Sekiyan's Notebook グローカルニュース〜経営の腑

セキやん通信「経営の腑」


第341号“上を向け”<通算656号>(2022年4月1日)

第342号“決断せよ”<通算657号>(2022年4月15日)

第343号“目標を設定せよ”<通算658号>(2022年4月29日)

第344号“結果に注目せよ”<通算659号>(2022年5月13日)

第345号“時間を有効に利用せよ”<通算660号>(2022年5月27日)

「経営の腑」第341号<通算656号>(2022年4月1日)

 上を向け  一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
 “部下を管理する”ことばかり強調するマネジメント理論の、もう一つの欠陥は、部下に対することばかり教えていることである。つまり、下を向け、下を見よ、下を考えよ、と下ばかリである。“よい上司”になるには、下を向いていればいいらしい。
 経営担当者にとって、ほんとうにたいせつなことは、下を向くことではなくて、まず上を向くことである。経営者が上を向く、ということは、顧客のほうを向くことである。よい社長、よい経営担当者になるまえに、顧客にとって良い会社、上役からみてよい部下になることである。
 よい部下になれないものが、よい上役になれるわけがない。よい上役になろうとするまえに、よい部下になることなのだ。では、よい部下の態度とはどういうものであろうか。
 それは、「上役は自分に何を求めているか」をはっきりと認識することである。このことは非常に大切なことである。というより根本的な問題である。それにもかかわらず、これを確かめようとせず、自分の得意なもの、関心のある事柄のみに心をうばわれ、それを部下に要求することが自分の仕事だと思っている人が少なくない。
 こうなると、会社の方針と遊離してしまう危険がある。そして、部下にやらせたことはムダになり、やりなおしをしなければならないハメに陥ることも少なくない。部下はたまったものではない。部下の時間を浪費するのは、部下よりもむしろ上役なのだ。
 部下に何をさせるのか、何を要求したらいいかは、部下のほうを向くことからはでてこない。それは上役のほうを向くことから出てくるものなのだ。
 しかし、上を向いただけで、つぎに下を向くのはまだ早い、上のつぎには横を向くことが必要なのだ。というのは、自分の同僚が自分に何を期待しているのか、どうしてもらいたいのかを知ることである。組み立ての予定を知ろうともせずに、自分の都合だけで仕事をしていたら、ドタン場になって必要な部品が足りず、急がない部品が余ってしまう、というようなことが、日常茶飯事としてくり返されているのが現実である。これもけっきょくは、部下にやらずもがなのオーバー・ロードをかけることになる。ほめられた上役とはいえない。
 有能な経営担当者は、「部下が自分に何を期待しているか」ということではなく、まず、上役が自分に何を求め、同僚が自分に何を期待するか、ということを確実につかむ。そしてだから自分は部下に何を要求するか、ということを考えるのである。こうした上役がほんとうに部下のことを思う、部下をたいせつにする上役なのである。
 部下をうまく指導し、部下のためになることは、部下のほうに目を向けることからはでてこないのである。それは「上を向く」ことから出てくるのである。「横を向く」ことから出てくるのである。

セキやんコメント:    事業経営の目的は「お客様の要求を満たすこと」だ。そして、仕事は横に流れるのである。だから、「お客様」を向いてそのご要求を把握し、「横の部署」を向いて円滑に連携することに尽きるのだ。逆に、部下ばかり見て、自分の部署に閉じこもってしまえば、事業経営の目的など果たせない。

「経営の腑」第342号<通算657号>(2022年4月15日)

 決断せよ  一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
 経営担当者は、つねにいろいろな決定にせまられる。それらに対して、よく事態を見きわめ、判断し、決定しなければならないのが経営担当者なのだ。決定によって将来の方向が見きわめられるのである。
 決定の段階で最もいましめなければならないのは、躊躇することである。躊躇することは、誤った決定をするよりもなお悪い。
 その第一の罪悪は、時機を逸することである。いかに優秀な決定であっても、タイミングをはずしてしまったら、もはや、それはタイミングのよい、劣った決定よりもなお劣る。決定は、すみやかなるをもって、尊しとするのだ。
 第二の罪悪は、部下を不安がらせることである。部下は上司の意図をはかりかねて、不安の念にかられる。そして、どうしたらいいかわからすに、いたずらに右往左往することになる。その活動は、統制のとれない烏合の衆となってしまう。
 そればかりか、なかなか決定をくださない上司は、部下の信頼を失っていく。
 決定には大きな勇気がいる。その決定が重大な結果をひき起こさないともかぎらないし、決定に対する全責任を負わなければならないからである。将来の危険が、つねにつきまとっているのだ。
 経営担当者は、それでも、みずからの責任において、断をくださなければならないのだ。これをおそれたら、経営担当者の資格はないと知るべきである。
 決定にさいしては、部下の意見を聞くのもよし、信頼する人に相談するのもいいだろう。しかし、決定はあくまでも自分の責任において行うものである。かりそめにも意見を聞いた人に責任を転嫁するかごとき態度は、絶対にとるべきではないのである。

セキやんコメント:    決定の要諦は、「朝令暮改をおそれない」ことである。つまり、PDCAサイクルを多く回すことを優先するのである。決定し、実行して、間違ったと感じたら即座に修正し、うまくいったら継続し磨き上げて行けばいいだけである。そこには、ちんけなプライドなどは不要なのである。

「経営の腑」第343号<通算658号>(2022年4月29日)

 目標を設定せよ  一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
 目標については、第一章ですでに述べた。
 経営担当者のじっさいの活動は、目標を設定することからはじまる。まず、自分の目標と方針をはっきり決めることである。
 それは、会社の目標、上役の要求、同僚の期待を総合して、それらを達成するためには自分はどうすればよいか、を自分で考え、自分の意志で決定するのだ。
 決定したら、必ずこれを書きあらわすのだ。そして、それをまず上役に知らせ、同僚に知らせるのだ。これをやらないと、もしも上役の意図や同僚の期待を、十分理解していなかった場合に、これを事前に発見することができず、混乱やトラブルの原因となり、貴重な時間と金をムダにするかも知れないのである。
 また、自分の目標や方針を上役や同僚が理解してくれていれば、何かと適切な指導や助言もうけられるのである。
 上役と同僚に知らせて、その承認と了解をえたものを、はじめて部下に、要すれば取引先へも知らせるのである。そしてそれを完遂する決意を述べるのである。
 自分の目標をもたぬ経営担当者には、ほんとうの管理はできない。そして、それを実現する過程で自己を高め、部下を教育していくのである。
 部下を教育する最良の道具は、部下にさせる仕事それ自身である。

セキやんコメント:    目標と方針を、みずからの意志で決め、上役・同僚と共有し、部下や取引先に協力を頼み、それを実現する道程で、部下とともに成長する。これは、事業経営そのものであり、それを組織する一人ひとりにとっても、まったく同じことなのだ。

「経営の腑」第344号<通算659号>(2022年5月13日)

 結果に注目せよ  一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
 ホンダ技研が鈴鹿に新工場を建設したときのことである。本田・藤沢氏らのトップは、総工費90億円という大計画のいっさいを、課長以下の若手にゆだねたのである。
 「工場建設の過程については何もいわぬ。すきなようにつくれ。できあがったもので評価する」というのが両氏の考えである。若いものはふるいたった。全社的な会議がもたれ、3000件の提案が従業員からでた。そして土地買収からわずか10カ月で月産5万台のモペット工場が全面稼働に入ったのである。このスピード完成の裏には、「設計図ができあがらないうちに、建設業者に工事をはじめさせた」というような、常識をやぶり、手続をはぶいた戦法がとられたのである。
 本田流のみごとな勝利である。このように、仕事というのはすべてが結果である。
 結果さえよければ、その方法や過程はどうでもいいのである。本田技研の鈴鹿工場は、こうしたトップの考え方が、従業員のやる気と創意を生みだしているのだ。
 松下幸之助氏は、「富士山に登る道は無数にある」という表現をしている。
 ところが、従来のマネジメントの考え方は、方法や過程を非常に重視する。そして、方法がよかったのだから、結果は悪くても仕方がない、というように考えないだろうか。われわれの仕事においては、気持ちのうえの一生懸命や、やり方のよさ、というものは通用しない。精魂こめてつくっても、悪い品物はお客様は買ってくれない。精妙な管理技術を導入しても、そのために原価が上がったら、なにもならない。管理技術は、それ自体ますます高度化し、機械化していく。しかし、それらはあくまでもよい結果を得るものでなければ、存在価値はないものと知るべきである。
 有能な経営担当者は、「どのような仕事か」ではなく、「どのような結果が求められているか」を考えるものである。技術や手段は重視しないものである。
 結果は、単純な活動や、特定部門のみの努力で生み出されるものではない。会社のなかの多くの活動やいくつもの部門の努力の合成である。とするならば、自分は、結果に貢献するために、どのようなことをしなければならないか、部下に何をさせたらいいか、というふうに考えなければならないのである。
 だいたい、人は、特に技術屋は、自分のもっている技術をふるうことに関心を向けすぎている。そして、その技術に対して給料が支払われていると思いこんでいる人が多い。これは、まちがっている。会社が自分に給料を払っているのは、自分のもっている技術に対してでもなく、努力に対してでもない。ただ一つ、“結果を手に入れるため”であることを理解しなければならないのである。

セキやんコメント:    「動く」と「働く」は違う。「動く」は、結果に責任をもたない。一方、「働く」は、ニンベンの「人」の意志が入り、「ハタを楽にする」、つまり結果にコミットする。意志をもたず、単に「動く」フリをしても給料はもらえるが、こんな烏合の衆の集まりでは、冷徹な市場から早晩撤退を迫られるのはあきらかだ。

「経営の腑」第345号<通算660号>(2022年5月27日)

 時間を有効に利用せよ  一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
 本田宗一郎氏のいわゆる“本田哲学”の特色の一つとして“時間”がある。(中略)
 時間は、とりかえすこともできなければ、保存することもできない。金銭で買うこともできない。いったん失われた時間は永久にかえってこない。タイムリーな決定をのがしたら、同じチャンスは二度とこないのである。
 会社にとって最も重要な資源は、金でもなく、資材でもなく、人でもなく、じつに時間なのである。しかも使い方が最もむずかしいのは時間であり、最も歩留まりの悪いものは時間なのである。
 時間は有効に利用する以外にはないのである。そこで、時間を有効に利用する方法を考えてみよう。
 まず第一に、決定を早くくだすことである。たとえ、その決定がまちがっていて変更することがあっても、ドタン場で決定するよりはまさるのである。ドタン場まで決定をのばすことは、それまでの時間がムダに浪費されたことであり、決定後の実施で時間不足によるムダやムリが発生するからである。
 第二に、上役との連絡に時間をさくことである。有能な経営担当者は上を向く、上役の考えをハッキリとつかんだのちに行動をおこす。会社において時間が浪費されるのは、上役や同僚が自分と同じ考えでいるかどうかを、たしかめずにことを進めたためにおこるイザコザが非常に多いのである。
 上役との連絡よりも、部下との連絡に時間を多くとることは、けっしてほめられたことではないのだ。そこには時間をムダにする危険を、つねにはらんでいるからである。
 第三に、くり返し仕事は部下にまかせることである。標準をきめて部下にまかせることがたいせつなのだ。こうすれば、もはやくり返し仕事に時間をくわれることはないのである。
 第四に、準備に時間をかけることである。時間を有効に利用しようとするときに、われわれはよく準備の時間を切りつめようとする誤りをおかしがちである。これは、結局は時間を浪費することになる。(中略)
 急ぐときほど準備に時間をかける。そして、行動に移ったなら、一瀉千里に仕上げてしまうのである。
 第五に、タイム・チェックをすることである。ときたま、自分の時間の使い方をチェックしてみるのである。二度と返らぬ時間がどのようにムダに消え去っているかを、知って驚かない人はほとんどいないであろう。
 最後に、予定を組みすぎないことである。
 従来の考え方は、時間を有効に利用する方法として真っ先に出てくるのが、“予定を組め”ということである。
 これも、大部分の人が頭から信じ込んでいる迷信である。そして、時間を有効に利用できないのは、予定を組まないせいだと思いこんでいる。これはとんでもないまちがいである。(中略)
 予定をたてすぎることは、予定表をぜんぜん組まないよりもなお悪いのである。
 作業者のように、単純なくり返し業務ならば、時間単位の予定表も、あるいは組むことができるかもしれない。
 経営担当者は、つねに予期しない出来事を処理することが日常の業務であるのだ。例外管理とはこのことなのである。
 経営管理者にとってたいせつなことは、このような予期しない事態にそなえるために、何も予定のない時間を予定に組むことなのだ。重要な役職者ほど予定のない時間を組む必要があるが、現実にはその要求とは逆に組むことが難しい。この矛盾した要求を切り抜けるには、優先順位の決定(次号)が必要となってくる。

セキやんコメント:    「時はカネなり」というが、正しくは「時は命なり」とするべきだ。上記2行目で一倉が指摘しているように、「いったん失われた時間は永久にかえってこない」からだ。つまり、代替できない限り、「命」と同じという認識が正しい。それだけ、大事にしなければならないのが「時間」なのである。

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