Sekiyan's Notebook グローカルニュース〜経営の腑

セキやん通信「経営の腑」


第436号“部分目標は必達ではない 〜市場評価に逆らわず〜”<通算751号>(2025年11月21日)

第437号“事業経営の雑音を排す 〜事実情報に立脚して〜”<通算752号>(2025年12月5日)

第438号“「まぐれ」から「必然」の経営へ 〜本質実践に立ち返る〜”<通算753号>(2025年12月19日)

第439号“経営と金融のあるべき関係 〜おカネ振り回されず〜”<通算754号>(2026年1月2日)

第440号“自社の管理会計こそ武器 〜間尺に合う改良必要〜”<通算755号>(2026年1月16日)

「経営の腑」第436号<通算751号>(2025年11月21日)

 部分目標は必達ではない 〜市場評価に逆らわず〜
  出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第35回目 2016年8月28日)

 事業経営は「外部活動」です。一方、「内部管理」は大組織における最大の関心事で、その大組織の代表格が大手企業や官公庁です。そして、その内部管理を事業経営に持ち込もうとしてマネジメント手法が取りざたされることがよくあります。しかも巷(ちまた)の至るところに、このマネジメント手法に関する情報があふれています。
 しかし、中小企業事業者は軽々にこの風潮に乗ってはなりません。
 理由は簡単です。内部活動(日常の繰り返し仕事や内部組織対象)ならば管理や統制は可能ですが、外部活動―つまり事業経営の対象である市場やお客さまは統制できるものではないからです。
 自由経済下の市場は基本的に「わがまま」です。事業者の都合には目もくれず、唯一の関心は「買い手の要求・価値観を満たすかどうか」にあり、そのモノサシだけで商品やサービスを評価するのです。
 こうした冷厳(?)な市場の本質が理解できて初めて、「目標」と「実績」の意味合いも正しく認識できます。
 ついては、「目標必達!」と勇ましい掛け声が多くの売り手(通称ア○ノミクスを主導する今の国政も同類?)から聞こえますので、これを取り上げましょう。
 そもそも管理や統制ができない市場に対し、売り手の目標は「当社の勝手な願望」です。しかし一方で、必要固定費などから逆算した目標には、「当社が生きる条件」という重大な意味もあります。
 この「生きるための条件」という側面からすれば、不達成が続くと早晩わが社は「死」に直面しますので、全体目標は間違いなく「必達!」ということになります。
 これと反対に、個別(商品別や顧客別)目標に対する実績との差異においては、必達ではなく逆に「目標と実績の差を広げる」のが正しい経営判断です。
 この理由も簡単です。「実績」というのは、市場やお客さまの紛れもない「事実評価」だからです。
 先に述べたように、市場は情け容赦なく商品やサービスを品定めしますので、結果として「たくさん売れたもの」は市場に高評価されたことであり、わが社がその価値を低く見誤ったことに過ぎません。
 つまり、市場が「もっと欲しい」と教えてくれているのですから、わが社の目標をクリアしたとしても、さらなる増販で好評に応えるのです。その結果、さらに目標と実績の差がプラスに広がり業績に好影響を与えます。
 逆も、しかりです。わが社の肝いりで販売してもさっぱり売れない場合には、目標と実績のマイナスの差は広がるばかりですが、ここで特売やキャンペーンで力を入れても無駄です。お客さまが「買いたくない」と教えてくれているわけですから、素直に従えばよいのです。それに逆らって拡販努力するのは「沈みゆく太陽を引き戻す」行為と同じで、まったく無意味で徒労に終わります。
 コントロール不能な市場を管理しようとして無駄なエネルギーを割く余裕(?)のある大組織は、それでも何とか生き延びられますが、われらが中小事業者には、こうした間違いが命取りとなることもあります。
 冒頭に指摘したように、世の専門家(?)やコンサルと言われる輩の多くは、こうした市場の本質を理解しないまま、「目標に近づける」べくマネジメント手法を駆使してピント外れの指導(?)をしますが、これに「目標通り病」と警鐘を鳴らしたのが、十七年前に亡くなった「社長の教祖」一倉定氏です。
 氏の主張を筆者なりに突き詰めると、全体(マクロ)目標は「生きるための条件」ですから「必達」で、部分(ミクロ)目標は「臨機応変に、差を広げる」ということになります。
 ちなみに、これを徹底して実践されたF県のX社は、2年半前まで借金返済もままなりませんでしたが、筆者関与後たちまち営業利益率20%以上の超優良企業に変身するなど、実践活用すればするほど奥深さを実感します。経営者の皆さまには、事業活動と内部管理はまったく「別もの」ということを再認識され、世のニセモノに踊らされることなく、自らの経営を本質や原則に基づいて進めて貰いたいと願うのです。

出典:岩手日報「いわての風」(2016年8月28日)寄稿記事へのリンク

「経営の腑」第437号<通算752号>(2025年12月5日)

 事業経営の雑音を排す 〜事実情報に立脚して〜
  出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第36回目 2016年12月11日)

 ここ5〜6年携わった各企業の個別支援では、もっぱら「一倉定」方式を実践し大いに手応えを感じています。
 一倉氏の教えの本質は「事実情報に立脚した経営判断の実践こそが、事業経営の健全化と継続につながる」というのが私の解釈です。
 そして、事業経営は「お客さまの要求を満たすこと」で、「まずはお客さまの要求を把握することがすべての始まり」としています。
 そのお客さま情報を正しく得るために「経営者自らのお客さま訪問」励行を繰り返し説いています。これは、事実情報の中でも、わが社に対する市場の定性的評価を把握する確実な方法です。
 その上で、もう一方の定量的評価の把握策として二つの方法を挙げています。
 一つ目は、売上高年計という簡単なグラフを用いて、売上実績から「お客さまの評価」を確認します。このグラフを一見すればお客さまの評価の傾向が瞬時に分かり、市場の把握に悩んでいる経営者にとっては、まさに福音の強力経営ツールです。
 定量的事実把握の二つ目の道具は、管理会計による正しい「収益性判断のモノサシ」です。これについても本欄で繰り返し述べていますが、一般に普及している全部原価計算方式では、正しい収益性判断はできません(配賦方式の恣意性に混乱の真因があります)ので、わが社の管理会計への組み替えが必須です。これではじめて真の収益性判断指標が手に入り、高収益経営への道筋が見えてきます。
 この定量的な二つの事実情報「お客さまの評価」と「正しい収益性」こそが、高収益のよりどころです。
 なぜなら、高収益体質は「お客さまが支持してくれて儲かるものに、経営資源をたくさん使う」ことでしか実現しないからです。
 経営資源には限りがありますから、「売れ行きが悪く、儲からないもの」に使う資源は減らさなければならず、その判断は「お客さま・市場の評価」と「収益性」が分かってこそ的確になされます。逆に言えば、「闇仕合」というように、市場の評価も収益性も分からない中で、むやみに刀を振り回すことに恐ろしさを感じざるを得ません。
 いみじくも、一倉氏は生前「私が関与した数千社の社長の中で、自分の会社の状況を正しく把握していたのは、たった一人しかいなかった」と述べていますが、私の20年近い経営者との付き合いの中でも、経営状況を的確に把握している経営者は非常に少ないことを痛感しています。
 こうした中、経営者の皆さまと関わると、事実情報と素直に向き合う方は、間違いなく目を見張るような業績の変革を成し遂げます。
 一方、「そうした考えもあるね」程度の受け止め方の経営者は、当然ながら成果は出ません。これが唯一無二の「儲けの鉄則」であることに気づかず、闇仕合を続け地域の名誉職などに明け暮れているような経営者を「ゆでガエル症候群」といい、経営者がそれで破綻するのは自業自得ですが、まじめに働く従業員は報われません。
 これは経営者自身の責任でもありますが、実は周囲の雑音に惑わされている要素が大きく、その意味では被害者といえるかもしれません。この要素の一つである似非コンサルについて、一倉氏は「経営現場でコンサルタントに対する不信の念が蔓延している。それは経営とは何かを知らずに自分の専門分野のテクニックを振り回して押しつけているからである」と著しており、私も同感です。
 事実情報を的確に把握するという本質に則ったやり方で業績を抜本改革した関与先の社長さん方からは、例外なく「今まで、なんと余計なことをやっていたのか!」との感想をいただきます。
 いかがでしょう。社長さん、素直にそしてシンプルに事実と向き合いませんか?大事な従業員のためにも…

出典:岩手日報「いわての風」(2016年12月11日)寄稿記事へのリンク

「経営の腑」第438号<通算753号>(2025年12月19日)

 「まぐれ」から「必然」の経営へ 〜本質実践に立ち返る〜
  出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第37回目 2017年4月9日)

 宝くじ歴40年以上の私ですが、安定的に1割配当で9割を上納しています。「どうせ当たらないのに」と身内はあきれ顔ですが、もとより聖人君子ではなく、それなりに我欲もありますので「夢見る楽しみ」と自己弁護しながら地味に続けています。
 ところで、事業経営では、こうした「当たりくじ探し」はお薦めできません。経営者の腕によって関係者の人生の浮沈が掛かっているわけですから、経営トップには、まぐれ当たりではなく必然の経営が求められます。
 しかしながら、古き良き時代の「成り行き」感覚のままの経営者や関係者が多いのが実態です。
 たとえば、某県郡部の名門企業X社のケースです。かつては隆盛を極め、今でもパート含め100人以上の地場有力企業ですが、赤字経営が続き、債務超過でメインバンクの管理下にあります。
 ある日、メインバンクから「監督当局通達で、このままでは資金の融通は難しい。よって有名コンサルY社を紹介するので、再建計画など指導を受けるように」との通告(半ば脅し?)です。
 当然X社はわらにもすがる思いでY社と契約しました。メインバンクは口利きだけですから、年間500万円にも上るコンサル料は、債務超過のX社が身を切る思いで支払ったことは想像に難くありません。
 それでも、その指導よろしく業績改善されれば救いはありますが、多くの会社同様、単に問題の先送り状態が続いているようです。Y社では東北支店のトップ自らが担当しましたが、先行事例頼りの典型的な手法紹介型で、はなから再生指導など期待できなかったのです。
 こうした例は少なくありませんが、ここでは2点指摘したいと思います。
 一つは、「監督官庁+金融機関(一般的サポート機関の場合もある)+へぼコンサル」の、「鉄のトライアングル」ならぬ「ぬれ手にあわ三角形」の存在です。
 この世に2種類のタイプがあるという論法でいうと「(価値を)生み出す人」と「(価値に)たかる人」で、この三角形構成メンバーは「たかる人」です。本来「生み出す人」のサポート役であるべき関係者が、悪気ない「たかる人」だったり、やらずぶったくりの三角形構成メンバーとして意図的に「たかる人」になったりするのです。
 念のために、どちらのタイプかは、「立場」ではなく「姿勢」によって決まることを付け加えておきます。
 つまり、自ら陣頭指揮で高収益構造を「生み出す」社長もいれば、手抜きばかりの「たかる」社員もおり、付き合う相手選びは、くれぐれも注意が必要です。
 二つ目の指摘は、X社やY社の経営に対する姿勢・向き合い方の問題です。
 経営が思わしくないと、X社のように対応策を求めて右往左往します。その時に頭をもたげるのは、成功?事例をパクることですから、多くの事例・ケースをかき集めて提供するY社的なやり方が受け入れられるわけです。
 これは、うまくはまるとある程度成果が上がるので一概に否定できませんが、あくまでも確率に依存し「たまたま」の域を出ません。環境や条件が変わると、また次を探さなければならないので、しょせん「まぐれ」型経営です。
 その対極の解決法が、本欄で繰り返し提唱している「必然」型経営です。
 必然型の根拠は「本質と事実」ですから、時代や環境が変わっても、普遍的に活用し続けられるのです。
 つまり、事業経営の本質「お客さまの要求を満たすこと」への集中です。お客さまの要求と評価は、顧客訪問と売上高年計で確認し、さらに正しい収益性把握のため、人時生産性指標(S賃率)を活用するだけです。
 そして、高収益の商品やお客様に経営資源を重点配分します。これも原理原則の部類ですが、有限な経営資源を高収益の対象にシフトしていくことでしか、わが社のもうかる仕組みは作れません。
 事業経営は、当たりくじ探しではありません。「たかる人」や雑音に惑わされず、事実と向き合い、シンプルに本質を実践することなのです。

出典:岩手日報「いわての風」(2017年4月9日)寄稿記事へのリンク

「経営の腑」第439号<通算754号>(2026年1月2日)

 経営と金融のあるべき関係 〜おカネ振り回されず〜
  出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第38回目 2017年7月23日)

 H駅前町内会の早朝清掃の後、立ち寄ることの少なくなった実家の仏壇の前で、いつも気にかけてくれる町内会の皆さんや先祖への感謝を込め、線香を立て合掌しました。
 昨年亡父の十三回忌でしたが、銀行員だった亡父の姿と今の金融機関の動きとのギャップに、ふと思いが至ったので、今回は経営と金融について書くことにします。
 亡父は当時の55歳定年まで某銀行にお世話になりました。少し変わり者で、退職時も無役で管理職ではありませんでした。周囲では「転勤を断って、出世の道を捨てた人」と評され、長く審査部勤務でした。そんなわけで、私も銀行に感謝こそすれ、悪口は言えない立場です。
 先ごろある社長から「先生が前回(4月9日掲載)の『いわての風』で書いていた『ぬれ手にあわトライアングル』に陥っているので何とか支援してほしい」と声が掛かりました。その社長は、「晴れの日に傘を貸し、雨の日に取りあげる?」金融機関に直面しての懇願です。掲載内容と全く同じ状況であることに背中を押されたようです。
 この社長に限らず、経営者と金融の関係は切っても切れないものです。しかし、その関係を正しく認識しないと、真っ当な関係から逸脱し、本末転倒になりますので要注意です。
 私が金融機関を含む「経営サポートのプロ」にいつも厳しいのは、現場で汗する経営者や従業員の皆さんがその汗にふさわしい報酬を獲得するための応援も、大事な使命・役割の一つだと信じるからです。
 こうしたもろもろを思うと、亡父の時代の金融機関活動と現在のそれは大きく様変わりしたように感じます。
 特に、かつてはメインバンクとして「企業を最後まで支える」という金融機関の矜持(ルビ・きょうじ)があったものですが、今は事務的に信用保証機関にリスクをとってもらえるよう、書類をうまくまとめるのを仕事としている向きもあるようです。当然ながら、融資対象先への目利き力も低下し、単なる利息稼ぎの事務能力を磨くことに腐心していると批判されることになります。
 これについては、民間企業のオーナーでもある財務大臣や異色の金融庁長官も、過去に例を見ないほど各金融機関の経営姿勢に対する注文を出しています。ただ、これものれんに腕押し状態で、したたかな金融機関は、第三者の目ということで「御用コンサル(多くは、会計諸表の過去の数字整理の専門家ですが…)」を利用して、当局の仰せに従ったフリをしてやり過ごしています。
 さて、金融機関についてはこれぐらいにして、次に企業サイドについて述べます。
 経営上、おカネがなければ従業員の給料の遅延も起きますし、仕入代金も払えず仕入れストップで商売ができなくなり、手形発行の企業は手形決済できずに不渡りで結果的には倒産となります。
 そういう意味で、おカネは経営の血液ともいわれ、「時を稼ぐ」ために欠かせない経営資源です。
 つまり、おカネになるまで時間差が生じる事業活動では、借入金はそれを補う大事な道具ですから、借り手としては返済期限にはしっかり返済しなければなりません。そして、その返済原資は基本的に利益が元手なので、普通の企業は「生きるために」利益が必要なのです。本欄で繰り返し述べているように、事業経営の本質は「お客さまの要求を満たすこと」です。企業はそれに向かって、持てる経営資源を活用して企業活動を推進します。そこから企業の存在価値が発揮され、適正な収益(付加価値)が生み出されます。
 従って、おカネは経営にとって確かに重要な要素ではありますが、付加価値そのものを生み出すわけではなく、あくまでも経営活動推進の道具の一つにすぎないのです。かの社長もこのことを再認識され、金融機関との接触時間を減らし、顧客訪問に注力して経営改善に歩み始めました。
 経営者の皆さまは普段からおカネの意味合いと借り手の立場を忘れることなく、一方の金融機関もその使命をわきまえ過度におカネに振り回されないようにしてもらいたいと切に願うのです。

出典:岩手日報「いわての風」(2017年7月23日)寄稿記事へのリンク

「経営の腑」第440号<通算755号>(2026年1月16日)

 自社の管理会計こそ武器 〜間尺に合う改良必要〜
  出典:岩手日報「いわての風」寄稿記事(第39回目 2017年11月12日)

 冒頭からきつい話で恐縮ですが、先ごろ県北の有力企業が倒産しました。他県業者がすでに業務を再開したとの報道ですが、一部にとどまっているようで案じられます。
 本欄でいつも指摘しているように、企業経営の市場はある種の戦場ですから、当然ながら優秀な兵力(一所懸命働く社員)でも、戦う場所(市場の選択)を間違えると、戦(いくさ)に負けてしまうのです。(中略)
 今年4月9日掲載の本欄で「濡れ手にあわ三角形」の存在を指摘しました。これは、指導官庁・金融機関・小判ザメ大手コンサルの3者で構成され、穴があいた融資額の多くが税金で補てん、この一味に実害なしの「やらずぶったくり」の仕組みで、まさに最低最悪の搾取構造です。
 池井戸ドラマなら、半沢直樹や花咲舞が登場して悪者退治しますが、現実はそうなりません。
 そこで、今回はこうした連中に会社を食い物にされないすべを述べたいと思います。
 企業の経営報告は、企業会計原則というものに則って納税や株主など利害関係者に報告しなければならないというルールがあります。これが、いわゆる財務諸表というもので、このルールを守る番人役として税理士など独占資格が与えられ「会計・税務の専門家」と呼ばれています。
 かたや「会社経営のプロたち」は、このルールは順守しますが、自社の経営に関しては、この企業会計原則の財務会計ではなく、別の「わが社の収益構造が分かる会計」に組み替えて経営判断をしていきます。これを管理会計といいます。
 あのカリスマ経営者といわれる京セラの稲盛和夫名誉会長もその活用者の一人です。自ら経営塾で全国の経営者に管理会計の重要性を繰り返し説いて回っています。
 また、ソニーの盛田昭夫、井深大の両氏に仕え、その後自らの管理会計方式(戦略MQ)やマネジメントゲームを確立し、今でも全国の会計人や経営者に支持されている西順一郎氏もその一人です。
 もちろん、故一倉定氏もその大御所です。私が一倉式をもとに構築したSフレームで関与した企業は全て高収益体質に変わるのがその証しです。(中略)
 いずれにせよ、企業会計原則では的確な経営はできないというのが、結果を出している経営の専門家の一致した見解といってよいでしょう。
 では、なぜこの優れた管理会計が中小企業に普及しないか疑問が浮かびますが、いくつか理由があります。
 まず一つは、中小企業経営者が、義務的な財務会計を唯一無二のわが社の数字だと思い込んでいるからです。もちろんこの数字には(粉飾しない限りは)うそ偽りはありません。しかし、あくまでも使い道を整頓しただけの結果の整理数値に過ぎないのです。
 経営で大事なのは「これからどうする」の未来に対する判断なのに、過去の結果を眺めるだけでは対応できません。従って、「わが社がどうすればもっと儲かるか」のヒントが得られる管理会計がどうしても必要なのです。
 普及しない理由の二つ目は、前述の「わが社の…」にあります。先に述べた稲盛式の会計は、「わが社」である京セラにはベストマッチなのですが、他社にとっては、間尺に合わないということが頻発するのです。大成果を出した他社モデルを真似してみたが、わが社ではうまくいかなかったという類なのです。
 従って、筆者の経験上、まずは当事者である「わが社の間尺に合う」ようにカスタマイズする、このひと手間がとても大事なのです。ここで、社長が腑に落ちれば、あとは「無人の野を往くがごとし」の世界になります。
 真の収益性があっけないほど簡単に把握され「儲かるものに重点を置く」という収益性向上原則が励行できます。その結果、債務超過企業が高収益構造体質に変貌し、搾取集団からわが社を守ることになるのです。

出典:岩手日報「いわての風」(2017年11月12日)寄稿記事へのリンク

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