「経営の腑」第216号<通算531号>(2017年7月14日)
最小限管理(人員) 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
管理部門というものは、知らぬ間に人間が増えてゆくという特性を持っている。「役人の数は仕事量に関係なしに増えてゆく」という“パーキンソンの法則”は、会社にも生きているのである。
“管理”という考え方は、19世紀にアメリカ人フレデリック・テーラーの提唱した“科学的管理法”に始まるといえよう。これが次第にエスカレートして、何事も管理されなければならないかの如き風潮が生まれ定着した。
そして、管理することこそ事業経営で最も大切なことであり、うまく管理できれば事業経営はうまくいくというように思いこんでしまった人種が続出した。世の経営学者やコンサルタントと称する人々がこれであり、これらの人々は管理以外のことは何もいわないし、関心もない。全くの“管理亡者”である。
管理とは、会社の内部の繰り返し仕事だけを対象にしたものである。仕事というものは、事業経営に必要なものではあっても、事業経営ではないのだ。
ところで、管理というものは、仕事を円滑に運ぶためには役立つけれども、その半面に必ず“費用”を生むのだ。費用を上回る何等かの成果が上がって初めて“管理”は意味がある。つまり、“成果対費用”という生産性こそ大切なのである。
ところが、管理亡者どもはこの生産性を忘れ、管理することこそ大切だとして、何事も管理しようとし、さらに“高度な管理”や“きめの細かい管理”を目指して暴走し、管理公害を引き起こすようになってしまった。
つまり、成果を上回る費用がかかっても、そんな事は意に介せず、「管理することはよい事だ」という迷信のとりこになってしまった。
それは「記録をとる」ということが大切であり、記録をとらないと前近代的だという思想である。記録をとったところで安心をするという不思議な心理がある。それに輪をかけるものが、外ならぬマネジメントの思想である。そして、何の見境もなくやたらに記録をとり、紙屑が増えてゆく。コンピューターが導入されると紙屑製造のスピードは一段と加速され、紙屑がファイルされる。そのために人手とスペースがさらに必要になる。
ついには、誰の目にも過剰と思われる人員となる。(中略)
人員の減少は、論理では不可能である。社長の方針として、頭から「どの管理部門は何人にする。そうなるように工夫して貰いたい。できなかったら相談して貰いたい」という、M建設の総務部次長流が最も良い、というよりは、これ以外に方法はないといったほうがよいのだ。
これ以外の方法では、いたずらに論議を呼ぶだけであることを知ってもらいたいのである。
しかも、そうして決めた人員でさえ、いつ外部情勢の変化の影響を受けて、またまた変えなければならないか分かったものではないのである。
これを行うには、経営計画の中の要員計画によって、社内に目標として提示するのが最も良い。毎年一回、要員計画で見直すくらいで、客観情勢の変化にはよほどのことがない限り対応していける。(中略)
事業の要請からすれば、できれば管理せずに済ませたいのだ。しかし、現実の問題として管理しないためのロスが発生するので、ロスの減少より少ない費用で管理できる場合に限って、管理をした方が有利なのだ。
当然のこととして、高度な管理やきめ細かい管理ではなく、“最小限管理”でなければならないのである。
セキやんコメント: どの部門でも管理職は減員には猛反発する。なぜなら、減員を認めることは自らの無能を認めることに他ならないからだ。一倉がいう「事業の要請」とは経済的成果の創造で、その源は外部にあるから、できるだけ内部管理は少なくし、外部活動重点の企業構造をトップダウンで作るべしということ。
「経営の腑」第217号<通算532号>(2017年7月28日)
定期的人事異動を 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
人間は、経験によっていろいろなことを学んで成長してゆく。狭い経験しかない人間は、どうしても狭い考え方しかできないものだ。そして、会社に必要なのは幅広い考え方をもった人である。
以上のことは誰も異存はないと思う。しかし、現実の問題になった時には、「そう簡単に異動するわけにはいかない」ということになる。特に、中小企業は頭数が少ない。「分かっていてもできない」ということになり易い。当座のデメリットを考えてしまうからである。
さあ、ここのところである、考えてもらいたいのは…。人は経験によって成長するといっても、会社の中の特定の部門の仕事というのは限定されたものである。“3つき3年”という言葉がある。3ヶ月で仕事に慣れて落ち着き、3年たつと仕事に慣れ過ぎて感激がなくなり、転職が多くなることを云っているのだ。
新しい仕事についた時には、意気込みも新たに「ようし、やってやるぞ」とばかり。懸命の仕事に励む。しかし、2年も同じ仕事をしていると、限定された仕事だけに、一通りはこなすようになって、新しい努力をしなくても仕事はやれる。これが仕事に対する情熱を失わせ、惰性とマンネリで毎日を“大過”なくすごすことになる。これが恐ろしいのだ。しかし、人間である限り、新たな刺激がなければ、そのマンネリを批判しても意見をしても、その効果はないのである。
このような状態になった社員を、そのままの職務につけておくことは、あたら成長の可能性のある人間の成長の芯を止めてしまうことになるのだ。これは、本人のためにも会社のためにも大きなマイナスである。
多くの会社で、誰も気がつかないうちにこのマイナスを重ね、マイナスを大きくしているのである。(中略)
人材は、優秀なるが故にその部門をすべてうまく切り回す。それはそれで結構だが、だからといって、便宜主義でいつまでも一つの部門に止めておくと、その人材のみならず、その人材が上にいるために、あたら伸びるべき新人の芽までも摘んでしまうという二重の損害を、これまた誰も知らぬ間に受けてしまうことになるのである。人材の下には人材がかくれていても育たないことを知るべきである。
さあ、こうなったら、もう社長は人事異動をためらうべきではない。異動当座の僅かな仕事の停滞など恐れてはいけない。「一文惜しみの百文失い」にならぬよう、人事異動を行うべきである。(中略)
人事異動は、定期的に行なうのが良い。そして、これを予め方針として打ち出しておくのだ。一つの職務のタイムリミットは、2〜3年とするのが良い。こうすれば、当人のマンネリを防ぎ成長も早いからである。
管理職でないものは、特別に必要がない限り、部門を変えるわけにはなかなかいかない。だから、本人の受け持ち仕事を変えるのが良い。こうすると、その部門の仕事とか技術は、何年かすると全部できるようになる。また、リリーフマンがつとまるので、欠勤者の穴埋めに便利である。そして、これは管理職となる条件の一つを満たすことにもなるのである。一石二鳥にも三鳥にもなるのだ。
これは社長が自らの方針として管理職にやらせるのだ。そうでないと、これまた一時的な仕事の遅れを恐れて、やろうとはしないからである。
セキやんコメント: 異動に対する上役の反対論「彼をとられると、仕事に大きな支障をきたす」は、完全な上司のエゴである。そのときは、「そうか、今までお前が職務遂行できたのは彼の力で、お前の力ではなかったのか」とビシッと決めつければよい、と一倉は述べている。エゴを許して、組織は成り立たないのだ。
「経営の腑」第218号<通算533号>(2017年8月11日)
実力に応じた昇進と抜擢(前編) 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
人材の活用をこの上なく必要とする企業にとって、実力のあるものを昇進させ、あるいは抜擢してその力を発揮させることの重要さは、いまさらいうまでもない。
しかし、実際にはなかなか実行されない。口では実力主義、少数精鋭主義といいながらである。これは、社員にドライブをかけるためであって、本気で考えているのではないらしいのである。
これが行われない第一の理由は、人間関係である。昇進しなかったもの、抜き去られたものの立場や気持ちを思うと、つい実行がにぶる。これらの人々の不満が嵩じて会社を辞められでもしたら大変である、というようなことである。そんな心配をするのなら、実力主義など打ち出さない方がよいのだ。お題目だけとなえて実行しない社長では、業績を上げられるわけがない。打ち出した限りは、やらなければならないのだ。ただでさえ人数が少ない中小企業で、社員の力を活用せずに、どうやって生き残るというのか、と私はいいたいのである。
もう一つの理由は、抜擢する程の実力のあるものがいない、ということである。これは、いないのではなく、いるにも拘らず認めようとしないのである。
優秀な社員がいると、その人間の欠点をあげる。「積極的で能力もあるが、どうも他人とぶつかることが多い」「計画性はあるが、協調性がうすい」というようなことをいう。これは間違っている。優秀な人間や、積極性のある人間は、勇み足や他人とのトラブルはつきものなのだ。沈香をたくやつは屁もするものだということを忘れないでもらいたい。若いうちから他人との間をうまくやってゆくようなやつは、有能でないに決まっているのだ。
もう一つは、実力は認めるが「まだ若い」という理由で抜擢をしないという困ったクセを社長族は持っているのだ。
実力は年齢とは関係ないのだ。「まだ若い」というのは“経験”が浅いという意味であることは分かるが、優秀な奴は1年の経験で、普通の人間の3年も5年もの経験、いや10年分もの経験と同じことをチャンと学び取っているものだ。それでも人間的に練れが足りないというかもしれないが、それを補って余りある若さと情熱と馬力があることを忘れないでもらいたいのである。
若さの持つ強味を早く活かしてこそ、優秀な人間は、さらに精彩を放つものである。
“若い”ということは抜擢をためらう理由ではなくて、抜擢を決める理由であることを忘れないでもらいたいのである。
抜擢されたことに感激して、懸命に努力し、社長の期待に応えてくれることは間違いないのだ。
社長は、優秀な人間は、まだ若いうちにドンドン抜擢して腕をふるわせるべきである。
これは制度化する必要も何もない。社長の決心一つでできることである。
しかし、これは社長一人でガムシャラにやる、というものではない(やっても構わないが…)。渋る重役の説得もしなければならず、幹部社員や、場合によっては抜擢する社員の先輩同僚まで“根回し”することさえやるのである。次号で、これについての優れた実例を紹介しよう。
セキやんコメント: 実力に応じた昇進と抜擢は、小規模な組織では確かに英断しにくい。指摘されるように「人間関係」や「まだ見ぬ未来」に対する社長の不安感が、主な原因だ。それを払拭するための環境整備こそ、社長の役割だ。腹を括って決める、それを活かす環境を徹底整備する、これが組織の活性化策だ。
「経営の腑」第219号<通算534号>(2017年8月25日)
実力に応じた昇進と抜擢(後編) 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
昭和41年のことである。九州松下電器で佐賀工場を建設した時に、青沼専務は、初代工場長に32歳の村井という主任を抜擢した。副長・課長代理・課長の三段階を飛び越えての大抜擢であった。
村井は3日間足がふるえ、夜も眠れなかったという。もっともである。
この場合に、抜擢されなかったものが、ショックを受けて”やる気”をなくす心配がある。
青沼専務は、事前に十分の根回しをした。社員を階層ごとに分けて、20回にも及ぶ説明会を開いた。
まず、村井抜擢の理由を十分に説明した後に、「もしも能力がなくて実績をあげられない場合は、もとの主任にもどす。諸君、村井を応援してやってくれ」と。
また、同期の桜についても、「同期のものが一度に工場長になれるわけではない。この次にはもっと大きなチャンスがあるかも知れない。ひがまずに次のチャンスを狙え」と。
この抜擢は大成功だったのである。
抜擢されないほうもさることながら、抜擢したほうに対して社長はどうしたらよいのだろうか。
これについて、いささか気がひけるが、私自身の経験を紹介しよう。
F社に入社して2年目に、私は混乱している資材課の課長を命ぜられた。課員は17名ほどだったが、全員私より入社が早いのである。中には、10年に近い課員がいた。ただ年齢だけは私が最も高かった。
実力としては自信があったが、なにしろ部下は全員私より古いときては、やりにくいのは分かりきっている。そのために、私は、いままでの部下のうちから信頼できるものを一人つれて行きたいと思い、社長の希望を述べたのである。
その時に、社長は私を叱りつけた。「お前は何を考えているのか。お前の部下を連れて行ったら、それだけでいままでの課員とお前たち二人の間に溝ができてしまう。それで資材課がうまくいく筈がない。だから、お前ひとりでだけでゆくのだ。あとはお前の努力と実力で資材課をまとめ、成績をあげよ。それでこそお前は”男”になれるのだ」と。
この小言は、私がこれまでにいただいた数多くの恩師・先輩・知人からの忠告のうちでも、最も貴重なものの一つになったのである。
そして、私が資材課長になってからも、陰にも日なたにも、特にかばうようなことは全くしなかったのである。
セキやんコメント: 一倉社長学の教えに「人材育成の要諦は、社長が会社にいないこと」がある。社長が社内にいると、相談しなくても済むことまでイチイチ社長にお伺いを立てることになる。これを防ぐには、社長の留守が一番だ。相談できなければ、社員自身が真剣に考え結論を出すクセづけができるのだ。
「経営の腑」第220号<通算535号>(2017年9月8日)
評価をどうするか 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
私が云いたいのは、「結局は”勘”に頼るにせよ、だからといって無意味な評価を行っていてよいということにはならない。昇進・昇給・賞与は、定期的に行わなくてはならないのだから、無意味な評価に終わらず、これを有意義なものにすべきである」ということである。
それは何といっても社長の意図する方向に会社を持っていくことに役立てることであり、たとえ”勘”であるにせよ、それは単なる個人の力量や能力の比較ではなく、確固たる社長の方針にもとづく評価でなくてはならないのである。
評価法についても、「これが絶対に正しい」という方法があるわけではない。社長の思った通り行なえば、それでいいのである。
そもそも、貢献度を数字で表すこと自体ができない相談なのだ。それを知りつつ数字を使うのは、方便としてこれ以上のものが見当たらないということ以外に何の理由もないからだ。
最も常識的な評価法としては、昇進・昇給・賞与のために定期的に行うものとして、一般社員については、その直接の上司である下級管理職(または監督職)が行い、その評価を中級管理職がチェックし調整して、これを決定とする。下級管理職については、その直接に上司である中級管理職がチェックし、上級管理職が調整して決定する、という要領で順次行うということだろう。むろん、これがベストというわけではないし、評価点はあくまでも評価者の”勘”である。上司によるチェックと調整は、評価する人の評価の好みやクセや偏りによって、個々の人間や部門間のデコボコができるのをならす必要があるからである。
上司による評価法といえば、せいぜい以上に述べたことぐらいで、これ以外にどう工夫してみても、全く独創的な評価法でも発見されない限り、所詮どうやっても一長一短、五十歩百歩のものになってしまうだろう。
上司によらず、”自己評価”をさせるのがよいという主張があるが、私はこれを行っている会社の実態を調査したことがないので、具体的にどうこういう資格はない。ただ、物の本で読んだところからの感じとして、この主張は・「部下の自由意思を尊重する」という思想から生まれたらしい。そして、私の思想としては、「部下の自由意思を尊重するというのは、単なる”きれいごと”にしか過ぎない」ということだけである。
セキやんコメント: 人事評価制度は、作った途端に改訂が必要となる宿命にある。それは、事業経営が、市場や顧客との間で相対的関係にあることからすると当然だ。外部環境の変化に合わせて動かなければならない企業が、その内部だけの都合で絶対的評価指標など確立しようがないのである。