セキやん通信「経営の腑」
「経営の腑」第436号<通算751号>(2025年11月21日)
部分目標は必達ではない 〜市場評価に逆らわず〜
出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第35回目 2016年8月28日)
事業経営は「外部活動」です。一方、「内部管理」は大組織における最大の関心事で、その大組織の代表格が大手企業や官公庁です。そして、その内部管理を事業経営に持ち込もうとしてマネジメント手法が取りざたされることがよくあります。しかも巷(ちまた)の至るところに、このマネジメント手法に関する情報があふれています。
しかし、中小企業事業者は軽々にこの風潮に乗ってはなりません。
理由は簡単です。内部活動(日常の繰り返し仕事や内部組織対象)ならば管理や統制は可能ですが、外部活動―つまり事業経営の対象である市場やお客さまは統制できるものではないからです。
自由経済下の市場は基本的に「わがまま」です。事業者の都合には目もくれず、唯一の関心は「買い手の要求・価値観を満たすかどうか」にあり、そのモノサシだけで商品やサービスを評価するのです。
こうした冷厳(?)な市場の本質が理解できて初めて、「目標」と「実績」の意味合いも正しく認識できます。
ついては、「目標必達!」と勇ましい掛け声が多くの売り手(通称ア○ノミクスを主導する今の国政も同類?)から聞こえますので、これを取り上げましょう。
そもそも管理や統制ができない市場に対し、売り手の目標は「当社の勝手な願望」です。しかし一方で、必要固定費などから逆算した目標には、「当社が生きる条件」という重大な意味もあります。
この「生きるための条件」という側面からすれば、不達成が続くと早晩わが社は「死」に直面しますので、全体目標は間違いなく「必達!」ということになります。
これと反対に、個別(商品別や顧客別)目標に対する実績との差異においては、必達ではなく逆に「目標と実績の差を広げる」のが正しい経営判断です。
この理由も簡単です。「実績」というのは、市場やお客さまの紛れもない「事実評価」だからです。
先に述べたように、市場は情け容赦なく商品やサービスを品定めしますので、結果として「たくさん売れたもの」は市場に高評価されたことであり、わが社がその価値を低く見誤ったことに過ぎません。
つまり、市場が「もっと欲しい」と教えてくれているのですから、わが社の目標をクリアしたとしても、さらなる増販で好評に応えるのです。その結果、さらに目標と実績の差がプラスに広がり業績に好影響を与えます。
逆も、しかりです。わが社の肝いりで販売してもさっぱり売れない場合には、目標と実績のマイナスの差は広がるばかりですが、ここで特売やキャンペーンで力を入れても無駄です。お客さまが「買いたくない」と教えてくれているわけですから、素直に従えばよいのです。それに逆らって拡販努力するのは「沈みゆく太陽を引き戻す」行為と同じで、まったく無意味で徒労に終わります。
コントロール不能な市場を管理しようとして無駄なエネルギーを割く余裕(?)のある大組織は、それでも何とか生き延びられますが、われらが中小事業者には、こうした間違いが命取りとなることもあります。
冒頭に指摘したように、世の専門家(?)やコンサルと言われる輩の多くは、こうした市場の本質を理解しないまま、「目標に近づける」べくマネジメント手法を駆使してピント外れの指導(?)をしますが、これに「目標通り病」と警鐘を鳴らしたのが、十七年前に亡くなった「社長の教祖」一倉定氏です。
氏の主張を筆者なりに突き詰めると、全体(マクロ)目標は「生きるための条件」ですから「必達」で、部分(ミクロ)目標は「臨機応変に、差を広げる」ということになります。
ちなみに、これを徹底して実践されたF県のX社は、2年半前まで借金返済もままなりませんでしたが、筆者関与後たちまち営業利益率20%以上の超優良企業に変身するなど、実践活用すればするほど奥深さを実感します。経営者の皆さまには、事業活動と内部管理はまったく「別もの」ということを再認識され、世のニセモノに踊らされることなく、自らの経営を本質や原則に基づいて進めて貰いたいと願うのです。
出典:岩手日報「いわての風」(2016年8月28日)寄稿記事へのリンク
