Sekiyan's Notebook グローカルニュース〜経営の腑

セキやん通信「経営の腑」


第136号“利益は引き算でなく足し算で考える”<通算451号>(2015年7月10日)

第137号“付加価値とは”<通算452号>(2015年7月17日)

第138号“社長の役割意識こそキメ手”<通算453号>(2015年7月24日)

第139号“経費は売上基準から付加価値基準へ”<通算454号>(2015年7月31日)

第140号“過去の数字が語るもの”<通算455号>(2015年8月7日)

「経営の腑」第136号<通算451号>(2015年7月10日)

 利益は引き算でなく足し算で考える  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 利益というものをもう少し別の角度から眺めてみよう。
 企業経営とは、何らかの営業活動を通じて売上を発生させ、利益を生み出していくことである。これは、どの会社でもそうだ。だが、利益を生み出すまでのプロセスを考えてみれば分かるように、そのすべてを企業一社だけで成し遂げることはできない。
 たとえばメーカーでも、製品のすべてを自社だけでつくることは、現在では不可能である。材料は他社から仕入れてこなければならない。そして専門の加工業者や下請け工場の協力を得て、はじめて製品が出来上がっていく。また、それを販売する場合には、何らかの流通機構の協力を得なければならない。
 このように、外部からのいろいろな協力によって、はじめて売上が発生し、利益が生まれ、企業というものが成り立っていく。言い換えれば、外部からの協力を得ながら、企業内で資本と労働が協力し、利益を生み出していくというのが企業経営なのである。
 要するに、利益は経営者と社員が一体となり、外部のさまざまな協力を得て生み出されていく。ということは、利益は足し算でとらえていく必要があるということだ。
 だが、一般には、損益計算書を見てもわかるように、利益は引き算で求められるのが通念となっている。まず最初に売上高があって、それから売上原価を引いて売上総利益が出てくる。さらに売上総利益から営業経費を引いて仮営業利益が出、そこから事業税を引いて営業利益となる。営業利益から営業外損益を引いたのが経常利益であり、経常利益から特別損益を引いたのが税引前利益で、そこから納税充当金を引いて当期純利益となる。そして最後に役員賞与と配当金を引いたのが内部留保である。
 このように一番上に売上高があるということは、「はじめに売上高ありき」という発想にほかならない。売上高を基準にしてすべてを考える。これが実は、これからの企業経営にとって大いなる弊害となっていくのである。第一に、ここからは後に述べるような分配の発想が生まれてこない。分配の発想なくして長期計画はありえないのだ。
 利益を引き算ではなく、足し算で求める発想がここから生まれてくる。そのためには、利益を次項で述べるような付加価値という概念でとらえていくのが本当だろう。付加価値経営こそが、これから求められる経営の本質なのである。

セキやんコメント:  一倉流にいえば、わが社の今期の必要付加価値額は、そのまま「わが社の生きるための条件」であり、これを獲得しないとやっていけないという事実なのだ。できるとかできないとか、主観で議論するのは時間の無駄だ。事実を受け止め、どうやって実現するのかに頭を切り替えることが大事なのだ。

「経営の腑」第137号<通算452号>(2015年7月17日)

 付加価値とは  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 「付加価値」ということばは、何となく耳慣れないと感じられる経営者もおられると思うが、要は、企業が自ら生み出した価値ということで、大ざっぱにいえば「売上総利益」と同じものとお考えいただいてもいい。
 例えば、売上高1億円で仕入原価6000万円、売上総利益4000万円とすると、1億円は見せかけの金額、よその力を6000万円借りてきて1億円となっているだけで、正味の売上というと語弊があるが、4000万円こそが企業が稼ぎ出した付加価値だということである。
 付加価値と似たものに、いま述べた「売上総利益」をはじめ、「粗利益」や「加工高」といったさまざまなことばがある。また付加価値の算出法には日銀式と中小企業庁方式の二通りがあるなどの点で、一般の社長にはもうひとつ馴染めないことばになっているかもしれないが、本書は会計や経理の専門書ではないので、これらをひっくるめて「付加価値」ということばを使わせていただくことにしたい。
 事業経営の目的は、この付加価値を生み出していくことである。
 もう少し詳しくいえば、経営者と社員が一体となり、外部のさまざまな力を借りて財貨やサービスをつくり出し、付加価値を生み出していくことだ。そのためには、まず日本という国、東京に企業があるなら東京という地域の協力を得なければならない。また働いてくれる人達、資金の提供者、金融機関の協力も必要であろうし、事業遂行のためには適正な経費や、設備更新のための適正な減価償却費も必要だ。
 こういった多くの協力者たちをいかにうまくコーディネートして成果を上げるか、オーケストラの指揮者のように、いかに全体のハーモニーを築き上げ、力を発揮させていくか、そのためにこれらの協力者たちに対し、生み出した付加価値をいかにバランスよく分配していくか、こそが経営の本質なのである。つまり付加価値とは「会社をささえる関係者に分配されるべき金額」ともいえよう。
 添付図は、いわゆる損益計算書での売上総利益とわたしのいう付加価値を比べたものだ。社長として考えるべきなのは斜線部分(売上総利益から純利益を除いた部分)である。損益計算では、この斜線部分が「差し引かれるもの」であり、付加価値からみると、利益を含めて「分配されるもの」なのである。社長は、この斜線部分を経費ではなく、分配先としてとらえるべきだ。引き算ではなく足し算、と主張するゆえんである。
 極論すれば、「経営は分配である」と言い換えてもいい。

セキやんコメント:  筆者が述べる「事業経営全体の良きハーモニーを醸成するため、協力者に付加価値をバランスよく分配する」という発想は、まさに慧眼である。事業経営が、人間の営みで成り立っている以上、それぞれの協力者の納得性の確保が、その原動力となるからだ。

「経営の腑」第138号<通算453号>(2015年7月24日)

 社長の役割意識こそキメ手  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 生み出した付加価値を「社員配分」から「蓄積配分」まですべて配分してしまうと、結局残りはゼロになるということにお気づきだと思われる。どんなに儲かっている企業でも、たとえ100億円の付加価値を生み出していようと、残りはゼロになる。すべてを配分してしまうのだから、残りはゼロになるのは当然といえば当然なのだが、実はここに大きな意味があるということをわたしは言いたいのである。
 これら10の配分先は、お互いに一方を増やすとその分他方が減る、いわゆるゼロサムの関係にある。しかもどの配分先ひとつとっても、もし協力が得られなければ付加価値を思うように造成できない。それぞれの付加価値造成の役割に対して「正当な配分」が行なわれてこそ、協力が得られる関係にあるということである。つまり配分の方針次第で、会社は良くも悪くもなるのだ。
 要するに、企業の究極的な目的は利益を出すことではなく、生み出された付加価値をどう配分するかということにある。それが経営である。先に「経営は分配である」と書いたのは、このことをいう。社長は「付加価値を正しく分配できる人」でなければならない。それぞれ立場の相違はあれ、10の配分先がそれなりに満足する配分をすることが経営者の役割なのだ。
 この役割を果たしたときに、はじめて社長は立派な経営者だといわれ、尊敬される。それが経営の一番の原点なのではなかろうか。
 たとえば、社員配分を少なくし、経営者配分だけ多くしたら、そういう経営者は労働者から決して尊敬されるはずがない。あるいは、減価償却費を減らし、その分で利益を上げたと誇っているような引き算型の経営者がいたら、経営者として風上に置けない経営者だと言っても言いすぎにはならないだろう。
 (中略)
 それぞれの協力によって高い付加価値を生み出し、それを明日の意欲につながるように、それぞれに不満なく配分することで、翌年にはさらに大きな付加価値を生み出していく。その繰り返しが、小さな木を立派な大木に育て上げていくのだ。そのためのモチベーションを起こし、付加価値をどんどん高めていくように協力者たちをコーディネートしていくのが社長の仕事である。社長の仕事はそれ以外にない。
 そうなると、社長にそういう役割意識があるかどうかがキメ手となる。社長の役割意識なくして、以上のような付加価値の配分は考えられない。役割を意識しない社長は、利益を引き算で考え、次元の低い目先の損得計算に陥ってしまうことになるだろう。

セキやんコメント:  社長といえども、人である以上、欲もあれば色気もある。つい魔がさしそうな時に、社長としての役割意識を持っているかどうかで、道が分かれる。協力者の力を借りて事業経営を指揮していることを忘れなければ、道に外れることはないということを、著者は教えてくれている。

「経営の腑」第139号<通算454号>(2015年7月31日)

 経費は売上基準から付加価値基準へ  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 経営分析の本などに、「売上高対人件費比率」とか「売上高対支払利息率」という用語が広く使われているようである。
 そのためでもないだろうが、経理部門や会計士の先生方の多くは、「わが社の売上に対して人件費は何%、一般経費は何%、金融費は何%だ」と、売上高を基準にしてあれこれ経費について考える傾向がある。しかし、これからの企業経営を考えると、社長にとってこのような売上高基準は、百害あって一利なし、と決めつけたいほど、経営の実務で何の意味もなさないのである。
 社長は、すべてのものの考え方の基準を、今後は「付加価値に対して何%」というように、変えていただきたい。付加価値で何事も経営判断することだ。要するに、付加価値というものを基準にして経費を考えるようにしないと経営が成り立たなくなるのである。実は、ここに現在、付加価値経営が必要になってきたもうひとつの背景があるといっていい。
 これから、世界中が低成長時代に入っていくことは否定できない事実だろう。たとえば冷戦の解消という問題を契機に軍需産業が減る一方になるということを考えただけでも、それは理解できることだ。あるいは過去5年間、ヨーロッパ各国はEC統合後の経済的な発言力を高めようと、自国の経済力を無視したような高度成長の道を歩んできたわけだが、統合が実現された今、その反動が起きている。このように、世界中が低成長時代に入ってきていることは事実であり、日本もその例外ではない。
 高度成長時代にあっては、付加価値より売上高に目がいっていても、経営の方針を大きく誤ることは少なかったかもしれない。しかし世の中が低成長時代になると、売上増イコール付加価値増の関係が成り立たなくなる。企業が生み出す付加価値率というものが全体的に下がってくるからだ。ということは、これからの時代は、付加価値をたくさんとれるということを前提に自社の長期の経営を考える状況にはないということなのだ。かつてのように売上を伸ばし続けることは至難の業である。一方で、たとえば、外注費などというものは、今後下がると都合よく考えない方がいい。原材料、部品代・・・大体すべてが少しずつでも年々上がっていく。売価もインフレで同じ率だけ上がってくれれば問題はないが、それができないとすると、付加価値は下がってくることになる。これまでは「積極経営」ともて囃された手法が、一転して「放漫経営」と非難されかねない時代に入っている。
 もちろん、付加価値ぞのものを増やしていく工夫が大切なことはいうまでもない。儲けの大きい新たなヒット商品を次々に手掛けることができたり、生産の合理化に成功して効率が改善されれば、売上増イコール付加価値増が成り立つ道理だ。
 しかし、付加価値を増やすということがだんだん困難になってくるという前提で長期計画を考えていったほうが、計画の破綻がないのも道理である。
 付加価値が次第に下がってくるのだから、売上に対する経費を何%とやっていたら、そのうち利益が出なくなってくる。

セキやんコメント:  売上高は「他社からの仕入分も含めて獲得した金額」なのだが、付加価値額は「当社が生み出した掛け値なしの金額」だ。しかも、変動費(売上比例で他社に支払う金額)を差し引いた「自社で自由に使える金」でもある。自由に使えるお金をもとに経営を考える方が、原理原則に即している。

「経営の腑」第140号<通算455号>(2015年8月7日)

 過去の数字が語るもの  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 「未来は過去の延長上にある」。これは長期計画作成の出発点となる重要な考え方である。
 自社の将来を計画するときに、これまでの企業体質を切り離して考えることはできない。将来の経営は、過去の体質の延長上にプラス・マイナスのアルファが加味された姿に必ずなっていくのだ。もし社長に明確な体質改善の意識と対応がなければ、将来その範囲を超えるような変化は、到底期待できないのである。
 これまで低迷し続けてきたような会社が、明日からでもすぐ高収益を上げられる会社に変身したいと願っても、無理なものは無理なのである。実績を上げ続ける会社にしたかったら、過去の数字を検証して改善すべきポイントを発見し、時間をかけてそれを修正していくしかない。過去の数字を分析することは、会社の体質を知るためにこそ必要なのである。
 だが、現実には「過ぎ去ったことは考えても仕方ない」として、過去にはあまり目を向けたがらない経営者が多い。視線は、むしろ目先の損得にばかり向けられる。
 おそらく、そのひとつのあらわれだろう。一般に損益計算書に関心のある経営者は多いが、バランスシート(貸借対照表)に関心を示す経営者はそう多くない。(中略)しかし、よく考えてみていただきたい。
 損益計算書というのは、わずか1年間の経営の成果をあらわしたものにすぎない。つまり、この1年間でどれだけ儲けたか、あるいは損したかを示しているのが損益計算書である。しかし、たとえば世の中の景気が悪くなると、原則的に利益は減っていくものだ。景気が回復すれば、それはすぐもとへ戻る。このような簡単に変わりやすい数値が損益計算書の数値なのである。
 また、時と場合によっては損が出てもいいケースすらある。その損が将来のために意義のあるものなら、意図的に損を出すこともありえよう。要するに、経営にとっては目先の損得が問題なのではない。わずか1年間の損益など、決して無視していいとはいわないが、社長はそんなことでいちいち一喜一憂する必要はない。
 これに対して、バランスシートというのは、会社創業以来の累積の結果をあらわしたものである。いってみれば、創業以来10年も20年もかけて蓄積してきた会社の力量、会社が現在保有している体力のすべてを示しているのがバランスシートなのである。そこには、事業の歴史と社長の折々の判断が、良いも悪いも含めて、すべて凝縮されたかたちであらわされている。要するに、会社の体質、体力もっといえば社長の性格、経営のやり方そのものが、バランスシートには示されているのだといっていい。ここが大事なところだ。長年にわたってできあがった体質は、一朝一夕には変わらない。また、体力も急にはつかないものである。

セキやんコメント:  過去は研究対象ではないが、確認することで、客観的事実や傾向が浮き彫りになる。その代表が売上高年計グラフで、過去の売上高年計を継続的にウォッチすることにより、これからの対処策の大いなるヒントとなる。そして、自社の管理会計組み替えでの過年度決算の整理にも同様の効果がある。

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