Sekiyan's Notebook グローカルニュース〜経営の腑

セキやん通信「経営の腑」


第181号“世の中の流れを読むこと”<通算496号>(2016年5月20日)

第182号“イヤな情報こそ大切にせよ”<通算497号>(2016年5月27日)

第183号“矛盾したことを同時に頭に入れる習慣づけ”<通算498号>(2016年6月3日)

第184号“運を大切に、そして準備しなければつかめない”<通算499号>(2016年6月10日)

第185号“社風こそ社長自らつくるもの”<通算500号>(2016年6月17日)

「経営の腑」第181号<通算496号>(2016年5月20日)

 世の中の流れを読むこと  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 世の中の流れを的確に読み取って、将来の大きな方向づけをすることが、社長の最も大事な役割だ、と本書で何度も強調してきた。
 「更なる発展のためには、どのような事業をやるべきか」、これは会社の将来を決める最も肝心な要素である。そのためには社長の先見力が必要となるのは当然のことだ。これから良くなるものを手掛け、悪くなるものを捨てる。これほど単純で明快な経営の定石はない。しかし単純だから簡単かといえば、社長にとっても一番難しい仕事なのである。
 わたしが物心ついた時代の花形産業といえば、製糸産業や石炭産業であり、製粉・製糖産業も元気であった。しかし今や昔日の面影はない。わたしが事業を始めた時代から、家電や自動車が脚光を浴びつつあった。しかし、現在この業界に飛び込んで、将来事業を大きく伸ばす余地が市場に残されているのであろうか。世の中の流れは、常に、確実に動いており、その流れの見極めが会社の将来を決するのである。
 ところが、世の中の流れを百パーセント読み切る経営者なんているだろうか。日本には、百万人以上の経営者がいるのだから、きっと何人かは例外的に、天才的な先見力に恵まれた方もいらっしゃるかもしれない。しかし大方の経営者が、先の見通しに悩み迷いつつ経営しているというのが現実ではないか。
 だからこそ、経営学者だけではなく経済評論家という職業が成り立つのだ。経営者に案外、占いとか気学のようなものにこだわる方も多い。それだけ先を的確に読むことは難しい。
 一度の大儲けに終わることなく会社を永続的に発展させるためには、5年、10年の期間で事業を眺めて、世の中の流れに合うように方向を修正していかなければならない。天才的な先見力を持ち合わせていない大方の社長にとって、そのための最も確実な方法は何かといえば、手前みそになるが、社長の立てる長期計画、と思うのである。
 では、それで十分かというと、そうではない。
 長期計画の企画段階で、あるいは実践段階で、これまでに本書で説明する機会のなかった大事な要素が抜けているのだ。それらをまとめて、次から述べてみる。

セキやんコメント:   ここで指摘されるように、事業経営は取捨選択の繰り返しだ。一倉式では、売上傾向が上向きで収益性の高い商品・客先に経営資源を傾注し続けること、そしてそこから次代の事業ヒントを見つけること、に尽きる。しかし、佐藤氏はその上を行き、住みつく業態レベルまでの先見性を求めている。

「経営の腑」第182号<通算497号>(2016年5月27日)

 イヤな情報こそ大切にせよ  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 世の中の流れを見極めるうえで、案外に大事なポイントとなるにもかかわらず、多くの社長に苦手なことは、「不利な情報、耳障りな情報」を大事にすることではないだろうか。
 大体、社長はお山の大将だから、嫌な情報は嫌、聞きたくない話をわざわざするな、ということになりやすい。
 たとえば、どこかの勉強会で有名な評論家が、「これから食料品の小売店は半減してしまう」と言っているのを関係業界の社長が聞くと、「何を評論家が無責任なことを言うか、俺の業界はそんなことにはならない」と聞く耳を持たない。得意先に行って「お宅の品揃えは最近マンネリだ、これこれを加えたらどうか」と言われると、口では有り難いご指摘で、ぜひ前向きに検討しますと言っておきながら、実際は「本当にうるさい客だ、意地が悪いよ」とつい、むかっ腹を立ててしまう。
 「嫌なことを聞いたり見たりするのは嫌だ」という目で物事を見ると、本当の姿が見えてこない。これは大変なことだ。
 実は、わたしだって、いやなことを聞かされて気分がよいわけはない。人間ならだれでもそうだろう。前にも触れたことであるが、かつて、結構利益を出してまんざらでもないなあ、と思っていた時代に、二代目の非常勤社長から「君の会社はこのままではつぶれる運命だ」と言われたときには、正直言って、大いにムカッときた。今考えると傲慢不遜もいいところだが、「大会社の社長だからといって、わたしの会社をそんなにバカにしなくてもいいじゃないか、言うに事欠いてつぶれるとは何だ」と、当初はその真意を考えようともしなかった。しかし、その嫌な話が、わが社の一大事業転換のきかっけとなったのだ。
 最近も嫌な情報がどんどん耳に入ってくる。たとえばアメリカのコンピューター業界では、国内の生産拠点を次々に閉鎖して、台湾に移しはじめたというのだ。これまでも台湾で生産しているメーカーがあるにはあったが、すべてマイナーのものであった。それがIBMとかコンパックという一流どころの参画である。もし今後の長期戦略の中で、パソコンはもうアメリカでつくる産業ではないという、高い次元から海外政策を展開するのであれば、日本としても、国内で生産していては合わなくなるのも目前、という嫌な嫌な情報である。
 世の中の流れが変われば手の打ち方も変えざるをえない。いやがおうでも、台湾に出かけて、嫌な実情をこの目で確かめなければならない。楽しい仕事ではないが、勇気をもって聞けば聞くほど、見れば見るほど、困ったことに嫌な情報の真実味が増してくる。対応策を考えざるをえなくなり、計画の修正がなされることになる。それが、多少の先見性につながるのではないかと思う。
 嫌な情報こそ大事にできるかどうかは、社長が将来を的確に読むために欠かせない心得のひとつなのだ。「嫌な情報の中で、わが社はどうやって生きていくか、ということを考える勇気がなかったら経営者は務まらない」と、ぜひ心得ていただきたいのである。

セキやんコメント:  嫌な情報かどうかは、主観の問題である。大事なことは事実に向き合う姿勢だ。ある意味で思いが強くないとできない職業である社長は感情や思惑が強く、事実を受け入れることが不得手なタイプが多い。しかし、主役である顧客や市場が発する事実を無視して、事業経営はそもそも成り立たない。

「経営の腑」第183号<通算498号>(2016年6月3日)

 矛盾したことを同時に頭に入れる習慣づけ  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 社長は、会社のトップに立つ人なのだから、成せば成る、世の中にできないことは絶対ないという自信がないと、人を引っ張っていけない。
 ところが一方、世の中だれがどうやっても、できないことはできない、ということがあるのも真実だ。この二つのまるきり反対のことを、同時に頭に入れて矛盾を感じない、これは経営者にとって大事な心得だと思う。
 絶対にできる、と言っておきながら、できないものはできないとも言う。実際の経営は、このような裏腹な言葉の繰り返しの中にあるのではないだろうか。
 必ずできると社長自身が思い込まなければ、部下にやれと命令できない。しかし経過をみていて、これは危ないとみて、撤退だと指示できなければ、経営はできない。これは微妙で難しい問題なのだが、社長なら何となくつかんでいただけることだろう。
 生真面目さを大事とする一方で、不真面目でないと発想の幅が広がらないとも言う。何事も迅速に対応しなさいと言っている一方で、拙速はよくない、なぜもっとじっくり煮詰めてから実行しなかったのだと注意する。ときには情け容赦のない鬼となり、ときには慈悲にあふれた仏となる。鬼も仏も両方とも頭のなかに共存させていないと、社長の仕事は務まらないのだ。
 社長のロマンを理詰めで数値化した長期計画を実践するうえで、当初の目的を十分に達成するためには、矛盾したことを同時に頭に入れて矛盾を感じない、この発想が必要である。

セキやんコメント:  自分は、血液AB型でてんびん座だ。その所為?か、「人間そのものはすべて受け容れる」という気持ちと「人間は100%信用できる対象ではない」という考え、つまり100%完璧な人間も100%ダメな人間もいない、と思っている。佐藤誠一理論でいくと、これもムベなるものかな、ということのようだ。

「経営の腑」第184号<通算499号>(2016年6月10日)

 運を大切に、そして準備しなければつかめない  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 先代の社長が、運についてこんな話をしてくれたことがある。
 「佐藤君、君は運という生き物を見たことがあるかね。運というのは四つ足の動物なんだが」。もちろんどんな恰好をしているのか知らなかった。わたしが20代前半、創業間もなくのころではなかったかと思う。
 「運というのはな、頭がツルツルで、前髪に一握りの毛が生えているんだ。だから捕まえようと思うと、真っ正面からでないとだめなんだ。来たなと思って脇や後ろから捕まえようとしても、ツルっと逃げられてしまう。前髪しかつかむところがないんだ。だから目の前に来てからつかもうとしても遅い。運というのはあらかじめ捕まえる準備をしていないと逃げられてしまうものだ
 運はだれの前にも現れているんだが、準備をしてない人には捕まえられないんだ。あっと気がついたときには通り過ぎてしまう。運を追いかけるだけに終わって、一生ご縁がないことになる。
 経営における運も同じで、準備しておかなければつかめないよ。よく覚えておきなさい」と。(中略)
 本書で社長が自らの夢を数値化し、計画的に実現するノウハウを、心を込めて説いてきたつもりである。運という不確実なものを一切排除して、言い換えれば、運というものに左右されずに、運がよかろうが悪かろうが、会社を必然的に発展させる方法が長期計画のノウハウなのだと、皆さんに披露してきたわけである。
 しかし、同時に、それでも成功するためには運というものが必要だ、と申し上げたい。
 運を逃さないための準備が長期計画、と言えなくはない。
 本当のところ、経営においては運が七分、努力が三分ではないかと思うのだ。つまり長期計画の役割は三分、あとの七分は運に恵まれるかどうかによると言いたい。
 「努力が七分、運が三分の間違いじゃありませんか」、外部の勉強会でこの話をすると必ずこんな質問が出る。「運が七分、努力が三分です。わたしは運命論者なんだ」と答えるのが常だ。
 「それでは運任せの経営になりませんか」という意地悪な質問には、「努力が三分であってゼロではない。ただそれだけ運を大事にしなさい、と言いたいんですよ」と答えるようにしている。
 運が良かったなという気持ちでいると、せっかく捕まえた運を百パーセントまで生かそうという気になるものだ。ところが、運に恵まれたから成功したと見える人が、自分では、これは運が良かったからではない、俺の実力で成功したんだ、と錯覚する人もなかにはいる。こういう人は、せっかくの運を大事にしない。運を粗雑に扱って、二度とおまえのそばには近づかないぞ、と運から見放されるようなことをして平気だ。(中略)
 つまり、運に感謝する気持ちが本当に大切ではないだろうか。言い換えれば、社長は自分の成功に常に謙虚であれ、ということだ。
 なにかに成功したら、それは自分の力だけではない、さまざまな協力者が運を運んでくれたのだ、そのお陰で成功できたと謙虚に感謝するということが大事なのだと思うのである。
 運を大事にすることは、社長の謙虚さにつながる。これは社長の心得の大事なことだ。
 経営における成功は自分の力だと思い上がると。ツキは逃げてしまうものである。

セキやんコメント:  いかに科学が進歩し、いかに人間が賢くなっても、人知の及ばざるものは必ずあると思う。人間が宗教などに救いを求めるのは、そうした不安を感じているからかもしれない。自らの不完全性を認めたうえで、謙虚に努力することが、そうした不安を軽減する唯一の術かもしれない。

「経営の腑」第185号<通算500号>(2016年6月17日)

 社風こそ社長自らつくるもの  佐藤誠一著「野望と先見の社長学」(1994年刊)より
 社風は社長がつくる。積極的で伸びやかな社風も、なにか暗くて何事にも後ろ向きな社風も、すべて、社長がつくりだしているのだ。この自覚は大事なことである。
 部下は社長の一挙手一投足を見ている。よその会社に電話して、部下の方が社長と同じような話し方をするのに驚くことがある。皆さんもご経験のはずだ。社長のちょっとしたしぐさや話し方の癖までまねるのが、部下なのである。
 同族企業では多い例だが、なにもしない社長の奥さんに、朝から夜遅くまで一生懸命働いてくれる人の何倍もの金額を給料として出す、個人のお歳暮を会社の費用でとか、子供の車を会社の経費で、という公私混同の例は枚挙にいとまがないほどだ。
 極端な例では、社長の家族が契約デパートへ行って日用品や食料品から衣服、宝飾品に至るまで好きなものをツケで買って、会社が商品券の形でその経費を落とすということが実際にあったのには驚いてしまう。その会社で働く社員は哀れというべきだろう。
 これがそのまま社風になったらとんでもないことになる。社長がやるならわたしもオレもで、あそこはちょっと問題だね、などと得意先や仕入れ先の噂になるようでは、まさに先行きが思いやられる。こんな会社では、いくら社長が経営ビジョンを発表しても、白けきった社員の本当の協力は得られない。結局、社長のわがまま勝手の面倒見は真っ平ごめんということになりかねない。
 もし読者の会社の社風がすばらしいと、外部からの評判であれば、社長は今の行き方に自信をもって、進めていただきたい。しかし、ちょっと気になるような評判を耳にするようなことがあったら、その原因は社長自らがおつくりになっていると自覚してほしいものだ。
 さらに、前章で述べたように、長期計画による好循環サイクルが社風となることこそ、会社の長期繁栄の要点であると、心得てほしいものである。

セキやんコメント:  一倉の名言「電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも、社長の責任である」と重なる。さらに一倉は、「社員というものは、社長を信頼することができない場合には働く意欲を失い、社長がいくら気合をかけても決してこれに応えようとはしない」とも指摘している。

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