「経営の腑」第171号<通算486号>(2016年3月11日)
財務計画は目標バランスシート 佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
資金運用計画が、今後お金をどう使うかという、いわばバランスシートの資金調達と使途の流れを集約的にあらわしたものであることは、読者にもご理解いただけたと思う。
結局、この資金運用計画をつくることによって、目標損益計算書とでもいうべき運営基本計画が、しっかりとした資金の裏づけを得たことになるわけである。これによって、将来のバランスシートも自動的に決まってしまうことになる。
長期計画というのは、5年計画であれば、最終的には5年後のバランスシートをどう築くかということに連動していなければならないのである。言い換えれば、5年後のバランスシートが設計できて、はじめて本物の長期計画といえる。
バランスシートの重要性については、本書でも再三強調してきた。バランスシートの体質がよくなったのかどうか、経営としてはそれが重要である。利益は出たがバランスシートがよくないというのでは、優れた経営者とはいえない。利益が出、なおかつバランスシートがよくなり、会社が効率のいい会社に生まれ変わる。ここにこそ長期計画の意義があるのだ。
本書の各所で述べた通り、長期計画は利益計画だけではない。企業の体質を強くしていくには、社長の意思、社長の戦略として将来のバランスシートをどうつくり上げていくかにかかっていよう。その意味で長期計画の行き着くところは、5年後のバランスシートに示された数値を最終目標とする「財務計画」なのだ。
社長の夢や野望が5年後の財務計画にどのように反映されているか、これが長期計画の重要なところである。
財務計画というと、はなはだ難しいと決めつけて、アレルギーを起こすほど毛嫌いする社長も多い。だが、ここまで作業を進めてきた社長にとっては、それは実に簡単なことだ。
セキやんコメント: 繰り返しているように、目先(単期)での利益も大事だが、「経営は継続」というシンプルかつ重要な責務からすると、将来にわたって継続可能な財務体質を安定的に創り出すことこそ、経営者としての最も意識すべきテーマといえそうだ。
「経営の腑」第172号<通算487号>(2016年3月18日)
約束された望ましい未来を見る 佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
これまで、わたしたちは、付加価値配分目標計画からスタートして、とうとう財務計画を作成するところまできた。
これだけの検証と実証のなかで社長の夢や野望を数字で裏づけ、最後に5年後のバランスシートをつくるところまできたのである。これが要するに長期計画なのだ。
ここまで書いてきて、今わたしは、フランスの詩人、ジャック・プレヴェールの次のような有名な詩を思い出す。
三本のマッチ 一本ずつ擦る 夜のなか
はじめのはきみの顔をいちどきに見るため
つぎのはきみの目をみるため
最後のはきみのくちびるを見るため
残りのくらやみは今のすべてを想い出すため
きみを抱きしめながら
無骨なわたしの柄には不釣り合いかもしれないが、なかなか素敵な詩だと思う。この詩の表現にあやかっていえば、長期計画をつくるのに、われわれはこれまで何本のマッチを擦ったことになろうか。
まず将来への夢を抱きつつ、一本目のマッチを擦って会社の過去を見た。二本目のマッチで会社の現在を見た。そして計画を立て、さらに何本かのマッチを擦って計画の細部を点検した。今われわれは、マッチが消えた暗闇の中でも、会社の過去から将来にわたるすべてをある程度思い描くことができる。
本物の長期計画に近づいてきたのである。不確実な未来が確実性をしだいに増してくる。社長の目に、計算された未来、約束された望ましい未来が、暗闇の中に見えてくるようになるのである。
セキやんコメント: 自らの本音と向き合い、論理的なプロセスを積み上げると、その先には、歩むべき道筋が見えてくる。これが、「本音」を拠り所とした「事実」立脚経営(一倉社長学の本質)の在りようなのではないか。だから、一倉氏が「たった一人の優れた経営者」と評したのが佐藤誠一氏ではないかと思えるのだ。
【お断り】一倉氏は生前「今まで関わってきた数千社の社長の中で、自社のことを本当に分かっていたのは、たった一人しかいなかった」と繰り返し述べていますが、その一人の氏名は明かしてませんので、それが佐藤誠一氏だというのは、あくまでも小生の一倉定社長学研究で行きついた推論の域を出ません。
「経営の腑」第173号<通算488号>(2016年3月25日)
笛吹けど踊らず 佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
当たり前のことだが、社長一人で仕事はできない。
社長の意図を十分に飲み込んで結果を出してくれる幹部がいて、はじめて仕事ができる。社長の夢が叶うのである。
そこで社長のリーダーシップ、統率力が改めて問われることになる。いまもって徳川家康の本がロングセラーを続け、書店の1コーナーが、人材活用のノウハウ書で必ず占められているのをみても、世の中の経営者がいかに人の使い方に悩んでいるか、苦労しているか、うかがえるのである。それだけ人の上に立つ人は、部下の「笛吹けど踊らず」という態度に苦労しているようだ。
「どいつもこいつも自分が何をすべきかまるで分ってない、わが社にはろくな幹部がいない」、「やかましく指示しているのに、俺の思うように動いてくれない」と嘆かれる社長がいる。それも決して少なくないようだ。
一方で部下は、「社長の言うことがくるくる変わる、まさに朝令暮改、思いつきであれやれ、これやればかり」、反論しようものなら「企業環境は日々変わっているんだ、経営は学校の勉強とは違う」と怒られる。しだいに意見を言う者はいなくなり、では、社長の指示命令が通るのかといえば、「どうせ明日は逆のことを言う」と聞き流してしまう。
肝心の目標設定にしても、「目標はあらかじめゲタをはかせて指示してくるから、こちらもそのつもりで対処する、まともに受けている者はいない」、「目標の半分しか達成できずにがっかりしていたが、社長はいくらの目標でもよかったような口ぶりでさらに気持ちが落ち込んでしまった」というような例が、実際にわたしの耳に入ってくるのだ。
これでは業績を思うように伸ばせないのも当然ではないか。いくら人材活用の本や人心収攬の本を読んで知識だけ頭に入れても、社長の指示が場当たり的では、社員は思うように踊ってくれないのである。
・・・では部下を白けさせないで、全社一丸となって仕事をする態勢を、どうつくるか。(次号に続く)
セキやんコメント: 基本的に、人間は自分のことが一番大事で、「自分のためにやる時に、最高の能力を発揮する」といわれる。だから、行動学的には、防衛本能(自分を守る)から人間をとらえる必要がある。今号は、企業内の社長や社員も、そうした人間としてのアプローチが要るという確認の稿である。
「経営の腑」第174号<通算489号>(2016年4月1日)
社長のビジョンなくして全社一丸態勢なし 佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
では部下を白けさせないで、全社一丸となって仕事をする態勢を、どうつくるか。
それは、社長が自らの確固たる経営ビジョンを示し、実現可能な未来を具体的に示すしかないのだ。
ところが社長と社員のコミュニケーションについて、勘違いしている人が多いのには、驚いてしまう。いわく、「酒飲んで裸のつき合いをすれば、部下もついてきてくれる」、いわく「膝突き合せて、言いたいことを言い合う」、前にも述べたが、「俺に任せろ、悪いようにはしない、黙ってついて来い」等など。社長の人間的魅力だけで社員を引っ張っていく行き方は、2〜3人の個人企業ならこれでいいかもしれない。しかし人を何十人、何百人と使って仕事をする場合は、これだけではだめなのだ。
創業時代には酒を一緒に飲んで語り合う、これでも人はついてきた。しかし人も増え、事業も大きくなった今は違う。というのが大方ではないか。「どうだ、たまに酒でも飲んで腹割って話そう」と社長が誘っても、今の若い人は一緒に飲むのはおつき合い、お義理で仕様がなくということが多いのではないだろうか。なかには、誘った社長の目の前で「ちょっと女房に聞いてみます」と、その場で電話して「えっ、もう食事用意してるの、じゃあ帰るわ」、「社長すいません、今晩は失礼します」というような極端な話も、このごろでは珍しくない時代だ。このような旧来のやり方では、部下の動機づけには、もはやマイナスにしか働かないと知るべきだ。
飲み食いでコミュニケーションを図るのではなくて、部下の仕事を成功させるように、的確な方針を出し、一緒に達成法を考え、場合によってはよその部門から協力者を連れてきて、「こいつのこの仕事をアドバイスしてやってくれ」と調整もして、何としても目標を達成するように指導して、その人が成功したときに、はじめて本当に尊敬される上司となる。目標を与えただけで、フォローもしないでいくら飲み食いをしても、今の人は動いてくれないのである。第一、それほど社長は暇ではない。
では、すべての社員が白けないでやる気を出してくれるような「的確な方針」は、どこから生まれるのかといえば、社長のつくった長期計画以外にないのである。
運営基本計画は、単なる利益計画ではない。すべての数字には社長の夢やビジョンが込められている。将来の社員の処遇についての具体的な方針、発展するための設備投資への方針、どんなことがあってもつぶれないための資金への方針を検討し、売上目標も過去の実績と市場性を踏まえて設定した、これらを全部含んだ計画である。
社長の熱い思いを、冷静に数値化した「実現可能な夢」が語られているのだ。
これらをワンセットにした社長の長期計画こそ、全社員の心の底まで届く強烈な動機づけとなるものである。
セキやんコメント: 前号での問題提起に対する答えの稿である。社長自らが真剣に取り組んだ結果作成された計画書だからこそ、示された社員自らの処遇にも納得感がある。だから、社員ひとり一人も「自分ごと」として計画書をとらえる。小生がコミットした企業でも、計画書をきっかけに企業体質が変貌した例は多い。
「経営の腑」第175号<通算490号>(2016年4月8日)
各部門長への指示の出し方 佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
さあ、これまで検討してきた長期計画を、いよいよ実行に移す段階である。
どの数字にも社長の意思が込められている、さまざまな角度から検討され、社長としてもこれ以上は、あとは実践あるのみ、という煮詰めた計画ができた。
ここで、モデル会社の社長になったつもりで、各部門長にどう指示するか、お考えいただきたい。
まず営業部長を呼んで何と言うか?
「営業部長、今後5年間、何とか12%増の売り上げ計画を作ってくれ」
「社長、12%はきつい、主力の〇〇が伸び悩みですし」、社長の気楽な夢をいきなり売上や利益計画にした、水増しの数字にばかり慣れた幹部なら、当初は検討もしないで消極的な返事をするものである。
「ちょっと待てよ、関西地区の全体の伸びはこうで、うちはこうだ、12%の根拠はこうだ、ヤマ勘で決めたわけじゃないんだ、できないと決めつけないで考えてみてくれ」
社長には、この売上をやってくれなければ、社員の生活向上も、先行投資も、安全投資もすべて狂ってくるという思いがある、単なる損益計算で出した売上目標とは違う、説得力が違うのだ。指示された幹部の方でも、これならやり方によっては、実現可能かもしれない、と考えてくれるはずだ。営業部長に、自分のもっている全商品別に、あれは20%いけるが、こっちは5%がいいとこ、というように営業品目別に、あるいは営業拠点別に売上12%増の具体的な計画を練らせる。これは営業幹部の仕事だ、社長の仕事ではない。
多くの会社では、目標設定もそれを実現する商品別販売計画、得意先別販売計画、これらのすべてを営業部長にやらせる。部長は課長に、課長は担当者に、来期はいくら売れるか、下からの積み上げ方式だ。でてきた目標は、必ず、社長の期待を下回るものだ。上も上なら、下も下で、どうせ折衝で上乗せされるのだからと、マイナスのゲタをはかせて提出してくるからである。もちろんこれがぎりぎりの数字だ、ということを説明するもっともらしい理由つきである。これでは大切な売上計画に、社長のビジョンを入れることなど不可能ではないか。売上の目標設定は、社長がやることなのだ。
製造部長には、前期57%の粗利だったが、今期は最低でも56.5%になるように考えて欲しい、今後とにかく粗利が0.5%より落ちないように、外注製作、買い入れ部品、生産計画を一つひとつ検討してほしい。これからは人を増やして増産する時代ではない、6億円の設備枠をあげるから、社員を増やさないでパートでできるような仕組みを考えてほしい、というように具体的指示を出す。
同様に、経理部長には、・・・(中略)
総務部長には、・・・(中略)
これらは、会社の各部門への具体的な社長方針であり、目標設定だ。なぜその数値でなければならないか。社長は幹部から質問があれば、「それはな、こうこうだから」と説得できる。もはや聞き流してすます部下はいない。全社を挙げて、社長の夢の実現へと走り出すことになるのである。そうなるように、この長期計画はつくられているのだ。
セキやんコメント: トップ自らが強い思いで設定した事業計画には「魂」が入っている。一方、社員に丸投げして、単に事務的に作られた事業計画は「仏作って、魂入れず」ということになる。だから、計画書に社長自らがコミットするかしないかで結果に雲泥の差が出る。つまり、始まる前から勝負がついているのだ。