Sekiyan's Notebook グローカルニュース〜経営の腑

セキやん通信「経営の腑」


第231号“変化に対する機動力と弾力性”<通算546号>(2018年2月9日)

第232号“指令がいかに早く伝達、実施されるか”<通算547号>(2018年2月23日)

第233号“伝票処理の誤りを防止する”<通算548号>(2018年3月9日)

第234号“部下の立場に立ち顧客を無視する愚 1/3”<通算549号>(2018年3月23日)

第235号“部下の立場に立ち顧客を無視する愚 2/3”<通算550号>(2018年4月6日)

「経営の腑」第231号<通算546号>(2018年2月9日)

 変化に対する機動力と弾力性  一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
 組織というものは“分掌主義”が建前である。会社の中のさまざまな仕事は、会社が大きくなるにつれて、一人の人間、一つの部門ではこなしきれなくなってくる。そこで分担ということになるのは自然である。
 分掌主義は、同じような特性を持った仕事の一つ一つを分担することによって、増大する仕事量をこなすことができるようになった。
 その反面、新たな不都合がいろいろと発生した。その第一は、人的資源のムダであり、もう一つは機動力と弾力性が失われたことである。
 それぞれの部門の仕事量には必ず波がある。それは、一つには事業自体の特性によるものであり、もう一つは客観情勢の変化によるものである。
 決算期の前後は、経理部門では大忙しであるが、製造部門では閑散期で仕事が少ない。モデルチェンジで技術部門は猫の手も借りたい程だが、営業部門はそれには関係ない。新入社員が入った当座は総務部門が忙しく、特売や展示会では営業部門だけがやたらと忙しい、というようなことで、部門毎の仕事量は常にチグハグである。
 特定の部門が特定の期間だけ忙しい、という状態が最も多い。それぞれの部門では、繁忙期に仕事が遅れないように、平常時の人間にユトリがあっても、これを減らそうとは、なかなかしない。
 そのために、会社全体では常に人員が余りながら、特定部門の特定期間では常に人員不足ということになっている。「人が余りながら人が足りない」というのが分掌主義の泣き所なのである。
 それにもかかわらず、このような状態が“泣きどころ”と感ぜられずに、当たり前となっている。その根本原因は、組織論それ自体の考え方の中にある。
 つまり、「仕事を分担して、それぞれの仕事に責任を持つ」という思想である。そしてそれ以外の何物もない。もともとお役所の組織理論だからだ。お役所ならばこれで何の不都合もない。市場もなければお客様もなく、競争相手もいない。仕事が遅れても困るのは国民だけだからだ。だから、自分の部門のことだけ考えていればよい。他部門のことなどはじめから考えようとはしないのである。
 この考え方が、企業組織にもそのまま学者によって持ち込まれたのである。そして、職位記述書とか職務分掌規程とかによって、それぞれの部門の仕事を決めている。それらのものに決められた職務を行う責任があるということになっている。これは「決められたことだけを行なえばよい」ということになり、「決められていないことに対しては責任を持たなくてもよい」というふうに解釈されてしまう。(中略)
 会社をつぶす組織論は会社の中に入れてはいけない。会社に必要なのは「生き残るための思想」である。それは「会社の人的資源を、生き残るためにどう使うか」なのである。
 情勢は変転極まりない、その情勢の変化に対応するためには、会社の中の人的資源も、変化に応じて機動的・弾力的な配置替えを、機を失せず行ってゆかなければならないのである。
 そして、それを命ずるのが社長である。これを“采配”という。社長の采配のもとに全社が動く、これあってこそ会社は生き残れるのである。

セキやんコメント:  一倉は 「職務を細分化することは、百害あって一利ないことを知るべきである」と総括している。特に現代人は「余計ことはやらない」という特性を踏まえると、フレキシビリティが命綱の中小企業では、役所や大手企業と同様の業務細分化は、命取りになりかねないのだ。

「経営の腑」第232号<通算547号>(2018年2月23日)

 指令がいかに早く伝達、実施されるか  一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
 組織論には“指令系統の統一”という原則があり、「あなたの上司は一人しかいない」というような教え方をして“短絡”を禁じている。職制を乱すからという理由である。
 お役所ならば、これで一向に差し支えない。しかし、つぶれることがある会社では誠に危険な思想である。情勢の変化に対応する場合に、職制を通していたら後手をふむ危険性がある。
 大切なことは職制を守ることではなくて、迅速な行動である。そのためには“短絡”の方がよいのだ。前出の九州松下電器――当時の青野専務曰く:私の指示を1時間以内に全員に浸透させる確信がある。組織は運用のためにあるのであって、それに凍結されてはならない。だから専務が職長を呼んで直接指示もするし、職長も応答する。もっとも、職長は直属上司に即刻伝達するよう決めているので、ツンボ桟敷を防げる――は、この当たり前のことをやっているに過ぎないのだ。
 われわれは、観念論者の世迷い事の理論に惑わされず、正しい行動をとらなくてはならない。
 その正しい行動も、社長の方針として「うちは、必要に応じて指令の短絡を行う」ということを明確に打ち出しておかなくてはならない。そうでないと、管理職から異論が出たり、社長の指令の実行を遅らせるような行動をとられる恐れがあるからである。
 ところで“指示系統”というものは、とんだはき違いが発生するから気をつけなければならない。特に管理訓練など受けたり、マネジメントの本を読んだりした場合に起こることが多い。
 K社で、MTP(昭和25年当時通産省が米国から導入したもの。TWI研修より上位)の教育を受けた時に、困ったことが発生した。それは“指示系統の統一”についてである。
 営業課で、お客様から納期の問い合わせがあると、これが課長を通じて営業部長に行き、営業部長から製造部長に、製造部長から課長、課長から主任に伝わり、返答がその逆のコースを通って営業の担当者に返ってくる、という手続きを踏むようになった。「これでは仕事にならなくて困っています。そうしたらいいのでしょうか」という営業課長からの質問である。
 私は唖然としてしまった。こんなところにも、管理教育の弊害が出ているのである。私は「それは“指令”ではなくて、“情報”に関することです。情報伝達というものは、当事者間で直接行えばいいのです。指令系統とは別のことです」と答えた。営業課長の悩みは、これで解決してしまった。
 S社でコンベヤーシステムを導入した時である。難物の溶接工程を5人で流すこととした。テストの結果は上々だった。後日様子を見に行ったら、不良品の山ができている。検査係に事情を聞いたら「ああ、これは新しい人が流れに入ったのです。第3工程ですが、そこで出る不良です」と、すましたものである。溶接の主任に話をしたかとただすと、「いえ、していません。私の上司は検査課長ですから検査課長に報告しておきました」というのである。
 これも、指令と情報を混同している例である。指令と情報は、このように社員にとっては区別がつけにくいものであり、そこから笑えぬ笑い話が発生するのだ。注意していただきたい点である。

セキやんコメント:  社員は、「職制(ライン)を守れ」と言われ、「重大報告は一刻も早くトップに上げろ」とも言われ、迷う。その際に立ち戻るべきはその目的・本質で、おのずと取るべき行動は決まる。本文中の「大切なことは職制を守ることではなくて、迅速な行動」ということを思い出すと良い。

「経営の腑」第233号<通算548号>(2018年3月9日)

 伝票処理の誤りを防止する  一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
 この問題をどう解決したらよいのだろうか。他社から発生して我社に及ぶトラブルは防ぎようないが、自らの会社で発生するものについては、完全とはいかないが、その大部分は減らすことはできるのである。
 以下に記す(某社の例)が、これを成功させる秘訣は、確実に実施されるまで云い通すこと以外にはないのである。「何回も云っているのだから、やらないのは部下が悪いのだ」と思ったら、管理職の資格がないことを管理職に繰り返し云い続けるのである。
 そして、管理職がこれをやらないのは、社長の指導が不十分と思わなければならないのである。
1.伝票の記入は、決められた事項を必ず記入する。
 (1)月日は必ず起票した日付とする
 (2)品名は正しく(省略やニックネームはいけない)
 (3)数量は必ず個数(ペアという表現はいけない)
 (4)単価と金額(ただし、メッキと塗装品の外注加工品は除く・・・枚数が多いための便宜的な措置)
 (5)仕入先・外注先よりの納品書で、上の事項が記入していないものは検収しない(注:これは反対が強かったが強行した。私が検収確認印を捺さなかった。結果は上々だった)
2.口頭注文は禁止する。やむを得ず電話または口頭で注文したものは、必ず直ちに注文書を発行し、備考欄に“電話(口頭)注文の分”と記入する。注文書のない分については検収を行わない
3.現物と伝票は必ず同時に動かし(伝票は現物の影という教育をした)、数は伝票と一致しなければならない(注:これは厳重に守らせるような強力な指導をした。たとえば、メッキ工場からある品物を1日に3回納入させたり取りに行ってきた場合には、3枚の納品書にその都度の数を記入する。得意先に2台の車で同じ品物を納入する場合は、1台ごとに納品書を持たせ、それぞれに「何月何日納入分〇〇個のうち××個」と備考欄に記入させた。これを実施させるのが難しく、うるさく云い通して6カ月ほどかかった。急ぐ時には、つい「伝票はあとで」ということになりがちだからである)
4.転記済の伝票は必ず“転記済”の印を捺す
5.メッキ・塗装などの外注について、生地不良、メッキ・塗装不良品が発生した場合は、その不良品も同時に返してもらう。つまり、百個現物を支給したとすると「加工済納入97個、返品3個、計百個」という要領で、返品数は備考欄に記入する(注:従来は加工不良のものは返品せず、外注先に残していた。これが損耗の原因の一つとなっていた。外注先でこれを管理することなど不可能だからである)
6.メッキ・塗装を除き、現物支給は全部有償とした
7.納品後の正しい処理法を決めた(納品書の正しい記入法を知らないためのトラブルは想像以上に多い。社内伝票の誤りならば、問題は社内だけで済むが、納品書は対外的なものなので、これの処理を誤ると対外的なトラブルのもとになる。それにとどまらず、内部にも問題を引き起こしてしまうのである)
8.伝票紛失防止のため、状差しを各自に与えて、未処理伝票はこれに必ず差す。差し替えの時はポケットを改める

セキやんコメント:  上記は「買う立場」だからできるが、「売る立場」の場合は納入先の要求の変化に合わせて「担当の管理職がその都度訂正伝票を発行する」ことを決めて実行すれば効果てきめんである。以上のような考え方は、京セラの稲盛名誉会長も「一対一対応の原則」と呼んで徹底励行させている。

「経営の腑」第234号<通算549号>(2018年3月23日)

 部下の立場に立ち顧客を無視する愚 1/3  一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻:1978年刊)より
 P社の工場長は、熱心な人間関係論者であった。企業は、何よりも“人の和”が大切であり、そのためには何事も、よく部下と話し合って決めなければならないと思っていた。
 P社は受注生産なので、営業部員が引合いをもって、工場長のところに納期の相談にくる。工場長は、返答を保留し、部下を集めて納期の相談をするのである。
 設計課長は、今設計は仕事をこんなに沢山かかえており、どんなに早くても「いついつごろになります」という返答だ。資材課長も製造課長も、それぞれ家庭の事情を説明して。いつごろでなくてはできない、ということになる。その結果は、長い納期ということになってしまう。
 人間は誰しも、自分で言ったことについては、責任を持たなくてはならない。自分で決めた期限に遅れれば、「自分で決めておきながら、何故遅れるのか」と上司から責任を追及されるのに決まっている。だから、上司から責任を追及されないように、安全な上に更にサバを読んだ期限を返答する。P社の場合も例外ではない。それは相当長い納期であり、お客様の要求からは、はるかに隔たったものになってしまうのである。
 あまりにも長すぎるから、何とかもう少し短くならないか、という相談になり、多少納期が短縮される。これは短縮したのではない。工場長の顔を立てて読んでいたサバを縮めただけなのだ。そうしても、その納期ではとてもお客様の要求に応じられるものではなかった。こうして、P社の納期は常に競争相手より長く、有利な受注などとても望めるものではなかったのである。――この有様を見て私は、これはいけないと思った。こんなことをしていたらたいへんである。
 私は、ある日工場長と二人きりで話をした。というよりは、意見をしたのである。その要旨は以下の通り。
 『工場長の人間関係論それ自体は反対ではない。しかしそれが経営に優先してしまうのはいけない。企業はお客様から仕事をいただいて、はじめて食っていけるのだ。ところで、お客様というものは、あなたの会社の内部事情など全然考えない。考えるのは自分の立場だけなのだ。「この品物をいつまでに欲しい」という要求を、あなたの会社にしてくるだけなのだ。当然、あなたの会社の内部事情と合うはずがない。お客様の要求と食い違う内部事情を、いかにしてお客様の要求に近づけるかを考え、実現させるのが工場長の役目だ。
 あなたのように、部下の立場に立って、お客様の要求を二の次にしてしまうのでは、しまいにはお客様から愛想をつかされてしまう。そうなったら会社は終りだ。会社を存続させるためには、いかにしてお客様の要求に応えるかを考えるのが第一であり、工場長自らの責任において自らの意志によってお客様に納期を返答すべきである。部下の意見を聞かなければ決められないようでは、工場長としては失格である。
 激しい競争の中では、ムリがあろうと無かろうと、やるだけの仕事はやらなければならないのが現実なのである。それをよくよく部下に説明し、納得させ、部下と一緒になって、死に物狂いで努力しなければならないのだ。“部下にムリを言ってはいけない”というのは、遊戯の理論であって、企業戦争の理論ではない』――というようなことであった。
 じっと話を聞いていた工場長は『僕が間違っていた。あなたの言う通りだ。今日から改める』とおっしゃった。失礼な程、ズケズケと意見をした私をとがめもせず、謙虚に反省をされたのである。
 この時から、工場長は全く変わってしまった。これほどみごとに変わった人を見たことはない。(次号に続く)

セキやんコメント:  どの企業でも、顧客の要求と内部事情のせめぎあいがある。一倉は。その永遠のテーマともいうべき事象に見事に正面から切り込んでいる。その一倉節を、これから、3号連載したい。

「経営の腑」第235号<通算550号>(2018年4月6日)

 部下の立場に立ち顧客を無視する愚 2/3  一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻:1978年刊)より
 (前号より続く)工場長が変わった以後は、営業部門から引き合いに対する納期の相談があると部下にはいっさい相談せずに、『これはOK、これはあと10日遅らせて貰いたい』と即答である。そして、部下を集めて、『設計はいつまでに出図せよ。資材はいつまでに揃えよ。製造部門はいつまでにあげよ』と部下の意図はいっさい無視して頭から押しつける。人間関係論者に言わせると、こういうやり方は最も悪いやり方だそうである。
 本当にそうだろうか。火付け役が私だけに、結果やいかにと工場長のやり方を後方で見ていたのだ。
 はたして設計課長が反撃に出た、工場長の要求はムリである。今、わが部門はこんなにもたくさんの仕事をかかえている。そんなに早くできるわけがない、というのだ。
 工場長は、『設計の言うことはよく分かった。その通りだろう。しかし、物事は説明がつけばそれで済むというものではない。君達も知っているように、今わが社の業績は思わしくない。だから、この次の昇給やボーナスに、わが社の業績はこれこれだ、だから君達にはこれだけの昇給、これだけのボーナスしか出せない、と言ったとしたらどうか。説明がついたからというので、低い昇給やボーナスで君達は納得するか。たとえ、会社の業績がどうであろうと、君達は世間並みの額を要求するはずだ。そして、それはもっともなことなのだ。そして、会社の事情がどうであれ、君達の要求を聞かなければならないのだ。
 会社の立場だって同じなのだ。お客様あっての会社であり、お客様の要求に応えなければ、会社はやっていけないし、必要な水揚げをしなければ、君たちに給料は払えないのだ。できたって、できなくたって、やるだけのことはやらなければならないのだ』と言って、設計課長の反撃をピタリと押さえてしまった。
 これでこそ工場長である。私は感服した。『できたって、できなくたって』とは正に名言である。工場長の責任と決意を、この言葉に込めてみごとに部下を説得してしまったのである。
 この時から、工場の中の空気は全く変わってしまった。がぜん、工場には活気がみなぎり、生産は上がり出したのである。
 私は、工場内の人々の意見を聞いてみた。職長たちは、『いままでは、上司からうるさくいろいろなことを聞いてきた。今の仕事の情況はどうか、遅れないようにやっているか、何か問題はないか、やれ打合せだ、やれ相談だ、とうるさくておちおち仕事をしていられなかった。ところが、最近はそんなことは言われない。この仕事をいつまでにやれ、という指図があるだけだ。その指図はいままでより厳しいけれど、雑音がないから仕事に専念できる。なんぼ風通しがいいかわからない』というような答えが返ってくる。課長たちは『初めは驚きましたが、考えてみると工場長の言うとおりですね。お客様あっての会社ですから』と納得している。
 ある課長ごときは、ずばりと次のように言ってのけた。『いままでは、工場長はわれわれに納期を聞いて、われわれに決めさせた。これは、人間関係か何か知らないけれども、明らかに工場長の“責任回避”だ。いったい工場の納期の責任者は誰なのだ。いうまでもなく工場長なのだ。その工場長が、自分で決めずに、我々に決めさせる。納期が遅れれば、その責任は工場長にはなくて、答えた我々にある。だから責任を追及されないように、充分余裕をとった納期を答えていたのだ。ところが今は違う、工場長が自分の責任で納期を決めている。納期が遅れると工場長の責任である。正しい姿になったのだ。工場長の要求は前よりもずっときつい。しかし私はなんぼ気持ちよく仕事が出来ているかわかりません』と言うのだった。(次号に続く)

セキやんコメント:  責任者が部下に「決定」を委ねてはならない。もし部下に何かを求めるならば、正しい事実「情報」の収集に限るべきである。

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