「経営の腑」第406号<通算721号>(2024年9月27日)
人も組織も それぞれにドラマ 〜真摯な努力が道開く〜
出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第5回目 2007年11月19日)
先月二十七日、札幌でプロ野球日本ハムの若きエース、ダルビッシュ投手が日本シリーズ初戦の勝利投手となった。小気味良く投げ込むその姿に魅了されたファンも多かったろう。
それに対する中日の川上投手も、初回こそ日本ハムの主砲セギノール選手に出会い頭のスリーランを浴びたものの、二回以降を完ぺきに抑えたタフさは見事で、その後の四連勝での日本一につながった。
シナリオのないドラマといわれるスポーツではこうして日々感動の世界が展開されるが、地道に生きる当地の皆さんにもさまざまなドラマが存在する。
たまたまこの日は、数ヶ月前から予定されていた企業サポートのため山形県米沢市に出向かなければならなかったが、私にとっては後ろ髪を引かれる思いだった。
というのも、起業やサポートにかかわった二つの事業の節目の日と重なったのだ。もちろん私は脇で見ている程度のことしかしていないが、その話題を紹介しようと思う。
一つは、農地内でのカフェのオープンだ。主人公Mさんは専業農家を切り盛りする主婦で四人の子の母親。持ち前の明るさでいろいろなイベントを実現する達人でもある。
十年ほど前から不定期開催しているりんご園内でのクラッシック音楽のコンサートには、時に六百人もの来場者を集めてしまうほどのパワーの持ち主だ。
そのMさんが数年前に思い立ったのが、自然の恵みを満喫しリラックスできるよう、農地内にカフェ空間を創ろうという構想だった。
同じような夢を持つ百人のうち実際のチャレンジャーは一割、十人程度で、最後まで全うするのはそのうちの一人程度だと言われる。今回はまさに百人に一人の夢の実現であり、その実行力には感服させられる。
それは、規制行政のなかで最も厳しい農地を活用した新たな事業構想であり、担当窓口でことごとく「前例がない」という壁に幾度も跳ね返されそうになった。
しかし、「農業を続けていくため!」という強い思いで、一つ一つ乗り越えての開店にこぎつけた。
この間のやり取りを聞かされた者としては、ただ脱帽するしかなく、このドラマを支えたご主人をはじめ、ご家族や協力者の皆様にも心から敬意を表したい。
二つ目は、勤めていた事業所の閉鎖を機に独立開業を果たして六年目、全国規模のモノづくりグランプリをはじめ各種の賞を連続で獲得しているI社のK社長の受賞祝賀会が盛岡市内で催された日でもあった。
I社がここに至るまで、創業当初からの試行錯誤は並大抵ではなかった。技術が売り物であることは誰の目から見ても明らかだったが、そのどの部分をどのようにしてどんなお客様に提供したらよいのかが確立できるまでの不安は察するにあまりある。
その難題から逃げず、真摯に立ち向かった姿勢が評価されての受賞である。努力する姿は、どこかで見ている人が居るという証左で、世の中決して捨てたものではないようだ。
同じドラマでも、スポーツや政局のように大きく取り上げられるケースもあるが、新聞の前のあなたも含め市井の人や巷の企業のそれぞれの身近なドラマにはほとんど日が当たることはない。
しかし、当日関与した米沢市の企業でも自社の存在価値に気づくきっかけになったように、人も組織も皆それぞれ生き抜いていく上でかけがえのないドラマを必ず持っているものだ。
大事なことは、自らのドラマに思いをいたし、そのことに誇りを持って生きていくことだ。それが、人や組織としての原点確認になり、そのよりどころともなるはずだから。
出典:岩手日報「いわての風」(2007年11月19日)寄稿記事へのリンク
「経営の腑」第407号<通算722号>(2024年10月11日)
地域に守られ百年 生家の取り壊し 〜感謝の気持ちで決断〜
出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第6回目 2008年2月4日)
私の母ハツの妹ユリおばさんは、盛岡の町屋群にある麹屋兼モッキリ酒屋の看板だ。
その街区に造詣の深い渡辺敏男さんが先週の本欄で「過疎で過去の歴史ご破算」と警鐘を鳴らされた。昨秋、たまたま私は紫波の生家を取り壊したので、それも含め感想を述べたい。
昨年十月に土地区画整理事業の一環で、一九二五(大正十四)年建造の生家と一九〇九(明治四十二)年生まれの土蔵が同時に解体され、それぞれ八十年から百年にもわたって果たしてきた役割を終えた。
同時に幹廻り4mにもなろうというクリの木、かつて自家水道の水源だった古井戸もすべて取り払われて更地となった。
建物や庭が、当時の商家の作りであったことから、解体に至るまでに多くの方々から「これだけ立派な梁は今なかなか手に入らない」「障子戸に施された格子細工は見事だ」「石灯篭は珍重モノだ」など、様々な感想が寄せられた。それは「古きよきものをなんとか残したい」という、極めて自然な感情から発せられたものだった。
もちろん一番残したいと思ったのは当の私かもしれない。
亡き祖父が財を投じ、心を込めて建築整備したことや、在りし日の父が菜園の黒土作りに丹精込めたことなどを見聞きしていた。家屋や景観そのもの以上に、そこにかかわった肉親への思いが重なり、かけがえのないものに思われ、正直あれも残したいこれも取っておきたいという気になったのだ。
だが、特に歴史的にも学術的にもそれほど価値が有るわけではないと割り切れたこと、私自身のQOL(クオリティー・オブ・ライフ=暮らしの質)的価値観では低位にあり、次世代にその暮らし向きを押し付けたくなかったことなどから、現状のまま保存するのはやめにした。
折しも歴史的な価値があるとされる盛岡市内の旧陸軍兵舎や老舗酒屋の建物の解体や保存などにも大きな関心が寄せられている。
しかし、忘れてはならないのは、そこで暮らす人や使用企業など当事者にとっての有用性の確認だ。そこには、使い勝手や歴史的価値認識なども要素として含まれるだろう。
また、仮に保存するにしても、その費用負担などが立ちはだかり、現実はそう簡単にはいかない。
その点、生家の場合は、何のしがらみもなかったので、その処理策を独断ですんなり決めることができた。
一昨年秋まで地域の皆さんに見守られて生家で一人暮らしをしていた母ハツにとって今お世話になっている特養施設がついのすみかとなりそうなこともあり、生家は解体し、その梁やケヤキの一枚板戸など象徴的な部材の一部を地域の集会所建設の際に転用することにした。
また、老母の七十年近く前の嫁入り道具だったたんすについても、誠実に対応してくれる職人さんに補修を依頼した。
祖父や父の面影とかぶる立手水鉢や井戸端の紅梅など、それなりの庭石樹木については一時的に造園屋さんに保管をお願いし、代替地が整いしだい移す段取りをした。
いずれも地域の皆さんに今後も見守っていただくことができそうなので、まずは一安心だ。
生家を離れて親不孝ばかりの私の場合、隣組や地域の介護関係スタッフの皆さんに老老介護の父母を長い間見守っていただいたことへの感謝の気持ちが今回の判断のモノサシとなった。
これと同列に論じるのは乱暴とも思うが、継続性の象徴とされる歴史的建造物の扱いについても、その当事者と地域の皆さんとの人間同士の絆の強さが、最後のよりどころになるような気がする。多分ユリおばさんも「そうでごぁんす、なっす」と言ってくれると思う。
出典:岩手日報「いわての風」(2008年2月4日)寄稿記事へのリンク
「経営の腑」第408号<通算723号>(2024年10月25日)
2つの「キンセン」を全うする 〜借り物でない経営を〜
出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第7回目 2008年4月21日)
「事業とは、正しい奉仕をして、正しい報酬を得ることである」
これは、中小企業社長の教祖といわれた故一倉定氏の言葉だ。九年前に永眠された一倉氏は、現場実践主義とお客様第一主義を基本に、五千社以上の企業を指導した。
依頼先の社長と夜を徹して金策に走る一方で、講話を聴講中の社長達に向かってチョークを投げつけて諭すなど、エピソードには事欠かない。
氏は「いい会社とか悪い会社とかはない。あるのは、いい社長と悪い社長である」と述べ、事業経営はトップ次第との信念から社長だけを対象とした経営指導に徹した。そんな一倉氏が恒例としていた沖縄での経営計画書策定合宿に参加された企業経営者は、県内にも少なくない。
私は、若い頃から不勉強の極みで勢いだけでビジネス活動してきた。幸い周囲の援助の宜しきを得て、それなりに事業成果をあげ、経営に関する考え方も現場から教わって積み上げることができた。
いわば我流で、経営理論とは対極にあった私でも、一倉氏の教えには共感するところ大だ。ただ、私の気づきの時期が遅く、氏が逝去される数年前からしか、その教えに触れる機会が持てなかったのには少し悔いが残る。
さて、経営環境が急激に変化する現代。それにあおられるように、欧米から次々と横文字の経営技法が紹介される。しかし小手先の方法論に振り回され、肝心かなめの経営の本質を忘れている企業のなんと多いことか。
そんなご時勢なので、あくまで本質での指導を貫いた氏の慧眼について、自分なりに整理してみたいと思う。
まず「正しい奉仕」については、東欧諸国の国家再生コンサルを手がけて多くの実績をあげたD・F・エイベルが説く「事業の定義」を引用すると分かりやい。
つまり「正しい奉仕」とは、過不足なくお客さまの要望に応えることだから、「現に提供する目の前のお客様」に対して、そのお客さまが「求める価値・望むもの」を「正しいやり方・独自の工夫で提供」する、この三要素で成り立つ。これは、皆様がモノを買う時のことを思い浮かべてもらえば良い。
たとえば、繁盛している商売屋のおかみさんは、お客様の嗜好や特性、さらにおかれた状況さえも心得ており、「そのお客さま」が、今「求める価値」を把握しているので、「的確でうるさくない薦め方」が自然にできる。
こうしてお客様に満足してもらい、再び買いに来たいと思ってもらうことこそ「正しい奉仕」の証しとなる。まさに、顧客の「琴線」に触れることそのものなのだ。
次に「正しい報酬を得る」も外せない。利潤は事業経営の目的ではないが、必須の条件だからだ。
お客様の期待に応え続けるには、事業を存続しなければならない。そのためには、当然ながら適正な利潤を上げなければ、経営は息切れし最悪の場合は破たんにいたる。ボランティア活動とはここが大きく違う。
つまり、二つ目の「金銭」感覚も、事業には不可欠なのだ。
このように、一倉氏が指摘する「正しい奉仕・報酬」を突き詰めると、「琴線」と「金銭」の二つのキンセンが浮かんでくるのである。
そして大事なことは、日常的にこうした本質をはずすことなく、つど最良の方策を実施し全うすることである。
その際、借り物の技法は不要で、地に足をつけたやり方が良い。
つまり、現に取引してもらっているお客さまが自社から買ってくれる理由を個別具体的に整理把握することで、おのおのの顧客のキンセンすなわち自社事業の存在価値が浮かび上がる。
その自社の強みパターンをもう一つのキンセンである経済合理性のもとで、その完成度を上げるべく注力することに尽きるのだ。
出典:岩手日報「いわての風」(2008年4月21日)寄稿記事へのリンク
「経営の腑」第409号<通算724号>(2024年11月8日)
足らざるを知り補う努力を 〜経営危機全て人災〜
出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第8回目 2008年7月15日)
先月中旬に発生した岩手・宮城内陸地震は、一関市の厳美から須川にかけた地区でも山肌が削り取られるなど、観光や雇用も含め、両県に大きなつめ跡を残した。
地域住民の一人として今後は早期復興を祈るばかりだが、あえて加えると、市街地の方で暮らす者の実感としては普段の生活と変わらず、地震直後の数日間、報道関係者などの入り込みでタクシーが忙しく動いているのが目立った程度だった。
そんな中、国内外から電話やメールでお見舞いをいただき、人の情けのありがたさを実感した。
今回の地震による多くの被害は天災ということになろうが、先の中国・四川大地震では、学校の校舎崩壊による被害も甚大で、一部は人災ではないか、との指摘もあるようだ。
天災の代表格である地震被害でも、少しは人間の知恵や努力で軽減できるのかもしれない。今後の科学技術の進歩と合わせ、その可能性に期待したい。
さて、このように自然災害は天災の要素がほとんどだが、企業経営の場合、天災要素の災害はない、と断じるのは言い過ぎだろうか。
「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、すべて社長の責任だ」と企業経営者の覚悟を説いたのは、前回の小欄で取り上げた一倉定氏だ。
八年ほど前のある日、たまたま私は対照的な二人の経営者に会った。
午前中に会ったのは社員十五人のうち十三人を解雇したばかりの債務超過の赤字会社の社長。夕方は、創業五年目で年商二十億円の黒字会社の社長だった。
黒字会社の社長は、話している間「皆さんのおかげ」をたびたび口にした。みずから一営業マンの名刺を持ち、月四十冊もの本を読む。身近な成功者にはすかさずコンタクトし、教えを請う。
さらに、この社長は「経営がこわい」と言った。経営にはこれで良いという終りがないから、今は事業がうまくいっていても決して安心できない。順調な時こそ、次の「花形商品」を育て、「金のなる木」を確立しなければならない。また事業が悪い方に回転し出しても、なかなか逆にハンドルが切れない―といった経営判断の難しさも吐露された。
こうして黒字社長は、経営の全責任を受け止め、それをまっとうすべく前向きに頑張っていた。
一方、赤字社長は、一発大逆転を狙っているという。
自分の会社が立ち行かないので、仲間と別会社を立ち上げる。その事業分野は自分の専門外で良く分からないが、とりあえず自分が社長になり、実質業務は仲間達に担ってもらうという。何の特徴も感じられないその事業計画書には、社長の月給二百万円と書かれており、数字がむなしく見えるばかりだった。
赤字社長は、自らは何も付加価値をつくり出すことなく、破たん直前でさえ「誰かにかついでもらえる」とまだ懲りない。一方の黒字社長は、「自分の努力は、まだまだ足りない」と自戒する。
そして八年後、赤字社長の意に反して周りには誰もいなくなり、所在さえ定かでない。一方の黒字社長にはビジネスチャンスが次々に飛び込み、ますます業容を充実させている。
自らの足らざるを知り、それを謙虚におぎなう努力が事業を育てる。それに気づかないのは経営者の罪だ。
経営危機は主に経営者、さらに従業員、ときには株主や取り巻きなど、人的要素から誘発される。特に最近、バブル社長が経営のプロにあらざる「士資格者」に破たんへといざなわれるケースが目につくので、その向きは要注意だ。経営危機は天災ではなく、まさに人災であることを、経営者は肝に銘じたい。
出典:岩手日報「いわての風」(2008年7月15日)寄稿記事へのリンク
「経営の腑」第410号<通算725号>(2024年11月22日)
起業もよし、裏方もよし 〜たくましい女性たち〜
出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第9回目 2008年10月13日)
仕事がら、起業に関する研修講師を務めることがある。その中に、女性限定のセミナーもあり、今年だけでも何回か携わった。女性はもともと現実志向が強いといわれるが、事後の継続相談などを通じ、決して派手ではないが着実に、したたかに事業へと展開されている方が多いことに気がつく。
数年前までは、男女問わず見果てぬ夢を語るだけの受講者も多かった。こうしたケースでは、それぞれの人生航路を大きく踏み外すことのないよう、リスクを十分に認識してもらいながら、その後の進路を決めてもらうような配慮が必要だ。その結果、当然ながら本人が抱く当初の思いに反することも多くなり、起業の世話役としては悩ましいところとなる。しかし、この種の事業の目的は、やみくもに起業者の数を増やすことではない。
微力ながら受講された方のその後の人生を充実させるお手伝いをすることが本来の目的であって、それが起業によるかどうかはあくまでも単なる手段にすぎない。そんな当たり前のことをあえて自戒しながら対応する日々である。
こうした中、最近特に女性に目立つのは地に足をつけて実現可能性を探ろうとする真剣な姿勢だ。この場合、世話役として真正面からかかわることができるので、大いにやりがいを感じる。
大規模なビジネスではないが、今年に入ってからの盛岡市内での店舗開設だけとっても、大変バラエティーに富んでいる。
T子さんは、二十数年間の喫茶室勤めから、子どもさんたちの自立を機に、おばんざいの店を始めた。
行ったこともなかった金融機関と勇気を振り絞って折衝し、開店資金を確保。さらに数多くの物件から店舗を探し出し改装の陣頭指揮を取り、仕入れルートを決めて開店した。
自称「ハワイおたく」のS子さんは、最初に行った金融機関ではまったく相手にされなかったが、めげずに別の銀行に飛び込み、親切な担当者と出会って資金調達に成功。融資審査の期間にはすでにハワイに飛んで仕入れを開始した。綱渡りで勇み足のようだが、彼女の不思議なオーラに開店後の業績も予想を上回っている。
そのほかにも、四年前に地元からの融資が受けられず市外の金融機関から融資を受けるも、既に繰り上げ返済を完了したTさんは、今度は自己資金で九月に新店舗に移転、オープンした。
同じ九月、家庭を何よりも優先し、主婦業と両立させているKさんも工房兼店舗を一等地に移転、拡充させて意気盛んだ。
たまたま講師を依頼されたある機関で、こうした例を話していると、相手の女性理事長が「女性は、洗濯しながら食事の準備をし、同時にゆりかごを動かす術を心得ている」と述べられた。
確かに同時並行作業を強いられる事業立ち上げに対し、女性陣はそれを苦にしない鍛錬が日ごろからなされているのだろう。
それに引き替え、男性陣は上げ膳据え膳に慣らされ、一つのことに集中できる環境が整わなければ、重い腰が上がらないのかもしれない。
こうしたマルチタスク(同時並行作業)対応力という点では、どうも女性陣に分がありそうだ。さらに補助金などに頼らず、自立心旺盛なのも皆さんに共通している。
娘ばかり三人の親だからというわけでないが、創業一つとっても、女性パワーには敬服させられる。
「九州男児と奉られるが、実は支える女性が立派なのだ」など、裏方としての定評は確立済みだが、これは九州に限らず全国共通だ。
だから、当地でもおのおのの立場で「人財」として大いに輝いてもらいたいと率直に思うのである。
出典:岩手日報「いわての風」(2008年10月13日)寄稿記事へのリンク