「経営の腑」第256号<通算571号>(2019年1月25日)
お客様第一の具体策 一倉定著「新・社長の姿勢」(社長学シリーズ第9巻:1993年刊)より
まず第一には、社長が自ら姿勢を正すことである。いうまでもなく、お客様第一の姿勢である。そして、自らこれを実践するのだ。その実践とはどんなものかは、本書から汲み取っていただきたい。
また、明けても暮れても、あらゆる機会をとらえて「お客様第一」を言い通すことである。
第二に、お客様第一の思想とこれを具体的にどう行えばよいかについて、方針書をつくるのだ。たとえば、 『お客様サービスは面倒くさく、能率が悪く、時間がかかるものであることを肝に銘じてお客様のために尽くす』というのは思想であり、
『設計変更、材質変更、購入先・外注先の変更、仕入銘柄や品番の変更はすべて事前に社長の決済を要す』『在庫品はすべて先出し先入れとする』などといえば、仕事に対する具体的な方針である。分かりきったことと思われるものであっても、必ず明文化しておかなければならない。
この方針書は、必要と思えば、その方針の実行に関する具体的なマニュアルまでに細かく明文化しなければならない。その明文化は、何かお客様からクレームが発生したら、そのつどこのクレームが発生しないようなやり方を追加するのである。こうすれば、だんだん完全なものに近くなってゆく。
例えば、製造活動において、
『作業者は不良品または不良らしいものを発見した場合には「不良品投入箱」に投入する。
検査員は検査中に異常不良が起こっていることを発見した場合には、直ちに加工部門の責任者○○係長に通報するとともに、直属上司に口頭で報告する。』という要領である。
右にあげた幾つかの方針書や指導書の例が励行されたなら、本節であげた事例の幾つかは起こらないことを知っていただきたい。
そんな細かいことまでいちいち社長がああこう言わなければならないのか、ということになるが、そうなのである。これは大切なことなのである。
事はお客様のサービスに関することなのだ。どんな細かいことでも、小さなことでも、グレードは最高なのであることを忘れたら、それはお客様第一になっていないことである。
とても、体が幾つあっても足りないと思われるかもしれないが、これは、いったん決めたら、永久に使えるマニュアルになるのである。それに、社長がああこう言うのは、クレームが発生したことだけでよい。しまいにはクレームがほとんどなくなってしまうし、そうなれば、社長がああこう言うこともなくなってしまうからである。
第三には、方針書やマニュアルは、よくよく管理者に説明して徹底を図る。そして定期的な抜き取り監査をやり、試験をして、これを昇進昇級の査定に使うのである。マニュアルについて大切なことは、「マニュアルはやらなければならない最低基準であって、マニュアルに決めていないことでも、お客様サービスに必要なことがあったらやらなければならない」ということを、よくよく徹底させておくことである。これをやらないと、「マニュアルにないから」といって、やらなくなる恐れがあることを知らなければならない。
以上を励行したら、お客様サービスは格段に向上し、売上は自然に上昇するのである。
セキやんコメント: どんな社長も「なんで社員はこんなことも分からないのか!」という気持ちになることがあるが、社員は、社員であって社長ではない。社員が社長の立場でものを考えられるようなら、わが社員に甘んじていない筈だ。だから、社長の姿勢の明文化と徹底があってこそ、持ち駒として社員が活きるのだ。
「経営の腑」第257号<通算572号>(2019年2月8日)
業績不振の会社は見ただけで分かる 一倉定著「経営戦略」(社長学シリーズ第1巻:1975年刊)より
人には“人相”があり、家には“家相”があるように、会社には“社相”というものがある。“相”というのは外部に現れたものである。では、業績不振の会社はどんな“社相”をもっているか、それは、どんなものだろうか。
1.環境整備ができていない
2.事務所の建物が身分不相応に立派で広く、事務員が大勢いる
3.事務所の机の配列が、“学校式” になっている
4.貼り紙が多い――その多くは社員の姿勢や心得についてのもの
5.ハヤリモノの精神運動をやっている
というのが主なところである。以下、少しく補足説明をさせていただく。
環境整備ができていないということは、活動の原点からしてダメだということで、これができていないのでは、何をどうやっても効果は不十分で中途半端になっている、ということである。(中略:詳しくは既述)
そして、得意先、購買先会社の評価については「環境整備を見るだけで十分」と口を揃えておっしゃる。
第二の、事務所の建物が立派すぎるというのは、社長の虚栄的な性格を象徴しているからである。
こういう会社の社長室は一段と立派である。広い部屋にジュータンが敷きつめられ、デラックスな家具、額、置物がある。(中略) その収益を生み出さない事務所に貴重な資金をつぎ込むのは厳しさが足りない証拠。
机の配列が学校式になっているのは、誤ったマネジメント病にかかっているシルシである。机の配列をどう変えようと、会社の業績には全く関係ないのだ。それをワザワザ、スペースを多く要する配列をするのは明らかに間違っているのである。一坪一坪に、血の出るような金がかかっていることを忘れるようでは落第である。
貼り紙には、何らかの社員の心得が書いてある。「整理整頓」とか、「期待される社員像」とか、様々である。こんな、お説教めいたことをいくら貼り出しても、社員は全く関心を示さないものである。(中略)
第五に、ハヤリモノの精神運動を行っているのは、社長のリーダーシップが欠けている証拠である。ハヤリモノだから次々と変わっていく。それらは何れも社長自身のものではなく、誰かが提唱したものである。つまり、 “借りもの”なのだ。社員を指導するのに“借りもの”とは情けない。
何故、こうしたことが大まじめで行われるかというと、事業の経営とは何であり、社長は何をしなければならないかと、誰も教えてくれる人がいないために、社長は自分だけの考えで経営しなければならないからである。
どうしてよいか分からずに悩み苦しむ。そこで、経営学と称する経営学にあらざる「内部管理学」にとびつく、そして、内部管理学の教えに従って間違ってしまう。
悩み苦しんだ末に、藁をつかむも思いで、あるいはタメシに或いはヒヤカシで私の社長ゼミに参加された社長は大ショックを受ける。「目からうろこが落ちた」「脇腹に短刀をつきさされた」「ハラワタをつかみだされた」と、その時から社長が変わってしまう。初めて「社長は何をしなければならないか」が分かり正しい道を歩み始め、ボロ会社が立派な会社に変わっていくのである。それは、
1.お客様あっての会社である。
2.お客様の要求を満たすことによって、初めて経済的成果を手に入れることができる。
ということを認識するからである。
セキやんコメント: 上記のように悩み苦しむ中で必死にもがく姿を「闇仕合」と呼ぶ。「彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし」の故事を引くまでもなく、現状把握なくして事業経営なし、である。そして、現状とは、彼=市場の評価、己=わが社の商品・サービスの収益性の2つで、誠にシンプルなのだ。
「経営の腑」第258号<通算573号>(2019年2月22日)
能率主義から顧客主義へ 一倉定著「新事業・新商品開発」(社長学シリーズ第5巻:1978年刊)より
B社はエアークリーナーのフィルター専門メーカーである。
かつては、自動車用専門であったが、最近は公害防止装置に使うクリーナーのフィルターの売上比率が次第に高くなり、この商品の収益性は極めてよかった。そのために、自動車用のフィルターの低収益を補って、好業績をあげていたのである。
ところが、B社の社内報を見て唖然としてしまった。そこに載っている記事は、社長をはじめ、すべてが能率とコストと品質であって、公害防止用フィルターの記事など一言もないのである。そこで、いままでの社内報でこれに対する社長の方針が載ったことがあるかを聞いてみると、一度もないという。
では、公害防止用フィルターに対する社長の方針はどうなのかを聞いてみると、そうしたものはないという。
そもそも、公害防止用フィルターなんて“継子”であって、先方から勝手に注文をくれるからやっているまでだ、という返答である。
私はあきれ返ってしまった。公害防止用フィルターは、B社にとっては願ってもない新商品である。公害産業という成長産業で、しかも高収益である。そして、B社の市場多角化を実現してくれた重要商品なのである。
せめて社内報では「我社の新商品として、公害防止用フィルターが生まれた。自動車用と同様に力を入れてゆく。これによって、自動車用との二本柱ができ、企業の安全性が一段と増した」くらいのことは書けないか、と思うのである。
B社長にとって重要なのは、作業の能率であり、商品の品質ではあっても、我社の将来の安全のための「商品構成」でも「新事業」でもないのである。技術屋の“職人経営”がここにある。
職人経営の恐ろしさは、市場の変化も顧客の要求も眼中にはなく、ひたすら能率・コスト・品質だけを追い続けることである。
能率がいかに良かろうと、コストが安かろうと、品質が優れていようと、ただそれらだけでは、商品の斜陽化を防ぐ力は何もない、ということが分かっていないのである。
市場の変化も、顧客の要求も、考えてみたこともないのである。
B社の場合には、偶然にも市場の変化がB社にプラスに作用したからいいようなものの、もしもマイナスに作用した場合には、全く何もなすところなく、赤字転落から倒産への道を辿ることになるのである。
“能率主義”を捨て、“顧客主義”に徹することこそ、企業存続の基本条件なのである。顧客主義に徹してこそ、「我社の事業」のあり方が社長の関心の第一になってくる。
そして、顧客の要求の変化をつかむことが如何に大切か、が認識されるのである。
顧客の要求が変わった時に、それが我社にどのような影響を及ぼすか、を考えると現在のままの我社ではいけないことが痛感されるのである。
セキやんコメント: B社の公害用フィルターは、一倉式商品分析マトリックスにおける“シンデレラ商品”だ。売上増加で高収益、しかも新分野がゆえに早期参入による占有率の獲得が見込める、しかしそれに気づかず“継子扱い”されるもったいない商品で、実はどの中小企業にもたくさんあることを私は知っている。
「経営の腑」第259号<通算574号>(2019年3月8日)
組織は目標から決まる 一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻:1978年刊)より
現在の組織論は、企業内のもろもろの仕事を分析して、同じような技能や性格をもった仕事は、同一の部門にまとめるのがよい、という、いわゆる職能主義である。これさえもおかしいのに、具体的な適用になると更におかしくなる。戯画的な表現をすれば、ソロバンを使う仕事は経理で、コンパスと計算尺を使う仕事は技師であるという、恐るべき幼稚さである。これを用具主義という。全くの経営不在である。
組織は企業目標を達成するためのものである。とすれば、当然のこととして、企業の目標から組織が決まってくるのが本当である。
S工業は、某自動車メーカーの専属下請けであった。うち続く値下げと、賃金の上昇で、赤字寸前にまで落ち込んでしまっていた。何とかしなければ赤字転落である。
社長は以前からオンリー脱出について苦慮していた。相談をかけられた私は、ただ考えているだけではダメだ。まず数字的にその必要性をつかむことから始めなければならないと説いた。そこで役員会を開き、3年間の予測を黒板に書いてみた、そこには、意外に大きな赤字が生まれることがわかった。
このように、企業は成り行きにまかせたら赤字になる。この赤字に挑戦して企業を黒字にもってゆくのが経営者の仕事である。
別に、必要利益をあげる条件を計画し、予測と比較した。その差が、S社が新たに生み出さなければならない収益である。これをどうするかで、さんざんにもんだ。やっとのことで結論が出た。といっても、約2時間の会議を5回ほどであった。
結論が黒板に改めて整理されて一息入れた。お茶を飲みながら黒板を眺めていた重役の一人が「これを実現するには、今の組織ではダメだ」と言い出したのである。すると、他の人々も「俺もそれを考えていた」と相づちを打ったのである。目標が決まった時に、期せずして組織変更の必要性に気がついたのである。新たな目標は、どうしても新たな営業活動を絶対的に必要としているのは、だれの目にも明らかなことだったのだ。
そして、翌日と翌々日の2日間にわたって、喧々ゴウゴウの議論が続けられて、新組織図が出来上がった。私はこの会議に加わらなかった。決まったら知らせてくれといっただけである。
出来上がった組織図は、新たな営業活動に焦点が合ったものであることは当然として、新規受注品の生産待機姿勢まで打ち出されていたのには感心した。そのための要員を、ともかくも社内スカウトと配置転換によって、生み出していたのである。いうまでもなく、減員された部門がいくつかあった。
新組織によって、新たな活動が開始された。まもなくその効果が現れた。ある会社に的を絞った積極的な営業活動と、受入れの姿勢が相手会社を動かして、新たな仕事の受注に成功したのである。受入れの姿勢というのは、組織の上で、生産の課長を一人浮かせて、新規事業の生産責任者として営業課に協力させたことであり、もう一つは工場を300坪、まるまるあけて待機の姿勢を取ったのである。減員された部門は、別に何の支障もなく業務が進められた事はもちろんである。
これからの企業は、組織理論も、直間比率の考え方も、すべて企業の目標達成に焦点を合わせるという態度をもたなければならない。
セキやんコメント: 事業経営は、「お客様の要求を満たす」ことである。刻々と変わるお客様の要求に対応するには、硬直的な組織では対応できない。お客様に対応するための、最良の組織を常にフレキシブルに組成しなければ、お客様にそっぽを向かれ、ついにはお客様に見放されるだけである。
「経営の腑」第260号<通算575号>(2019年3月22日)
日報の山 一倉定著「社長の条件」(社長学シリーズ第7巻:1978年刊)より
S工業は、従業員約500名である。調査に出向いて、社長室で社長のお話を伺った。その社長の机の上に、しかも中央に、同様式の書類が20センチほどの高さに積んである。見ると日報で、何と22冊である。驚きである。社長がこんなくだらない書類に、いちいち目を通すはずがないし、時間もないはずだ。
聞いて見ると、事務を合理化し、社長に会社の中のすべての情報を毎日迅速に報告するために、最近会計機を4台買い入れ、専属の係を6名おいて計算している、とのことである。まさに形だけは完璧に近い報告制度である。
そこで私は社長に質問した。「あの日報のうち、どれとどれを特によくご覧になりますか」と。社長答えていわく、「売上日報を見るだけですよ」と。同感である。私がその会社の社長であっても、日報は売上しか見ない。というのは、その会社は標準品を継続生産している。品種も価格も、材料費も外注工賃も決まっている。社長とすれば売上だけ見ていればよい。
経営者として――だけではなく、幹部でも全く同じである――大切なことは「これさえ見ておけば大局を見誤ることはない」という情報・・・最小限の情報だけを見ているという態度である。つまり「ツボをおさえること」である。
ここまでは社長は立派である。しかし、その後がいけない。社長の見ない22種類の日報は全くのムダである。それをそのままにしてあるからだ。
私は社長に、「こんなムダな報告書はやめさせたらどうでうか」と言うと、「せっかく一生懸命になって作っている。それに何かほかに役に立つこともあるから」という返答である。いささか人情味すぎて、厳しい経営の現実を忘れているようだ。
私の知人で、ある素晴らしい業績をあげている中堅企業の専務をしている人がいる。彼は、なにか必要な情報が欲しいと、これを部下に命ずる。その時、「それならできています」と言ってくると、「作れと言わない資料をなぜ作るのだ。お前のところはよほどヒマがあるのだな。減員」と容赦なく人員を減らしたという。「これこれの資料作れ」と言われたら、いつまでに作ったらいいのかを聞いて、それに間に合うように作れば良いのでって、言われもしないのに作ることは相成らぬ、というのである。
資料というものは、明確な目的を持ち、かつ、上司が要求するもの以外は作ってはならないのだ。原始記録は日常の仕事の中で自然にできていく。この原始記録さえしっかりしておけば、いつでも、必要な時に資料をまとめられる。目的の明確でない資料は作るべきではないのだ。
セキやんコメント: 現在J社の部長と「Sフレーム」のクラウド化を推進している。システム屋さんは、上記本文のようにいろいろなデータを作りたがるが、要は当社にとってのツボは何かをおさえてデータ作成することである。(参考にならない)不必要なデータは単なるノイズと割り切ることが実務のポイントなのだ。