「経営の腑」第321号<通算636号>(2021年6月25日)
実績に計画を合わせるとは 一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
当初 第一回変更 第二回変更
生産計画 28,200 21,800 18,500
実績 17,200
計画と実績の差 11,000 4,600 1,300
上表は、ある会社の実例である。ある月のある製品の生産計画と実績である。
一カ月に二回変更しているのである。この製品の計画と実績との差は、果たしていくつなのだろうか。
われわれは、つねに計画と実領との差を、問題としてとらえるのだ。この例の場合に問題なのは、当初計画と実績の差の11,000なのだ。それを、計画どおりできそうもないからといって、途中で二回も計画を変更して、最後に、計画に対して1,300しか遅れなかった、という解釈をしていいのだろうか。これは自己欺瞞以外の何物でもない。こうした考え方なら、第三回目の計画変更で、計画を16,000にしたら、1,200の計画突破となる。まさに、ナンセンスである。
これでは、なんのために計画をたてるのだか、さっぱりわからない。管理とは、計画にしたがって実施し、実績を計画に近づける努力をすることである。実績に計画を近づけることではないのである。実績に計画を近づけることは、別にさしつかえない。したければすればよいのだ。
ただし、それは管理ではない、ということを心得ていなければならないだけである。そして、こういう会社は、この考え方を変えないかぎり、業績は永久に向上しないであろう。ところが、この会社を笑えない事態が、随所におこっていることを筆者は知っている。
「状況の変化にしたがって計画を変えてゆく」という、もっともらしい理論のなかに、この考え方がある。といって、いいすぎなら、そう解釈されているのが現実に多いのだ。
「計画どおりには、なかなかゆくものではない」という考え方は、ミクロ的(微視的)なとらえ方をしているのである。日常の細かな計画変更も計画変更にはちがいない。その意味では正しい。しかし、もう一つ大きな視野からみれば、細かい部分の変更は、むしろ統制と考えるべきである。月間計画を完遂するために、部品の入荷状況に合わせてやりくりすると考えるのだ。
目標を達成するためには、これをハッキリと見つめながら、途中の細かな計画変更は統制であるとする考え方のほうが妥当なのである。
むろん、計画を変更する場合はある。それは、あくまでも外部情勢の変化に対応するためのものであって、社内活動のまずさによる計画変更は、してはいけないのである。社内活動のまずさを、遅れ、不良という形でとらえて、合理化をするためであり、合理化の効果を測定するモノサシとして活用するためである。
セキやんコメント: 「上半期目標に実績が届いていない。下半期も厳しいから、目標を下方修正しよう!」というのは、目標自体が「生きるための条件」になっていないからだ。競馬の予想でもあるまいし、予想を当てるのが目的ではなく、わが社が「生きるため」に、目標と実績のギャップを知り、対処するためなのだから。
「経営の腑」第322号<通算637号>(2021年7月9日)
朝令暮改は必要 一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
朝令暮改は、上にたつものの定見のなさであるとして、悪徳なりとする見解は、一般的にはそうであろう。しかし、一般的にそうだからといって、悪い点を改めないのは、それ以上の悪徳である。
たとえ、相当慎重に検討した結果の決定であっても、人間のやることであるかぎり、実施してみるとうまくいかないことも、けっして少なくない。こうした場合は、ためらわずに改めるべきである。
設計ミスを、設計者がメンツにとらわれて変更しなければ、どういう結果になるかを考えてみればわかる。
朝令暮改という批判をおそれて、改めなければ、一応上にたつもののメンツはたつが、内心はやはり気がひける。そのために、それが守られなくとも黙認することになりやすい。これがいけないのである。きめられたことが守られなくなったら終わりである。
きめられたことを守る。守らせる、ということの重要さを認識している経営者や経営担当者は、自己のメンツにとらわれずに、朝令したものでも暮改すべきである。でなければ、たとえ、ぐあいが悪くとも、断乎として守らせるのである。
制度や規定などを新しく制定する場合には、この朝令暮改の批判をおそれて、改訂を渋ることを予防するために、“試し実施期間”を設けて、この間の経験によって、悪いところを随時改定し、それらが終わったところで本決定とするほうがいいし、実際的である。
とはいっても、「実情に合わない」という声には、ほんとうに実情に合わないものと、たんに現状や、過去の経験からみて、そういう場合がある。このへんの判断を誤らないことがたいせつである。要は、あくまでも前向きの姿勢をとることである。
セキやんコメント: 論語でも、「過ちては 改むるに 憚ること勿れ」と、人は誰も過ちをおかすものだが、その過ちに気づいたらすぐに改めるべきだと教えている。それを、つまらないメンツにこだわって「改めることを躊躇する」という愚を犯してはならないのだ。こういう性向の方は、指揮官には向かない。
「経営の腑」第323号<通算638号>(2021年7月23日)
問題とは何か 一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
問題ということばは、じつによく使われる。われわれは、問題とは何かがわからずに、やたらに使ってはいないであろうか。
いわく、問題とは、解決しなければならない事がらである。いわく、企業の業績向上を阻害する要因である。などであろう。これらの定義はまちがいではないだろうが、なんとなくピンとこない。もっと端的な定義はないものであろうか。筆者はつぎのように考える。
問題とは、計画(標準)と現状との差である。
生産計画に対して、現状はそれより遅れているなら、その差が問題なのだ。不良品というのは、目標品質までいっていないから問題なのである。
大きく会社の問題とは、会社の目標と現状との差である。トップの方針と現状との差が問題なのである。
こう考えると、問題はなんであるかが明りょうにつかめる。数字で表現された目標や標準があれば、問題はハッキリと数字でつかむことができるのである。これならばピンとくるのである。
とすると、方針、目標、計画、標準などのないところに問題は存在しないといってよい。あるのは現象だけである。不良品がでるといっても、不良品をなくそうとする意欲があるから問題となるのであって、「ある程度の不良は仕方がない」と思っている人には、不良というのは現象であって問題ではないのである。
であるから、問題というものは存在するのでなくて、つくりだすものであり、生みだすものである。高い目標を設定した瞬間に、目標と現状との差が問題になってくるのである。現状に満足しているものには問題はない。向上しようとする意欲から問題が生みだされる。高い目標や、高い標準を設定すればするほど、問題は大きくなるのだ。現状とのギャップが大きいからだ。
こう考えてくると、問題解決とは、計画と実績との差をつめること、すなわち統制することなのだ、ということがいえるのである。
セキやんコメント: どの会社でも「問題意識を持て!」と上からハッパをかけられる。しかし、片手落ちの場合が多い。明確な目標を設定せずに、精神論だけで語られるケースがほとんどだ。我田引水だが、こうした状況に全社の共通目標を数値で設定し、その対処活動をPDCAサイクルに乗せるのが「Sフレーム」である。
「経営の腑」第324号<通算639号>(2021年8月6日)
急性問題と慢性問題 一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
問題には二つの性質がある。急性と慢性だ。人間の病気にも急性と慢性があり、それによって治療法がちがうように、間題も急性と慢性では解決法がちがうのである。
急性の場合には、
1 問題をつかむ
2 対策をとる
3 原因を調べて、これを除く
というように、対策が先である。機械が故障した、作業者が欠勤した、外注品が遅れた、というような場合である。
このようなときに、対策もとらずに原因を調べることや責任を追及することは意味がない。火事は消すことが先で、原因はあとから調べればいい。
ところが、会社の仕事では、対策もとらずに、責任を追及するようなことをしているのを、しばしば見かけるのだ。とくに遅延対策会議にこの傾向が強い。遅延の回復対策はそっちのけ、もっぱら責任者の責任追及をしている。これは、遅延対策会議でなくて、査問会である。これで遅延が回復したら不思議である。遅延対策会議には、対策以外は議題にしてはダメなのである。
慢性の問題の解決法は、
1 問題をつかむ
2 原因をあきらかにする
3 対策をとる
という順序に行うのである。急性問題とは順序がちがうことに注意していただきたい。
慢性問題に、その原因もよくつかまずに手をうつことは危険である。原因をはっきりとつかんだうえで抜本的な手をうたなければ、事態はいつまでたっても好転しない。ところが現実には、原因をよく調べもしないで、対症療法ばかりに力を入れていることが多いのである。不良の原因はそっちのけ、手直しにばかりうき身をやつしたり、外注品の遅れは督促をもって唯一の対策と思いこんでいたりするのは、この例である。
われわれは、問題が急性であるのか、慢性であるのかをまず見きわめることがたいせつであり、それに応じて、どのような行動をとるべきかを知っていなければならないのである。
セキやんコメント: モノには順序というものがあり、上記の問題解決へのアプローチについても同様だ。問題解決に臨む際の大きなポイントは、まず「落ち着く」ことである。なにしろ、「解決できない問題は目の前に現れない」というではないか。そして、手順をあらかじめ決めるのは「落ち着く」状況づくりにとても有効だ。
「経営の腑」第325号<通算640号>(2021年8月20日)
問題解決の考え方 一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
慢性の問題は、なかなか解決がむずかしい。むずかしいからこそ慢性化しているのだ。だから、これを解決するには、ただやたらにこね回してもダメである。一定のルールにしたがって、解決に努力するのが賢明であろう。
つぎにあげる実例は、D・カーネギー著『道は開ける』の邦訳(創元社)から引用したものである。標題は・・・仕事上の悩みの五割をなくす法。
これは「ジョン氏」とか「エックス氏」とか「オハイオの私の知人」とか、漠然とした人についての作り話ではない。実在の人物だ。レオン・シムキンといって、長年シモン・シャスター印刷会社の重役をつとめ、現在はニューヨークのポケット・ブック発行の社長をしている人のことだ。次にしるすのは、彼自身の語る彼の体験駿である――
「十五年間、私は毎日の半分を、会議や討論に過ごしていた。これをしようか、あれをしようか、やめようか。我々は興奮し、椅子の上で身体をくねらせ、部屋の中を歩きまわり、議論は堂々めぐりで、いつまでたってもきりがつかなかった。夜になると、私はヘトヘ卜に疲れきってしまった。死ぬまで、この状態が続くのかと思われた。十五年もやってきて、ほかにいい方法があるはずだということに気がつかなかったのだ。もし誰かが私に、私か厄介な会議に費している時間の四分の三と神経緊張の四分の三とを除去する方法があるはずだと言ったとしたら、私はその男のことを、物知らずの、畑水練ののんき者めがと、ののしったにちがいないのである。それでいて私は、それを実行するプランを考え出したのだ。もう八年間実施している。それは能率、健康、幸福の点で実に素晴らしい成功をおさめている。それは魔術のように聞こえるが、あらゆる魔術同様、種を明かせば、いたって単純なものだ。
秘訣はこうだ。第一に、十五年間会議開催に用いていた手続きを全廃した――まず同僚の役員が失敗した事柄を詳細に報告したあげく、『で、どうしたものか?』という言葉で終わる手続きである。第二に、私は新しい規則を作った。すなわち私に問題を提出したい者は、まずあらかじめ次の四つの問いに答えられる覚書きを作って提出すべしというのである。
第一問 その問題とは何か?
(従来我々は、問題の本質をハッキリと具体的に知らないままで、一時間も二時間も、めんどうな議論を続けていたのである。我々は問題の核心をハッキリと書きしるすべきであったのに、それをしないで、問題について甲論乙駁、興奮していたのである。)
第二問 問題の原因は何か?
(既往をかえりみると、私は問題の根本に横たわる条件をハッキリと見つけようとしないで、厄介な会議に時間を空費した。それを思うと全くいやになる。)
第三問 その問題に対するすべての可能な解決法は何か?
(往時は、誰か一つの解決策を提案する。すると誰かがそれに反対を唱える。みんな真赤になる。主題からそれてしまうこともある。会議が終わってみると、問題解決に必要な事項が何一つ書き留めてないという有様だった。)
第四問 君の提案する解決法は何か?
(これまで私は、ある問題についていたずらに悩みつづけるのみで、何等それについて思考せず――『私の提案する解決法はこれだ』と書きしるすことをしない人と会議に出席していたのだ。)
私の同僚たちは、めったに問題をもって私の所へはやって来なかった。なぜかというに、彼等がこれら四つの質問に答えるためには、あらゆる事実をつかみ、問題を充分検討しつくさねばならなかったからだ。
それをやってしまった後には、たいていの場合、私に相談する必要がなくなった。なぜなら、適当な解決法が、ちょうどトースターからパンが飛び出すように出てきたからだ。相談の必要な場合でさえ、話合いは従来の三分の一ですむ。順序よく論理的な道を経て妥当な結論に到達するからだ。
いま私の会社では、何が間違っているかについて悩んだり相談したりに長い時間は費さない。物事を正しくするために、相談よりも実行に重きをおくからだ」
少し私が補足しよう。
第一の問題について
問題の本質を具体的につかむには、方針、目標、計画などと現状を比較することだ。そして、その問題を掘り下げて考えてみる。あくまでも客観的に、他社と比較し、すう勢を分析し、 必要とあれば第三者の意見を聞くことであろう。
第二の原因について
問題には、つねにいろいろな原因がからみ合っている。そのなかから最も支配的な原因、いいかえれば、そこを押えれば、あとは“いもづる式”に解決する点をつかむことである。ツボをはずれた灸はきかないように、根本原因をつかまぬ対策は問題を解決しない。
第三の対策について
考えられるだけの対策を列挙してみる。一つだけしか対策をあげないのではダメである。対策をいくつあげられるか、で結果の半分はきまる。多くの対策会議で失敗するのは、一つの対策がでると、すぐにそれに対する批判がでるために、その対策のみの適否の討論に熱中して、他の対策のあることを忘れてしまうことにある。
いかなる対策にも必ず欠点がある。人間の考えだすことであるかぎり欠点のない対衆はないのである。その欠点をあげつらっていたのでは、問題は解決しない。だから、対策に対する批判は意味がない。
まず、考えられる対策を全部あげてみる。一見、非常識と思われる対策や、実現不可能と思われる案に、意外とすばらしい解決衆がかくされているのである。ブレーン・ストーミングはこの考え方がたいせつなポイントの一つになっているではないか。
とにかく、どのような案がでても、これに対する批判は厳禁というルールを確立すべきである。批判をするのではなくて、出そろった案について、客観的に、その利害得失を検討するのである。
第四の決定について
どの案にも必ず利害得失がある。利点だけの案はない。そこで必要なのは決断である。ちゅうちょすることは、対策を誤るよりもいけないのである。思いきって決定するのだ。いかにすぐれた決定でも、決定が遅れて実施の時間がないならば、それは決定しないのと結果は同じなのである。
ここで、さらにもう一つ、第五番目としてつけ加えるものがある。それは“結果はどうか”ということである。“決定”の結果についてのチェックを必ずすることである。予測どおりであったか、もしも予測どおりでなかったなら、どこで誤ったかを検討することである。そして、これからどうするか、を考えるのである。
この問題・原因・対策・決定・結果という過程を“意志決定の五段階”という。
筆者は、この考え方を、問題解決会議と称して、多くの会社で実施している。そして、それが大きな効呆をあげているという経験からも、この考え方、やり方こそ、問題解決の最短距離であると確信しているのである。
セキやんコメント: 出典の『仕事上の悩みの五割をなくす法』のタイトル通り、いかに我々は非生産的な時間を日常業務に費やしているかが、ロジカルに説明されている。合理的に仕事を進めようとするなら、これに倣って、シンプルで論理的な仕組みを作ってしまえばいいのだ。それを具現化したのが「Sフレーム」だ。