「経営の腑」第346号<通算661号>(2022年6月10日)
優先順位を決定せよ 一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
重要な役職者ほど処理しなければならない仕事に比較して、少しの時間しかもっていないとすれば、どんな問題を先にとりあげ、何を後回しにするかを決定しなければならない。何もかも処理しようとしたら何もかも処理できなくなるからだ。
しかし、後回しにした仕事というものは、よほどのことがないかぎり、あらためてやるということはできないし、するべきではない。もはやタイミングを失ってしまって、やっても意味がないことが多いからだ。特に新規事業や営業活動には、このことがいえる。
有能な経営担当者は、何が重要かを、みずから決定する人である。しかし、これよりももっと難しいのは、「何をやらないか」を決定することなのだ。何をやるかをきめる前に、何をやらないかをきめる方が、効果的な仕事ができる場合がけっして少なくないことを心得ておく必要がある。(中略)
ところで、優先順位をきめる尺度はいったい何であろうか。
それは、会社全体にとって何が必要か、何が会社の将来の業績をあげるものであるか、ということであって、自分の関心の深さでもなければ、現在困っている問題でもないのである。当然のこととして、それは上役の仕事がいかに効果的にすすめられるか、同僚の仕事にどのような貢献をするか、ということである。自分の部下の仕事がやりよくなることではないのだ。(中略)
倒産した会社、業績悪化の会社を再建するときに、新しい経営者が真っ先に打つ手は、きまって不能率工場の処分、採算の悪い製品の切りすて、それでもまだ足りないときは、人員整理、機構の簡素化など、すてることばかりである。
捨てないことによって会社をつぶし、捨てることによって会社が更生する、という表現もなりたつのだ。
新製品の発表ばかりに関心をうばわれていてはダメである。新製品を出すときは、かわりに捨てる製品を考えることが絶対に必要なのだ。便秘がおそろしいのは、人間だけではない。
われわれの知識、技術、考え方などについても、まったく同じことがいえる。新しい知識、技術、考え方をとり入れるよりは、古い知識、技術、考え方を捨てる方が、ずっと大切であり、困難なことなのだ。摂取よりも排泄がたいせつなのだ。
われわれは、いままであまりに多く、新しいものをとり入れることばかりに、努力と関心を向けすぎてきた。しかし、これからは、古いものをすてることに大きな関心と努力をはらう必要があるのだ。
斜陽産業といわれる鉄道業界で、すばらしいアイデアによって、見事に会社を立ち直らせたニューヨーク・セントラル鉄道の社長、アルフレッド・パールマン氏のことばを紹介して、この項の最後をかざろう。
「2年たったら再検討せよ、5年つづいたら疑え、10年たったら、すててしまえ」
セキやんコメント: 一倉がほかの論考で指摘しているが、「スクラップ&ビルド」という通り、最初に「スクラップ(すてる)」そのあとに「ビルド(新たにくわえる)」という順序が大事だ。いうまでもなく、個人でも組織でもキャパ(容量)の有限性を考えれば当然だ。有限な経営資源で、無限なニーズと格闘するのだから。
「経営の腑」第347号<通算662号>(2022年6月24日)
人の長所を利用せよ 一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
プロ野球、かつての強打者、青田氏のバッティングコーチとしての指導方針は、「長所を伸ばして、短所を問題にしない」ということだと、スポーツ紙に紹介されていたのを読んだことがある。至言である。
人はだれでも必ず弱点・短所をもっている。そして、大部分の人はつねに弱点あるいは短所を問題にしている。
しかし、人の短所を問題にしてみても、そこから何も生産的なものはでてこない。
真に生産的に利用できるものは、その人の長所のみである。とするならば、人の長所を見つけ、これを有効に利用することを考えるのが最上である。
「得手に帆をあげる」というコトワザは、自分のことだけでなく、他人についての態度にもいえることである。
短所を矯正することは、他人であれ、自分であれ、どんなにむずかしいものであるか、ということは、だれでも十分承知しているはずである。
それにくらべて、長所を伸ばすことはずっと易しいのである。そしてその方が、仕事の成果もあがるのだ。
上役は、つねに部下の長所を見つけ、これを伸ばす機会を与えてやることである。ほめて教えて、直してしかる、ということばがある。指導者の心得をいったものであろう。
人は自分の長所を認めてくれる人、ほめてくれる人のためには、身を粉にして働く。D.カーネギーの名著「人を動かす」にも人をほめることの重要さを、実例によってくり返し、くり返し強調している。
部下の短所ばかり問題にしている上役は、自分の無能を証明しているのと同じである。短所ばかりみていても、そこには成果を生みだす何ものも得られないからである。有能な上役は、部下の長所をみつけて、これを伸ばすことに興味はおぼえるが、短所をさがしだすことはしないものである。
ところで、人の長所をみるという場合に、それは必ずといっていいくらい、「部下の」という枕ことばがつく。では、「お客の」「上役の」という枕ことばは意味がないのであろうか。筆者はそうは思わない。お客や上役の長所をみつけて、うまく利用することは、じつは部下以上に必要なのである。理由は簡単である。そのほうが大きな効果があるからである。部下を利用してあげる成果よりも、上役を利用してあげる成果のほうが数倍、数十倍である。
どこの会社でも、上役に対する苦情は、部下に対する苦情よりもずっと多い。しかし、上役を指導するわけにもいかず、注意することもできない。
上役への苦情は、同僚と飲む酒のサカナにして、ストレスを解消するだけにしておいたほうがいい。仕事のうえでは上役のクセを利用するほうが得である。
これには工夫がいる。うまくそのクセを利用して、結果がよければ、してやったり、と心の中で快哉を叫び、「上役なんて他愛のないものだ」と、一種の優越感にひたるほうが愉快と思うのだが、どんなものであろう。
有能と無能の分かれ道は、人の長所をみるか短所をみるか、他人に対する態度で決まる。
自分が有能になるために、お客の、上役の、部下の長所をみることを、われわれは真剣に努める必要があろう。
セキやんコメント: 一倉がここで述べているのは「人の長所」だが、そっくりそのまま企業にも当てはまる。つまり、「伸びているお客様」や「伸びている商品」こそ、「わが社の長所・強み」である。この「わが社の長所」に経営資源重点化こそが正解で、売れない客先・商品(短所)に注力しても徒労に終わるのは当然だ。
「経営の腑」第348号<通算663号>(2022年7月8日)
自己啓発を 一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
有能な経営担当を、ますます有能ならしめるものは、自己啓発である。
自分自身を啓発することはむずかしい。
しかもこれはだれにたのむわけにもいかなければ、だれの責任でもない。自分自身の責任である。
自己啓発の最もよい場所は、自分の仕事それ自身である。
このなかで実践し、実験し、考えぬくことである。タタミの上の水練は無意味である。
万巻の書を読破しても、それは真の自己啓発とはならない。
読書は、これを自分の仕事、自分の会社と結びつけて実践してこそ意味がある。これをやらない読書は害あって益はない。
われわれの対決しているものは、事実そのものであって、理論と対決しているのではないのである。
事実こそ最も権威あるものである。
セキやんコメント: 一倉が、最も忌み嫌うものは「空理空論」である。そして、最も尊重しているのが「事実」だ。一倉について、さまざまな評価があるが、それを論じる際に「事実にこだわった」ことを忘れてはならない。ここが一倉社長学の本質であり、小職が一倉社長学を「事実情報立脚型経営」と呼ぶ理由なのである。
「経営の腑」第349号<通算664号>(2022年7月22日)
お金に弱い会社人 一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
会社人に共通的な欠点の一つはお金に弱いことである。
むろん、経営者は資金繰りと引き合う仕事、売上高などについては、つねに頭を悩ましている。
資材担当者や現業部門の人たちは、個々の部品の単価や工賃については知っている。経理マンは簿記には強い。
しかし、それらの人たちも、会社全体の財務ということになるとあやしくなってくる。製品の採算性や内部管理の効率などは、わかっているようで、案外わかっていない。経理マンは、財務の情報をタイミングよく経営者や経営担当者に流すことは、あまり得意でない。これは、まことに困ったことである。いったい、その原因はどこにあるのであろうか。それは、もう古くなって使いものにならない会社経理の考え方や方法を、後生大事に守っているところにある。なお悪いのは、それをむずかしい経理技法を使って生のまま示すので、しろうとには、なんだかわからぬ、とっつきにくいものにしていることである。
なにはともあれ、財務に弱いのでは困る。この章では、経営者や経営担当者が、少なくともこれくらいは知っておかなければと思われることを、専門技法は最少限度にとどめて述べることにする。なお、詳しくは拙著『あなたの会社は原価計算で損をする』(技報堂刊)を参照されたい。
セキやんコメント: ここで紹介されている『あなたの会社は原価計算で損をする』は、今から59年前に一倉が憤怒にかられて出版した著作だ。しかし、いまだに「使いものにならない会社経理」の状況は変わっていない。だから、小生はご縁を得た経営者様に「活用できる」管理会計の導入定着をお手伝いしているのだ。
「経営の腑」第350号<通算665号>(2022年8月5日)
二つの原価計算 一倉定著「マネジメントへの挑戦 復刻版」(原本:1965年刊)より
“原価”を知ることは、経営者にとっては絶対に必要である、といわれている。損益をこれによってつかむ必要があるからである。しかし、原価のつかみ方に大きな問題があるのだ。それを説明するために、まず、現在行われている原価計算のやり方に二つあることを知っておかなければならない。全部原価計算(Total Costing)と直接原価計算(Direct Costing)、この二つである。全部原価は企業会計原則に決められたやり方で、一般にどこでもこのやり方をしているのである。直接原価計算は管理会計といわれるやり方である。
この二つの原価計算のやり方を、例をあげて説明することにしよう。(中略)
このように、いっさいの費用を単位当たりの製品に割掛け(配賦という)て、原価を計算するやり方を、全部原価計算という。
つぎに、直接原価計算でやってみよう。
直接原価計算では、原価を比例費(製品の生産または販売の増減に比例して増減する費用で、その主なものは材料費、外注費、生産用消耗品、荷造費、手形割引料などである)と固定費(製品の生産販売の増減に比例して増減せず、期間に比例して発生する費用で、人件費、一般管理費、販売費の大部分である)とに分け、比例費を製品原価とし、固定費を期間原価として、損益をつかんでゆく計算方式で、売上から比例費を引いたものを限界利益という。比例費は変動費ともよばれている。
どちらの方法でも同じようなものではないかと思われるかもしれないが、実は違うのである。全部原価計算では非常な誤りを犯す。直接原価計算(以下ダイレクト・コスティングという)でなければ正しい判定をくだせないのである。例をあげて説明することにする。
(中略:当サイトご参照下さい→ 「全部原価計算の罪」)
このように、損益というものは、つねに会社全体でどうなるか、ということを考えて行わなければいけないのである。その場合、ダイレクト・コスティングでは、変わる部分のみの比較という、簡便な方法で誤りない判定ができるのである。全部原価計算では絶対にできない。収益性の判定法をまとめてみると、次のようになる。
1.一台当たりの収益性の比較は、値差(売価−比例費)の大きさで比較すればよい。
2.期間当たりの収益性の比較は、[値差]×[期間当たりの生産数量]=[期間当たり限界利益]の大きさで比較すればよい。
3.どちらをとるかで、固定費の変わる場合は、期間当たりの限界利益の増減分から、期間当たりの固定費の増減分を差し引きまたは加える。
4.ある製品が引き合うかどうかを判定するには、単位時間当たりの限界利益と、単位時間当たりの固定費の比較で、限界利益の方が大きければ引き合う(くわしくは、後述する賃率および採算性分析の項を参照されたい)。
なお、新規受注の場合、内外作決定の場合、設備新設、製品混成、部門成果の判定、期間損益の把握など、全部原価計算で行うと、ほとんどの場合に間違う危険が大きい。具体的なことについては、前掲の拙著を参照願うことにして、この項を終わることにする。
セキやんコメント: 「原価を知らなければ、経営判断ができない」と思うこと自体が誤りである。経営判断は「収益性(レベル)が分かれば、十分」なのだ。なぜなら、高収益獲得は、わが社のリソースを儲からないもの(低収益レベル)から、儲かるもの(高収益レベル)にシフトすることだけで実現するからだ。