争」(社長学シリーズ第8巻:1985年刊)より
市場占有率について述べてきたが、いったい「何を対象としての占有率なのか」という疑問が生まれてくることと思う。「うちはいくつもの業界にまたがっているが、業界によって占有率が違う。我社の占有率とはどういう意味なのか」ということになる。この疑問にまずお答えしておかなければならない。
占有率という場合には、それは必ず“業界の占有率”という意味だということである。その“業界”という言葉が略されているのである。
「その業界の占有率といっても、それは全国を対象としているのか都道府県別なのか」、「うちは様々な商品をもっているが、商品によって占有率が違う。これはどう考えたらいいのか」、「問屋業としては同業界だが、相手はデパートに強く、我社はスーパーを主体としている。この場合に占有率はどう考えたらいいか」ということになる。
そこで、占有率の考え方を整理する必要がある。“占有率細分化表”をご覧願いたい。これは市場を地域別と商品別に細分化したものだ。(横軸に地域、縦軸に商品を配したマトリクス)
このように市場を細分化して考えることが絶対に必要である。というのは、どんな会社でも地域別・商品別に占有率は大きく違う。占有率が違えば戦略を変えなければならないからである。占有率の原理というのは、あくまでも細分化された市場の占有率に対して働くのだ。
全国占有率で8%なら限界企業にしか過ぎないけれども、A地域の占有率が25%なら、A地域においては「不安定な一流」ということになる。
さらに、A地域を仮に「A1」「A2」「A3」と3つに細分化し、「A1」地域の占有率が40%を超していれば、「A1」地域では「主導的占有率」となって、この地域の主導権を握ることができるのである。
細分化は、いくら細かくしても差し支えない。最終的には「一社」「一店舗」にまで細分化できるのである。
地域細分化は必ずしも行政区画通りとはならない。というよりは、行政区画にこだわらない方がよい。(中略)それを無視するとうまくいかないのだ。
また、小売店などは、商圏として、店舗を中心とした同心圏という考え方をすると便利である。「うちの第一商圏は半径5百メートル、第二商圏千メートル」というような具合でよい。
もしも、市場活動に何となくシックリしないものを感じていたなら、「細分化が間違っていないか」という疑問をもつことこそ肝要なのである。大切なのは、「有利な戦い」が進められるということであって、このためには行政区画も時には異なる経済圏を組み合わせることや分割することも、そして、敵のテリトリーと一致しようと食い違おうとも、それらのことを承知の上で「自分に最も都合のよい」テリトリー細分化を行なえばよい。
セキやんコメント: 一倉は、状況が変化すると適切だったテリトリーが不適切になることを指摘し、テリトリーの変更や投入資源の変更を適時に行なうよう促している。細分化とは、常に変化する市場に対して随時的確な対応をするため、個別市場の変化を見極めるためのツールとわきまえるのがよい。
「経営の腑」第123号<通算438号>(2015年2月27日)
社長自ら営業の先頭に立て 一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻:1978年刊)より
C社から、セールスマンの訓練をしてもらいたいという依頼である。営業成果が思うように、というよりは、はなはだ振るわないというのだ。
C社は生産財のメーカーである。様子をきいてみると、経営層や部長級は生産の合理化や内部管理に忙しくて、販売は知らん顔なのだ。実質的な販売責任者は課長クラスであるらしい。部長以上は、販売に関しては、単なるハッパのかけ役である。だから、何人かの営業課長が実質的な販売最高責任者なのである。
まことに困ったことである。経営者が販売に力を入れずに、生産に力を入れているのでは、それは会社でなくて工場である。売ることを考えずに、いくら生産しても業績が上がるわけがない。特に、製品が生産財となれば、なおのこと「トップ営業」でなければならないのだ。販売原理は製品によって違うのだ。多量生産品は販売網の整備が死命を制し、装置工業製品は新需要の開拓が最重要であり、生産財はトップ営業でなければ業績が上がらないのである。
販売網の整備も、新需要の開拓も、トップが目標を設定し、自ら指導することはやらなければならないが、必ずしも常時第一線に立たなくともよい。しかし、生産財はトップが常時営業の第一線に立たなければならないのだ。この原理を無視して、いくら営業にハッパをかけても効果は少ない。セールスマン訓練よりも、トップが変わることが先なのである。
販売がなくて経営はない。だから、企業規模の大小、業種、業態を問わず、社長自ら営業活動をするか、さもなければ、社長の次の地位にある人が、販売の最高責任者でなければならないのである。
特に、中小企業の場合には、社長自ら営業をやるのが最もよい、というよりは、社長がやらなければダメだ。社長自らお客に接し、お客の要求を知り、その要求を満足させるには、どうしたらいいかを絶えず考えていかなければならないのだ。私は会社にお伺いして社長にお目にかかった時には、社長が作業衣を着て、しかもそれが汚れていたら「この会社はダメだ」と思う。たとえ作業衣を着ていても、それは上衣だけで、しかもそれは汚れておらず、上衣の下はワイシャツにネクタイで上衣を脱いで背広を着れば、いつでもとびだせる用意を整えるべきである。
率先垂範は、物を作る面ではなく、売る面でやってもらいたいのである。社長が営業に力を入れないということは、経営に対する認識が不足しているといわれても仕方がないのだ。営業活動のない経営などないからである。
セキやんコメント: 社長の顧客訪問は、一倉社長学の最重要事項である。事業経営の本質「顧客の要求を満たす」ためには、その要求を社長自身が直接体感し事実として受け止めよ、というのが一倉社長学の主張だ。我が「Sフレーム」でも、これを定性的事実情報と呼び、経営の二本柱の片方に位置付けている。
「経営の腑」第124号<通算439号>(2015年3月13日)
新商品に対する勘違い 一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第4巻:1978年刊)より
N社は洋菓子のメーカーであった。
N社長は、売上不振を挽回するために、ある洋菓子の研究家に新商品の開発を依頼していた。
その先生は、毎月定期的にN社に出向いて新商品の試作をしていた。どんなものか見せてもらったが、一目見てあきれ返ってしまった。それは、全くの小手先のテクニックだけであった。(中略)
念のために、どれを発売し、その売れ行きはどうかと聞いてみると、どれもこれもほんの僅かしか売れないという。
私は社長に直言した。「新商品というけれど、こういうものに売れる新商品などめったにあるものではない。洋菓子というものは、何百年も昔からあり、何十万人か何百万人か知らないが、数えきれない人々が新商品と取り組んできて、無数の新商品が開発されている。それらの無数の新商品の中から、消費者に好まれて良く売れるものだけが現在残っているのだ。
いくら研究家が力んでみても、それらの人々が試作したものと類似したものくらいしか作れる筈がない。だから、新商品開発というような考えはやめるべきである。
社長の欲しいのは、新商品ではなくて、よく売れて収益性の高い商品である筈だ。だから、新商品開発などムダな努力はやめて、今あるものを、もっと売れるように改良することなのだ。洋菓子で一番売れるのはイチゴショートであり、二番目はシュークリームであることは、日本中で共通しているのだ。だから先ずこの二つを改良することだ。(中略)シュークリームを、うまくて安い目玉商品にすることを考えるべきだ」と。
N社長は「シュークリームは手がかかるから目玉にするにはどうも」という。これだから困るのである。私の経験からすると、「手のかかるものほど良く売れる」のだ。手がかかることを理由にして、お客様にサービスすることを忘れてしまっているのだ。この本末転倒は想像以上に多い。そして、収益を得る道を自ら閉ざしてしまっているのである。
K社の「くるみパイ」は素晴らしくうまく、ドル箱商品になっているが、風合いを損なうのを恐れて機械化をせず、人海戦術で殺到する注文に応じきれずにいる。それでもなお、機械化をしないのは誠に立派である。
それにしても、似て非なる研究家や権威者が多くて困る。N社の先生は「丸型」がお好きであるし、K社の先生は何でも添加物を入れて解決しようとする。焼団子を柔らかくする添加物を入れたために風合いを損ね、売上減をきたしても、我関せずなのである。「ひとりよがり」とは、全く始末に負えないと、いつも思うのである。
セキやんコメント: 新商品開発にチャレンジする心意気は否定しない。だが、その前提に「お客様の要求」が置かれなければならない。ゆめゆめエセ専門家のヒトリヨガリ商品にかき回されることなどないよう、社長自身が、新商品開発の軸を持つことが肝要だ。それで、はじめて専門家を使いこなせるのだ。
「経営の腑」第125号<通算440号>(2015年3月27日)
部門別損益計算というが 一倉定著「増収増益戦略」(社長学シリーズ第5巻:1979年刊)より
例題で説明しよう。本社工場と分工場を持つ、ある会社のX期とY期の損益計算の比較である。この計算は、忠実に企業会計原則に従っている。(原典では<第4表>例示)
この表で、製造原価7百万円が変動費5百万円と固定費2百万円に分かれているが、変動費は原材料費に、製造経費の中の外注費を加えたものである。したがって固定費は製造経費の中から外注費を引いたものである。
X期は本社工場と分工場の状態は全く同じにしてある。理由は、ある条件の変化が及ぼす影響を正しく捉えるには、全く等しい二つのサンプルをとり、一方は変えず一方だけ変えることにより、その比較ではじめて正しい影響をとらえることができるからである。
その意図のもとに、Y期では本社工場のみを変え、分工場は変えずにX期と同じ(売上10百万円、製造原価7百万円、本社費配賦2百万円、利益1百万円)にして、二つの表を比較してみたのである。
この表をよく検討してみていただきたい。おかしなことに気がつかれたことだろう。それは、分工場の損益計算である。X期、Y期とも、分工場の売上(10百万円)も製造原価(7百万円)も、その総額は変わっていない。それにもかかわらず、Y期は利益が40万円増加しているのである。(1台当り原価も下がっている)
いったい、これはどういうことだろうか。このように違ったのは、本社費の配賦が違ったからである。
Y期は、本社工場売上が15百万円と増大(本社製造原価も10百万円に増加)したために、本社費の配賦が売上高比例(これは最も一般的な配賦基準の一つ)となっているために、総額4百万円のうち240万円の配賦を受け、分工場が160万円の配賦となっている。
分工場は、本社費の配賦が40万円減った分だけ利益が増えて140万円になったのである。
このような配賦法が、原価計算の原則であるが、この原則は(経営的には)明らかに間違いである。
何故なら部門別損益計算というものは、部門それ自体の損益を明らかにするのが目的である。そのためにはそれぞれの部門の活動効率や収益性を分離把握しなければならないのに、「総ての費用は商品(部門)に配賦されて補償されなければならない」という原価計算の原則に従って、その部門の活動とは直接関係のない本社費を配賦してしまっている。(セキやん注:会計ルールとしては否定できないが、経営的にはNG)
その結果、分工場の活動とは関係のない本社工場の売上が変わると、分工場の利益が変わる、という誠に奇妙なことが起ってしまうのである。つまり、「特定部門の損益は、その部門とは関係ない他の部門の変化によって変わる」というのが、原価計算の原則から生れる結果なのである。
こんな原価計算は、役に立たないだけではない。会社にとっては危険なものである。
このような“危険な誤り”がまかり通るのは、現実にはX期とY期の数字は同じものがないために、このような矛盾が分からなくなっているからである。
セキやんコメント: こうした原価計算方式の危うさについては、ベストセラーのザ・ゴールで展開されるスループット計算やマネジメントゲームの発明者である西氏なども揃って指摘している。その西順一郎氏から、拙著「一倉定“社長学”実践『Sフレーム』のすすめ」への共感と賛辞を頂戴したのは有り難くかつ心強い。