Sekiyan's Notebook グローカルニュース〜経営の腑

セキやん通信「経営の腑」


第291号“長期構想の書きかえ”<通算606号>(2020年5月29日)

第292号“社長の姿勢、2つの大事”<通算607号>(2020年6月12日)

第293号“方針・指令・規則違反は人前で叱れ”<通算608号>(2020年6月26日)

第294号“社長の姿勢、2つの大事”<通算609号>(2020年7月10日)

第295号“マネジメントへの挑戦(復刻版)紹介”<通算610号>(2020年7月10日)【特別号】

「経営の腑」第291号<通算606号>(2020年5月29日)

 長期構想の書きかえ  一倉定著「経営計画・資金運用」(社長学シリーズ第2巻:1976年刊)より
 長期事業構想書は、客観情勢の変化と、社長のビジョンの発展によって、たえず書き替えられてゆかなければならないということこそ重要である。
 ところが、たくさんの会社の長期計画はこうはされない。まず第一の型が、“棚上げ”である。「長期計画はできた。だからもう我社の将来は安泰である」と思い込むわけでもなさそうであるが、計画書ができると、もうこれを見ようとしない。会社に長期計画がある、と聞くと、私はそれを見せてくれ、と頼む。その時に「さあ、どこかに入っているわけだが」とくる会社がかなりあるのだ。こんな計画書なんかない方がいい。
 もう一つの型は“実績による修正”型である。「実績が計画と違ってきたから、実績にもとづいて計画を変更する」という類である。これは、先に述べた“計画どおり病”である。この病気の特色は、計画達成のための手は何も打たれていない。これでは計画など達成できるはずがない。そのくせ、事績が計画と離れてくると、「この計画は実現不可能だから実際的でない。だから実現可能なものに変更しなければならない」というのである。計画とは名ばかりで、もともと何も前向きにはやろうとしない、成り行き経営がその実態なのである。ただ格好をつけるためだけに計画書をつくるのである。長期計画の変更というものは、実績に引っ張られて後ろ向きに修正するのではない。
 我社の未来を築くために、前向きに修正していくものなのだ。その修正は、6カ月に1回程度の修正はあってよい。少なくても1年に1回程度の変更は、無い方がどうかしている。
 私はさきに短期計画のところで、計画をやたらに変更してはいけない、と主張している。ここでは、長期計画は前向きに変更しなければならない、といっている。いったいどちらが正しいのか、ということになる。
 これは、短期計画と長期計画は性格が違うから、これに対する態度が違うのである。短期計画は「今日の行動」の基準である。だからこそ、計画と実績の差を読むことによってはじめて正しい態度が取れる。これに対して長期計画は我社の未来像に関することであって、そこには実績はない。あるのは「将来に関する現在の決定」である。その決定の当否をたえず検討し、必要な変更を行ってこそ、常に我社の誤りない将来の方向を示すことができるのだ。
 短期計画は変更せず、長期計画は前向きに変更することこそ、正しい態度である。

セキやんコメント:   一倉は、「スタティック(静止的)に物を考えるな!」と繰り返して主張する。この長期計画の扱いについても、その主張通りである。根底に、「変転する顧客・市場に合わせて我社を変革することこそ経営である」とのゆるぎない信念があるからだ。だから、年計や4マスの毎月チェックが欠かせない。

「経営の腑」第292号<通算607号>(2020年6月12日)

 社長の姿勢、2つの大事  一倉定著「新・社長の姿勢」(社長学シリーズ第9巻:1993年刊)より
 事業経営の最高責任者である社長は、まず何をおいても“正しい姿勢”をもたなければならない。
 その姿勢とはどんなことであり、何が社長の役割であるかについて最も基本的な事柄を述べてみたのが本書である。
 一つは最高責任者としての在り方であり、もう一つはお客様に対する態度である。
 「お客様の要求を満たす」ことこそ、事業経営の根底をなす会社の在り方であり、最高責任者である社長の基本姿勢でなければならない。
 本書では、この点に焦点を合わせ、筆者がぶつかった事例を紹介しながら、社長が知らず知らずのうちに陥っている誤りを指摘して“他山の石”としていただくとともに、社長の正しい態度とはどんなことなのかを、さまざまな角度から掘り下げてみたのである。
 会社の業績が振るわない根本原因は、必ず社長がお客様の要求を無視しているからであり、お客様の要求を無視している限り、何をどうやっても会社の業績は良くならないことを、本書から学んでいただきたいのである。そして、一人でも多くの社長が、「お客様あっての会社」であるという正しい認識を持ってもらいたいのである。
 社長が、この正しい認識をもつと、その瞬間から会社の業績が向上しだすのを、私はこの目でシッカリと見届けているのである。
 筆者の悲願は、一人でも多くの社長が、お客様第一の姿勢をとり、会社を繁栄に導いてくれるところにある。会社の永久的繁栄こそ社長としての社会的責任の最大のものだからである。

セキやんコメント:    「会社の真の支配者は、お客さまである」、「事業経営とは、変転する市場と顧客の要求を見極め、これに合わせて我社を作り替えることである」というように、一倉は「お客様あっての会社」が原点だと指摘する。加えて、そのお客様は他でもない「わが社の」お客様だということを忘れてはならない。

「経営の腑」第293号<通算608号>(2020年6月26日)

 方針・指令・規則違反は人前で叱れ  一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
 「先生、うちの管理職で、私の指令を何やかやとお茶を濁して的確に実施しようとしない人間がいるのですが、どういう叱り方をしたらいいのでしょうか」というM社長の質問である。「今まで、どんな叱り方をしていたのですか」と聞いてみると「人前で叱ってはいけないということを聞いているので、そうしていますが、どうも私の気持ちがスッキリしないので」というのである。
 世の中に広く行われている管理職訓練では、「部下を人前で叱ってはいけない」と教えている。そして、その例に出てくるのが、清水の次郎長である。「次郎長は、子分を絶対に人前で叱らなかった。そのために、次郎長は子分をよく統率し、子分から慕われた」というようなことである。
 「クソもミソもいっしょ」とは、このことである。ヤクザという組織には、“鉄の掟”があるのだ。その掟を破った時には情容赦ない制裁が加えられるのである。この制裁がヤクザの組織を維持しているのだ。
 組織というものは、それがどんなものであれ、組織の機能を発揮し、運営を行うための“きまり” がある。つまり“ルール”が必要なのだ。(中略:次号に掲載)
 もしも、指令を守らない不心得者を、他人に分からないところに呼んで叱った場合には、本人の“面子”は守られるけれども、会社にとっては大きな誤りを犯したことになるのだ。
 それはどういうわけかというと、その人が社長の指令とか規定とかを守らないことは、衆人が知っているのだ。それを衆人の知らないところで叱ったのでは、人々は何と感じるのだろうか。「社長は自ら出した指令を守らない人がいても何にも云わない」と感ずるのである。これでは“示し”がつかないのである。
 こんなことが長い期間にわたって続けられたならば、人々は本気で指令や規則を守ろうとしなくなり、会社の運営自体ができなくなってしまうのである。その行きつく先は倒産にならなければ幸いである。
 叱られる人の面子など考えていたら大変なことになるのだ。だから、「社長の指令を守らなければ人前で叱るぞ」と平素からハッキリと云っておくべきである。
 人前で叱ってはいけないのは、「個人的なこと」なのである。
 世に説かれている人間関係論は、このことが全く分からず「人前で叱るな」といって個人が事業経営に優先してしまうという、とんでもない誤りを犯しているのである。
 事業経営を知らない人間関係論など、会社の中に導入してはならないのである。
 真の人間関係は、正しい経営を行なえば自然にでき上り、正しい事業経営とは「ワンマン経営」に徹することである。

セキやんコメント:    組織力を発揮するのに最も大事なのは「規律」であり、規律とは「決められたことは必ず守る」と「命令や指図は必ず行われる」の2つからなり、そのために「チェックは必須」であると一倉は主張している。「叱る」ことは、規律を維持するチェックの意味合いを持っていることを忘れてはならない。

「経営の腑」第294号<通算609号>(2020年7月10日)

 実施あってこその施策評価  一倉定著「内部体勢の確立」(社長学シリーズ第6巻:1982年刊)より
 (前号の補完)会社という組織は、“経済活動”という他の組織には見られない独特の活動を行っている。それが自由経済の中で行われている場合には、“競争原理”という冷徹な原理によって、グズグズしていればつぶれてしまうのだ。
 生き残るためには、単なる社則や規定だけでなく、会社の方向づけをする“方針”や、活動の基準である“計画”、状況の変化に対応するための機動力と弾力性をもった、さまざまな“施策”や“指令”が次々と打ち出されてゆくのだ。
 それらのものが、もしも不実施に終われば会社はつぶれてしまうのは、火を見るよりも明らかである。
 だからこそ、それらのものは必ず実施されなければならない。たとえ、実施の責任者が「この施策は間違っている」と判断しても、それを理由に不実施ということは絶対に許されることではないのである。
 実施責任者が、指令が間違っていると判断した場合には、意見具申は差し支えないし、やるべきである。しかし、その意見が通らなかった場合でも、実施しなければならないのである。どうしても実施がイヤならば、その役職を解いてもらうか、会社を辞めるしかないのだ。
 実施責任者が、間違っていると判断した施策や指令を実施しなければならないのは、単に組織上の問題だけではなく、もう一つ大切な理由がある。それは、次のようなことである。
 かりに、その施策が誤っていたとしよう。その場合に、施策を忠実に実行したならば、当然のこととしてその結果も誤ったものになってしまうのである。こうなれば、「その施策は間違っていた」ということが確認される。そこで、この誤りが正されるからである。
 施策を忠実に実行しない場合には、その結果がアイマイなものとなり、施策の誤りが発見できなくなるという危険が生ずるのである。
 だから、その施策が正しかろうと誤っていようと、忠実に実行することこそ大切なのである。
 社長たるものは、既述の理をよくわきまえているだけでなく、常にその理を重役にも社員にも繰り返し説き聞かせなければならない。
 そして、重役であろうと社員であろうと、もしもこれを守らない人間がいた場合には、必ず人前で叱らなければならないのである。これは、社長が「いったん打ち出したことは必ず守らせる」という自らの決意を衆人に知らせるためである。こうすれば、人々は「社長の指令を実行しなければ叱られる」と自らに云いきかせるからである。(前号「方針・指令・規則違反は人前で叱れ」参照のこと)。

セキやんコメント:    因果関係という言葉がある。結果には必ず原因があるということだ。つまり、方針が正しいかどうかは、結果が出るまで分からないということになる。にもかかわらず、方針自体の成否を机上で議論する向きが多すぎる。結果が出なければ方向転換すれば良いと割り切り、即実践がコツである。

「経営の腑」第295号<通算610号>(2020年7月10日)【特別号】

 マネジメントへの挑戦  一倉定著 原本:技報堂1965年、復刻版:日経BP社2020年6月29日発行 より
【復刻版 帯】
 55年前、日本の経営者を震撼させた「反逆の書」が今、よみがえる!
 従来の経営論は、現実に対してあまりにも無力である 「日本のドラッカー」と呼ばれた男
 「今読むべき、経営学の源流」昭和40年、男は一冊の本を上梓した。そして「中小企業の救世主」として 日本の経営学の源流をつくる。だが、男が嫌った“きれい事のマネジメント論”に とどまる会社は今もごまんとある。日本企業の未来を示す古典が復活!
【セキやん 書評】
 ある意味で発行会社にとって「自己否定の書」である。その点、すなわち発行者の矜持に対して、まずもって心より敬意を表したい。
 ただ気になったのは、発行元の社内事情なのか、著者がドラッカーと無理やり結び付けられている感が強い点である。
 全10巻の社長学全集をはじめ一倉の書を検証し続けた小生は以下のように認識している。一倉氏はドラッカーにある程度共感を示していたことは確かだが、後年のドラッカーの書については、「アメリカの会社には営業部がない」として、一倉自らが最重要視した「販売」を論じていないなど物足りなさを披歴している。
 むしろ、一倉の計数的な支柱である管理会計的思想とその実践・実績からすれば、海外の権威者の中では、世界的ベストセラー「ザ・ゴール」の著者エリヤフ・ゴールドラットに近いといえよう。
 したがって、一般的に知られる一倉に対する呼称は「社長の教祖」であるが、誰が「日本のドラッカー」と呼んだか知らないが、むしろ「日本のゴールドラット」と呼ばれるべきである。
 以上のような違和感は若干あるものの、忠実な復刻版で著作そのものの輝きは変わらないので、素直に著作の内容を読み込めば、一倉定社長学の原点「一倉イズム」に触れることができ、いかに世の経営が雑音に紛れているかが良く理解できる傑出した著作である。
 この書が世に出て半世紀以上も経つのに経営シーンに大した変化がないのは情けない限りだが、経営の本質が改めて後世に語り継がれることは意義深い。一人でも多くの経営者がこの書に触発され、本来の経営活動を実践されることを願うものである。(この書評は、Amazonレビューに7月5日アップ済み)

セキやんコメント:    一倉定氏が経営者と関わり始めた初期に書かれた「マネジメントへの挑戦」の復刻版が発売されたことを受け、急遽前号と同日に感想を記した。この当時、既に一倉社長学のエキスが確立されていたことが良く分かる。やはりタダ者ではない。まぎれもなく傑出した実践者だ。

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