Sekiyan's Notebook グローカルニュース〜経営の腑

セキやん通信「経営の腑」


第131号“社長の仕事と専務の仕事”<通算446号>(2015年6月5日)

第132号“事業経営を難しくしてはいけない”<通算447号>(2015年6月12日)

第133号“必ずやり切る”<通算448号>(2015年6月19日)

第134号“経営の原点”<通算449号>(2015年6月26日)

第135号“総資本利益率5%以下の会社”<通算450号>(2015年7月3日)

「経営の腑」第131号<通算446号>(2015年6月5日)

 社長の仕事と専務の仕事  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 大企業ならいざ知らず、一般の会社で、立派な社長も専務もそろっているところなど、実際にはあまりお目にかかれない。
 社長の意図を確実に実現してくれるような専務は、どこの会社でもノドから手が出るほどほしい。しかし、そんな都合のいい人材など、中小の会社にはいない、というのが現実なのである。
 優秀な専務など当面望めそうもない。とすれば、社長一人でやる以外にない。
 いないからやらない、できないでは済まされないのである。企業経営に逃げ道は絶対にないのだ。
 逃げ道がない以上、もし一人で二役こなさなければならないとしたら、社長の仕事を午前中やって、午後は専務の仕事をこなすことである。あるいは、一週間のうち一日だけ社長の仕事をやり、六日は専務の仕事をやるのである。
 つまり意図的に社長の頭と専務の頭の切り替えをやるのだ。
 「そんな器用なことはできない」というのは逃げ口上である。論より証拠、わたしが関わっている佐藤塾の若手経営者も、最初のうちは悲鳴を上げていたが、しだいに頭の切り替えが上手になって、一人二役が板についてくる。
 現在の時点で、もし優秀な専務役がいなければ、当面、社長は、単にユメを語るだけでなく、計画・実行の人としてユメの実現策を逃げないで考え抜くことが肝心なのだ。
 そして、両方の仕事に強くなる秘訣は、何といっても長期計画の実践である。
 社長として将来の会社の方向を定め、次に専務として、その実行プランもまた社長が練るのだ。そして一週間のうち六日は専務業に徹する。このように一人二役で長期計画を実践していくことは、思わぬ波及効果をもたらしてくれる。
 まず当然ながら、「お祭り経営」を脱することができる。
 また社長の野望とか夢が、実行プランを立てて実践することによって、より実現に近づくとともに、その過程で社長の視野が広がり、先見力が養われ、長期のソロバンに強くなっていく。
 一方、専務業を兼務でこなしていくうちに、目先の確実なソロバンに強くなり、事業推進の手腕が養われ、部下の指導・育成にも長けてくる。
 社長が専務の仕事を兼務することによって、自分では気づかないうちに、社長と専務のそれぞれの仕事のポイントに習熟してくるようになるのだ。
 こうなると社長に、はっきりとした方向づけと具体的な実現策があるから、部下への指示の仕方もフォローも、これまでとはまるで違ってくる。やがて部下の中から優秀な専務候補がいつの間にか育ってくるのである。ここに、念願であった優秀な社長と優秀な専務がそろってくることになる。中小の会社では、このような取り組み方が案外大事ではないか。

セキやんコメント:  企業経営に、無い物ネダリはあり得ない。代わる人材はいなくても、自分が寝なければ時間は作れる。寝ないでやるほど真剣に取り組めば、一皮むけるものだ。ただし、身体が資本なので、無茶はいけない。経営者は、こうした矛盾をうまく切り抜ける術を持つ必要がある。

「経営の腑」第132号<通算447号>(2015年6月12日)

 事業経営を難しくしてはいけない  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 「社長業は全く割の合わない商売だ」という経営者がいる。
 一般の人々からは、社長になればお金が自由になり、立派な車に乗って威張っていられるといったように、羨望の念をもって見られがちだが、実際に社長業にたずさわってみれば、割が合う仕事じゃないと感じることが結構あるのだ。
 たとえば、社長は社員に給料を支払わなければならない。これは立場上当然のことだが、ただ自分としては精一杯、一生懸命給料を支払ったつもりでいても、「ケチな社長だ」「ベースアップが少ない」などと文句を言われたりする。次の主力事業は何か、夜中に目がさえて寝床であれこれ考え、まんじりともしなかったことを部下に黙って、彼らの言うことを聞いていると、ある幹部は昨夜はゴルフの衛星中継を見たから寝不足だ、またある幹部は接待で遅くなって寝不足だなどと能天気なことを言っている。俺だって、たまには君たちのように気楽な立場に回りたい、全く社長なんて割に合わない仕事だと。
 だが、一方で、社長ぐらい楽しくてわくわくする仕事はない、と思ったことのない社長もまたいないはずだ。
 事業経営の最高責任者である社長にとって、時には、やり甲斐があってこれほど楽しい仕事はないと感じてみたり、時には、逆に割の合わない厳しい仕事だと感じたり、だれでもこの両面をもっているのが現実であろう。わたしとて例外ではない。
 しかし、どうせ社長業をやるなら、楽しくてわくわくする時間が多い方がいいに決まっている。諸々の割の合わなさを超越して社長業に徹し、自分の夢を実現できたら、それに越したことはないだろう。
 そのためには、次の二つのことが重要だ。
 一つは、社長の役割をきちっと果たすことである。前章で述べたような社長としての本来の役割を全うするとき、本物のプライドもやり甲斐も生まれ、社長業ほど楽しく素晴らしい職業はないと感じられるようになってくる。社長業とはそういうものだ。また、そういうものでなければならない。
 もう一つは、事業の経営を難しく考えないことだ。社長業とか経営というものはさほど難しいものではない。経営は簡単なのだと考えるべきだ。(中略)
 たとえば経営の数字は、小学生以上の算数を使うことはまずない。足し算、引き算、掛け算、割り算のみである。横文字にからきし弱くても、専門の通訳がいるから海外との取引にも差しさわりがない。
 要するに、経営とは決して難しいものではない。また、難しくしてはならない。
 そのことをまず頭に入れておいていただきたいのである。

セキやんコメント:  本テーマに対する著者の本意は何か、今となっては確認しようがない。しかし、一倉社長学から小職が導き出した「事実情報に立脚する」と同根に思える。なぜなら、それは自らの目標と事実情報から教えられる現状とのギャップを素直に受け入れ、真摯に改善して行くことに他ならないからである。

「経営の腑」第133号<通算448号>(2015年6月19日)

 必ずやり切る  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 私事で恐縮だが、自分の経験を述べさせていただくと、わたしは家庭の事情から、中学を卒業するとすぐ就職した。
 生まれたのは東京だが、就職したのは名古屋の三菱重工である。まだ戦争中のことで、お国のために飛行機の一機でもつくりたいという健気な気持ちがあったからだ。そこでの勤務経験から、わたしはひとつの貴重な人生観を獲得したと思っている。
 わたしは現場の工員になるつもりで三菱重工に入ったのだが、配属されたのは三菱重工の名古屋発動機研究所というところであった。戦争中の混乱した状況のなかで、三菱は何を間違えたのか、中卒のわたしを研究所と名のつく部署に配属したのである。
 赴任してみると、そこでの仕事は実際に大変だった。毎日、難しい計算ばかりされられる。頭のいい人はそれを高等数学でどんどん解いていくのだが、中学出のわたしは初等数学しか知らない。そこでわたしは初等数学でそれを解いていく。たとえば、積分というのは掛け算の繰り返しだし、微分は割り算の繰り返しである。初等数学でそれを解いていくには根気しかない。頭のいい人は夕方になると計算の答えをまとめた報告書を提出して帰ってしまうが、わたしはそれができないから残業をする。それでも間に合わないときは、寮に持ち帰って必死に計算をして答えを出す。そういう毎日であった。
 三年間そういう生活をした後、わたしは名古屋から静岡へ転勤を命しられた。転勤するときは、新しい任地へ自分で履歴書を持って行く。その履歴書をこれまでの上司であった課長に見せると、課長は驚いたような顔をしてわたしに言った。
 「なんだ、君は中卒だったのか。知らなかった。君はずいぶん頑張ったんだなあ」
 中卒のわたしを課長は大卒だと思っていたのである。
 こういった経験のなかから、わたしは貴重な教訓を得た。
 「頭が悪くても、明日の朝までに頭のいい人と同じ答えを出せれば、人生には優勝劣敗がない」という教訓である。これは、わたしの人生観のひとつとなっていった。
 ここに実は経営のひとつのポイントがある、とわたしは思っている。
 頭が悪くてもかまわない。ただし、翌朝までには必ず答えを出す。自分の寝る時間を削ってでも翌朝までには答えを出すことができれば、前の日に答えを出した人と結果は同じことになる。これは経営を簡単にするうえですばらしい救いになることではなかろうか。
 言い換えれば、経営は結果だ、とはよく言われることだが、どんなことがあっても結果を出す、そのための根性、執念が経営者には必要なのだ。(中略)  社長には大きな責任がある。社長としてやるべき事柄は、どんなことがあってもやり遂げなければならない。明日の朝までに答えを出さなければならなかったら、徹夜してでも答えを出す。これは、経営者としては当然の行為であろう。経営の基本にこれがなければならない。言ってみれば、これは経営の定石のひとつである。

セキやんコメント:  佐藤氏は、信念より執念だ、という。本書の最後で「信念ではきれいすぎて頼りない。たとえお化けになってもやり遂げるという、どろどろした執念こそ大事」と述べている。

「経営の腑」第134号<通算449号>(2015年6月26日)

 経営の原点  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 どれだけのお金を調達し、そのお金を使ってどれだけの利益を生み出して行くか、というのが、最もシンプルなかたちでとらえた経営の定義であろう。
 何のために会社を経営するのか、何を目的に利益を上げるのか、などといったことを抜きにして考えれば、これがどの企業にも共通した経営の原点ということになる。定義とか原点ということばが妥当でないなら、最もシンプルな経営の姿と言い換えてもいい。
 社長としての第一の仕事は、この事実、すなわち自社にどれだけの資金調達力があり、その資金を使って現実にどれだけの利益を生み出しているのかをしっかりと把握することだ。そういう現状の把握なしに長期計画もなにもありえない。
 まず自分が立っている足元を見る。それが社長としての第一の仕事だ。しかる後に自分が進むべき地平線の彼方を見る。長期計画はそこから生まれる。自分の足元だけを見ていたら経営はその場かぎりの利益追求に陥るだろうし、地平線の彼方だけを見ていたら、計画は単なるお祭り計画に終わってしまうだろう。
 自社の資金調達力は、バランスシートを見ればよく分かる。(中略)
 どちら側が貸方で、どちら側が借方かといった見方は、経理としてのバランスシートの見方であって、社長としての見方ではない。社長にとって重要なのは、どれだけの資金を調達し、それをどう使って、どれだけの利益を上げたかという事実の把握なのだ。
 バランスシートの右側の記載事項は、次章で説明するように、自分のお金、すなわち資本金、今までの利益の貯金、あるいは金融力、信用力などをあらわしている。したがって、その記載事項の一番下に記してあるトータルの数値、いわゆる「総資本」という言葉は、自社の資金調達力を示しているのだ。
 さて、この総資本で、損益計算書に記してある「税引前利益」を割ってみていただきたい。こうして出てきた数値を「総資本利益率」という。この数値が、実は自社の現状を見るうえで非常に重要な意味をもっているのである。

セキやんコメント:  わが社を高収益構造に変えていくことが、社長最大の役割だ。そのためには、わが社の収益性を正しく見なければならない。その収益性評価のモノサシこそが、ここでいう総資本利益率だ。この総資本利益率の評価基準については、次号で続きを述べることにする。

「経営の腑」第135号<通算450号>(2015年7月3日)

 総資本利益率5%以下の会社  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 計算の結果、総資本利益率が5%以下という数値が出たらどうだろうか。よく考えてみていただきたい。
 不況などで極端に低くなる時期などもあるが、金利は通常5〜6%である。これはいうまでもなくその時代によって上下するわけで、時には10%にまで上がったり3〜4%に下がったりと変動する。平均すれば金利はこれからは5%とみるのが妥当なところだろう。ここが大事なところだ。総資本利益率が5%以下ということは、事業の利回りが金利以下ということなのである。たとえは悪いが、家庭の主婦でもヘソクリを銀行にもって行けば金利は稼げる。
 まして事業というものは、会社という看板を背負い、土地や工場を使い、大勢の人を使い、資本家や多くの人の協力を得て行なうのである。その結果が総資本利益率5%以下だとしたら、その経営者の能力は家庭の主婦以下といって過言ではなく、経営者として恥ずかしいことである。事業を展開する意味がどこにあるといえるだろうか。
 仮に、バランスシートの右側の項目をトータルして30億円あったとしよう。そのお金をもって銀行に駆け込み、大口定期にして預け入れれば、その日から黙っていても相当の金利がつく。金利5%とすれば年間1億5千万円の利息を間違いなく貰える。ということは、総資本利益率が金利以下すなわち税引前利益が1億5千万円以下ならば、事業をやめ、何もしないで寝ていても、その事業の稼ぐ利益額を銀行が、ありがとうございますと礼を言って支払ってくれるのだ。お金を銀行に預けておいたほうがましだということになる。
 総資本利益率が銀行金利以上でなければ、事業経営の意味がないのだ。企業として大威張りで存在するのは恥ずかしいと、考えなければならない。これは、どの業種・業界にかかわりなく、およそ企業と名のつくすべての企業に共通した経営の原点である。
 経営に逃げ道はない。
 不況だ、好況だ、儲かる、儲からないと抽象的なことを言っている暇に、まず自分の会社のバランスシートから、総資本利益率を弾き出してみることだ。もしもそれが銀行金利に満たなければ、社長業をやめて、銀行に資金を預けた方がいい。簡単といえばこれが最も簡単な経営法ではないだろうか。
 総資本利益率5%というのは、企業としての存在価値と、社長の経営力が問われるひとつの大事なチェックポイントなのである。(セキやん注:現在は超低金利時代で、上記金利レベルは読みかえが必要)

セキやんコメント:  外部環境の議論や抽象論ではなく、目の前の事実である総資本利益率こそが、企業の現実の収益性評価のモノサシだ。この事実に基づき、負託を受けたお金(総資本)で定期預金金利も稼げなければ社長落第というのが、佐藤誠一イズムである。そこには感情や思惑の入る余地はない。

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