「経営の腑」第221号<通算536号>(2017年9月22日)
伝統的な組織理論の誤り(前編) 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
伝統的な組織理論は、内部管理にばかり焦点を合わせてしまっているが、この誤りはどこから出てきたのであろうか。
欧米においては、中世以前には企業と呼べるようなものはなかった。18~19世紀頃より、家業あるいは生業とでもいうべきものが次第に大きくなり、工場の形態をとるようになった。
これらのものは、現在の企業とは違って、「工場」という色彩が濃かったのである。というのは、物を作りさえすれば売れたからである。――現在の日本においても、70歳以上の職人的な経営者には、「いいものを作りさえすれば、売れる」という意識が残っている。――それは、基本的には供給不足だったからである。
その証拠に、19世紀までは、物を作るという労働のみが唯一の価値ある労働である、という思想があった。いかに供給不足に悩み、製造という労働が重視されたかがお分かりいただけると思う。決算報告書に、「製造原価報告書」なるものがあるのは、製造活動重視の思想の名残なのである。江戸時代における「士農工商」という身分制は、当時の社会が生存のための農業と、生活のための工業が商業に優先して重要であったからに外ならないのである。
このように、市場と顧客を考えなくともよかった時代の会社――実態は工場――では、内部だけを考えていればよかったのである。
そして、内部管理のお手本は、人類が昔から持っていた組織――官僚、軍隊、宗教団体、学校などの管理思想に求めればよかったし、またそれ以外にはなかったのである。
これらの組織体には、“市場”も“顧客”もなかった。あるのは「組織維持」という組織理論だけなのである。
組織というものは、いったんこれが生まれると、「組織自体の存続」のみが最重要な命題となってしまうという恐ろしいものなのである。
組織を存続させるための最重要条件は、「変化を阻止する」ということである。変化は常に組織のピンチを意味し、指導者失脚の危険を伴うからである。
階層・部門という形態、責任権限・手続きという運営理論こそ、組織の存続に絶対的に必要な“枠組み”なのである。そして、この枠組みは神聖にして侵すべからざるものにさえなってしまっていたのである。それだけではない、この組織は絶えず税金(企業の場合は経費)を食い続けて、「仕事とは関係なく自己増殖をする」(これを“パーキンソンの法則”という)。 ※次号へ続く。
セキやんコメント: 組織の在り方をスタティック(静的)に考えないことである。当然ながら、人間の基本活動である需給バランスなどの変化によって、それが変わらなければならないということを、一倉氏は指摘している。ここでも、皮相的観点ではなく人間学に基づいた本質から説いている。
「経営の腑」第222号<通算537号>(2017年10月6日)
伝統的な組織理論の誤り(後編) 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
いったん“何か”が組織と利害の対立を起すと、必ず組織の利益が優先して、“何か”の利益は無視どころか抹殺されてしまうのである。
「行政改革」という官僚組織のピンチに、官僚群がいかに死に物狂いの抵抗を示してこれを葬ってしまってきたかをみれば分かる。
それどころではない。さすがのスターリンでさえ、ソ連の官僚組織に手を下すことができなかったのである。
そして、ついには組織のよって立つ基盤―国家―さえも亡ぼしてしまうという恐ろしいものなのである。太平洋戦争は、日本陸軍が自らの組織を守るための行動―日華事変―から引き起こされたのはこれである。
この恐ろしい組織理論を企業体に導入してしまったのである。
組織の暴威は、会社の業績を低下させることなど朝飯前、会社をつぶしかねない危険極まりないものなのである。
企業体という組織は、人類が昔から持っていた組織とは根本的に違うものである。その違いとは、企業体は市場――つまりお客様を持っている、というよりもお客様がなければ企業それ自体が存在しないということである。
そのお客様の要求に応えなければ企業はつぶれてしまう。そして、お客様の要求は常に変わり続ける。変わり続けるお客様の要求に応えるためには、企業自身もこれに合わせて変わり続けなければならない。
社長学シリーズ第1巻「経営戦略」篇で「変転する市場と顧客の要求を見きわめて、これに合わせて我が社をつくりかえること」が事業の経営である、と述べているのは、このことなのである。
市場と顧客の要求に合わせるという「変化への対応」こそ、企業の生きる唯一の道なのである。
さあ、ここである。「変化に対応」しなければ生きられない企業体に、「変化を阻止」するという特性を持った組織理論を導入してしまったのである。ここに根本的な誤りがあり、悲劇の源があるのだ。
それだからこそ、組織理論に忠実であればある程企業体は混乱し、業績低下に拍車がかかり、倒産に導く大危険が待ちかまえているのである。
われわれは、この危険極まりない組織理論を捨てなければならない。そして、真に経営に役立つ全く新しい組織理論を打ちたてなければならない。
それは、いうまでもなく「変化に対応する」という特性を持ち、「企業体のすべての行動は、お客様の要求に出発し、ここに帰ってくる」という基本理念が貫かれたものでなくてはならないのである。当然のこととして、「変化を阻止する」という旧来の組織論の完全否定でなければならないのである。
これが、本篇を貫くバックボーンであり、具体的にはどんなものであるかを説いたものである。
セキやんコメント: そもそも企業経営は、お客様がいるから成り立つものであり、お客様のいない経営はあり得ない。そのお客様の要求が変化するのだから、企業体もそれに合わせなければならない。社内の都合はお客様にとって何の意味もないし、全く関心もないのだから。
「経営の腑」第223号<通算538号>(2017年10月20日)
社員とは、お客様に対して責任を負わない人種である 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)、「経営の思いがけないコツ」(社長学シリーズ第10巻:1997年刊)より
はじめに申し上げたいのは、このタイトルは社員が無責任だということではないということである。
それどころか、社員はみな会社のために一生懸命なのだ。それが、結果において、お客様にご迷惑をお掛けすることがあるという意味である。この点、くれぐれも思い違いされないよう、お願いする次第である。
第1話:小型スーパーでパートがコスト削減の使命感で、サラダ油を白絞油に勝手に変えて売上半減
第2話:社命のコストダウンのため、寿命試験なしで部品交換して、半年後から大クレーム発生
第3話:ある料亭で安い鮒を仕入れたら煮付が泥臭くなり、唐辛子や生姜で消そうとしたが消えずにそのまま提供(できるだけ努力したから・・・努力をしても結果が悪ければ駄目なことを知らない社員は多い)
以上のような例を挙げればいくらでもある。これらのことは、どれも社長の知らないところで、知らない間に行われている場合が殆どである。これが会社の信用を落とし、知らぬ間に業績を低下させているのだ。
これらのことは社員が悪いのではない。明らかに社長の責任である。このようなことになるのは、社員としてというよりは、人間としてむしろ自然なのである。
自然の成り行きに任せたらこうなるものを、社長の指導によって正してゆかなければならないのである。
では、どのように指導をしたらよいのかを考えてみよう。
これらのことを、未然にすべて防ぐことはできない。だから起こることは致し方ないとして、大切なことは、これらのことが起こってお客様に迷惑をお掛けしたことが分かった時にどうするか、である。
クレーム処理を正しく誠意を尽くして行うと同時に、再び起こらないような指導をしなければならない。ただ注意するだけでは正しい指導とはいえない。
正しい指導は、個々のケースについて、どうすべきかを明文化したマニュアルを業務別に作成することである。このマニュアルは、クレームが発生するたびにケースが増えてゆく。
そして、このマニュアルを、繰り返し何度も読んで聞かせ、読ませ、必要ならば試験をしてこれを成績として評価するのである。
これが教育である。教育というものは、正しい考え方や行動を、身につくまで根気よく繰り返すことである。
「社員は僕の思う通りに動いてくれない」と思うのは、明らかに社長の誤りである。1回や2回説明して理解してもらうことなど不可能である。この繰り返し分かるまで説明し続け、要求し続けることこそ絶対に必要なのである、ということを社長は心得ていなければならないのである。
マニュアルは一度作れば永久に使えるのだ。これを作らない法はないのである。そして、これを徹底させる努力は、やがては大きな収穫を会社にもたらすことになるのである。
セキやんコメント: 業務サイクルのPDCAは、企業人であればほとんどが知っている。しかし、実態はPだけの計画倒れに終わったり、Dのやりっ放しで堂々巡りを繰り返していたり、ノーチェックで結局はその後の改善アクションに結びついていない。だから、愚直にしつこく繰り返すことが大事なのである。
「経営の腑」第224号<通算539号>(2017年11月3日)
「顧客の要求を満たすための内部体勢」が組織 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
企業の成果はお客様の要求を満たすことによって得られる限り、企業内の人々の考え方と行動は、すべお客様の要求に始まり、お客様の要求に帰ってこなければならないのは当然すぎるくらい当然のことである。
ところが現実にはこれとは全く反対に、お客様の要求などどこかへいってしまって、会社の中にあるのは「我社」であり、「我社」の都合だけである。そして、これがお客様の要求を無視してお客様を怒らせてしまい、売上を落として業績を低下させているのである。
これはどうしたわけか。理由は簡単である。人間という動物はもともと自己本位にできているからである。
もう一つの理由は、お客様は会社の中にいない、ということである。目の前にいないために、つい忘れてしまうのである。
そして、毎日の仕事にのみ関心を向けてしまう。その仕事がなかなかうまい具合に進まないことが多い。そこで、「仕事をうまく進めるための理論」が生まれてきた。それが「組織論」を中心とした、雑論である。
これらの雑論には、お客様のためという思想は全くない。そのために、お客様などどこかへ忘れてきてしまって、すべての社内の仕事に焦点を合わせてしまっている。この顧客無視が恐ろしいのである。社内の仕事の都合がお客様の要求に優先してしまうからである。
それだけではない。組織論の関心は、日常の繰り返し仕事に焦点を合わせている。これは事業活動の中で最も次元の低いものなのだ。
ひたすらに低次元の対象にのめり込んで、日常の繰り返し仕事の管理さえうまくいけば、事業は繁栄するかのような錯覚にとらわれてしまっている。世に広く行われている「企業診断」なるものの最重点勧告事項が、まさにこの組織である。
この組織論が、どれだけ大きな害毒を企業に流しているか、計り知れないものがある。
われわれは、まずこの恐ろしい内部中心の組織論を捨てるところからは始めなければならない。
そして、正しい組織に関する正しい基本認識を持たなければならないのである。
その、正しい基本認識とは「お客様に正しいサービスを行うために、われわれはどんな体勢をとらなければならないか、どんな行動をとったらよいか」ということである。
社長たるものが、この正しい認識のもとに、我社の顧客サービス体勢をどう整備するか、これをどう指導して成果をあげるか、を考えなければならないのである。
一口に「顧客サービス」といっても、会社中が顧客指向一辺倒になるには容易なことではない。ある社長が、「一倉さん、うちの会社が仕事と技術第一主義から、顧客第一主義に変わってから1年になりますが、本当のところ、具体的にどうすることが顧客第一主義か分かりません」と私に語った程である。
これを実現する道はどこにあるのだろうか。それは、社長が絶えずお客様のところへ行き、我社のサービスの悪いところ、行き届かないところを教えてもらい、これを直せばよいのだ。
お客様からの苦情がなくなれば、顧客サービスは及第点をとれたのだと思えばいいのである。とはいえ、これは至難の業である。お客様サービスは、受ける側からしたら、これでよいということはないからである。
セキやんコメント: 企業組織は、共同体ではなく機能体である。機能体は「外的目的を果たす」ことに存続根拠を持つ。そして、企業の場合は「お客様の要求を満たす」ことこそが存立の原点・由来であり、だから内部組織の在り方もここに合わせるのが自然なのである。
「経営の腑」第225号<通算540号>(2017年11月17日)
正しい組織原理 一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
この原理は、観念論者の頭の中から生まれたものではなくて、数々の実践の経験から生まれたものである。それは、深く人間性に根ざし、成功と失敗の教訓を十分に取り入れられたものでなくてはならないのだ。
われわれは、まず、この組織原理を知った上で、我社の体質に合った組織をつくり、これを運営してゆかなければならないのである。
その組織原理の根幹をなすものは、企業組織の特性-変化に対応する-をふまえたものでなくてはならない。
それは、企業の二面性、一つは「お客様の要求を満たす」という企業本位の任務を果たすための“サービス集団”であり、もう一つは競合他社と戦って勝たなくてはならないという、生き残るための要請にもとづく“戦闘集団”という二つの面である。
サービス集団としての基本認識は、「会社はお客様のためにある」ということであり、会社の中のすべての考え方と行動は、お客様の要求を満たすことに始まり、ここに帰ってくるということである。
お客様の要求を満たすことは、面倒くさく、能率が悪く、経費がかかるものである。このことを肝に銘じ、ただただお客様にサービスをしなければならないのだ。それが企業人のつとめなのである。
しかも、お客様の要求は、決して我社の都合は考えてはくれない。あくまでもお客様自身の都合なのである。たくさんのお客様が、それぞれ自分の都合だけからの要求を我社にぶつけてくるのだ。それらは、我社の実情に合わないのは当たり前どころか、それらの要求を満たすために、ではなく、満たさなくてはならない我社には混乱が巻き起こるのである。
お客様の要求を満たすための混乱は、避けられないのだ。ところが、伝統的な組織論は、これとは全く反対に、組織内の混乱を避けて円滑に業務を処理することをもって、基本的な理念としている。そのために、どのくらいお客様の要求が無視され、お客様の信頼を失い、知らぬ間に業績を落としているか計り知れないのだ。
「社長たるもの、お客様の要求を満たすために、自ら先頭に立って社内に混乱を巻き起こせ」というのが私の主張なのである。これ以外に生きる道はないからだ。
会社の真の支配者はお客様であり、お客様の命令は絶対である。この絶対君主の要求を満たすこと以外に、会社の中には何もないのである。会社の中にある自由というのは、お客様の自由のみである。我社の自由も、社員の自由も全くないのである。
「社員の自由意思を尊重する」というマネジメントの理論は、会社を全く知らぬものの誤った理論であり、会社をつぶす危険思想なのだ。
セキやんコメント: 一倉はさらに「企業組織が戦闘集団である限り、個人の自由はない」と続け、第221号で述べた「組織自体の存続」が目的化することと併せ、社長たるものこれらの力に負けずに正しい組織を作り上げるべし、としている。